左翼=共産主義という訳では無い
日本の左翼は変革期を迎えていた。
社会改良主義・社会民主主義・無政府主義・サンディカリズムの社会労働派。
共産主義・アナルコサンディカリズム(無政府組合主義)等の暴力革命派。
国家社会主義・国家サンディカリズムの国家全体派の三勢力に分裂していた。
政界では社会民主主義寄りの日本社会党、サンディカリズム寄りの日本労働党。
共産主義主体の日本共産党と、国家社会主義主体の国家社会主義日本労働者党が存在した。
社会民主主義やサンディカリズムが労働者主体なのに対し、共産主義や国家社会主義は知識人主体であった。
知識人という少数派によって構成される共産主義や国家社会主義は不利である。
実際にそれらを信仰するものは、マルクス・レーニン主義やファシズムに騙された大学生が殆どだった。
日本社会党や日本労働党は早々に政党政治に迎合し、国家社会主義日本労働者党も議会政治へ参入する。
前者は立憲民政党と後者は立憲政友会と結びつき、それなりの議席を得ることができた。
日本共産党は特高の監視対象であり、どことも関わりを持つことができず、ソ連からも支援は来なかった。
基本的に三つ巴の状態であったが、共産主義は国家社会主義からも、サンディカリズムからも袋叩きにされていた。
主流は社会民主主義かサンディカリズムであり、それについで国家社会主義が追随し、共産主義は存在できているだけ奇跡であった。
共産主義者の大学生による毒ガスを使用したテロにより、警察は徹底的に共産主義者を駆逐した。
それにより穏健派の社会主義者しかいなくなったのも、社会民主主義が台頭した遠因である。
さらにとある理由からロマノフ朝の皇帝一家やロシア貴族がいることもあり、ソ連に対する警戒は増し増しであった。
内閣情報院が存在することもあり、スパイは日本に侵入することが出来なかった。
逆に日本がソ連のBT戦車や火砲、小火器の設計図を盗み出すという事件が起こる。
しかしそれが発覚するのは1942年になってからであり、それまでに設計された兵器は情報が筒抜けになった。
結局日本のスパイは捕まらずソ連は面子を潰されることになる。
それらの設計図は内閣情報院から一番安全な場所とされた大日本兵器に保管された。
大日本兵器ではヴェルサイユ条約によって禁止されている兵器の開発を行なっている関係上、設計図が厳格に管理されており盗み出すのは不可能だった。
保安局の情報室も陸軍や海軍から設計図を盗み出していたので、それ以降も大日本兵器の書庫には世界中の兵器の設計図が保管されることになる。




