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震える帝都⑥

 陸軍省や参謀本部は案外簡単に制圧できた。


 三宅坂の戦闘には司法省公安局の執行部隊も参加していた。


 何しろ司法省の庁舎も攻撃や襲撃を受けており、無関係ではなかったからである。


 保安局の特務部隊と合同で陸軍省などの制圧が決定され、警視庁と内務省を奪還すると作戦が開始された。


 政府軍が包囲している間に建物に接近し、ロープを使って壁を登り始めた。


 特務部隊と執行部隊がラペリングをして、窓から煙幕手榴弾や閃光手榴弾を投げ込み突入する。


 陸軍大臣や東京警備司令などの高官や、皇道派の中心人物である荒木貞夫と真崎甚三郎の逮捕に成功した。


 叛乱軍といえども彼らも軍人であり首脳部が拘束されると、抵抗していた叛乱軍も投降し三宅坂は制圧された。


 建物を傷つけることなく大きな損害や犠牲を出さずに制圧でき、桜田門とは大きく違っていた。


 実のところ陸軍大臣の川島義行はあまりクーデターに乗り気では無く、皇道派によって陸軍大臣官邸に軟禁されていた。


 さらに東京警備司令部は保安局の解体を目論んでいたが、そこに皇道派が取り入り司令部を掌握してしまった。


 その為クーデターが起きて鎮圧に動こうとした者たちが、たちまち皇道派とそのシンパによって拘束される。


 たとえば参謀長の安井藤次は、叛乱軍に協力的である香椎浩平警備司令に反対して拘束された。


 また陸軍省や参謀本部に残った高官たちは皇道派であったが、彼らはクーデターのために利用されただけに過ぎない。


 三宅坂を制圧しても叛乱軍を行動不能にすることはできなかった。


 なぜなら叛乱軍の本部は違うところにあり鎮圧をするためには、他のところにある司令部を潰さなければならないからである。


 実際問題として叛乱軍の本隊は赤坂にあり、師団司令部も赤坂にあった。


 もっとも師団長と参謀長は陸軍省におり、第一師団の指揮を一切とっていなかった。


 そして師団長と参謀長が逮捕された事により、第一師団の中で一番階級が高いものが師団長と参謀長の役職を引き継いだ。


 つまり叛乱軍の実態は陸軍の中央部や上層部を利用していた将校たちの集まりであり、現にクーデターの主犯格の一人である北一輝は彼らと共に赤坂の師団司令部にいた。


 しかし政府側は永田町一帯の安全を確保し、最低限政治ができるようになった。


 こうして二・二六事件は次の段階へと進み、舞台は日本橋の方へ移る。


 日本橋では保安隊の装甲部隊と叛乱軍が睨み合っていた。


 三宅坂・桜田門の制圧が終わり、日が暮れ始めた頃になると事態は急変するのだった。

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