震える帝都②
脱出や避難した内閣総理大臣以下、閣僚たちは川崎に向かっていた。
川崎には保安局の第二庁舎があり、今のところ一番安全な場所はそこしかなかった。
本庁舎ほどでは無いが防壁が設置され、一個連隊が駐屯している。
近くには横浜の第三庁舎があり、直ぐに救援が駆けつけるようになっていた。
保安局の本庁舎や第二庁舎などには、非常事態でも政府が機能できるように地下に大小様々な司令室があり、その中には会議室や閣議室があった。
現在は本庁舎が最前線となっている為、第二庁舎が総司令部として運用される。
そもそも第二庁舎は本庁舎の補助の為に作られているので、総司令部として使われるのは想定内の範囲だった。
既に治安維持法に定められた権限により、局長が国家非常事態を布告していた。
岡田首相により布告は承認され、緊急閣議が開かれることになった。
全閣僚の意見は決起部隊を鎮圧すべしで完全に一致している。
しかし今は千代田区全体が戦場になっている為、とてもじゃ無いが宮城に参内などできる訳なかった。
というか近衛師団や憲兵隊、海軍でさえ味方かどうか分からないのである。
東京湾は保安隊の戦艦群により封鎖されており、海軍も信用ならない以上艦隊を東京に近づける訳には行かなかった。
麹町警察署まで後退した警視総監らは芝愛宕警察署に非常警備総司令部を設置した。
非常警備総司令部は麹町警察署を最前線として、東京各地の警察署から警官を集めて警官隊を編成する。
重機関銃は無くともライフルや軽機関銃、散弾銃は各警察署に配備されていたので手に入れる事ができた。
警視総監が警官隊を編成していると保安局の部隊がやって来た。
保安局の職員から国家非常事態の布告に従い、治安維持法の規定により、警察権が一時的に保安局に委譲されると言われた。
警視庁と内務省が陥落している以上、警察権を行使できるのは保安局以外になかった。
警察は保安局の指揮下に入る事になり、警官隊には予備の武器が貸与される。
警官隊により内務省と警視庁を包囲し決起部隊を牽制していた。
この頃には天皇陛下には麹町警察署の宮内省直通電話を通して、岡田首相や鈴木貫太郎などの臣下の無事が伝えられている。
午前6時半になると決起部隊からの要求が占拠された放送局を通じてラジオで流された。
要求の中には保安局の解体や岡田首相の退陣などがあった。
それらの要求と警視庁襲撃により多大な犠牲者が出たことを聞いた天皇陛下は、決起部隊を叛乱軍・賊軍とする勅令を出したのだった。
これにより決起部隊は叛乱軍となり、保安局は大義名分を持って戦えるようになる。




