いつの間にか
二十年ほどの前の話。
当時中学生だった私は、夏休みが終わって間もない時、野外学習でN県のキャンプ場へ行った。
あまり学校行事に積極的でない私も、いつもと違った環境で仲の良い友人達と共に過ごせるからか、この野外学習を楽しみにしていた。
子供の頃の話しなので詳しく何をしていたかを思い出すことはできない。何かしらのレクリエーションをして、夕食を作って、キャンプファイヤーをして、肝試しのような事をしたような記憶はある。友達と何かをするというのは、内容はともかく何をしても無条件に面白い時期だった。
九月の夜は涼しかった。山の、それも川の近くともなるとやはり普段住んでいる平地とは全く別の空気を纏っていたのだと思う。
木で組み上げられた小さく簡単なバンガローに、私を含め六人の中学生が布団を並べていた。小屋の中にはロフトがあり、ロフトの上に三人、下に三人が横になっている。私たちは比較的真面目なグループだったので、きちんと消灯時間を守り、大人しく床に就いていたのだ。しかし、それでも外に聞こえないぐらいの声でひそひそと話をしては声を殺しながら笑い、いつもと違った夜を楽しんでいた。
しばらくするとその小さな会話も徐々に少なくなり、皆の心の中にそろそろ眠ろうか、という空気が流れ始めた。私は環境が変わると眠れない性質で、今現在も自宅以外だとほとんど眠れず、他に泊まっている人には悪いが、ごそごそと動きだし、お菓子をつまみながら普段見ないようなテレビをぼんやりと見ているような男なのだ。その夜も眠ることができず、暗くてよく見えない木の壁を眺めながら、何も聞こえないはずの野外の音を聞こうとしていた。私はロフトの下、窓に一番近い位置で横になっていた。
「ねぇ、好きな女の子っている?」
突然声を掛けられ私は面を食らったが、何のことはない、隣で眠っていると思っていたA君が話し掛けてきただけだった。
「いないよ、別に」
私は寝返りを打ち、A君がいるはずの方を向いた。
そして、できるだけ面倒くさい話題はやめろ、という感じを出しながら答えたのだ。好きな女の子もいたし、恋愛に興味もあったが、やり方も分からず、その曖昧な概念をどのように理解していいか分からなかったのだ。
私はA君がこの様な話題を出してくるとは夢にも思っていなかった。彼は短く髪を刈り上げたスポーツマンで、真剣に野球に打ち込む、恋愛には全く興味の無い人間だと思っていたからである。いつもと違う雰囲気にのまれ、彼らしくない質問をしたのだと思う。暗がりで影が少し揺れた。
「嘘だ」
「そんなことないって」
「嘘だ」
「A君はどうなの?」
「俺の事はいいって」
「A君が教えてくれたら言うよ」
私は当時本当に面倒くさかったのだと思う。投げやりに答えていた。
「俺が好きなのはBさんだ。ほら、言ったよ」
「何でBさんなの」
「それは言わない。早く言えよ」
あまりにも簡単に答えたので、A君が本当にBさんの事が好きなのかどうか分からなかった。確かにBさんは美人で、性格も真面目だったし、A君が好きになるのも不思議では無いな、と思った。
「俺はCさんが好きなんだ」
私は正直に答えた。私と同様にA君にもこの真偽は分からないと思ったのだ。
Cさんは髪がショートカットで、日に焼け浅黒い活発な女の子だった。今頭にイメージできる姿は当時のCさんとは全く別だと思うが、多分可愛いと思っていたのだ。可愛い以上の理由があったかどうかは自分でも分からない。
A君からの返事はなかった。それほど大きい声ではないが、聞き取れないほど小さい声ではなかったはずだ。私はA君の名前を呼ぼうとした。
「裏切り者」
後ろを振り向き、窓を見た。しかし、小屋の中と外の暗さに違いはなく、微かな気配も感じる事は出来ない。
A君は相変わらず何も言わなかった。
私は布団の中に入り込み、心臓の音だけを聞くようにした。
この野外学習へ行ったメンバーそれぞれと、年に一回は会って話をする。もちろんそこにはA君も含まれているが、彼らにこの話を聞かせた事もないし、これからも聞かせるつもりはない。その当時は私も怖かったのだが、もう昔の話なのだ。あの言葉はA君が言ったのか、それとも他の四人が言ったのか、それ以外の存在の言葉なのか、どうでもよくなっている。
私が彼らにこの話をしないのは誰が私の事を『裏切り者』と呼んだのか分からないからではない。私がいつの間にか誰かを裏切ってしまったという澱が、二十年たった今でも心に残っているからである。