共通の敵と利害の一致は団結を生む
昭和恐慌の煽りを受けて、政府内では組織の統廃合が進んでいた。
また同時期に政界と財界を巻き込んだ帝人事件が発生したこともあり、組織再編の流れは大きくなった。
最初は贈賄による汚職事件として大蔵省や商工省・鉄道省に検察の手が入ったが、次第に逓信省や内務省・内閣官房にまで手が及んだ。
帝人事件が政府全体に及ぶ大スキャンダルになった事で、斎藤内閣は総辞職した。
だがしばらくすると起訴された人物は皆不起訴になり、逆に強引な取り調べや起訴をした司法省に批判が殺到した。
すると司法省は権力を持ち過ぎていると政府内からも声が出た。
被害を受けなかった方が珍しいとされ、軍部を除き殆どの組織に手が入った。
役人や官僚は縦割りを越えて一致団結し、司法省の改革を要求した。
そこに千野成章も入って来ていっそのこと、政府組織全体を見直さないかと提案する。
今回は珍しく省間の意見が合い、政府組織の再編を行うことにした。
最初に昭和恐慌と帝人事件の被害をもろに受けた、鉄道省・逓信省・内閣陸運局・内務省土木局が統合され運輸省が設立された。
次は内務省から衛生局と社会局が分離し、民部省が復活した。
内務省から神社局が宮内省に、出入国管理業務が外務省に移管される。
司法省に対する改革も行われ、司法行政権が司法省から大審院へ移管された。
新しく司法省から独立した外局の検察庁が作られ、司法省は司法関係事務を所管する事になった。
弁護士会への監督権も取り消され、日本の司法はやっと独立を果たした。
司法省は他の省から袋叩きにされ、権限を根こそぎ奪われたが辛うじて存続は許された。
業務として刑務所の管理や火器の取り締まりを行ったり、行政訴訟で政府の代表を勤めたりする様になる。
捜査執行部は司法公安局へと名前を変えて、規模も拡大した。
これにより司法省は司法機関ではなく、執行機関として活動していく。
内閣官房も例外では無く、内閣に属する組織を統合して内閣府が設立された。
内閣書記官長が長官として迎えられ、法制局長よりも上の大臣クラスの役職になった。
法制局や調査局・資源局が内閣府に統合される中、保安局も形式上統合された。
しかし総理大臣直属の組織であるため、保安局は独立性を持つ事になる。
そのため保安局長と内閣書記官長は同等の役職と見なされた。
陸軍や海軍もこれを好機として裏で暗躍し、他の組織の力を削いだりした。
ちなみに兵部省を復活させて、陸軍と海軍の上に置いて軍部の統制を図ろうという動きもあったが、軍部の強い反対により実現しなかった。




