旅立ちの前の災難
「冗談じゃないわよ!!」
最初におこった感情は悲しみじゃなく怒りだった。
「……シャレになんねぇ」
なるわけないでしょ、と女は呆然と立っている男を睨みつけた。
冗談じゃない。シャレにもならない。
まだ冒険は始まっていない。始まりの一歩を踏み出そうとしていたばかりだったのだ。
その理由は冒険の要ともいえるファイター勇者の死。――これがモンスターにやられたのならまだ納得できる。でも……
「自分で底無し沼にはまるなんて!!」
信じられない。なんのしかけもない、ただそこにあるだけの底無し沼。それに自分からはまったのだ。本当に初歩の初歩的なミス……。
「ここで、あいつ勇者は長い年月をかけて朽ちていくのか。かわいそうに」
あくびをしながら男は言った。同情のかけらもない言い方で。
まだ共に戦っていない『仲間』。その『仲間』に悲しみも同情も存在しない。
悲鳴が聞こえ降り返った時には、勇者は右手しか見えてなく、助けようとした時にはもう右手も見えなくなっていた。
「あれで、経験値は高かったのよね」
「ああ。色白で女みたいに細く、美貌で勇者とはほど遠いイメージだったけどな」
口の悪い言い方だが、事実その通りだった。その外見とは裏腹に腕はかなりたったようだ。幻の魔物を倒したtか、一撃で十人の敵を倒したとか(どこまで本当かわからないが)世間の評価はかなり高かった。
「一度戦っている所、みたかったな。あの邪気のなさそうな顔がどれくらい変わるのか」
「……悪趣味ね」
女がそう言うと、男はふんと鼻をならした。
(こんな奴と二人で冒険……?)
女は思う。
限りなく続く不安の中、冒険は始まろうとしていた。
「なりゆきのパーティーだとはいえ、自己紹介もまだだったとはな」
日が暮れ、森の中で野宿をすることになり……。まだお互い職種しか知らないことに気付いたのだ。
「俺はワン・オウプル。盗賊だ」
「私はウィン。精霊使い」
「ウィン・何? 年は?」
「ウィンはウィンよ。年は24」
「俺より2つ年上かよ!!」
ワンは驚いた。盗賊は人の心理を見抜くことを得意とする。ワンの目からみて、ウィンは24とは思えなかった。確かにそれなりのバディ体をもっている。でもどこか、どこかアンバランスさを感じたのだった。
「――にしても、あんた本当に精霊使い?」
ウィンにはらしさがなかった。誰もがもっている精霊使いのイメージとずいぶんかけ離れていた。強い瞳。漆黒の黒髪。きつそうな口元……。これで、精霊使いと信じるほうがどうかしている。
「魔法使いの間違いじゃないのか?」
「正真正銘の精霊使いよ。魔法なんて一つも使えないわ。精霊をあやつる精霊使いよ」
ほらね、といいそれと同時に森の木々が激しく揺れた。
「――で、これからどうする?」
「地図、みせろよ。目的地の場所頭にいれとかねぇと」
「地図?」
「そう。商人の店で買っただろ?」
そこが2人、いや3人の出会いの場だった。
「アンド、新しい地図が入ったんだって?」
ウィンが商人アンドと話していると、一人の男が入ってきた。
「さすがは盗賊。情報が速いねぇ」
愉快そうにアンドは笑った。
「笑っていないで早く売ってくれよ!」
息急ききってその男は言った。
「何、何の地図?」
ウィンは訊ねた。
「古城にある秘宝、いにしえの砂の在処を示す地図だよ」
声を潜めアンドは言った。途端に、ウィンの目ががらっと変わりわめいた。
「どうしてそれを私に言わないのよ?! 私が買うわ。この男より高い値段で買うから、売ってちょうだい!!」
「お、おちついて…」
興奮しているウィンをアンドはなだめた。
「俺が買うんだ。この俺が盗まず買うて言っているんだぜ? 俺に売ってくれるよな?」
「何言ってるのよ! 私が買うのよ!!」
「俺だ!」
「私よ」
言い争いが始まったとき、
「あの~」
と、一人の男が入ってきた。
「いにしえの砂の地図、欲しいんですけど……」と。
ウィンと言い争っていた男は一瞬顔を見合わせ、入ってきた男に
「俺が買うんだ!」
「私が買うの!」
と、声をそろえて言った。
「まあまあ落ち着いて。こうしようじゃないか。あなたたち3人は私のお得意様だ。この中から一人を選ぶなんて私にはできない。でも、3人でパーティーを組めば問題ないだろう? この地図はまわりまわっているが、いにしえの砂に辿りついた者は一人もいない。いわば幻だ。だからいくら一人一人腕がたつとはいえ、一人じゃあまずクリアできないだろう。勇者、盗賊、精霊使い、この3人が力を合わせれば簡単にクリアできるかもしれないよ」
「アンド、私は今まで一人でやってきたのよ? クリアできないわけがないわ!!」
