第1章『銀狼』6話「終わりと始まり」
おいで。
囁きはもう聞こえない。
おいで。
それは哀しく切ないけれど。
おいで。
それ以上の、温もりを得た今なら。
幸せだと、言えるから。
1
村人の好奇の目を振りきり、宿に戻ってまず最初にしたことは、しっかり休息を取ることだった。
精神的に疲れ果てていたタリアと足りない睡眠で動き回っていたリョウはベッドに着くなり意識をなくし、ナットに説明するためユーゼも部屋に篭ってしまうしで、後始末に奔走するはめになったケインとキィロの二人がようやく解放されたのは、太陽が完全に姿を見せてからだった。
もっとも、主に動いたのはキィロであって、ケインは後ろから睨みをきかせていただけなのだが。
ふぅ、と大きく息をついてベッドに腰掛けたキィロに、きらりと光る指輪をケインが放る。わたわたしながら受け取ったキィロは、それを見て首を傾げた。
「あれ? これ、タリア君に渡したやつだよねぇ」
手の平に乗るくすんだ色の指輪は、確かに自分がタリアへと、届けたものだ。
「あいつには必要ないらしいからな。てめぇが持ってろ」
指輪はタリア自身が返しにきたのだ。お代も払わず勝手に宿を抜け出した件で、キィロが店主に小言を食らっていた時に。
それがなくても大丈夫だ、と。指輪の効力と自分の中に眠る力、承知した上で、自惚れではない自信を持ってタリアが言い切ったので。
ケインは再びキィロに渡すことに決めた。タリアに渡したということは、彼も効力に気付いているということだろう。
「ふーん。でも、オレに持たせてどうするの?」
心底不思議そうに首を傾げるキィロを見やるだけで、ケインは答えなかった。
気まずげに目を逸らし、キィロは指輪を嵌める。
「くれるんならありがたく貰うけど。腕輪も役に立ったし。あ、そうだ。この腕輪結構便利だね、ありがと」
「当然だろ。俺様が役に立たねぇもんやると思ってんのか?」
「いやいや。そういうわけじゃないけどね」
だったらこの指輪がどう役に立つのかと、さすがのキィロも問いはしなかった。
「それで、これからどうするんだ?」
遅い昼食にありつきながら、リョウが言った。首都キャレットに比べればどう贔屓目に見ても味は落ちるが、ようやく落ちついて食事ができるのだ、細かいことは気にしていられない。
リョウに比べれば美食家のタリアも、時々顔を顰めつつも不平は言わず食事を続けている。
視線を向けられたケインは早々にフォークを置き、うんざりとその様子を見ていたのだが。
「武者修行言うとったけど、ホンマはタリアんことで来たんやろ。もう帰るんか?」
嬉しそうに食事するナットを温かい目で見守りながらユーゼ。
勝手に宿を抜け出たお詫びということで、キィロは雑用に駆り出されてここにはいない。
「いや、封印を解き切っていないからな。アレを片付けないことにはどうにもならねぇだろ。第一」
忌々しげに声を潜め、きっぱり言いきる。
「こんなに早く戻ったんじゃあのクソ親父にバカにされんのがオチだろーが」
冗談めかした台詞は、半分以上本気に聞こえ、タリアは目を丸くした。
「あの・・あれは狂言か何かだったんじゃ?」
自分の中に眠る獣を始末するため、わざわざ制止を振り切ってまで旅に出ることを決めたのではないんだろうか。こっそり感動までしていたのに。
「半分は、な。もう半分は本気だろうよ。酔狂な奴だからな」
その性質はケインにも受け継がれているのかなと、その父親を思い出し、タリアは思わず納得してしまった。ユーゼが懐かしそうに苦笑する。
「だから、これからどうすんだよ? タリアの・・その、封印は壊れて片が付いたんじゃねぇのか?」
貴族のお家事情にさして関心のないリョウが促すと、ケインは嫌味たっぷりに鼻で笑った。
「あれだけで済むならとっくに片付いてるだろうよ」
鼻白むリョウを、タリアが横から慰めた。
「封印が解けたわけじゃない、タリアの中に力は残されている。封印の核は壊れたが、同時にタリアにかかっていた術も解けちまったしな」
「そりゃ・・知られたら厄介やな」
