第2章『温泉へ行こう』3話「源泉の秘密」
『信じてるからな』
1
そして夜が明け。
温泉に来て朝風呂に入らないなんて邪道だと主張するキィロに叩き起こされ、ケインと、昨夜の衝撃冷めやらぬリョウを部屋に残し、眠たい目を擦りながらタリアを伴って離れへと向かっていた。
ギャーとかワーとか垣根の向こうがやけに騒がしい。
「何だろ、朝っぱらから」
「さぁ?」
二人して首を傾げる。
「だからオレらは知らんちゅうに」
「濡れ衣だって言ってんだろー!!」
気だるげな方言と、甲高い怒声。
どちらも聞き覚えのある声だ。
「今のって・・ユーゼさんとナットさんですよ、ね?」
いまだ戻ってきていない二人は、どうやら騒ぎに巻き込まれているらしい。
寝起きのぼやけた頭が一気に覚醒する。
「朝風呂は残念ながらお預けだね。ケイン君たちに知らせてくるから先に見に行っといてくれる?」
「はい!」
顔を見合わせ、二人は駆け出した。
門の外には人だかりができていた。
宿の名前がでかでかとプリントされた半被を着た老若男女が、手に手にモップやたわしを持って輪を作っている。
タリアは若干及び腰で声をかけた。
「あ、あの、一体どうしたんですか?」
「どうしたもこうしたもあるかい!温泉が枯れちまったんだよ!!」
「ええぇ!?」
「そうさ!あいつらがゴクラクエンの人気を羨んでやったに違いねぇ!」
「あいつらって・・」
輪の中で頭一つ分抜きんでる長身を活かして中心を覗き込むと、そこにはやはり見慣れた二人組の姿が。
「ユーゼさん!ナットさん!」
後ろ手に縛られヘチマを突き付けられている二人に思わず叫んだタリアを、ゴクラクエンの宿主達が勢いよく振り返った。
「てめぇも仲間か!」
「え?」
「ふてぇ野郎だ。おい、コイツもひっ捕らえろっ!」
「え?え?」
状況についていけず、男が振り上げたヘチマに思わず目を瞑った瞬間。
パァンッ!
乾いた銃声が一発、響き渡った。
全員が音の出所を振り返る。
「ケ、ケインさん・・」
宿の入り口で、ケインが空に向けて右手を高々と掲げ仁王立ちし、その足元ではキィロが耳を塞いで蹲っていた。
「タリア!」
鼓膜に響いたのか微妙に顔を顰めながら走ってきたリョウに、肩を掴まれ揺さぶられる。
「大丈夫か?」
「は、はいオレは何とも。でも」
改めて群衆を見やると、突然の乱入者に毒気を抜かれたのか、あるいは怖気づいたのか、皆ぽかんとケインを見つめている。
銃はマーキャベットの親衛隊独自の武器なので、彼らはほとんど知らないはずだが、それよりも持主の出す威圧感にやられてしまっているのかもしれない。
「朝っぱらからギャーギャー騒ぎやがって、鬱陶しい。一体何の集まりだ?ここじゃ客の安眠を妨害するのが習わしなのか、あぁ?」
不機嫌全開だ。
傲岸不遜を絵に描いたような従兄は、低血圧でこそないが朝、無理やり起こされるのを酷く嫌っていたのをタリアは思い出した。
さっきまでの勢いが嘘のように気圧された人々は、窺うように互いに視線を交わしながら、おずおずと話し出した。
「いや、実はな。今朝になって突然、温泉が枯れちまったんだ」
「えぇー!?オレあと二回は入るつもりだったのに!」
「てめぇは黙ってろ!」
キィロのオレンジ頭に容赦のない拳が振り下ろし、話を促すように顎をしゃくるケイン。
「で?」
「こ、こいつらが止めたに違いねぇんだ!」
「そうだそうだ!」
「間違いねぇ!」
ざっと人波が割れ、囚われの二人を確認して、ケインは苛立たしげに舌打ちをする。
「厄介事に巻き込まれやがって」
「まぁまぁ。でもさ、何だって二人のせいになるのさ」
不本意と顔にデカデカと書いたケインを苦笑いで宥めながらキィロが尋ねると、さっきタリアに殴りかかった男がヘチマを千切れそうなくらい握り締め、怒鳴った。
「こいつが源泉から出てきたのを見た奴が何人もいるんだよ!」
と、指差されたのは膨れっ面のナットだ。
「源泉?」
「ここいらの温泉は全てその源泉からお湯を引いてるんだ」
「いつもは見張りが立ってるんだが、今日の朝はどこも人手が足りなくてな。ちょっと目を離した隙に入り込みやがったんだ」
「だーかーらー、オレは知らないって言ってんだろ!」
「嘘つけ!小柄でおかっぱの奴なんて、今ここにはてめぇしかいないだろうが!」
「んな、強引な・・」
「それで、どうしてユーゼまで捕まってるんだ?」
何気なくリョウが問えば、ナットと一緒にいたんだから仲間に違いないと、これまた強引な論理が返ってきた。
「おい、さっきから聞いてればお前らも共犯なんじゃないのか?」
「そうだ。知り合いみたいだしな」
「え?」
再び襲ってきそうな群衆を黙らせたのは、ケインの銃、ではなく聞き慣れない渋い声だった。
「だったら、責任持って源泉を調べてきてもらえばいいんじゃねぇかい?」
声の主はケインの後ろ、宿の門扉に寄りかかって、キセルをくゆらせていた。着流しに不精髭、前髪で見え隠れする左目には大きな傷、はだけた胸元には漆黒の刺青が覗き、妙な迫力があった。
「誰だ?」
「さぁ?」
タリアはリョウと目を合わせ、首を傾げる。
「な、何なんだ。アンタ・・」
見覚えがないのは他の宿主達も同じらしく、戸惑っているようだ。
「何、名乗るほどのもんでもねぇさ。ただ、せっかくゴクラクエンに来て温泉に入れねぇのも不粋な話だ。犯人がどうこう言うよりも、先に温泉を回復するべきじゃないのかい?」
「そ、それはそうだが」
「しかしだな・・」
男の正体はともかく、至極尤もな意見の筈が、何故か皆嫌そうに目を逸らしていた。
