墓所で
最近の話。
今年の盆に母と兄と墓参りに行った時、とても静かで良い空気を吸うことができたので、また墓所に行きたくなった。
しかしあまり間隔が近すぎるのも良くないのかもしれないと思い、悩んでいたのだが、不意に休日ができたので行ってみることにした。
一人で墓参りに行くのは初めてだった。その日は曇りで、先日行った時ほど気分転換にはならないかもしれないと思いつつ私は徒歩で霊園に向かった。
午後5時過ぎ、舗装はされているがうねるように続いている丘を何度も登って、温い空気が立ち込める霊園に入った。この中にある花屋で仏花を買って、先祖の眠る墓に向かう。盆を過ぎて1ヶ月以上経つので、他に墓参りに来ているのは2、3人しかいなかった。
無料で貸し出されている桶と柄杓で、墓に水をかけ、まだ少し生気のある花を取り換えた。新しい花は安物だったが、それでも喜んでくれるだろうと思った。本当に勝手な思い込みだが、私の信仰心はそれぐらいだった。
蝋燭二本に火をつけ、線香をあげた。しゃがんで手を合わせて、先祖への挨拶をし、今生きている身内の健康と幸せを願った。
私は後片付けを済ませて帰ることにした。まだ午後6時前だったが、もう暗くなり始めている。夏から秋へ向かう季節の日没の感覚はよく狂うのだ。少し肌寒くもある。
私の家の墓は山の中にある霊園の一番高い所にあったので、下にある無数の墓を一望できた。しかし、この景色も一部でありその反対側にもまだ沢山の墓があった。
私は階段を上がり、給水塔へ向かった。白い、無機質な建物だが、子供の頃からその近くにあるベンチに座るのが好きだった。
私は何をするでもなく、少しずつ冷たくなっていく空気を感じながら石畳を眺めていた。完全に日が落ちてしまったので、そろそろ帰ろうと思い、立ち上がった所で、給水塔の影から誰か覗いていることに気がついた。私は驚いて声を上げそうになるのを必死で抑え、その正体をつかもうとした。
「やぁ、気づかれてしまったね」
明るく、楽しげな声をはっきりと聞いた。影から現れたのは白い長袖のシャツにジーンズをはいた短髪の青年だった。
「いつ出ていこうかと迷っていたんだけど、結局見つかってしまったかー。いや、失敗したな。」
彼の顔に血の気はなく、目の隈もひどい。生きているように見えるが、死人のようにも見える。
「どうしたんだい? そんな珍しい動物を見たような顔をして。僕は天然記念物じゃあないよ」
「すいません、人がいるとは思ってなくて。それじゃあ私はこれで」
疲れているのだと思ったので、私はすぐにその場から離れようとした。
「ちょっと待って。ここで出会ったのも何かの縁だろう? 少し話を聞いてよ。お礼もするからさ」
私は露骨に嫌な顔をしたと思うが、こんな怪しい人間を怒らせると後で何が起きるかわからないと思ったので、素直に彼の言うことを聞くことにした。
私は死人のような顔をした男とベンチに座った。私も似たような顔をしていたかもしれない。
「君に言いたいことってのはね、僕が今日女の子にフラれてしまったということなんだよ。それで寂しくて仕方ないんだ。」
「そうですか」
「ずいぶん冷たい人間だな。本当に血は通っているのかい? もう少しオーバーにリアクションをとってほしいな」
「はぁ」
話を聞いてやっているのに、何故説教をされるのか、腑に落ちない。
「僕はね、彼女のスラッとした足が好きなんだ。この霊園を女王のように我が物顔で闊歩する姿にたまらなく痺れるんだよ」
「何でフラれてしまったんです?」
「そう、そこなんだ。全く心当たりがない。何度もデートを重ねて、てっきり彼女も僕のほうに気があるものと思い込んでいたんだ。今日もデートだったのに、すっぽかされてしまってね」
「愛想尽かされたのかもしれませんね」
「あぁ、信じたくないがそうかもしれない。君は正直なヤツだ。ますます気に入った」
私は吐き気を感じながら黙っていた。彼も俯いて、物思いに耽っているようだった。しかし、突然顔を上げると驚愕し、そしてこちらをみた。
「君、私はまだ天には見放されていなかったようだ。彼女が迎えに来てくれたよ」
私は特に感動もせず、先ほど彼が見ていた方向を見た。
女性の右足だけがそこに立っていた。
その足は走って彼の元に飛び込んだ。彼は愛おしそうにその足を抱き締めると、
「そうなのかい……?」
「馬鹿だなぁ……」
「ごめんね……」
などと呟いている。
そして私の方を向くと、
「いや、失礼したね。彼女実は今朝僕が他の足と仲良くしているのを見ていたそうで、嫉妬してたみたいなんだよ。でもその足は僕の妹でね。仲良くするのも当然じゃないか」
彼はそう言って笑った。
「君には迷惑をかけたね。さっきも言った通り後日お礼をさせてもらうよ。今日はこれからデートだから。ごきげんよう」
右足を抱いた彼は上機嫌で立ち去った。私はそこでしばらく呆然としていたが、さっさと家に帰って忘れることにした。しかし、毎年盆にはここを訪れなければならないことに気がつき、頭を抱えてしまった。