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サイファレード大陸史 妖魔編  作者: 夕月 理真
第一章『銀狼』
3/15

第1章『銀狼』3話「一時の休息」

おいで。

哀しみが。

おいで。

伝わって。

おいで。

忘れたくないのに。


寂しいよ。



1

地上に出ると、既に空は白み始めていた。中にいる間に、夜は終わっていたらしい。

意識のない二人を連れて、レパーダでたった一軒の宿屋を訪れる。早朝、明らかに訳ありの一行に、店主は泊めるのを躊躇っていたようだが、キィロが何やら耳元で囁くと、途端に愛想良く、部屋を案内した。

粗末な寝台が二つ置かれた部屋を、三つ。窓の鍵は壊れ、軋んだ音を立てるドアは僅かな刺激で外れてしまいそうに見える。だが、贅沢を言っていられる状況でもない。

ケインは一応囁きの内容は見過ごすことにして、一番奥の部屋にタリアを寝かせた。

眠っているようにも見える。

「精神の閉鎖、か」

あの遺跡で、キィロが使った術。おそらくは神聖魔法。それも、マーキャベット神聖国で国教とされている天使教の白魔法ではなく、その対極に位置する悪魔教の、黒魔法。

母親から預かった指輪を懐から取り出してみる。それが何のために渡されたのか、見当はついたのだが。

「二人とも。ナット君が目を覚ましたよ!」

ドアが乱暴に開けられた。軋む音。キィロが飛び込んでくる。

ユーゼとキィロは別室で、ナットの様子を見ていたのだ。

「話は聞けそうか?」

「うん。それで、話があるんだって。・・依頼人に、ね」

ケインに目配せする。

すっと目を細め、タリアを窺うケイン。

「タリアは、どうすれば目覚めるんだ・・」

リョウが、ぽつりと漏らした。彼はずっと動かないタリアの手を握り締め、顔を伏せていた。

キィロが髪をいじりながら困った素振りで肩をすくめる。

「オレが術を解除すれば、すぐに目覚めると思うよ」

「だったら・・」

「でもね。完全に夜が明けてからのがいいかなって」

「ヴァローゼ、か・・」

妖魔は基本的に、夜の方が力を増すと言われている。そしてその逆に、日が明るいうちは力が弱まるのだ。それが真実か否かは、今は誰にも分からないことだが。

「うん。意識が遮断されてる間は、干渉もできないから」

「先にナットの話を聞くか。おいリョウ。タリアを見ててくれ」

「あぁ」

暗く沈んだ声でリョウが答える。キィロは心配そうにその背中を眺めた。


「ずいぶん落ちこんでるみたいだね、シード君」

廊下に出て、自身もしんみりした口調でキィロは呟く。

「単純なんだよ、あいつは。バカ正直で」

「でも、そこが気に入ってるんでしょ、ケイン君は」

ケインは鼻で笑った。

「誰が。タリアを任せるには、まだ不充分だな」

それでも確かな信頼がにじみ出ていて、キィロは笑いを噛み殺すのに苦労した。

「あ、オレは下で何か食べ物調達してくるよ。みんなお腹空いてるでしょ」

早速踵を返そうとしたキィロを、ケインが呼びとめる。

「おい、これ持っとけ」

そう投げ渡したのは、母親からの餞別の指輪と腕輪だった。

「なぁに、これ?」

「腕輪には火の聖石が埋めこまれてる。護身の役には立つだろ。呪文は裏に書いてある」

「へぇ。こっちは?」

腕輪の内側に刻まれた文字を確かめ、キィロは指輪を取り上げた。

ケインは一瞬、言葉に詰まる。

「ま、お守りみたいなもんか。いいから持っとけ」

「ふーん。ちょっと意外な気はするけど」

腕輪を左の手首に、そしてグローブを外した右手に指輪を嵌めようとして、サイズが合わず取ったり嵌めたりを繰り返し、最終的に薬指に落ちつき、グローブをつけ直した。