「どういうことだ?」
「・・おれが死ねば、魔獣も消滅するってことです」
苦笑いであっさり答えるタリアに、リョウは絶句した。
「まぁ、銀狼の力がどういう類のものか分かれば、命を狙われることはないだろうが」
時間がずれているせいか、食堂に人気はない。それでも声を潜めてしまうのは、内容が内容だからだろう。
「力って・・。そういやあの野郎も特別とか言ってたよな」
「銀狼には、力を増幅する機能があるみたいなんです」
小首を傾げてタリアが言う。
リョウは遺跡の中で、急に力が満ちたのを思い出した。手を見下ろす。生々しく、あの時の感触を思い出した。
彼の内に眠る、獣。
それはとても魅力的な力だ。思わず、縋りたくなるような。
けれど同時に、渇きにも似た衝動を感じる。正直リョウには受け入れがたい欲求だ。
「知ったら、当然利用しようとするやろな」
ユーゼの重い呟き。
だが重苦しい空気は当の本人の言葉に吹き飛ばされる。
「でもおれ、どうやったのかよく分からないんですよね。あの時は夢中だったから」
頭を掻きながら、そう言ってのけ。
タリアはユーゼを呆れさせ、ケインを半眼にさせた。
リョウはそれでいいと思う。そんな力を自由に使われたら、頼りきって、自分が使い物にならなくなりそうだ。
「そう言って分かる連中なら初めから問題にならないがな。とにかく、封印を解かねぇと」
「その封印は誰が?」
「あの時儀式に参加していたのは親衛隊と天使教の神官、それと、おそらくは悪魔教も一枚噛んでる」
「だったら、天使教の連中に聞いてみるか? オレ、一応知り合いがいるぜ」
「親衛隊なら、ケインさんにも教えてくれるかもしれませんよ」
目を伏せわずかに考え込んで、ケインが呟く。
「いや。今回は独断先行だからな。バレると逆にヤバイ」
「なら、どうするん?」
「・・わざわざ悪魔教の人間を連れてきた理由は何だ? 仮にも天使教の聖地に」
「しかも、当時は今より対立してたいうしな」
「理由って・・必要だったからじゃねぇのか」
ぼそりと呟いたリョウの言葉にケインが反応する。
「そういうこと、なんだろうな。天使教の術だけじゃ、封印できなかったわけだ。なら・・詳しい話はあっちで聞いた方が早いか」
「え? でも悪魔教の教会なんてこの辺りにはありませんよ」
マーキャベット神聖国は国教として天使教を認めている。逆にいえば、それ以外の宗教を排除しているのだ。自然信仰に近い聖霊信仰ならばともかく、対立している悪魔教の存在は、マーキャベットでは見受けられない。
「だったらさ、ユリスギに行こうぜ。あそこなら総本山もあるし」
それまで会話に参加しなかったナットが声を上げた。ずっと食事に専念していたらしい、皿の上はきれいに平らげられている。
「そういや、ナッちゃんはユリスギの出身やったな」
ユリスギ共和国は迷いの森と呼ばれる大森林を挟んでマーキャベット神聖国の隣に位置する、ウェソット地方の一大国家だ。独特な民俗文化を持つ国で、多くの自然が残り、都と農村の集合体から成立している。そしてこの国には悪魔教の総本山があるのだ。
「知り合いでもいるのか?」
ごく当然のリョウの問いかけに、ナットはにこやかに首を振った。横に。
「でも、出入りは自由だって聞いたことあるぞ、オレ」
秩序と戒律を重んじる天使教に対し、悪魔教の基本理念は自由と解放だ。その可能性はなきにしもあらずとは思う。
「しかし、そうなると、森を迂回する分時間がかかるな」
「何で? 突っ切ればいいじゃん、森」
ナットの言葉にケインは瞠目し、ユーゼは目頭を押さえた。
タリアとリョウは揃って首を傾げる。
「何か問題でもあるんですか?」
「さぁ。オレも森の話はあんまり聞いたことねぇし」
「大丈夫だって。道案内くらいオレができるからさ。その方が絶対早いってば。森を迂回するんじゃ、馬車使ったって五日はかかるだろ?」
自信ありげなナットの様子を腕組みして眺めながら、それでもいいかとケインは考える。
タリアの封印は一刻を争うというものではないが、できるだけ、情報が漏れる前に片をつけてしまいたい。