ウィンは叫んだ。
「誰にでも不可能はあるものですよ。僕はパーティーに組むことに賛成ですよ」
一番後からやってきた男はにこにことそう言った。
ウィンはぎゅっとくちびるを噛む。
わかっている。できないことの方が多いということは。今までもくじけそうになったことが何度かあるのだから。
でも……。
(意地をはっている場合じゃないのよ。いにしえの砂を手にいれなくては……)
「――わかったわ。パーティーに賛成する」
しっかりとした口調でウィンは言った。
「じゃあ決定だね。僕はエクス。よろしく」
にこにこと男は言った。
「あんたが、あの……」
有名な勇者? と言おうとしたが、ウィンは言葉が続かなかった。それはもう一人の男も同じらしい。
「ドジなところをぬかせば腕はかなりいいよ」
驚いているウィンへフォローなのだろうか、アンドが言った。
「俺はまだ何も言ってないぜ?」
腕を組み、盗賊が言う。
「2対1じゃ、2の方に売るに決まってるでしょ?」
勝ち誇ったようにウィンが言うと、
「誰が入らないって言った? 入るぜ、パーティーに。その代わりいにしえの砂もちゃんと3等分にわけるぜ? あと、アンド!――安くしろよ」
荒々しく言うと、地図を引ったくり、隅から隅まで見始めたのだった。
こうしてなりゆきのパーティーができたのだった。
「……ワンが持っているんじゃあないの? 私持ってないわ」
「俺だって。……あっ、あいつに持たせたんだ!!」
「じゃあ、底無し沼の中ってこと?!」
「……どうする? 諦めるか?」
戻るにも辺りはもう暗い。それに遠い。
「諦めるわけないでしょ! 私はこのまま進むわ!」
「俺も同感だね。このまま帰るなんてシャクだしな」
でも、とワンは言葉を続けた。
「いにしえの砂に、なんでそこまでこだわるんだ?」
アンド商人の店で会ったときからの疑問だ。いにしえの砂、と聞いたときから目の色が変わった。もし、アンドが3人の中で一番高いお金をだした人に売る、と言ったら全財産迷わずだしたことだろう。
「前々から探していたものが、目の前にあったら誰だって欲しがるでしょ? そういうわけよ。ワンは?」
かわされたと思ったが、これ以上訊けなかった。
「俺は金儲け、っていうのは半分冗談で、いにしえの砂の周りにあるといわれている財宝目当て。あー結局金目当てか」
「……そっか」
なんとなく2人とも黙りこんでしまった。たき火のパチパチっという音が暗闇に響く。
正直いって、これほど心細い冒険は初めてだ。一人で行動していたときでも、地図や確かな情報がたくさんあった。
今回は2人だ。でも、地図もない。確かな情報も少ない、そして相手の素性が本当に信頼できるのか(いくらアンドの紹介とはいえ)、腕がどのくらいたつのか、全くといっていいほどわかっていない。いわば、「敵と一緒に行動する」という感じだろう。
この森の静けさも気になる。魔物の気配がない。しいんと静まりかえっていて、不気味だ。
「ねぇ、地図覚えてる?」
「……覚えているわけねぇだろ」
「! あれだけ最初にしっかり見ていて覚えていないの!?」
ウィンが激怒した。それにつられてか、草木がざわめく。
「……どのへんにしかけがありそうか見ていただけだ」
「役たたず!!」
「役たたずって……おまえなぁ…」
これまでに、何度かパーティーを組んだことはあるが、こんなことを言われたのは初めてだ。仲間の失敗はパーティーの失敗。これが常識なのに…。
ため息ひとつつき、ワンはいった。
「まあ、ある程度は覚えているさ。それにウィン。おまえ精霊使いだろう? 草や木に訊いて、この森の抜け道を教えてもらえばいいじゃないか」
「できない」
短く彼女は言った。
「何で?」
「わからない? できないの」
「どうして?」
「ああ、先に言っておくけど、治癒もできないから」
無表情にウィンは言う。
「どうして? やり方知らないわけじゃないんだろ?」
「知ってるけど、私がやると傷は悪化するわ」
役立たずとは言えなかった。無表情さがどんな言葉も拒絶していた。
「――ま、なんとかなるさね。明日考えよう。俺は火の番してるから、寝ろよ」
「何もできないと思ってバカにしてるの!? それとも女だから?!」
ひゅっと音がし、ワンの頬を何かがかすった。血がじわっと滲み出てくる。
かまいたちだ。
「……ごめんなさい。感情的になりすぎたわ」
「別に。たいしたことねぇよ。ただちょっと驚いたけどな。いろんな意味で」
少々皮肉に聞こえたのか、ウィンは黙り込んだ。
――アンド、本当にこいつは腕がたつのか?
ワンは恨みがましく空を見上げた。