「でも、ありがとね」

キィロの背を見送り、ケインは今見た映像を反芻する。

グローブに隠された甲に記されていたのは悪魔教の聖印だ。表立って迫害するようなことはないにせよ、天使教が盛んな地でそれを隠すのは自然な行為ではあった。


ナットは既に粗末なベッドの上で起き上がっていた。

いつもの見なれた血色の良さはないものの、傷が治ったせいか、思ったほど憔悴した様子でもない。

「あ、ケイン!」

ケインの姿を見つけピョンとベッドから飛び降りようとするナットを慌ててユーゼが止める。

「ナッちゃん。暴れたら傷開くで。いいから大人しくしとき」

「ちぇっ」

再びシーツに包まるナット。溜息をつくユーゼ。その肩の上でゲロゲロと鳴く蛙。

相変わらずのやり取りに、呆れ半分に目をすがめ、ケインは側の椅子に腰を下ろし話を促した。

赤みがかったおかっぱを揺らし、ナットが首を傾げる。

「って言ってもさ。報告するほど大した情報でもないんだけど」

そう前置きし、自分の身に起きたことを語る。

ユーゼを逃がした後すぐ、ヴァローゼは消えたらしい。その代わり現れたのがあの妖獣。

単純に戦闘力で比較するならナットはユーゼより断然強い。実戦経験が豊富な分、タリアとて敵わないだろう。

だからこそ、ナットは生き残れたのだ。

だが、影のように実体をなくせる相手になかなか致命傷は与えられず、仕方なく逃げ回るその最中に。

「人がいたんだ。多分、女、だったと思う」

そこは祭壇のような造りの部屋で。女はその中央にぼんやり立っていたと言う。

「ただ、がむしゃらに逃てたから、どうやってそこにたどり着いたのかはわかんねーんだけど」

そしてその隙をついて、妖獣の攻撃を受けたらしい。

一日近く走り回った疲れと、胸に受けた大きな傷で、それ以上の善戦は期待できるはずもなく。

吹き飛ばされた先で一行に落ち合えたのは不幸中の幸いだった。

「どんな、女だった?」

心当たりがあるのか、ケインは考え込む素振りだった。

ナットは記憶を辿り、一瞬の光景を頭に浮かべる。

「後ろ姿だったから顔はわかんねー。銀の、長い髪で。痩せた感じ。白・・いや赤かな、の服で。あとは・・」

ナットはじっと、ケインを見つめた。

「ギンロウがどうとか、言ってた」

ケインの表情は変わらない。そう努めているのだと、ユーゼには思えた。

だが、重たい沈黙が容赦なく三人を襲う。引き金になったナットは助けを求めてユーゼに視線を送るが、ユーゼも肩を竦めることしかできない。

「おっ待たせー! 食べ物貰ってきたよん」

明るい声と、どうやら蹴り開けられたらしいドアの立てる軋みが空気をぶち壊した。

これも一種も才能か、とユーゼはふと思った。

キィロが手に持つ盆には食欲をそそる湯気の立つ鍋と、皿が重ねられ、反対の手には色とりどりの果物が入った籠を下げている。

ナットは目を輝かせた。

「朝食はまた後で出してくれるって。だから軽い物だけだけど」

店主の好意の理由に察しがついているケインは苦みばしった顔を浮かべていた。ユーゼも複雑な心境に陥ったが。

「はいどうぞ」

スープの盛られた皿をナットは嬉しそうに受け取るので、まぁいいかと、思い直す。

急ごしらえのスープは味が薄く、お世辞にも美味しいとは言えない代物だったが、それでも充分に、暖かかった。

「ねぇケイン君。シード君にも、持って行ってあげたほうがいいよねぇ。あとタリア君の分も」

ケインの分をよそいながら、何気なくキィロが呟く。

受けとって、一息に飲み干したケインは舌に合わなかったのか、顔を顰めた。