「そうするか」
ナットとタリアが歓声を上げる。
タリアは単純に、森を抜けて、なんて冒険小説みたいだなぁと思っているだけだが。
「たっだいまー。あ、もう食事終わっちゃったの?」
手に皿を乗せて、キィロが厨房からやってくる。
よっぽどこき使われたのか顔には僅かな疲労と、黒い煤がついていた。
「ホント人使い荒いねここの親父さん。参っちゃったよ」
「仕事はこれで終わりですか?」
一人働かせてしまったことにタリアは恐縮しているが、他の面子は彼が自分で買って出たことを知っているので特に気にしない。
「一応ね。でも支払いは別だって、ケイン君よろしくね」
健気を装っても全く可愛げはなかったが、そこまでケチるつもりもなかったので不承不承頷く。この程度の宿なら、ぼったくられない限り全員分ポケットマネーで払えるだろう。
「明日の朝にはここを出るぞ。しっかり休んどけよ」
話題についていけず目を瞬かせるキィロを横目で見て、ケインは深い溜息をついた。
2
白い髪を揺らして、紫の瞳の青年は。
今では遺跡の残骸としか呼べない瓦礫を踏みしめ、退屈な顔を隠しもせず足元を見下ろした。
そこに、赤黒い影が蠢いている。
その影はしきりに何事かを繰り返していた。
それは恨み言のようにも懇願にも、聞こえたが。
「煩いよ」
容赦なく、影を踏みつけると、かすかな呻き声を上げ完全に沈黙した。
「だから、言ったのに。・・手を出すなって。でもまぁこれで、枷は外れた。眠り姫が目を覚ますのも時間の問題、か」
その声は苦渋に満ちている。
銀色が、舞い。泣き顔で大切なものを託した。
彼にはどうにもできないそれを、けれど受け取り。
青年は泣きそうな顔で笑った。
天使教総本山。
大聖堂へと続く回廊を、足音も甲高く歩くのは、どう低く見積もっても美女としか呼べない女性。聖衣の裾を翻し早足に進む彼女の後を、二人の男が付かず離れず守るように寄りそう。
道行く人々は彼女の姿を見止めると脇に避け、深く頭を垂れて感謝を口にする。
そんな彼らに微笑を向けつつも、足は止めない。
中庭へ至る小道に入れば、目的地はすぐそこだ。
色とりどりの花が咲き誇る花壇の隙間、埋もれるように癖毛の少年が眠っている。
暖かな日差しの中、丸くなって惰眠を貪る少年に、彼女は。
容赦なく蹴りを入れた。
お付の二人はそっと目を逸らし見なかったことにする。
むにゃむにゃと訳の分からない寝言ともに覚醒した少年は、寝ぼけて半分閉じたままの目で睡眠を邪魔した者を見上げる。そして時間をかけて認識すると、やはり寝ぼけた声で呟いた。
「あー、大司教様・・おはよ」
「おはよう。随分とよく眠っていたみたいね」
「大司教様も一緒にどうだい? 気持ちいいぞぅ」
ぴくりと女性が頬を引き攣らせ、緊張にお付の二人が固まる。が、彼女は深く息を吸い込み自分を落ちつかせることに成功した。
「生憎と、そこまで暇ではないのよ、アタシは」
「そりゃ残念」
「アナタもよ、ジオ=アデリー特級神官」
めったに呼ばれない役職名で呼ばれ少年、ジオは目を細めた。鋭利な刃物のように。けれどそれは一瞬で、すぐにふにゃりと気の抜けた面持ちに戻り、ただの錯覚かと思わせた。
「仕事よ。ちょっとしたお使いをお願いしたいの」
「どこまでさ?」
「ユリスギ共和国首都ダイワにある、悪魔教の総本山へ」
悪魔教、と発音するとき彼女は般若もかくやと思える表情になったが、懸命にも誰一人それに触れない。
「これを、届けて欲しいのよ」
そして彼女は懐から二通の封書を取り出した。一通は簡素な茶封筒で厳重に封がしてあり、もう一つは可愛らしいピンクの封筒で、可憐な花をあしらい、赤いハートマークで封がしてある。
受け取って、あまりにも対称的なその手紙を前に、ジオは無言で上司を見上げた。
こほんと、誤魔化すように咳払いする大司教。
「とにかく。事態の詳細は報告書にまとめておいたから、道すがら読んでおいてちょうだい」
