一触即発の信管はお断り
二・二六事件当日、東京湾沖では保安隊の艦隊と海軍の艦隊が睨み合っていた。
保安局では五・一五事件のこともあり海軍を信用していなかった。
そのため早々に海軍の第一艦隊を射程圏内に絶対に入れるな、と局長命令が出されていた。
第一艦隊に相対するのは保安隊の第二戦艦群である。
艦隊の内訳は超弩級戦艦の大阪級戦艦4隻と弩級戦艦の愛知型戦艦3隻、青森型戦艦3隻の計10隻だった。
東京級戦艦の2隻は陸軍省と赤坂に主砲を向けるように命令されており、その他の戦艦は海軍に対応するように命令されていた。
41cm連装砲を4基装備する長門に対し、旧型の大阪級戦艦では太刀打ちできないように見える。
しかし大阪級戦艦は38cm連装砲を5基装備しており、それが1隻で10門であるから4隻で40門存在することになる。
さらに30.5cm連装砲を4基装備する弩級戦艦が6隻で、こちらは全部で48門存在した。
第一艦隊には戦艦は長門以外に扶桑型や金剛型しかおらず、有利までとはいわないが互角ぐらいにはなっていた。
東京湾沖で睨み合う第一艦隊と第二戦艦群の間ではこんなやりとりが行われていた。
《こちらは日本海軍所属第一艦隊旗艦の長門である。進路上に存在する艦隊は所属と目標を教えられたし。》
《こちらは保安隊所属第二戦艦群旗艦の大阪である。現在我が艦隊は保安局長の命令により東京湾の封鎖を実行中である。》
《こちらは東京湾への展開を命令されている。速やかに進路を譲られたし。》
《残念ながらこちらは封鎖任務中につき海軍であろうと通すことはできない。》
《そこを通さなければこちらは実力行使により任務を遂行しなければならない。》
《我々は艦を自沈させても封鎖を継続する覚悟である。そのような脅しには屈しない。》
第一艦隊の司令部はその覚悟に深く胸を打たれて、任務を保安隊艦隊の監視に変更した。
既に保安隊の第一戦艦群が叛乱軍に対して圧力をかけている以上、第一艦隊から戦力を出す必要はなかった。
それより海軍上層部は今後のために保安局を敵に回すよりも、協力して叛乱軍を鎮圧した方が良いと考えた。
その結果が三宅坂・桜田門での戦いなどでの海軍陸戦隊の参加である。
海軍陸戦隊が一生懸命に大発や輸送艦を使って展開していたのは、このように東京湾が封鎖されていたからだった。
海軍は戦いを通して短機関銃や装甲車の有用性を再確認し、保安局を参考に自動小銃の導入や本格的な機械化などを検討する。
最終的にはドイツを経由してAG28を購入し、それを参考に7.7mm弾を使う自動小銃を開発することになる。
保安局を参考にした海軍陸戦隊は太平洋での戦いで大活躍するのだが、それはまた別のお話。