「シードって、あのリョウ=シード? アイツもいるのか。それと、タリア?」

ナットはキャレットで数回リョウに会ったことがあるが、タリアとは面識がないのだと、ユーゼは思い出した。

「ナッちゃんにはオレから話すわ。キィちゃんは、タリアの目覚ましてやらんと。シードのが先に倒れてまうで」

取り繕う余裕もないほど、リョウはタリアが心配で仕方ないらしい。

「そうだね。もう大丈夫だろうし」

カーテンの隙間から日の光が零れていた。


連れだって二人が出ていくと、ユーゼはふぅと、息を吐いた。心配そうに見上げる静歌の、頭を撫でてやると、ナットはひどく複雑な表情でユーゼを見ていた。

その視線に、耐えられず、ユーゼはナットを抱きしめる。抵抗はなかった。

「すまん・・」

「何が?」

「ナットのこと、置いて逃げた。すぐに助けに戻らんかった」

「逃げたんじゃなくて、オレが逃がしたんだよ。それに、来れなかったんだろ。ユーゼ一人じゃきっとオレの二の舞だし、そしたらオレたち二人とも御陀仏じゃん」

迷いのない、疑いのない。その言葉はユーゼにとって、何よりの癒しで、許しだ。

「変なこと気にすんなよ。相棒なんだろ? オレは、お前の」

「あぁ、そやな」

ナットの笑顔につられ、ユーゼの笑う。多少、ぎこちなくはあったが。

ナットは温もりを味わうように、ユーゼの胸に頬を寄せた。

ほんの少しだけ、二度と会えないのかなと思ってしまったので、嬉しさも倍になる。

ユーゼもそれは同じようで、柔らかくしなやかな髪を優しく撫でていた。

ひとしきり、その感触を味わって、二人はどちらからともなく体を離した。

「で、どうなってんだよ?」

余韻も残さず普段の顔に戻るナットに、ユーゼは嬉しいような名残惜しいような、複雑な気分になる。

「ケインのとこに行ったら、何でかキィちゃんとシードも一緒に行くことになっててな。あともう一人。タリアっちゅーのがおって、ケインの従弟や」

「あぁ、そっか」

以前名前を聞いたことがあった。ユーゼの口から。

「五人で遺跡に向かって、まぁ、運良く再会できたんやけど」

偽者に関しては触れずに、ユーゼは昨晩の事を手短に話した。

「ふーん。じゃあ、助かったんだよな、みんな」

そう。ユーゼとしても納得はできないが、キィロの機転で、妖魔から逃げることができたのだ。それは素直に喜んでいいはずなのに。

「その割に、落ちこんでるみたいだけど。ケインもキィロも」

ナットがさらりと言う。

それは、そうなのだろう。何も決着はついていないのだから。

ユーゼは立ち上がり、カーテンを開いた。

窓から外を見下ろし、目を細める。

宿を出ていくキィロの姿が見えた。


2

キィロはタリアの額に、聖印を持つ手をかざした。

「リセット」

小さく、呪を解く聖言を唱える。

ぴくりとタリアの指が動いた。

「解けたのか?」

ケインの問いかけに頷くキィロ。

「術は解けてるよ、もう。今は何の干渉も受けてないと思う」

「だったら、何で目覚めないんだ」

リョウが低く唸った。

「多分、疲れてるんじゃないかな。それで眠ってるんだよ。精神干渉はどうしても、負荷が大きくなるから」

それはつまり、強制的な意識遮断も、タリアに負担をかけたという意味に他ならない。

キィロは俯くことも目を逸らすこともせず、真っ直ぐにリョウを見つめていた。その目に、後悔や罪悪感は見て取れないが、その代わりに浮かぶのはひたむきなまでの真摯さだ。

彼は自分にできることをせいいっぱい、やっただけ。でなければ、今この場にタリアはいなかったかもしれないのだから。

何もできずにいたリョウに、責める権利はない。

