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わたしの中の空欄


Twitterで半日だけ募集された


プチ三題噺企画 #三題噺ワンドロ

『空欄』『花火』『死体』

https://kakuyomu.jp/works/16818093082545547682


へ投稿したものです

1時間39分で書きました


 わたしには、欠けた記憶がある。それは、とても幼いころのことだ。二十四になるこの年まで、その記憶についてずっと考えてきた。

 たくさんの記憶の断片を重ね合わせても、どうしてもその部分だけが埋まらない。わたしは、その欠けた部分を『空欄』と呼んでいて、そこに書き込まれるべきなにかを、絶えず探してきたように思う。

 わたしは、その『空欄』を大事に抱えている。もし、それが埋まるなら、きっと自分の人生も完璧になる――そう思い込んでいるのだ。馬鹿げた考えなのは承知している。

 慌ただしい生活を送って来たと思う。自分を省みる余裕ができたのは、就職を終えて新卒ではなくなった今年からで、だからこそ今、こうして『空欄』を思う時間ができたのだろう。暑くて、暑くて、膿むような毎日だけれど。


「澤田ちゃん、花火見に行かない?」


 チームリーダーの先輩がそう言った。それは誘いと言うよりは懇願で、今年入社の新入社員との距離感を測りかねている、彼の打ち解けるための秘策なのだろうと気づいた。それが正解かはわからなかったけれど、わたしはうなずいて、言われるまま音頭取りをする。わたしの言葉は素直に聞いてくれる新入社員の女性は「澤田さんが行くなら」と言った。


 暑い暑いと言いながらも、当日は三十一度と普通の夏だった。花火大会の会場はざわつき、通りには色とりどりの提灯が灯されている。子どもたちの笑い声や、浴衣姿の人々が行き交う。新入社員の女性もまた、いっしょうけんめい着飾ってやって来て、とてもかわいらしかった。


「なあ、これ。かわいいとか言ったら、セクハラになるんか?」


 小声で耳打ちされた先輩の言葉に、思わずわたしは笑った。

 花火を観るよりも、人通りを見ている混み具合だった。それでも、予定を合わせて集ったチームメンバーたちはみんな楽しげなその空気を楽しんでいた。それなのに。


 あの日も、こんな風に賑やかな夜だった――。


 ふと、そう思う。

 わたしは何か胸の奥で言い知れぬ不安が膨らんでいくのを感じていた。これはなんだろう。

 すれ違う人々は楽しげで、どこの屋台も列を成している。真剣に金魚すくいをしている少年。アニメキャラのお面をねだる少女。歩きながら器用に焼きそばを食べるカップル。りんご飴を落として泣く子どもの声。


 ――あの日って、なに?


 子どもの声は泣き止まない。ざわざわとした群衆の中で自分に問う。それは『空欄』にまつわるものではないかとわたしは察した。察した途端、眼の前がぐらりと傾ぐように歪む。

 花火が、打ち上がった。誰もがそれを見上げて、わたしも見た。そして思い出した。ああ、花火大会だ、と。

 子どもの声は泣き止まない。花火が連続で打ち上がっても、その声はわたしの耳に届いた。


 とても幼いころ。家族に連れられて初めて花火大会に参加した記憶。ああ、これは『空欄』だ。

 母の手を離れてしまった。周囲の喧騒が一気に遠のいて、突然、一人きりになってしまった恐怖。今まで『空欄』だったその瞬間が、鮮やかによみがえって来る。


 群衆の中から誰かがわたしの腕を強く引く。それはあかぎれた母の手ではなかった。

 見知らぬ冷たい手が、わたしの小さな手をがっちりとつかんで離さなかった。

 恐怖で体が硬直し、声も出なかった。


 そして暗がりへと連れて行かれる。花火が打ち上がる。ああ、そういうことだったのか、とわたしは思う。


 喧騒が遠ざかる。打ち上がる花火。慣れないサンダルが食い込む痛み。強く引かれた手と恐怖。汗ばんだ肌と自分の息遣い。

 顔の見えない相手が、わたしの体を組み伏してまさぐる。詳細は『空欄』のままだった。それでいいだろうとわたしは思う。記憶の端には、少しの後にどこからか響いた怒号。

 体が自由になったとき、わたしの足下には男性が横たわっていた。ぴくりとも動かず、死んでしまったのだとわたしは思った。死体に触れるのが怖くて、わたしは足を引き寄せて抱いた。


 どうしてこんな強烈な記憶を、忘れてしまえたのだろうと思った。三連の花火が打ち上がる。音、音、光、光。今このときまで『空欄』だった場所が、埋まった。わたしは完璧にはならなかった。


 突如、腕を引かれた。驚きすぎてわたしは声を上げ抵抗する。すぐに離された手の先で「ええ? 澤田ちゃん?」と困惑気味の声が聞こえる。わたしは思いをぐいと引き戻した。


「ごめん、ごめん、みんなと離れそうだったから。セクハラじゃないよ! 違うよ!」


 慌てて弁解をする先輩の姿に安堵し、わたしは少し、笑いながら泣いた。先輩はさらに慌てた。チームメンバーたちが寄って集って先輩をなじる。花火が打ち上がる。わたしは笑う。


 わたしには、欠けた部分がある。それはもう記憶のことではなくて。

 その『空欄』は、もうきっと埋めようのないものだ。わたしは完璧にはなれない。そうわかって、わたしは笑って、泣いた。どうしても笑わずにはいられなかった。それが何を意味するのか、自分でもわからなかった。

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