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私的今昔奇談  作者: 神谷カラス
2/15

うらやましい

 三年前の話。


 小学生の時から付き合いのある幼馴染から手紙が来ていた。当時私は仕事で忙しく、疲れていた。メールなりなんなり、もっと簡単に要件を伝える手段があるはずなのに、このご時世手紙をよこしてくるなど絶対に厄介事に決まっている。私はそれを読まずに机の引き出しにしまっておいた。


 彼は昔から引っ込み思案、内向的な人間だった。しかし、全く友達がいない訳でもなく、ごく普通の学生生活を送っていたと思う。むしろ私の方が彼に付き合ってもらっていたのかもしれない。理科系の科目は苦手だったようだが、それ以外の科目は優秀で、地元の国公立大学に入学するなど、羨望の眼差しで彼を見る事が何度かあった。


 彼とは何度遊んだのだろう。二人で食事をしたり、買い物へ行ったり、ゲームをしたり、映画を見に行ったりした。振り返ってみるとやっている事は今も昔も全く変わらない。他の人は知らないが、私と彼との交流はこれで十分だった。


 八年前、居酒屋で飲んでいる時、彼が小説家になりたいと言ってきた。突然だったものの、彼が昔から小説を中心に、エンターテイメント系の仕事に興味を持っていた事を知っていたので、驚きはなかった。むしろ応援したいと思った。その時の彼の恥ずかしそうな笑顔は妙に記憶に残っている。テーブルに顔が付きそうなぐらいの猫背で、ぼさぼさの髪の毛を掻きながらはにかんでいた。


 「どんな小説を書くの? アクションとか、サスペンスとか好きだったよな」

 「うん、まぁ、それも好きなんだけどね。恋愛ものを書きたいんだ」


 私は驚いた。私たちの間で恋愛に関する話題など一度も出た事がなかったからだ。彼がその手の話題は苦手だろうと思っていたのであえて私から出したことはなかった。


 「恋愛もの。意外だな。内容聞いてもいい?」

 「まだ詳しく決めているわけじゃないんだけどね。ずっと好きだった女の子がいたんだけど……」

 「そうだったんだ。全然気が付かなかった」

 「うん、多分気が付かなかったと思うよ。片思いについて書こうと思って」

 「へぇ、楽しみだな」


 楽しみというのは本心だった。恋愛と無縁の様に見えた彼の片想いの相手とはどのような人だろう?


 「その女の子ってどんな子? 俺も知ってるかな」

 「知らないよ。でも、これ以上は話したくないんだ」

 「そう」


 私もこれ以上聞かなかった。大人しい割には頑固なところがある事を知っていたからだ。

 

 彼は就職をせず、実家暮らしでアルバイトを続けながら小説を書いていた。その方がいいのだと言っていた。

 私が実家から引っ越した後、中々会えなくなり、時々メールをやり取りするだけになった。彼は元々優秀だったし、人付き合いも苦手でない人間だったから、特別彼の事を心配するような事はなかった。彼なら自力でなんとかするだろう、と思っていた。


 手紙が来てから一週間後、彼の母親から電話があった。その瞬間まで、彼から手紙が来ていた事を忘れていた。

 彼は一週間以上家に帰ってきていないらしい。何度も声を詰まらせている彼の母親の声を聞くと私の胸は痛んだ。警察にはもう行ったのだが、何の手がかりも見つけられていないらしく、何か知っている事があれば教えてほしい、と言ってから彼女は電話を切った。


 私は椅子の背もたれに体重を預け、あの引き出しをじっと見つめていた。意を決して引き出しを開け、何の変哲もない無地の便箋を取り出す。よく見ると切手が付いていない。彼自らこの家のポストに入れたに違いない。私は震える手で封を切った。


 『誰にも言わないつもりだったけど、一番世話になった君には一言言っておきたかったんだ。今までありがとう。俺はやっと彼女の元へ行くことができるんだ。これは小学生の時からの願いだったから、もう曲げる事は出来ないんだ。君に以前話した女の子が突然家を訪ねてきてくれて、一緒に行こうと言ってくれた。母さんの事は気になるし、申し訳ないと思ったけど、どうしても彼女の所へ行きたくなったんだ。この手紙は誰にも、母さんにも見せないでほしい。余計に悲しませることになるかもしれないし、君に迷惑をかけることになると思うから。僕は今までも幸せだったし、これからも幸せだと思うから、どうか心配しないでほしい。本当にありがとう』


 私はソファに横になり目を瞑った。その手紙の支離滅裂で、自分勝手な内容に腹が立ったが、一つ深呼吸をすると少し落ち着いてきた。この手紙が本当なら彼はもう彼岸に行ってしまっている。私が何をしても手遅れな所まで行ってしまっているだろう。そして、幸せに過ごしているに違いない。こちら側にいる人間が何を言っても崩されることのない堅牢な場所で。

 彼は自分にとっての幸福がどういうモノなのかきちんと理解し、チャンスが訪れると、すぐにそれを掴みとり、消えてしまった。

 私はまた彼の事をうらやましいと思った。

 

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