「スープ置いておくね」

にっこりと、不自然なまでに明るく微笑んで、キィロは部屋を出ていった。

「・・あのバカが」

ケインの呟きは、リョウには聞こえなかった。


キィロは宿を出て、目的もなく歩き出す。小さな村だ。迷うこともなく、すぐに端から端まで行けそうなほど。

朝が早すぎるのか、人の気配はほとんど感じなかった。

ふらふらと歩いていくと、あの廃屋が目に入った。夕闇で見るそれと今の姿は、どこか違う印象を受ける。

じっと、右手を見下ろした。ぴったりとした黒いグローブの、薬指だけが指輪のために形を歪めている。なぜか、きつく感じた。

「何かあったん?」

わざとらしい足音を立てて近づいてきたユーゼを振りかえり、キィロはごまかそうとして、やめた。

どうせ、彼にはバレてしまうのだし。

「そういうわけじゃ、ないんだけどね」

隣に並んだユーゼも、キィロの視線を追い廃屋を見た。

「懐かしいなぁと、思って」

「あれが?」

思いきり顔を顰める。

「昔、住んでた家がさ、あんな感じで。あそこまでボロくはなかったけどね」

嬉しそうにも、寂しそうにも見える笑顔。

ユーゼは乱暴に、オレンジの癖っ毛をかき混ぜた。

ぎゃっと喚いてキィロが飛びのく。

「もう! くしゃくしゃになっちゃったじゃんか」

手櫛で髪を整えるキィロを、ユーゼは懐かしい何かを見るように、見つめた。キィロが廃屋に郷愁を感じるように、キィロの存在が、ユーゼにとっては過去を思い出す引き金だ。

それでも、未来に続く今のために、過去にばかり拘っていてはいけないのだと。

今のユーゼは知っているが。

「朝食ができたって、宿のおっちゃんがいっとったで」

「ホント? じゃあ戻らなきゃ」

途端にうきうきと、軽い足取りのキィロの髪は、努力の甲斐なく跳ねたままだった。


「あ、ケイン!」

リョウにタリアを任せ、部屋を出たケインは、階段の側でナットに呼びとめられた。部屋のドアから顔を出し、手招きしている。

「何だ?」

「今思い出したことがあってさー。一応言っておこうと思って」

嫌そうな顔を隠しもせず従ったケインは、耳打ちされた言葉に絶句する。

「本当か、それは・・」

「一瞬チラッと見えただけだし、ケガもしてたし。絶対とは言わないけど、オレ、視力には自信あるからな」

そもそも嘘をつく理由など、ナットにはない。

「なぁ、これってそんなに重要なことなのか?」

ケインには答えることができなかった。

「オレが見た女の人が、銀色の十字架持ってたってことがさ」

それがどういう意味をもつのか、知るのはケイン、ただ一人。


ただずっと、手を握っていた。痛みすら感じないほど、きつく。無力な自分に歯噛みする。

呼吸は穏やかで、眠っているだけだと言われたが、それでもこのまま目覚めなかったらと思うと、ぞっとする。

あの、遺跡の中で。自分はタリアを止めることが出来なかった。キィロの機転がなければあのまま、タリアを妖魔に連れて行かれていたかもしれない。

守ると、そう誓ったのに。それは冗談めいた口約束ではあったが、リョウにとって、心からの誓いだった。

だから手を離せない。

キィロが運んできてくれたスープはすっかり冷めてしまっている。戻ってきたはずのケインも、いつのまにか姿を消していた。

(頼むから、目を覚ましてくれ)

いつもの、無垢な笑顔を見せて欲しい。

ぴくりと、指が動いた。はっと顔を覗きこむ。二度三度睫が震えて、焦点の合わない瞳が現れる。紫の・・それは徐々に青みを帯び、いつも通りの深い紺に戻ると、リョウの顔を映し出した。滑稽なほど、心配そうな自分の顔が見える。

