震える帝都③
現在のところ叛乱軍は陸軍省・参謀本部と警視庁・内務省一帯に布陣していた。
陸軍省は国会議事堂の目の前にあり叛乱軍と警備隊は睨み合っていた。
まだ建設途中である国会議事堂の前庭はまっさらであり、応援の保安隊が展開する事ができた。
幸い国会議事堂には目隠しの為か木製であるが、塀が立てられており、現地の司令官は国会議事堂に本部を置くことにした。
保安隊と警官隊によって三宅坂から桜田門が包囲され、叛乱軍は身動きができないよう釘付けにされた。
しかし叛乱軍の本隊は赤坂に展開しており、襲撃部隊はたったの一個大隊くらいにしか過ぎなかった。
この頃になると拘束された叛乱軍から情報を聞き出していた。その結果、第一師団が丸ごと決起した事が分かる。
赤坂には歩兵第二旅団(2個連隊)と騎兵第二旅団(3個連隊)、野戦重砲兵第三旅団(2個連隊)横須賀重砲兵連隊などが展開していた。
残りの歩兵第一旅団(2個連隊)と野戦砲兵第一連隊は神田に展開している。
保安局は対抗するため虎ノ門と日本橋に保安隊を展開させるのだが、出せる部隊は限られていた。
即応部隊である保安第二大隊は永田町一帯に展開しており、予備部隊である保安第四大隊も守備隊として本庁舎を守っていた。
さらに川崎の保安第二連隊や横浜の保安第三連隊は、直ぐに駆けつける事ができなかった。
そのため虎ノ門には常設部隊の保安第一大隊が、日本橋には機甲部隊の保安第三大隊が展開した。
既に現地には保安部機動部隊と特務部特務部隊が展開していたが、叛乱軍には保安隊でなければ対抗できないと判断されていた。
結果的に保安局と叛乱軍は宮城を挟んで南北に対峙する事になり、そのせいで保安局は川崎までの世田谷・目黒・品川の一帯を抑えなければいけなくなる。
前線司令部からの要請で川崎の保安第二連隊から保安第二大隊と保安第三大隊が目黒・品川に進出、甲府からは保安第十七連隊が世田谷を目指して出発した。
そして保安局は最初に安全を確保するために、三宅坂・桜田門の攻略を決定した。
政府機能を再開させるには最低でも、永田町全域と宮城を抑えなければいけないからである。
幸いにも宮城は近衛師団が味方に着いたので安全が保たれていた。(内部で決起未遂があったが直ぐに鎮圧された。)
また陸軍省と参謀本部が叛乱軍に占拠されている状態では、陸軍は統制がとれていないと判断された。
更に叛乱軍に対して陸相や東京警備司令部が協力的な事もあり、緊急勅令により陸相が強制的に解任され東京警備司令部は解体された。
陸軍省と参謀本部の機能は一時的に宮城に移り、天皇陛下が陸軍大臣および最高司令官となる。
これは天皇大権の一つである統帥権の賜物であり、陸軍省と参謀本部は1本の電話で権限を剥奪された。
三宅坂と桜田門さえ制圧すれば主導権は政府側に戻って来るわけであり、叛乱軍に対して本格的な反攻ができるようになる。
ともかく保安局の反攻は三宅坂・桜田門の戦いから始まるのであった。