「何か、そうできない訳があるの?」
にっこりと、邪気のない笑顔を向けるキィロに、明らかにビクッと震える。
深々と溜息を吐いたユーゼの眼鏡がキラリと光った。
「源泉のある洞窟には、魔獣が住みついとるんやと」
「なっ!やはり貴様!」
「こんなん、ちょっと従業員に聞いたらすぐ教えてくれたで」
「おまえが顔でたらしこんだおかげでな」
ポツリとナットが漏らした毒は怒声に掻き消され、幸いすぐ隣のユーゼ以外には届かなかったようだ。
ユーゼは冷や汗を垂らしながら、雇い主であるケインに愛想笑いを浮かべた。
「まぁ、ご依頼の件とは関係なさそうなんやけどな。棲みついたんもつい最近らしいし」
「んじゃ、ナット君がその源泉とやらに近づいたのは事実ってこと?」
「まぁな。でも、見張りもいるしで一歩も入っちゃいねぇよ」
「そうなんですか。ケインさんの依頼、だったんですね」
忌々しげに舌打ちするケイン。
リョウは得心がいったように頷いた。
「なるほど。これじゃ、知らん顔もできねぇわな」
「おい貴様ら!何勝手にくっちゃべって」
「その魔獣を消して温泉を復活させれば、文句はねぇんだな」
低い、怒りを押し殺した呟きに、食ってかかった男は目に見えて固まった。
「い、いや、だが」
「見たところ、この兄さん方は冒険者ってやつだ。どのみち傭兵でも雇うつもりだったなら一石二鳥だろ。それとも・・他に何かマズいことでもあるのかい?」
隻眼の男がにやりと笑う。
「お、これはもう、魔獣退治に行くこと決定ってカンジ?」
「ちっ」
「だったら、早くこの縄解いてくれよ」
完全に反論を封じられた群衆の中から、おずおずと声を上げたのは、恰幅のいい中年女性だった。
「でもさ、犯人共を解放しちまったら、そいつら逃げちまうんじゃないのかい」
「誰が犯人だ!」
「ナッちゃん、どうどう」
「オレは馬じゃねー!」
「だったら人質として預かっておけばいいだろう」
あっさり告げたのは他でもないケインだった。
「わお、ケイン君てば冷酷ぅ」
何故か嬉しそうにキィロ。
「そ、そんな。でも」
慌てているのはタリアだけのようで、リョウも仕方なさそうに頷いている。
「だったら、ユーゼだけでも放してやってくれよ」
「ナッちゃん・・」
感動の面持ちで、手が自由ならば思い切り抱きしめたい気分のユーゼは、
「戦闘があるなら静歌がいた方が安心だろ。戦力にはならないけど」
「そ、そうやね・・」
見事な肩すかしを食らっていた。
しかし、その提案に、ゴクラクエンの宿主達は当然難色を示した。保険の数が減るのは痛いと思っているのだろう。
自分たちの関係を知らない彼らには当然の発想かもしれないが、仲間を見捨てるような卑怯者だと言われているようで、タリアはあまりいい気分がしない。
ブルーになる思考を断ち切ったのは、思いがけないリョウの言葉。
「だったら、オレがユーゼと代わるわ」
「え!?」
「その魔獣がいるのは洞窟なんだろ。狭いフィールドじゃオレの獲物は不利だしな。それならいいだろ?」
「まぁ、それなら」
と、渋々人質の入れ替えが行われるのに、黙っていられるタリアではない。
「そんな!だったらおれが残ります。おれの槍だってそうそう振り回せないでしょうし」
実戦経験のほとんどない自分が、そこまで役に立てるとも思えない。
「リョウさん!」
「バカ。いいんだよ、さっさと片付けて、無事で戻ってこいよ」
「でも」
「信じてるからな」
笑顔で、コツンと拳が触れた十字架から、胸に温もりが広がるのを感じた。
「・・はいっ!」
「妬ける?お兄ちゃん」
「阿呆か。さっさと片付けるぞ」
あからさまに眉を寄せて腕組みしているケインを横から覗き込みながら、キィロは笑い声を噛み殺した。
タリアの身の内に宿る特殊性から、見知らぬ人間の手の内に置いておくなんて言語道断、だとか。そうでなくても純粋培養の従弟を、勘違いの悪意に晒したくないとか。そんな諸々の事情はタリア以外には周知の事実で。その上で人質交換を申し出るなら残るべきは身一つで闘えるキィロやケインではなく自分だと。
ケインが瞬時に思い浮かべたであろう理屈をやってのけたリョウに、おそらく打算はない。言葉通り、信じている、それだけの理由で。
「オレもちょっと妬けるかも」
「何か言ったか?」
「うぅん・・あ、そうだ。そういえばさっき乱入してきたおじさん」
「・・知ってるのか?」
「いや、知らないけど」
昨晩、見かけた人影を思い出す。てっきり気のせいだと思っていたのだが・・。
「ま、いっか」
呆れたようなケインの視線に笑顔を返し、キィロはとりあえず忘れることにした。
「じゃ、俺も行って来るわ」
「おぅ。早く帰ってこいよ、オレもう腹減ってさぁ」
「イイ子で待っとったら、何かくれるかもしれんで」
「いいよ別に。おまえと食べるから」
当たり前のように言うナットの頭を撫で、ユーゼは微笑んだ。
子どもにするような仕草にむっとしつつ、でもどこか嬉しそうに柔らかな頬が色付く。
「行ってくるわ」
「ん。待ってる」
もう一度頭を撫でて、ユーゼは機嫌の悪そうな依頼主を追い掛けた。
2
洞窟の入り口は町外れの納屋の中にあった。
切り立った崖にぴったりくっつく形で納屋が建てられており、一見したところでは入り口が分からないようになっているのだ。
見張りをしていたらしい、杖をついた老人が、突然押し掛けてきた部外者に顔色を変える。
「貴様等、性懲りもなく源泉を狙ってきおったか!」
しかし怒り深頭で杖を降り上げようとした途端、ビキッと音がする勢いで凍りついた。