「シード・・さん?」

微かな声に、握る手を強くした。

「あぁ。気分はどうだ?」

間を置いて、緩く首を振る。

「なんか・・ぼんやりして・・おれ、どうして・・」

「後で話してやるよ。今はゆっくり休め。何も・・怖がることなんかないんだから・・」

「はい・・」

そのまま、また眠りに落ちていく。

とにかく休養は必要だろう。顔はまだ青白い。

ふと、気になる。タリアの目が紫に見えたのは錯覚だろうか。何故だろう、胸騒ぎがする。

それでも、守らなくてはいけないのだ、大切、なのだから。



3

話があると、ケインが切り出したのは夕食の席だった。


朝食の後から、全員が仮眠を取った。再びあの遺跡を訪れるにしても、妖魔の力が弱まる昼に、今度は万全の状態でなければ同じ失敗を繰り返しかねない。

リョウだけはタリアの側を離れたがらず、結局ベッドの傍らでうたた寝しているのをキィロが見かけたが。

何にせよ、朝に比べて全員がすっきりした表情をしている。

だがそれも、ケインの一言ではっと、真剣な面持ちになった。


わけでもなく。

食事の真最中だったので、キィロはフォークに刺したサラダを前に大口を開け、きょとんと目を瞬かせた。その隣でナットは我関せず、食事に集中している。前日の空腹を補おうとする勢いだ。

「話って、タリアんことか?」

ユーゼはこっそり溜息を漏らした。

ケインも嫌そうな顔をしていたが、いちいち咎めている気分ではないらしい。頷いた。

「もう一度、あの遺跡に行く前にな。こそこそ嗅ぎ回られるよりはマシだ」

鋭い視線を、ユーゼは肩をすくめて交わした。確かに、危ない目にも遭わされたことだし、ケインが話さないなら自分たちで調べるつもりだった。

「やっぱりまた行くんだねー」

それはあの妖魔と再び対峙するという事で。恐怖が拭える筈もない。

その割にキィロの声はあっけらかんとしていたが。

「あとで、俺様の部屋に来い」

言って立ち上がる。いつのまにかケインの前の皿はキレイに片付いていた。

食事が始まってから十分程度しか経っていないのに。

「ケイン君て早食いだねぇ」

代わりに、キィロはどうでもいいことをさも真剣に言い放った。


ケインとキィロが仮眠に使った部屋は、他と同じ造りながら、なぜか布団の質が幾分良かったり、部屋の中央に派手ながらの一人掛けのソファがどんと置かれていたりと、おそらくは店主の気遣いが現れていた。悲しいくらいに違和感しかなかったが。

幸い客には気に入られたらしく、ケインはソファに尊大な態度でふんぞり返っている。

それをキィロが感嘆とも呆れともつかない微妙な表情で眺めていた。

「リョウはどうした?」

「タリアを一人にしたくないんやと。話は聞きたそうだったけどな」

「じゃあ、オレが代わりに見てるよ」

ぴょんとベッドから立ち上がるキィロ。

「オレはただ心配でついてきただけで、難しい話はどうでもいいからさ。タリア君が・・何であろうと」

ケインが訝しげに眉を顰める。

「あ、じゃあオレもそうする! 難しい話嫌いだし!」

ナットが元気良く挙手した。

「必要なことはユーゼが話してくれるしさ」

部外者である自分に知られたくない話はするな、と暗に仄めかすと、元よりそのつもりだったのか、ケインは頷きを返した。


隣室から騒がしい声が聞こえしばらくすると、仏頂面のリョウが入ってきた。手には夕食に出されたパンとサラダ、冷めきったスープの乗った盆を持たされている。おそらく、全く食事に顔を出さない彼のためにキィロが運んだものだろう。全く手を付けられた様子はないが。

