倉敷花筵に寄せて 第3話
明日香は自宅の西側にある機織りをしている工場に走って行った。
うちの家は三方向を工場に囲まれている。東がおじいちゃんがいた鉄工所、北には本家の人たちがいた作業所があり、その隣に花ゴザの仕上げをするレジン加工の機械小屋がある。
そして西側にはイ草を置いておく倉庫と、織機に掛ける前にイ草の束を整える場所がある。
その倉庫の東隣にゴザ織り機がある工場があって、そこでうちのお父さんと圭介のお母さんがゴザ織りをしている。ちなみに圭介の家はその工場のすぐ隣だ。うちの家からは小さな川を挟んで南側に位置している。
ご近所、一族が揃っての小さな会社だ。
小川の石橋を渡って工場の中を覗き込むと、イ草の束を機械のサナに乗せているお父さんが見えた。
「お父さん! 今日の晩、遠野駅まで連れてって!」
ガシャガシャという機織りの音に負けないように叫ぶと、お父さんが戸口まで出てきてくれた。
「あぁ?! 祭りか? 明日香は自転車で行くんじゃないのか?」
「それが浴衣で行くことになっちゃって。」
「ふーん、わかった。」
お父さんはそう答えながら小川に設置している長四角の水桶に、イ草の束をつけて水を含ませる。
充分水を含んだ束をヨイショと持ち上げて、川の側の壁に打ち付けてある大きな釘に引っかけて水切りをしていく。
ザーザーと水音をさせながら余分な水がまた川へ帰っていった。
工場では、一人で四台の織り機の面倒を見ているので、ここには八台の織り機がある。
お父さんがこうやって外の作業をしている時は、圭介のお母さんが八台の織機を見ている。
その圭介んちのおばちゃんが、明日香が言い出したことを察して、工場の奥から大声で叫んできた。
「帰りは私が迎えに行くから、飲めるよっ!!」
その声を聞いて、お父さんが苦笑いをしていた。
うちのお父さんは、お酒が好きなので夕食の時には毎晩、晩酌をしている。今日はお祭りの日なので、刺し身で冷たいビールをキュっと一杯いきたいのだろう。
「おばちゃん! じゃあ、帰りはお願いします!」
明日香はもう一度、工場の中に声をかけた。
おばちゃんは色のついたイ草を揃えながら、首だけを振ってくれた。
作業を続けているお父さんと話していると、隣の倉庫からガシャンガシャンという違った機織りの音がしてきた。
どうもおじいちゃんが織り機の改良をしているようだ。
「四重織りって、できそう?」
「おやじさんのことだから出来るだろ。改良するためにドビー式の谷式織機をもう二台買ったから。」
「端の糸の始末はどうするの? 『ハナくくり』が難しそうだね。」
明日香はよくハナくくりの手伝いをする。これはマフラーの房のように、花ゴザの端に垂れ下がっている糸を結ぶ作業だ。
「四重織りは厚みがあるから、畳表の縁みたいに布でくるむんじゃないかな? 新発明のゴザだから、お父さんもよくはわからんが…。」
「ふーん、おじいちゃんってすごいね。」
「ああ、去年の『瀬戸染め』でも岡山県中の職人の度肝を抜いたからな。あの淡い色を出すのは誰も成功したことがない。たいした人だよ。」
明日香はおじいちゃんにイ草を脱色する秘密を聞いたことがある。
少し離れた田んぼの真ん中にある染め場は、いろんな匂いがしていた。羊毛を染める染料。そして秘密の脱色剤の匂い。
明日香の胸の中に、小さな野心が宿ったのはこの時かもしれない。
その夜、明日香と友香と圭介の三人は満員の電車に乗って倉敷に行った。
明日香の浴衣姿を見た時の圭介の嬉しそうな顔が、少し照れくさかったけど心地よかった。
三人で駅を出ると、駅前の大通りにはもうたくさんの千代楽が出ているのが見えた。太鼓や歌が賑やかに聞こえてくる。
♪よぉ~それなぁ~あ、やっとこせ! やぁほれえぇよぉ~♬
「それっ!」
ドドンドドンドドン、ドドンドドンドドン
「「「「ワッショイワッショイワッショイ!!!!」」」」
大きな千代楽のお神輿が大勢の男たちに支えられて、やっとのことで三回、宙に浮かぶ。
「うわっ、重たそうだなっ。」
後から聞こえた低い声に振り返ると、遠山先輩が圭介の隣に立っていた。
「「こんばんは。」」
明日香と友香が挨拶をすると、遠山先輩は背筋を伸ばして立って、きっちりとお辞儀をしてくれた。
「今日は突然お邪魔してすみません。僕は東京から転校して来たので、こういう地元のお祭りに一緒にこれて嬉しいですっ。」
・・・遠山先輩、だいぶ緊張してるみたい。
「先輩、硬いっす。」
圭介が遠山先輩にツッコミを入れるが、友香はすぐにフォローに入る。
「そうなんですか。それじゃあ『素隠居さん』も知らないんですね。あそこの大きなお面をかぶってるおじいさんとおばあさんがいるでしょ。」
「ああ、団扇を持ってる?」
「そうです。あれが『すいんきょ』なんです。ここらでは天領祭って言うより『すいんきょまつり』っていう人の方が多いかも。側に行って見てみます?」
友香が遠山先輩を誘って歩き出したので、明日香は圭介と一緒に二人の後を追いかける。
「おい、これって俺たちが間に入らなくても上手くいきそうじゃん。」
「圭介~。友香は気を使ってるのっ。もう、久しぶりに友香とゆっくり話をしたかったのにな。」
「家でしゃべればいいだろ。すぐ近くなんだし。」
「それはそうだけど…。」
でも学校が違うと行事の日にちや振り替え休日が合わないので、会うタイミングが難しい。友香もブラスバンドをやってるから練習時間もあるしね。
明日香たちがゆっくり歩いていると、友香と遠山先輩の姿が見えなくなった。
その時、明日香の携帯にメールが入った音がした。開いてみると、友香からのメールだった。
『今日は思い切って、カップルで行動してみようよ。明日香、頑張って!』
それを読んだ途端に、明日香は慌てて携帯を隠した。
「友ちゃんは何だって?」
明日香の様子を見ていた圭介が不思議そうにこっちを見る。
「ん。二人で行動するみたい。…どうする?帰る?」
「何言ってんだ。来たばかりじゃないか。じゃあ俺たちは俺たちで楽しみますか。あそこのヨーヨーすくいをやろうっ。」
圭介に促されて、明日香は久しぶりにヨーヨーを釣った。
ヨーヨーの赤色の風船が夜店の光を浴びて、パンパンに膨らんでいた。