結婚式の写真
一年前の話。
去年、中学の同級生から連絡があり、食事をすることになった。
私の家の近くで徒歩十分もかからない。夜の空気が張り詰めるほど冷えて、全身の筋肉が硬直し、震えていた。
その店に着くと彼がいた。一番奥の席、小さく手を振る彼は笑顔だった。大柄の彼は遠くからでもよく目立っている。
刺身が美味いということで盛合わせと適当につまみを頼んだ。彼がビールを頼んだので私もそれに続く。
中学の時の話で盛り上がった。彼はクラスの中心というわけではなかったが、明るくみんなから慕われているように見えた。成績も良く、部活動の野球では活躍をしていたらしい。
「俺、結婚するんだ。来年」
「そうなのか。おめでとう」
「うん。ありがとう」
酔いが回ってきたのか、彼は細面を赤くしている。呂律も若干怪しい。
「実はさ‥‥‥、お前に少し話を聞いてほしいんだ」
「いいよ。こんな機会そんなに無いし」
実際、彼と二人で飲むのはかなり久しぶりだった。中学、高校と共通の友人と一緒に遊んだりして、大学時代、時々飯を食べた。彼は明るいイメージを持たれることが多いが、実際は物静かで口数も少ない。私といる時もそれほど多くの話をするわけではない。私はその方が落ち着くので、彼との食事はいつも楽しかった。社会人になって、彼が九州の方へ行ってから疎遠になっていた。だから食事の席は七、八年ぶりぐらいだ。
「こんな話、あんまりするべきじゃなのかもしれないけど、誰かに話しておきたくて」
私は少し警戒した。一体何が飛び出してくるのか。
「俺、結婚するのが怖くて‥‥‥。いや、彼女のことはとても愛してるんだけど‥‥‥、どうしても不安になるんだ」
予想していたような話ではなかったので私は安堵した。しかし、未婚の自分ではとても力になれないと思った。
「聞いた話だと、それが普通らしいよ。人生の重大な問題なんだから、それが当たり前なんじゃないかな」
当たり障りのないことしか言えない。
「いや、俺もそう思うんだ。だけど、怖い」
「うん」
「俺、両親の仲がそれほど良くなくて、正直、幸せな家庭ってどんなものかわからないんだ。だから、彼女を幸せにできる自信がない」
「俺もわからないよ、そんなの」
「だから、お前に話しておきたかったんだ。俺、親の幽霊が見えるんだ」
「幽霊か」
彼は私の目をしっかりと見据えて言った。私は目を少し細めて、彼の表情を注視した。別に冗談というわけではなさそうだ。彼の両親は彼が九州へ行ってからすぐに事故で亡くなったと聞いている。今更事故のことを聞きたくはなかったので、何も尋ねなかった。
「夜、枕元に両親が現れるんだ、毎晩代わる代わるに。死んでからも仲が悪いみたいでさ。笑っちゃうんだけどな。すごく冷たい目で見るんだ、俺のことを。ちゃんと葬式もやって、年に二回の墓参りだって欠かしたことないのにさ。何だってんだよ、まったく」
彼は下を向いて呟いた。怒りよりも悲しみが勝っているようだった。
「彼女との婚約が決まってから出てくるようになったんだ。多分、俺の結婚を邪魔したいんだ」
彼は力なく言った。両親が邪魔をしようしていると、彼は思い込もうとしているようにも見えた。
「幽霊には何もできないよ。せいぜい枕元に立つことぐらいだ」
私はなるべく軽い調子で言った。
「わかってる。あれは多分俺の夢なんだ。結婚が怖い、相手の人生を背負うのが怖いから、逃げる言い訳のために俺の脳みそがでっち上げた幻だ。全部、わかってるんだ」
彼は顔を伏せて、その大きな体を震わせた。泣いているわけではなく、自分の弱さに戦慄しているようだった。
「繊細な人間は皆お前と同じなんじゃないかな。だからあんまり自分を責めるなよ」
根本的な解決策など私にはわからなかった。ただ、優しく、自分が優しいと思う態度で彼に接するほかなかった。
それっきり、彼は自分の話を切り上げて、私のことを聞きたがった。つまらない話をしながら二時間が過ぎた。
「そろそろ帰るか」
「あぁ」
店を出て、彼を駅まで送っていった。今日はホテルに泊まって、明日九州へ戻るらしい。
「今日は話せてよかったよ、少し楽になった」
「俺も楽しかったよ。また」
「また」
彼の大きな背中は、飲みすぎたためかゆったりと揺れていた。私は彼が階段を降りていく姿を見てから家に帰った。
先日、彼から手紙が来た。手紙に結婚式の写真が一枚添えてある。
その手紙には、身内だけの結婚式だったので呼ぶことができなくて申し訳ない、また別の機会に彼女を紹介したい旨と、彼女を幸せにする覚悟が決まったという決意表明が書いてあった。
写真を見ると、はにかんでいる彼と幸せそうに笑っている女性が写っていた。小さく華奢だが活発そうで、私には二人がお似合いにしか見えない。
彼女の横にはその両親と思しき人が、やはり笑顔で立っている。とても幸せそうだ。
私は彼の横に立っている男女を見る。彼は冷たい目と言っていたが、私には息子の門出に二人とも瞳を潤ませているように見えた。