シビリアン・コントロールって単語カッコいいよね?
内閣直属の組織の長と言えば聞こえは良いが、千野修大朗が内閣保安局の局長になった時には実働部隊が存在しなかった。
当初内閣保安局には総務課や人事課・経理課などから成る保安本部しかなかったのである。
保安本部の職員は同時期に農林省と商工省に分割された農商務省から引き抜いた余剰人員と、民間企業から引き抜いた人や元官僚の人で構成されていた。
そんな保安局の局長に就任した千野修大朗は最初に人員の確保を行った。いくつかの方法をとったがまずは職員の募集をかけた。
その際とにかく人が足りないから「高等教育以上を納めていれば男女問わない」と局長が言ったもんだから、本当にその条件で募集をかけてしまった。
結果的にかなりの人数が集まったが男女の比率は半々だった。結局背に腹は変えられず犯罪歴が無いかを確認し全員採用した。
次に度重なる人事異動によって生まれた内務省の余剰人員を引き抜き、さらに山梨軍縮などによって発生した退役軍人を採用。
しかしまだ人員は不足しており、千野修大朗はさらに人員を確保する為に動く事になる。
4月下旬千野修大朗の姿は陸軍省にあった。彼は単身陸軍省へ乗り込み陸軍大臣と会談を行った。
千野修大朗は陸軍大臣の宇垣一成に対してある要求をした。
要約すると
「陸軍は近々大規模な軍縮をやるみたいですね。ところで保安局は人手が足りなくて大変なんですよ。軍縮なんてすればかなりの人が職を失いますねぇ、私らが彼らの面倒を見てあげますよ。」であり。
さらには
「ついでに余剰装備ちょうだい。あと騎兵部隊もくれ。」と言った。
まあ陸軍にとってデメリットは無く逆にメリットしか無いので宇垣一成はこの要求を呑むことにした。
その結果保安局は約3万4千人の将兵と、軍馬、旧式装備などを得ることになる。
しかし千野修大朗はそれだけでは終わらず陸軍省を訪れた足でそのまま海軍省へ乗り込み、廃艦予定の旧式駆逐艦と水雷艇を乗員ごと分取ってきた。
最終的には内閣保安局は約4万人の職員を抱えることに成功し、なんとか体面を保ち内務省と対等に渡り合える力を手にしたのだった。
人員の確保が終われば編成が行われた。治安維持や要人警護・対テロ部隊などは保安本部の下に部署が作られ、デモや暴動の鎮安や東京市近海の警備は保安本部から独立した保安隊として編成された。
こうして内閣保安局は活動を始めたのだったが、解決すべき問題がまだまだあった。
たとえば陸軍から余剰兵器を譲渡してもらったが、内訳は旧式の三十年式歩兵銃や二十六年式拳銃であった。なぜか狙撃砲や十一年式平射砲なども譲渡された。
保安局はとりあえず使える武器を手に入れたが、早急に自前で銃と弾薬を手に入れられる様にする必要があった。
あとは警察や軍と差別化できる新しい制服も必要だった。