「キィロに持たされたんだよ。いいから食えって」

不機嫌も露に、聞かれてもいないのにぼやきながら、どさっとベッドに腰を下ろす。

「オレのことは気にせずにさっさと話を進めてくれよ。・・タリアの」

キィロの言葉も正論だと理解はしていても、スープを口に運ぶ仕草は酷く億劫そうだった。

ケインは窓の外、夕日が沈みゆく様を眺めながら、口を開く。

「昔、といっても十六年程前のことだが。この辺りを荒らしまわった魔獣がいた」

「十六年・・大災厄が終わった後やな」

十六年前。大陸を襲った未曾有の危機。

妖魔の襲撃。それに伴う、魔獣の増加。

魔獣とは一般に、妖魔の影響で狂暴化した、赤い瞳の幻獣を指す。それに比べれば数はぐんと減るが、紫の目の魔獣もいると言われている。その力は赤目の数倍で、妖獣とは比べ物にならず、妖魔と共に人に恐れられる対象だ。

大陸一の軍事力を誇るマーキャベット神聖国でさえ、かなりの被害が出たという。

まだ幼かったユーゼには逃げ惑う人々の記憶が、かすかに残るくらいだ。一つ下のケインやリョウは、まだ物心もついていなかっただろう。

原因も不明なまま始まった混乱は、やはり知らぬうちに、収束した。その影に数人の尽力があったと噂され、名も知られぬまま、彼等は「英雄」と呼ばれるようになった。

復興は進み、人々は日常を取り戻したけれどそれでも、爪痕は確かに残っている。大災厄の折に滅びた国、大切な人を失った女性。

ユーゼはそっと、視線を落とした。

「その魔獣はかなり、手強かったらしいな。辺境の警備隊程度じゃ相手にならず、結局親衛隊が出動した」

「それで、片がついたんと違うか?」

「いや・・。返り討ちにあったのは、親衛隊のほうだったらしい」

リョウがカチャリとスプーンで皿を鳴らした。目を丸くしてケインを見つめている。

親衛隊は、軍のエリート集団だ。それも家柄が全く役に立たない実力主義の。単純に戦闘力に関して言えば、大陸で誰にも負けることはないだろう。

それはたとえ大災厄の只中であっても、違うはずのない事実。

「後ろに妖魔でもいたってのか?」

「いや。あの時、妖魔は関わっていなかった。裏にいたのは・・人間だ」

「人が・・何で魔獣を操れるんや」

「さぁな。とにかく、軍の手に負えない事が分かって、国は他の手段を講じるしかなくなったわけだ」

「それって・・天使教の、特殊部隊か?」

答えたのはリョウだった。完全にスプーンから手が離れている。

彼の口からその答えが出たのが意外だったのか、ケインは眉を顰めている。

ユーゼは頭の中に特殊部隊の情報を浮かべた。

マーキャベット神聖国の国教とされる天使教、その総本山。大災厄以降爆発的に増えた妖魔や魔獣に対抗するべく組織された特殊部隊。隊員は全員天使の加護を受けた聖具と呼ばれる特殊な武器を持ち、戦う。言ってみれば最後の砦。一般には存在すら知られていない筈で、なぜリョウが知っているのか、疑問に思うのも当然かもしれない。

「あぁ。加えて、悪魔教のほうも動いたらしい。そっちの情報はほとんど入ってないんだが」

「そりゃよっぽどのことやったんな。仲悪いん我慢して共同戦線とは」

「でもよ、そこまでしたなら、その魔獣は倒せたんだろ? 今はタリアの・・」

「それが、紫眼の銀狼シルヴァルフェと呼ばれる魔獣だ」

ケインがぽつりと漏らした言葉は、存外大きく響いた。

静寂の中、リョウもユーゼも、動きを止める。

「・・シルヴァルフェ?」

それは、ヴァローゼと名乗ったあの妖魔が、タリアに向けて呼びかけた名。

「魔獣は倒せなかった。だから、別の方法をとることにしたんだそうだ。一時的にその魔獣を封印する。それに使われたのがあの遺跡だ」

「封印て・・そしたらあそこにはその魔獣が眠ってるいうんか」

「違う」

当然の疑問を一刀両断、ケインは切り捨てる。

「封印には、その場にいた赤ん坊が使われた」

そして口にした言葉に、その場は凍りついた。


「銀狼はタリアの中に封じられている」


リョウはふと、タリアの瞳を思い出した。ケインと同じ濃紺の瞳が一瞬、紫に見えた、あれは・・魔獣の?

