第3章『学園天国』1話「初めてのおつかい」
翌朝、ここぞとばかりに温泉を堪能したがるキィロがタリアを道連れに朝風呂と洒落込み、ただでさえ低血圧で不機嫌なケインと二人部屋に取り残されたリョウは朝から胃の痛くなる思いを味わって、ようやく迎えた朝食の席で。
どこかやつれた感のある少女を従え姿を現した悪魔教大師教は。
「すまん!なかった」
と剽々とした笑顔で宣い、ケインのコメカミに特大の青筋に浮かばせた。
「ギャーッ!ケイン君ストップ!!」
指を鳴らしぶつぶつと契約の呪文を呟くケインに取りすがるキィロ。
全く気にした様子もなく呑気にキセルをふかす主を、疲れた体に鞭を振るって背後にかばいながら、ニットがクナイを構える。
「ケインさん、落ち着いて下さい!」
「気持ちは分かるがここでぶっぱなしたら屋敷が壊れるだろ!?」
「それがどうした。こんな屋敷の一つや二ついつでも建て直してやるよ。こいつを黒焦げにした後でなぁ」
そういえば大貴族のボンボンだったと納得し、ならいいかと思いかけたキィロとリョウは、タリアの一言で我に返った。
「そういう問題じゃないでしょ!」
「そ、そうそう。ほら、仮にも大司教なんだし」
「こんな生臭坊主でもヤッちまったら外交問題になりかねないだろ」
「・・・」
主の酷い言われように反論したくても言葉が見付からず、複雑な顔で押し黙るニット。
「ははは。愉快な奴らだな」
緊迫した空気を破ったのは雰囲気にそぐわない快活な笑い声で、ますます増える青筋にケインの腕には更に力を込めてキィロがすがりついてきた。
「まぁ落ち着け。確かに蔵にはなかったが、どこにあるかは思い出したんだ」
「え?」
「重要な資料だっていうからな、蔵で埋もれるとマズイんで、預けたんだよ」
「預けた、だと?」
「そう」
「どこにあるんだよ!?」
タリアを解放するための手掛り。身を乗り出すリョウに、隻眼の男はふぅっ、と煙を吐いた。
「学園都市シーダ・ヴェルナに」
2
学園都市シーダ・ヴェルナ。大陸の北方、ヴェルン連邦に属する小都市で、歴史は浅いが知名度は高い。
大陸中から有識者を集め、高度な学術知識を誇るヴェルナ学園を中心に街が作られ、精霊魔術や宗教、歴史に読み書きソロバンと、あらゆる知識がそこにあると言われている。将来有望な者には奨学生制度もあり、学問を修めたい者は老若男女問わずその門戸を叩くという。
その都市のもう一つの目玉は、世界中の全ての書籍が納められているという巨大な図書館だった。
「その図書館じゃあ、公開出来ないが消すことも出来ない訳あり文書を預かってくれるんだよ」
「そこに、銀狼の資料も預けた訳か」
「内容が内容だし、天使教と悪魔教、双方が関わってるからな。中立の場に置いておこうって話になったんだった」
他人事のように話すディーマにニットは内心溜め息をついた。粗方蔵の捜索が終わりかけた、明け方に思い出した内容である。
「シーダ・ヴェルナか」
懐かしそうにケインは目を細めた。
「そういえば、ケインさんも昔留学したことがありましたよね?」
「へぇ、そうなんだ」
「ほんの一年だがな」
貴族として帝王学その他諸々を学ぶ為の短期留学だった。一年では修めきれない知識が彼処にはあると、それが一番の感想だ。
「で、どうすればいいんだよ?」
学問だとか学校だとかに縁がなく、というより苦手意識のあるリョウが話を進めようと切り出した。
「そこに行けば資料ってのを見せて貰えるのか?」
「幾らなんでも公開されてはいないでしょ」
「あぁ、紹介状を書いておく。それを見せれば問題はないだろう。それで、な。ニット」
「はい」
ニットが一通の封書と茶紙で包装された小包を差し出した。
封書には表書きに紹介状の文字とディーマのサイン、悪魔教のシンボルが記されている。一方小包は麻紐で縛られているだけで何も記されてはいない。
「ついでにコイツをシーダ・ヴェルナの市長に届けて欲しいんだ」
「断る」
ケインが即答した。ブーイングの声を上げようと口を開きかけたキィロがそのまま固まる。
「・・はや」
「そんな雑用そこの小娘にやらせればいいだろう」
「誰が小娘よっ!」
幼く見えるがナットと双子の少女はケインより一つ年上だ。
「それがなぁ。うちの忍部隊も人手不足で、そうそう派遣は出来んのだよ」
「運び屋に任せればいいじゃん」
もっともなキィロの意見にリョウも頷く。
「それがなぁ、何せ悪魔教総本山の機密文書だ。狙ってくる輩も多い。可哀想だろ、運び屋が」
運び屋は危険と隣り合わせの商売なので、腕っ節に自信がある連中が多い。哀れまれているなんて知ったら、髪を逆立てて怒り狂うのではなかろうか。
ディーマが冗談だと快活に笑うと、一同はげんなりと肩を落とした。
「まぁ、冗談はさておき、運び屋に扮して荷を狙う輩も以前いてな。信用の置けるお前さん等に頼みたいんだよ」
「昨日今日会ったばかりの俺達を何故信用出来ると思う?」
ケインが眉を潜めて言った。隣でキィロもこくこく頷く。
「単にちょうどいいから厄介事押し付けようっていうんじゃないのー?」
ディーマは目を細めてにやりと笑んだ。
「よく分かったな。その通りだ」
「へ?」
「シーダ・ヴェルナに行くついでがあり、腕も立つ。いちいち運び屋を選ぶ手間もかからないし、一石二鳥だろう」
全く悪びれる様子もない男に、ケインは苛立たしげに舌打ちした。
「断ったら?」
「別に構わんよ。だが、紹介状は頼まれればいつでも書いてきたからな。かなりの順番待ちになると聞いたぞ。あそこの市長兼司書はかなりの堅物だから、口でどうこう言っても聞き入れないだろう。この小包があれば優先的に話を聞いてもらえるんじゃないかな?」
キセルの煙を燻らせながら笑う男は、断られる筈がないと確信しているのだ。
タリアの中に宿る銀狼は、いつ覚醒するか分からない。ごねて、時間を費やす訳にはいかない。
みんなそれを承知しているから、心配げにケインを見つめた。
パーティの決定権を握るケインは、内心盛大に毒づきながら、深い溜め息を吐き出した。
「分かった。引き受けてやる」
「恩に着るよ、帝国の御曹司殿」
凄みのある笑顔で睨み付けるケインを、ディーマは実に愉快だとばかりに笑みを濃くした。
(この狸親父!いつか必ず俺様の前に這いつくばらせてやる)
ケインの心の声はみんなにも伝わって、揃ってため息が漏れた。
こうして、ケイン達は束の間の休息を終え、新たに旅立つことになった。
向かうは大陸の北、学園都市シーダ・ヴェルナ。手には紹介状と謎の小包。
この旅が新たな出会いと更なる騒動の幕開けになるとは、まだ誰も気付いていなかった。