「あぁ、もうおじいちゃんてば。ギックリ腰なのにムリするから」
案内役の男は慣れた様子で老人を納屋の脇にあるベンチ―見張りの休憩用なのかもしれない―に座らせ腰をマッサージしながら、事情を話して聞かせた。
それから幾つかの注意事項を告げて納屋の扉を開けた。
曰く、中で見たことは一切他言無用。洞窟内には各宿に温泉を供給するためのパイプやら何やらが走っているので、器物破損には厳重注意。出口はここしかないから、逃げようったってそうはいかないからな。
「面倒くせぇな」
「バーンと壊しちゃう?」
「だ、ダメですよ!」
ケインとキィロのヒソヒソ話に思わず声を上げたタリアを、案内役が訝しげに振り返った。
「何か?」
「危ないから、アンタはついてきたらダメや、いうたんや」
如才のない笑みでユーゼが答えると、当たり前だろうと答えて案内役はピシャリと外から戸を閉めた。
「完全に犯人扱いだねー」
「どっかのバカが下手こいたせいでな」
「ははは。まぁそのおかげで直に魔獣と御対面できる訳やし」
納屋の壁にぽっかりと開いた黒い穴。未知のダンジョンへと足を踏み入れるにしては、緊張感に欠ける会話だ。タリアは少し驚いて、けれど前回とは事情が全然異なるからなのだろうと、槍を握り締めた。
切り出したのはキィロだった。
「あのさ・・何か臭くない?」
大仰に鼻を摘んでいる。洞窟内は卵の腐ったような、いわゆる硫黄臭が充満していた。狭い通路では余計に気になる。
「ねぇ、誰か、した?」
ケインは明らかに顔をしかめながら無視し、ユーゼは苦笑うばかり。タリアが低い天井に身を屈めながら言った。
「温泉って、だいたいこんな臭いがするんですよ。お湯に含まれる成分のせいで」
「そうなの?宿の温泉では感じなかったけど」
「源泉が近いから臭いもキツいんと違うかな」
「ふぅん。何にせよ、鼻が曲がりそう・・」
「ははは・・」
ゆるやかに下っていく坂道を、湯を引いているらしいパイプに沿って慎重に進んでいく。通路の途中途中には明らかに人工のドアと、その表には『関係者以外立入禁止!』とか『ゴクラクエンを守ろう!』とか、『ゴミは屑籠へ!!』とか注意書き。そんな中、奥へと向かう矢印と、真っ赤なペンキで『危険!この先魔物注意』の文字が書かれた扉に遭遇した。
「分かりやすいな」
「だねー。あ、ちっこく『命は大事に』って書いてあるよ」
「こっちには『注意一瞬死も一瞬』って・・」
「たいそうな大物みたいやなぁ」
「大物、ですか」
緊張感が走った。
のはタリアだけだったのかもしれない。
キィロはにこにこしていたし、ケインは相変わらずの仏丁面だ。
ユーゼがぽんと、年下の親戚の肩を叩いた。
「あんまり気張らんと、リラックスしとき」
「はい」
そしてついに、禁断の扉が開かれた。
「・・・」
「あー・・」
「えぇと・・」
「こりゃまた・・確かに大物、やな」
ケインの舌打ちが大きく響く。
かくして魔獣はいた。姿形は分からない。なぜなら彼等に背というか尻を向けているからだ。
幅の変わらない通路。長身のタリアが幾らか屈む必要のある高さで、優にその数倍の巨体を持つ魔物は・・。
「挟まってる、ね。ギュウギュウに」
「挟まってますね・・みっちりと」
確かにこれでは村人達も困るだろう。下手に暴れられて洞窟が崩れたら源泉もおじゃんだ。
「で、どうするん?」
溜め息つきながら依頼主をユーゼが振り返ると、不機嫌がピークに達したのだろう、青筋を立てて指を鳴らすケイン。
「燃やし尽してやる。『終焉の・・』」
「ギャーーーッ!!落ち着いてケイン君ッ!」
召喚魔術を発動しかけたケインにキィロが飛び付き、何とか阻止に成功した。
「こんな狭いところでぶっ放したらオレ達皆黒焦げ死体だから!」
「そやなぁ。静歌ちゃんに結界張ってもろても、洞窟が崩れてきたらペチャンコか、よくて生き埋めやわ」
「チッ・・」
正論で非難され、ケインは腹立たしげにそっぽを向いた。
普段冷静沈着な従兄がこんな暴挙に出ようとするなんて、余程苛ついている証拠だとタリアは思う。鼻が曲がりそうな臭いだとか、芯からじっとりといぶるような暑さもその要因なのだろう。
(でも、本当にどんどん暑くなってる気がするな・・)
これも源泉が近いからだろうか。
「にしても、全然動かないねぇ」
「鈍いのか、あるいはもう死んでるとかな」
「どっちにしてもコレをどかさないと」
グゥウゥゥゥ・・。
地響きにも似た音が狭い通路に反響した。
「何や、今の?」
「地震、とか?」
「いや、揺れはなかった」
グゥウゥゥゥ・・。
もう一度。
タリアは恐る恐る、推定魔獣に近付いた。すると、音に合わせて壁にめり込んだ腹部がわずかに震えているのに気付く。
「もしかして、これって・・」
「イビキ!?」
後ろから覗き込んだキィロも気付いたようだ。
「こんなところで寝られるとは、大した度胸やな」
もっとも、それが判明したところで事態は何も変わらないのだが。
「アレ?」
お尻から魔獣を眺めていたタリアは、縮こまった後ろ足に大きな亀裂を見付けた。もっさりと生える赤茶けた毛も、その回りだけ黒ずんでいる。
「この魔獣、ケガ、してるみたいです・・」
だから動けないのか、詰まって暴れて傷付いたのかは分からないが、一見して深い傷に見えた。
「あの、ユーゼさん」
「ん?」
「このケガ、魔術で治せませんか?」
ぽかんと、ユーゼは口を開きかけて固まった。
タリアの紺色の瞳は真摯に語っている。本気だと。
「あー、ケイちゃん?」