「何で・・そんな」

「・・とにかく、魔獣は封じられ、この一帯には平穏が戻った、だが」

ふぅと、ケインは深い溜息をついた。

見えないはずのものが見える目で、じっと夕日を見ている。その方角にあるのはあの廃屋だ。

「魔獣の力が消えたわけじゃない。先日、タリアの父親が、アイツの目が紫に染まったのを見たらしい。封印の力が弱まってきてるんだ」

「なるほど。それで、ケインが後始末を頼まれたってわけやな」

「どのみち、こうなるとは思ってたけどな。アレが見えた日から・・」

あれはいつのことだったか。深い理由もなく発動した千理眼が、従弟の奥に眠る獣の姿を映し出したのは。

「他の奴に任せるわけにもいかないだろう」

ユーゼには容易く想像がついた。恐るべき獣は、人の好い少年の中にいるのだ。始末するために器ごと壊すことを、彼等はためらわないだろう。ユーゼの忌避する、貴族連中は。それが自分たちの安全と地位を、守るためなら。

「よく、殺されんかったな、タリア」

「ユーゼ!」

しみじみと、呟いたユーゼに牙をむくリョウ。

その気持ちも分かるのだろう。ケインはただユーゼを鋭い目で睨みつけると、舌打ちした。

「封印されたときに、妙な術をかけられたらしい。器がそのまま、檻の役目をするように。タリアに何かあれば、また魔獣の脅威に晒されるだけだ」

「そしたら、よう手ェ出さんわな。ってちょっと待て、そんな厄介な術を誰がかけたんや?」

タリアに、ひいては魔獣さえ、守るための術を。それは何の益にもならない、タリア以外には。

「それは・・」

ケインの唇が言葉を紡ぐ寸前、遮るように叫び声が、隣の部屋から響いた。



4

夢を、見ていた。

楽しくて温かくて、幸せな夢。

ここはこんなに冷たいのに。

寂しくて、悲しくて、一人ぼっち。

とても好きだった。

誰かが。

告げたくて。

言えない。


「タリア!」

リョウがその部屋に飛び込んだとき、最初に見えたのは開かれた窓、揺れるカーテン。

そして空っぽのベッド。その傍らに腹を抱えて蹲る、キィロ。

「何があったんや?」

駆け寄り顔を寄せたユーゼにキィロは切れ切れの声で答えた。

「タリア君が・・急に、目を覚まし・・て、出てっちゃった、んだよ。ナッ・・君が追って」

リョウが剣を手に窓から飛び降りる。ケインに目配せし後に続くユーゼ。


タリアは走りながら、どこへ向かっているのか何となく、分かっていた。

あの遺跡だ。あそこで、待っている人がいるから。

彼女が。

なぜ、行かなければいけないのか。不思議には思わない。


約束したんだ。守ると、必ず。

そう、決めた。

リョウは強く前を見据え、地を蹴る。


二度と、間違えるわけにはいかない。

あの時とは違うのだから。

誰かにあんな、想いをさせるのは。

結局過去に囚われていると、気付いてユーゼが自嘲を浮かべた。


「行けるか?」

「うんダイジョーブ。あ、ケイン君・・」

ケインの手を借り立ち上がりながら、呻き声とともにキィロは泣きそうな顔で笑った。

「タリア君の目、紫だったよ」


闇の中、笑う真紅。

目的を果たすのは容易い。

指先一つ振るうだけで、それは成る。

だから少しくらい余興を求めてもいいだろう。

それだけの辛苦を、与えられてきたのだから。



かなしいの。

とてもとてもかなしいの。

たいせつなものさえわすれるほどに。

あのひとがいないだけで。

わたしもきえてしまう。

かなしみだけをだいて。

ひとり。

わすれられていく。

だから。

おいで。

とおいむかしのわすれもの。


たりあ?



そうして、日は落ちる。絡み合った思惑を含んで。



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