お付の一人が手に持っていたファイルから分厚い紙の束を渡す。びっしりと黒い字で埋め尽くされていて、一目見たジオは欠伸を漏らし、つまらなそうに鞄にしまった。
「馬車の手配はしておいたわ。くれぐれも、馬車で寝てしまって、乗り過ごして時間を無駄にしたりしないように!」
「あーい」
彼女は強く念押しすると、頼りない返事とともに酔っ払いのような足取りで去っていくジオを心配そうに見送った。
「大丈夫でしょうか、彼で」
「やはり、別のものに任せた方が」
「大丈夫よ。彼だって、伊達で今の地位にあるわけじゃないわ。きっとやり遂げてくれる」
大司教はきっぱりとそう言い終えると、間を置いて自信なく肩を落とした。
「・・多分」
そうして、ジオ=アデリーは旅立った。
時を同じくして、ユリスギ共和国、ナバナの村。
その片隅にあるヨシノ流剣術道場でも、一人の少年が今まさに旅に出ようとしていた。
「では、行って参ります。父上、母上」
群青の袴に身を包み、腰に一振りの刀を差した彼が折り目正しく礼を取ると、母親はそっと目元を手拭で拭い、父親は重々しく頷いた。
「うむ。良い報告を待っておるぞ」
答えたのは二人ではなく、上座に坐している老翁だった。
目付きは鋭く、一向に衰えていない。だが。
「本来ならワシ自ら、その役買って出たいところだが」
立ち上がり、脇の刀を振り回そうとして、
「いだだだだ」
腰に走った激痛にへたり込んだ。慌てて母親が駆け寄る。
「ダメですよ、おじいちゃん。ぎっくり腰なんだから、無理しちゃ」
「そうですよ、義父さん。ワタリなら大丈夫ですって。別に戦いに赴くわけじゃなし。なぁ?」
同意を求められ、ワタリ=ヨシノは曖昧に頷いた。
彼が旅立つ理由は実に簡潔だ。
平和で長閑がウリのこの村で、あえて剣術を習おうとする者はほとんどおらず、経営が立ち行かなくなったのだ。そのために出稼ぎに行くというだけで。
とはいえ、幼い頃から剣術修行に明け暮れてきたワタリに何ができるのか、護衛の仕事でも見つかれば、修行にもなっていいかなと、その程度しか考えていない。
「とりあえず、ダイワに向かおうと思っています。そこで人を集めているという広告を見ましたので」
キレイに畳んで懐にしまってある求人広告を思い出す。
『求む。とにかく戦える人』という呷り文句を見ていると、不安ばかりが募るのだが。
「必ず、成り上がってみせます」
「うむ、その意気やよし!」
娘に支えられながら、祖父は鷹揚に頷いた。
「体には気をつけてね」
「無理はするなよ」
「達者でな」
温かい言葉に見送られ、ワタリは住み慣れた家を出た。馬車を使うお金は勿論ないので歩きだ。多分、夜も野宿になるだろう。
空を見上げた。
突き抜けるように、青い。
タリアはまたしても寝過ごして、寝癖のついた髪で出発することになった。
疲れが残ってるんだろうとリョウは慰めてくれたが、申し訳なさと恥ずかしさで顔が火照る。
「ユリスギにはどれくらいで着くんだ?」
ナットは視線を上げ、答えた。
「森の中で一泊して、次の夕方には街に着くぜ」
「野宿、か」
嫌そうにケインが顔を歪める。
「街って、どこの?」
朝もまた厨房で働かされたキィロが、肩をほぐしながら尋ねた。
「ゴクラクエンっていう」
「ゴクラクエン!!」
ナットの台詞を遮って、キィロが目を輝かせる。
「どうか、したんですか?」
瞬きを繰り返すタリアに弾んだ口振りで答えるキィロ。
「知らない? 有名な温泉郷だよ。一回行ってみたかったんだよねぇ」
うっとりと目を細める。
「そういや、名前は聞いたことあるな」
「結構気持ちいいですよ。あったかくて」
温泉なんて縁のないリョウはたいして感慨もないようだったが。昔、親に連れられ別の温泉郷に旅行したことのあるタリアは、思い出してわくわくする。
「まぁ、いろいろあったし、少しはゆっくりしてもいいんちゃう?」
楽観的な面々に閉口しているケインを、苦笑いで取り成すユーゼ。
確かに下手に落ち込むよりは、いいのかもしれない。
「出発するぞ」
青空の下、一路ユリスギ共和国、温泉郷ゴクラクエンを目指して。