「勝手にしろ。あとその呼び方はやめろ」
腕組みしてふんぞり返るケインは、既に何かを諦めた顔だ。
「ダメ、ですか?」
じっと、上目遣いに見下ろしてくる年下の親戚に弱いのは、ケインだけではないのだ。
「いやいやいや、ダメなことあらへんて。だからその、雨の日の捨て犬みたいな目で見んといて」
純粋な人間を目の前にすると訳もなく罪悪感に苛まれるのは、日頃の行いが悪いからだろうか。
「間違ってもリョウの前でそんな顔したらあかんよ」
「え?」
「いや、何でもない。静歌ちゃん」
ユーゼは掌に水色蛙を乗せ、傷口に近付けた。
「『癒しの雫』」
ぽわんと水色の輝きが広がり、みるみる内に傷が塞がっていく。そして・・。
「えっ?」
「あっ!」
「んん!?」
「・・・」
傷と一緒に魔獣のサイズまで縮んでしまった。
今は少し大きめの犬くらい。タリアなら頑張れば抱え上げられるだろう。
クゥウゥゥン・・。
一気に可愛らしくなったイビキに、鼻提灯。ヨダレを垂らす口からはみ出る牙だとか、額の小さな角、ライオンみたいな鬣と違いはあるものの、全体的なシルエットは犬のもの。
そのふさふさ尻尾がピクッと揺れた。ゆっくりと瞼が開き、現れたのは澄んだ青い瞳。
思わず凝視してしまったタリアをぼんやり見つめ、クリクリとその大きな目を動かすと、
「キャウンッ!」
と一声鳴いて、尻尾を振りながら洞窟の奥へと走り去ってしまった。
「何や、今の・・」
「確か、魔獣は赤い目が特徴、じゃなかったっけ」
「アレは魔獣じゃない。幻獣、あるいは聖獣と呼ばれる生物だ」
断言したケインを皆が振り返った。
「『見た』の?」
「あぁ」
「幻獣、ですか?」
「あぁ。そもそも魔獣ってのは、その幻獣に妖魔が取り憑いたのを指す。最も、生態系は解明されてない上滅多に遭遇しないから、仮説に過ぎんが。一説には、獣人の祖先とも言われているな」
「へぇ。さすがケイン君。博識〜。」
「当たり前だろう」
キィロの賛辞を謙遜もなく受け止めたケインは、幼い頃から知る親戚二人の目には少し機嫌が戻ったように見えた。
「でも、何で小さくなったんでしょう?」
「おそらくだが、あの幻獣は炎が主食なんだ」
「ほのお?って、キャンプファイヤーとかで燃えたりする、アレ?」
「あぁ。つまり火の流子だな」
「よく分からんけど、それの食べ過ぎで通路に詰まったと。じゃあ、縮んだのは水の流子が入り込んだせいか」
流子とは精霊界から流れ込んでくるエネルギーを指し、光闇地水火風の六元素がある。精霊はこの流子を操ることで、人間の暮らすこの世界に様々な現象を起こすことができるのだ。
「でも、何でここでそんなコトが起きるのさ?確かに暑いけど、燃えるものなんてないじゃない」
「知るか」
「ま、とにかく源泉まで行けば分かるやろ」
「そう、ですね」
あの幻獣は奥へと走っていったのだし、案内役の男が言うには出口は一つしかないのだから。
とりあえず、障害物は排除した。あとは源泉の調査だけ・・。
しかし、そうスムーズにはいかなかった。
3
そこは行き止まりだった。
「行き止まり、やねぇ」
「行き止まり、ですね」
「ッ・・ダメだからね、ケイン君!」
「分かってるよ」
洞窟は一本道。まだ源泉には行き着いてないというのに、彼等の前にはまごう事なき土壁。
しかしパイプは更に奥に続いているようだし、幻獣の姿も見受けられない。
「からくり仕掛け、とかなんでしょうか。どこかにスイッチがあって」
こないだ訪れた遺跡も、入り口にそんな仕掛けがあった。
「んー、でも、そういうのって技術も手間もかかるし。今までの扉にも鍵かかってなかったのに、そんな面倒なもの作るかな」
「せやなぁ。魔獣が出てこんように塗り込めた訳でもないやろし」
「この位置じゃ意味ないですもんね」
「どうする?厚さがどれくらいかは分からないけど、掘る?」
「素手でか?」
「だって、下手に衝撃加えて洞窟が壊れちゃったら困るでしょ。オレ、生き埋めはイヤだから」
「洞窟の耐久度がどんなもんか、聞いといたらよかったなぁ」
あの状況では素直な返答は望むべくもないが。
「どうしましょう、ケインさん」
あまり遅くなるのも、人質にされているリョウとナットが心配だ。
ユーゼ曰く捨て犬の瞳で見下ろしてくる、背ばかり伸びた従弟にケインは溜め息を吐き。
「仕方ないな」
千里眼を発動しようとした、その時だった。
「おーい、大丈夫かーっ!?」
聞き慣れた声が背後から響き、振り返ればこちらに駆け寄ってくるナットの姿。
「ナットさん!?ど、どうしてココに・・」
「待ってる間に話してたら、やっかいなカラクリとかも仕掛けられてるって聞いてさ、お前らが心配になってさ」
「リョウ君は?」
タリアが一番聞きたかったことを、代わりにキィロが聞いてくれた。
「さすがに二人とも解放する訳にはいかないからって、残ってもらってる」
「ふぅん」
「さっさと片付けて戻ろうぜ!で、問題はこの土壁か?」
「あぁ」
ケインとキィロが意味深な目配せを交す。ナットとコンビを組んでいるユーゼがまだ何も言っていないなと、タリアが顔を向ける前に、ナットは声を上げた。
「分かった!」
「本当ですか!?」
慌ててタリアはナットが指差す足元を覗き込む。
そこだけ少し窪んでいて、中には輪っかになった赤い紐が見えた。
「これを引っ張ると壁が崩れるようになってるんだ」
「へぇ」
「やってみるか?罠は解除したからさ」
「え、いいんですか?」
鷹容に頷くナットに好奇心旺盛なタリアは、言われるまま紐を引いた。
ガラガラガッシャーンッ!
