一生のお願い一つ目
1935年7月下旬、ある男が千野邸を訪れていた。その男の名は永田鉄山という。
「急に呼び立てしてすまないな。」
「いえ、地元では父共々貴方にお世話になりましたからこれぐらい当然です。」
永田鉄山の父親は病院の院長をする傍ら、諏訪大学の医学部で教鞭を執っていた。
もちろん諏訪大学は千野成章によって設立された大学である。
理事長であった千野成章は永田鉄山の父親と交友があり、地元が近いことから彼の病院に多額の寄付を行っていた。
その関係から息子である永田鉄山に父親が亡くなった後も支援していた。
永田鉄山が11歳の時に父親が亡くなると、東京に出てくるために部屋を用意してやったりした。
千野成章が東京での永田鉄山の後見人として、しばらくの間生活や学校の面倒を見てやっていた。
そのため永田鉄山からは恩人として、もう一人の父親として尊敬されていた。
「突然だが、鉄山君このままじゃ死ぬぞ。」
「死ぬとはどういう事でしょう。」
「殺されると言った方が正しいか、君一部の将校から反感を買っているだろう。」
「確かにそうですが、それは覚悟の上です。」
「君には陸軍を辞めてもらいたいのだがね。」
「貴方の事ですから、ただ辞めろという訳では無く理由があるのでしょう?」
「実は僕はもう長く無い、だから保安局に入って息子を支えてやって欲しいのだよ。」
「そんなこと言わないで下さい、まだ貴方は政界と財界に必要な存在です。」
「これは僕の生涯最期の願いとしてどうか聞いて欲しい。」
「そこまで言われれば断るわけにも行きません。他にも無い貴方の願いですから。」
「そうか、引き受けてくれるか。それ相応の椅子は用意してあるから安心してくれ。」
こうして永田鉄山は軍務局長の職を辞し、陸軍を辞めて保安局に入った。
保安局では保安隊本部の本部長に就任することになる。
陸軍では陸軍少将であった彼だが、保安隊本部の本部長となるにあたり、陸軍中将相応の二等保安将となった。
これ以降永田鉄山は石原莞爾と共に千野修大朗の右腕として、陸軍の暴走を抑えるために奔走する。
永田と石原の二人はこれからの保安局にとって重要なファクターとなる。
一方で同士だった東條英機は、陸軍を辞めて保安局に入った永田鉄山を裏切り者と見做した。
東條英機と永田鉄山の間に溝が生まれ、二人は敵対することになりバーデンバーデンの密約は崩壊した。
この時期から陸軍と保安局は決定的に袂を分ち、一部の将校が保安局に入ってくることになる。