土壁は見事に崩れ落ちる。
「わ、凄い」
「タリア!」
叫んだのはユーゼだったかケインだったか。風を切る音が聞こえて、目の前には石礫。
当たる!・・と反射的に目を閉じたタリアだったが、その衝撃はいつまで経ってもこなかった。
恐々と目を開けると、宙空を蹴った姿勢のまま溜め息を吐くキィロの姿。足元にはタリアに向けて放たれた石。
「あ、ありがとうございます」
「いえいえ、どういたしまして」
まだ呆然としていたタリアには、続くキィロの呟きは届かなかった。
「本当にお礼を言わなくちゃいけないのは、オレじゃないしね」
耳聡くそれに反応したのはケインだ。
「おい、今の・・」
「ケイン君も気付いた?」
埃を払いながら来た道を見返し、キィロ笑みを浮かべる。握り締めた銃のグリップから手を離さず、同じように視線を送るケインの目は、真剣な色を宿していた。
「一瞬、石が止まったように見えた」
本来なら、狙いをつける必要のあるケインの銃は勿論のこと、キィロのスピードでも間に合わなかった筈だ。奇跡が起きたのでなければ。あるいは・・。
「誰かが起こしてくれた奇跡、か・・」
「出来るのか?」
「オレにはムリ」
あっさりとキィロは否定する。
「ちゃんと修行を積んだ人なら、限界まで動きをスローにすることで止まって見えるかもしれない。ま、これが奇跡じゃなくて」
黒魔法ならね、と、キィロは音にせず告げた。さらにケインは追求しようとしたのだが。
ひっくり返ったナットの叫び声に二人して振り返った。
蹲ったまま舞い降りてくる土埃に噎せていると、ユーゼが手を差し出してきた。
「タリア、大丈夫か?」
「は、はい」
眼鏡の奥で紺色の瞳を痛ましげに細め、安堵に胸を撫で下ろす様子に、タリアは立ち上がりながら身を縮めた。
「全く、好奇心も程々にな。お前に何かあったらリョウに殺されてまうわ。まぁ・・見逃した俺もアホやってんけど」
「え?」
「ごめんな!罠が一個漏れてたみたい。ケガないか?」
「はい。大丈夫です」
心配そうに見上げてくるナットに笑顔を返したタリアだが、突然ユーゼがその細い肩を掴んだことに目を丸くした。
「ユーゼ?」
きょとんとした顔を覗き込むように首を傾げて、ユーゼは穏やかな声で言った。
「で、君は誰なん?」
いつもと変わらぬ口調、苦笑を浮かべて
「え?」
ナットは勿論、タリアもきょとんと目を瞬かせる。
「だ、誰って、オレだよ。ナットだよ!何言い出すんだ突然」
「うん、まぁ、確かにそっくりなんやけども。でも君はナッちゃんと違うやろ」
「ユーゼさん・・?」
「アイツは確かに無茶もするし、こっちの考えつかん突飛な行動もザラやけど・・でも、嘘は言わんよ」
紺色に深い愛情を湛えたユーゼの瞳。
「オレらのこと信じて残る言った以上、ナッちゃんは絶対にアソコから動かん。オレが迎えに行くまで信じて待っていてくれる・・ましてや、他の奴に人質押し付けて逃げ出すような真似はせん」
きっぱりと、そう断言するユーゼに、ナットを名乗った人物はわなわなと震え、血の気をなくした。
「ユーゼくんてばラブラブゥ、だね!」
戻ってきたキィロがにやにやしながら肘でつつくと、ユーゼは途端に相好を崩す。
「ナッちゃんの前で言うと照れ隠しにボコにされるからなぁ。こんな時にでもノロケとかんと」
「あー、やっぱりノロケだったんだ。んもぅ、こっちが恥ずかしいよ!」
状況にそぐわない呑気な会話を交すキィロとユーゼに、ケインはあからさまな溜め息をこぼした。
「てめぇら、まとめて消しズミにしてやろうか」
「ま、待って、ケイン君!真面目にやるから!」
「だったら大人しく・・ッ!?」
指を鳴らしたケインの腕にすがりついたキィロが、振りほどかれて壁に激突する。ケインも同時に飛び退いていて、さっきまで彼等が立っていた地面に、あまり見慣れない、けれどつい最近見た覚えのある刃物が突き刺さっていた。
「タリア!」
「ッ!!」
ユーゼの叫びにタリアも身を翻す。
狭い通路内ではタリアの武器は、攻撃はもとより防御にも向かない。槍の代わりに十字架を握り締め顔を上げると、ナットと瓜二つの顔を怒りで歪めて、仁王立ちする偽物の姿。
「まさか、こんなにすぐバレるとはね・・」
憎々しげに吐き出された声はナットのそれより一オクターブ高い。
「貴様、一体何モンだ・・?」
ケインはキィロを引きずり起こしながら、油断なく睨みつけた。
「ふふふ・・ある時はナット」
ナットの声で。
「そしてある時は温泉宿の女将・・!」
皺がれた老女の声で。
「あっ、え・・あのおばあちゃん!?」
「初めから狙ってやがったのか」
偽物がカツラを脱ぎ捨てると、真紅の長髪がふさぁっと広がり、
「その正体はッ・・!」
「ナッちゃんの双子の妹さんやろ」
「・・・」
何かを告げようと大きく口を開いたまま、彼女は凍ったように固まった。
「双子の、妹さん・・?」
「あぁ、前に聞いたことあってな。そっくりだっちゅう話やけど。確か名前はニットっていうとったな」
改めて見れば本当にそっくりで、ナットを一回り小さくして髪の長さだけ変えたら、今の彼女になるだろう。
「なるほど、俺様に夜這いを仕掛けてきたのはてめぇだな」
「なっ・・!」
「最近の子は大胆やねぇ」
「だ、誰が夜這いなんてするかぁッ!!」
ニットに怒鳴られてもケインは顔色一つ変えない。
「まぁ何にせよ、リョウ君は留守番でよかったね」
「どうしてですか?」
溜め息混じりのキィロにタリアが首を傾げると。
「だって見られて、悲鳴まであげられた相手と戦闘とか、ムリでしょ。彼、案外ナイーブだから」
「そういうのはヘタレっていうんだよ」
「リョウがどうかしたんか?」
「うん。あの子、夜這いの前に温泉覗きに来てね。ばっちりリョウ君の見ちゃったの」
「貴様等・・」
地の底から湧いて出るような甲高くもオドロオドロしい声。少女は大きな瞳にちょっぴり涙まで浮かべている。
「好き勝手に人のことおちょくって・・裏切り者に天誅を喰らわす前に、貴様等から葬ってやるわ!」
ニットは立て続けにクナイを投げつけてきた。狭い洞窟内で避けるのは至難の業だ。
「やんちゃなとこは似とるかもな。『水の盾』」
静歌の口から水色の霧が吹き出して、タリア達の前に透明の障壁を紡ぎ出した。クナイはそれに遮られあっけなく地に落ちる。
「なに・・ッ!?」
予想外の抵抗に驚いて出来た隙に、キィロが飛び出して間合いを詰めた。
足元を狙った蹴りは寸ででかわされ、続け様に足技を繰り出す。
息もつかせぬ連続攻撃に壁際に追い詰められたニットは、思いきり跳んで反対側の壁に張り付いたところで。
「・・・ッ」
額に銃を突きつけられていた。
真っ黒な瞳でケインを睨み上げ、クナイで応戦しようとするが。
「やめといた方がええで。刃物よりその拳銃のが速いしな」
「そうそう、そのお兄さん鬼畜だから、女の子でも容赦してくれないよ」
呑気なユーゼとキィロに、ケインは舌打ちして。
「黙れオレンジ頭。とにかく、てめぇの負けだ」
「ま、まだ負けてないわ!」
「いいや、お前さんの負けだよ、ニット」
第三者の声が割り込んでくる。
「貴方は・・」
何故か奥へ続く道からやって来たのは、宿の前で会った隻眼の男だった。
少女は彼の出現に顔色を変え叫んだ。
「ディーマ様!!」
4
ケインは少女に突きつけた銃はそのままに、左手を揺する。いざとなれば即座に召喚魔法を発動できるように。
ディーマと呼ばれた男は警戒心露な様子に苦笑いを浮かべ、両手を上げて敵意がないことを示した。
それでもケインが警戒を解くことはないが、キィロはいつもの呑気な笑顔で問いかける。
「えーっと、とりあえずニットちゃんのお知り合いってことでいいのかな?」
「ちゃんとか呼ぶな!」
「うるせぇよ」
至近距離で叫ばれケインのこめかみに青筋が浮かんだ。
「で、てめぇ何もんだ?こそこそ後尾けてきやがって」
「気付いてたのかい。正確には、先回りして待ってたんだがね。俺はディーマ。ケチな風来坊だ。ディーさんとでも呼んでくれや」
「ディーさんは何をしてる人な訳?悪魔教の関係者なのは分かってるけど」
「ほぉ?」
「その胸の刺青、悪魔教の刻印に似てるし」
「鋭いじゃねぇか、白いの」
キィロが小さく息を飲んだ。赤い目がわずかに見開かれ、それからキッと男を睨む。
「オレにはキィロって名前があるんですぅ。服の色で呼ぶとかされたら、色々被っちゃうでしょー」
確かにキィロのように上下ともではないが、タリアもシャツは白地だ。
「おい・・」
ズレかけた話題にケインが釘を刺し、ディーマは低く喉で笑った。
「すまんすまん。キィロだったか、そいつの指摘通りオレは悪魔教の関係者でな、ゴクラクエンに視察に来てたんだ。最近魔獣が出るとか噂になってたんでな」
「首都まで広がってるとは、情報だだ漏れやないか」
ユーゼはふと、話を聞いたまだ若い仲居を思い出した。ここだけの話ですよぉ、という出だし程、機密性が低いものもない。
「で、その子はまぁ、俺の護衛だ」
「護衛?」
「ナッちゃんの妹いうことは、忍の里とやらで修業を積んだんやろ。だったら腕前はかなりのもんやと思うで」
「そだね。タリア君いなかったら危なかったかも」
「え?」
タリアはその言葉に疑問を感じたが、尋ねる前にニットが喚き始めた。
「あの裏切り者、里のことまでペラペラ喋ったのね!信じらんない許せなーいッ!やっぱり天誅」
「うるせぇっつってんだろうが!」
ケインはポイッと、襟足を掴んで少女を投げ捨てた。
ディーマが難無くそれを受け止め、なだめるように肩を叩く。
「全く、駐留所に突然客を呼んだかと思えば目の前の空き家を改造して食堂の真似事までするし、何がしたかったんだお前は」
「ディーマ様ぁ・・」
彼女を見つめる瞳は小さな子どもを見守る保護者のそれだ。
ニットは二三度痙攣してみせ、それから大声で泣きじゃくり始めた。
狭い洞窟内にキーの高い声が木霊し、ある種の音波兵器のように一行を襲った。平気な顔をしているのは慣れているらしいディーマだけだ。
そして泣き声の合間合間の断片的な情報を繋ぎ合わせてみると。
「つまり、ナッちゃんに対する嫌がらせってことかい・・」
ナットとニットの双子はユリスギのどこか―場所は秘密らしい。ユーゼも聞いてはいなかった―にある忍の里で、兄妹仲良く修業の日々を送っていた。しかし数年前、二人が苦難の末に試練を乗り越え一人前として認められた日。ナットは突然出ていってしまったのだという。
本来一人前と認められた忍は、ダイワで働き口を見付ける。個人的な護衛の仕事につく者以外はほとんど、ダイワが誇る傭兵隊―ケイン曰くマーキャベットに並ぶ軍事力を持つらしい―の忍部隊に配属になるらしい。双子にもそこでの任務が決まっていたというのに。
「何かタルそうだからって、いきなり・・ずっと一緒に頑張ろうねって約束したのに、ナットの裏切り者・・うわぁああぁぁんッッ!!」
「あー、置いてかれちゃったのがショックだったんだねぇ」
「ナッちゃん、命令されんのとか嫌いやからなぁ。向かんと思ったんやろね」
「あぁ、そういうことか」
ずっと眉をしかめて腕組みしていたケインが不意に呟いた。
「どうかしましたか、ケインさん?」
「あの食堂にあったメニュー、覚えてるか?」
「え、えぇと」
変なラインナップだったことは覚えている。
「奇妙だとは思ったが、あのメニューの頭文字を上から読んでいくと『うらぎりものに天チュー』になるんだよ」
「へぇ」
従兄の推理に、というより記憶力にタリアは感心してしまった。
「それでナッちゃん、変な顔しとったんやな。気付いとったんや」
「ま、そういうことだ。悪かったな、ウチのモンが迷惑かけて」
ひっくひっくとまだ肩を震わせながら、少女は頭を下げた。
「ごめっ・・なさ・・っく」
「まぁまぁ、気にしないで。幸いケガもなかったし」
「ナッちゃんとは直接話し合ったほうがいいやろうけどな」
ケインは呆れたように舌打ちするが、それ以上責める様子はない。
傍迷惑な兄妹喧嘩ではあるが、これで長年のすれ違いが解消されるなら良かったのかもしれないと、タリアはそう思い、そして。
「あれ、じゃあ源泉が出なくなったのも、ニットさんがやったんですか?」
ここに来た本来の目的を、ようやく思い出した。
「そういえば、そうだよね。源泉の調査に来たんだった」
「ち・・違います・・」
さっきとは打って変わって蚊の鳴くような声でニットが呟く。
「あぁん?」
「・・ッ」
不機嫌なケインの声に怯える少女。ユーゼは溜め息を落とした。
「ケイちゃん、いたいけな少女を威嚇したらあかんよ」
「別に威嚇なんざしてねぇ。それとその呼び方やめろ」
「ニットちゃん。あの怖いお兄さんはちゃんと押さえておくから続き話して」
にっこり笑って促すキィロはさながら保育士のようだ。ナットと双子ということは、少なくともタリアより年上な筈だが、そういう貫禄は微尽もない。
「源泉にはあたし、何にもしてない・・ただ、皆が朝から騒いでたからナットに変装してココに近付いたりはしたけど」
「じゃあ、やっぱり源泉に何かあったんですね」
答えは意外なところからもたらされた。
「その問題はもう解決されてるぜ」
ディーマだ。
「え、ってことはやっぱり」
「そんな!あたしやってません」
「あぁ、分かってるよ」
大分下にある頭を撫でながら、ディーマは傷のない右目を細めた。
「原因は、簡単に言えばあの幻獣だ。だからもう温泉は元通りになってるだろう」
「意味が分かんないんですけど」
「幻獣が原因なら、逃がしちゃマズかったんじゃ」
「てめぇ、何を知ってやがる」
撃鉄を起こしながら凄むケイン。
「そう怖い顔しなさんな。ココじゃ皆知ってることだ。源泉まで降りていけばイヤでも分かる。だが・・知らない方がいいことも世の中には多いんだぜ」
ニヤリと笑うディーマにケインは眉を寄せ、歩き出した。
洞窟の奥へと向かって。
「あ、ケイン君ちょっと待ってよー」
「ほら、タリア。ぼーっとしてると置いてかれるで」
「はい!」
ディーマも心配そうに主を見上げるニットに肩を竦め、後をついていった。
答えは確かにそこにあった。
洞窟の最深部。大きな大きな空洞で。
これまた大きな鉄鍋にせっせと薪をくべる、燃えるように真っ赤なモヒカンの老人と。
器用に二本足で立ってポイポイと何かの塊を投げ入れる幻獣。
幻獣が塊を取り出す袋には、大きな文字で『温泉の素』と書かれていた。
5
ぽかんと立ち尽くすキィロ。眼鏡を拭くユーゼ。タリアは紺色の目を大きく見開き。
「火の精霊だな」
一見いつもと変わらない調子で、ケインが呟いた。
声が聞こえたのか老人は手を止めこちらを振り返る。
「おやディーさん、忘れ物かい?」
「いや、色々あってな。こいつらにココのこと教えてやってくれねぇかい」
「いいのかい?町の連中にはヨソ者に喋るなって言われとるんだが」
「それを言ったら俺やニットもそうだろう。ここだけの話って奴だ。それに、この兄さんにはだいたい見当が付いてるだろうからな」
とディーマがケインの肩に手を置く。それを邪険に振り払って。
「気安く触るな。確かに・・仕組みは分かったが」
「え、え、何、どういうこと、え?」
パニックに陥る詰め寄るキィロが腕にすがりついてくるのを嫌そうに見つめ、ケインは溜め息をついた。
「ジイさん、アンタ火の精霊なんだろう。しかもかなり高位の」
「いかにもワシは火の精霊じゃ。高位ってこともないがの」
「この世界で精霊が人型を取れるのは力が強い証じゃないのか」
「その説は間違っとらんが、ここは条件が揃っとるからなぁ」
「穴がここにあるのか」
驚いたようにケインが唸った。
穴というのは精霊界から流子が流れ込んでくる場所だ。場合によっては世界間の行き来ができるとも言われている。
「大災厄の際に繋がったらしいな」
「火の王の御座に近いでのぉ。なかなか過ごしやすいんじゃよ。そこの水のお嬢さんにはキツいかもしれんが」
「確かに、火の流子が溢れ返っとるな。静歌ちゃん、中に潜っとき。ちょっとはマシやろ」
ユーゼが襟元を開いて促すと、蛙はぴょこんと中に入り込んだ。違う属性の粒子に囲まれているというのは、案外気分が悪いらしい。ユーゼの服は精霊契約者向けに作られた特殊な生地で出来ており、幾らか流子を遮断できるのだ。
「ちょっと。ここが穴だろうが火が溢れようがどうでもいいの!何で、源泉で、お湯沸かしてるのかって話でしょ!!」
ヒステリックにキィロが叫ぶ。タリアもそれには頷いた。
「そうですよ。温泉て、確かミネラルを含んだ地下水が熱せられて出来るんじゃないんですか?」
「だから・・」
ケインは額に手を当てて嘆息し、ユーゼは苦笑い。ディーマはキセルをふかし、ニットは口に手を当てておろおろしていた。
老人が快活な笑顔で告げる。
「地下水を熱してミネラルを混ぜとるんじゃ」
ぴしっと、音を立ててキィロは固まった。
「じゃあ、今朝源泉が止まったのは・・」
「それがのぉ。もともとココに棲んどったアイツ、わしゃエン公って呼んどるんじゃが、そいつがここ数日帰ってこんでのぅ」
「ケガして倒れてたから、ですか?」
「倒れてるうちにココから溢れ出す流子で体が膨らんで動けなくなったんだろう」
「普段は頻繁に外に出るから弊害はなかったんだろうがな」
「そうか、そんなことがあったんかい。いつも薪やら温泉の素はエン公に運んでもらっとるんじゃ。それが今朝、ついに底をついてのぉ。湯を沸かすだけなら出来んこともないが、それじゃただの熱湯じゃ。仕方なく湯を止めたんじゃよ」
と老人が指差したのは巨大な蛇口。あれで湯量を調節するのだろう。
「けどその幻獣、さっき走ってった時には何も持ってなかったで」
「いやいや。実はディーさんが持ってきてくれたんじゃよ。で、慌てて今作っとるところじゃ」
「え?出口は一つしかないんじゃ」
そもそもディーマは奥から現れたのだ。首を傾げるタリアに、ディーマはキセルで奥を示した。そこにはぽっかり穴が開いている。
「兄さん方も泊まった屋敷に繋がってるんだよ」
「アソコは本来宿ではないので、ディーマ様に入って頂こうと思って引いたんです・・」
それをまさか復讐のために使うことになるとは、ニットも考えてはいなかったのだが。
「他に何か疑問はあるかい?」
「えーっと・・」
問われてタリアは頭を整理してみた。
昨夜温泉で起きた騒動はナットの双子の妹ニットが起こしたもので、温泉が枯れたのは幻獣がケガをしたからで、源泉は火の精霊と幻獣のお手製で・・。
「あ、町の人が言ってた恐ろしい魔獣がっていうのは?」
「ココに人を近付けないための方便だろう」
ケインが答える。
「そういうことさ。ま、ここ数日は本当に困ってたみたいたがな。ジイさんと連絡が取れないって」
「そうだったんか、わしはここからほとんど出んからなぁ。気付かんかった」
「あと少し遅かったら、エン公が膨らみすぎて洞窟も崩れとったかもしれんで・・」
呆れた声でユーゼ。
「あの、でも何でこんなことに?」
タリアは老人に尋ねた。
「ここに繋がってすぐのことじゃ。腹を空かせて村の火を食っとったエン公と、退治に来た人間に出会ったんじゃ。とりあえず人間を落ち着かせて話を聞くと、貧しい村で貴重な火種まで食う厄介モノだというんじゃな。その人間は何とか村起こしをしたい、そのための目玉が欲しいと嘆いてもおった。で、わしは提案したんじゃ。おっきな風呂を焚いて人を呼んではどうかと。昔人間が喜んで入ってたのを見たことがあってな。火はわしが起こせるし、ここにいればエン公も食いっぱぐれはない。おつかいできるなら人間に厄介がられることもないじゃろう。初めはもっと小さな釜だったが上手くいったようでな。エン公もおるしなかなか楽しい日々じゃよ」
「そう、ですか」
皺くちゃの顔はとても嬉しそうで、誇らしげで、タリアも自然と笑顔になった。
「まぁ、謎も解けたしひとまず帰ろうや。そろそろナッちゃんがお腹空いたて暴れだす頃・・キィちゃん?」
パンと手を鳴らして踵を返そうとしたユーゼが、わなわなと震えるキィロに首を傾げる。
腕を掴んだまま俯いていた彼の顔は見えなくても、尋常でない様子は知れて、ケインは反対の手をオレンジ頭に伸ばしたが。
「ありえなぁーーーいッ!!」
触れる直前キィロが吠えた。天井に向かって絶叫し、ガクリと崩れ落ちる。
「何これ何なのこれ分かるよ理屈は分かるでもでもでもオレは温泉を楽しみにしてたのに地面の下から湧き出る熱湯鼻が曲がりそうな卵の腐った香り温泉の素をお湯に入れたお風呂って普通の風呂じゃんご家庭でお試し下さいって温泉の素土産物屋にあったよそりゃ同じだよねだって元から・・」
キィロの雄叫びは力尽くで黙らされるまで―気絶するまで―続いた。




