御陣乗太鼓~上杉謙信を退けた漁民の意地~ 著者:響 恭也
地域 石川県輪島市名舟町
まえがき 地元の伝統芸能として真っ先に思い浮かんだので書いてみました。奥能登という土地に興味を持っていただければ幸いです。
文化財 御陣乗太鼓
輪島市名舟町に伝わる御陣乗太鼓。毎年7月31日と8月1日に行われる名舟大祭にて奉納される。石川県指定無形文化財、輪島市指定無形文化財に指定されている。
その由来は天正四年(1576年)にまでさかのぼる。
七尾城を攻略し、能登畠山氏を滅亡させた上杉謙信は奥能登の平定を試み、翌、天正五年には能登北端にある三崎の地に軍を率いて上陸した。
「霜は軍営に満ちて 秋気清し 越山を併せたり 能州の景」と吟ずるほどに堅城七尾城を抜いた謙信の意気は上がり、配下の将士の士気も高かった。
海岸沿いに西進し、北回り船の寄港地であった宅田(現在の輪島市)を制圧すべく軍を進める。
当時の越後兵は兵農分離がなされておらず、軍の中心は農民兵であった。彼らは税の一部として軍役を負う。彼らには一定の兵糧の支給などはあるが、主な報酬は乱取り、すなわち略奪であった。
彼らの進路にある村や集落はことごとく焼き払われ、略奪の憂き目にあう。海沿いには城砦がなく、上杉軍をさえぎる者はいなかった。そしてついに上杉軍は名舟村の手前まで迫っていたのである。
噂を聞き及んだ村人は話し合いを始める。
「長老、どうすべえ……」
「上杉の奴らはここまでにいくつも村を焼き払いよった。ここも同じになるぞ」
「うむ。じゃがの……ここで戦える男手をどうかき集めても100ほどじゃ」
「あっちを見ろ! あれは南志見の方じゃ!」
一人が上げた叫びに村人の間に緊張が走る。指さす東の方に上がった黒煙は隣の南志見の集落が焼き討ちされていることを示していた。有志を募って逃げ伸びてきた村民を何とか収容する。
彼らの口から語られたのは上杉軍の暴虐であった。若い男女はまとめて奴婢に落とされ後についてきている人買いの商人がまとめて売り飛ばされる。老人は殺され種もみすら奪われた。
その晩の話し合いはより深刻さを増していた。そして村はずれの古老がある提案をする。
「夜討ちをかけるべ」
「じゃが、相手は軍神とか言われとる恐ろしい奴じゃ」
「ただ待っておったら同じじゃ。こんな手はどうかの?」
木の皮で面を作りや海藻を拾い集め髪として化け物の仮装をする。まさかこれまで無抵抗であった漁民ごときが襲撃してくるとは上杉軍は夢にも思わず、さらに異様な姿をした漁民たちに恐れをなした。
この時漁民たちを鼓舞し、上杉軍を恐慌に陥れたのは打ち鳴らされた太鼓であった。まともな刀槍も持たず、鍬や鎌で武装した漁民が、戦国最強の一角である上杉軍に痛撃を加えたのである。村人の歓呼と勝鬨はかの地に響き渡ったという。
のちに村人たちは沖合の舳倉島に祀られる奥津姫神の御神徳によるものとし、毎年奥津姫神社の大祭に仮面をつけて太鼓を打ち鳴らしながら神輿渡御の先駆をつとめ、氏神への感謝を捧げる習わしとなって現在に至っている。
奥能登では夏の祭りにすべての活力を注ぎ込む気風がある。というか祭りのために1年を生きているとすらいえるかもしれない。
現在わずか70戸ほどの名舟町でもその例にもれず、例年、大祭は盛大に行われる。それこそ日本各地からこのためだけに帰省してくる。それほど祭りとは住民にとっての晴れの舞台であり、最大の楽しみと言えるのだ。
さりとて文化財として認定はされているが、現実として補助金の類はほぼない。このままでは地域が先細りになるとの危機感から御陣乗太鼓保存会が発足し、文化の保存と地域の活性化を目指している。
太鼓のリズムは最初はゆっくりと、徐々に早く、そして最後は一気に打ち切る。序・破・急を何度も繰り返し、さらに面をつけ被り物をした打ち手がミエを切る。当時の村人たちの悲壮な決意があらわされたような異様な雰囲気と相まって独特な迫力があり、人々の心を打つものとなっているのではないか。そう思うのだ。
▼あとがき
奥能登という地域は全国でも過疎化の進行が速い場所で、さらに少子高齢化という言葉を体現したらここになるんじゃないかというくらいです。曲がりなりにも故郷なのでこのまま限界集落化してゆくに忍びなく、少しでも興味を持っていただけたらと筆を執りました。
▼著者プロフィール
響 恭也
歴史もの好きが高じて自身も書き始めてしまう。ファンタジー物書きで、どんな作品を書いてもなぜか軍とか戦争とか政治が入る。
最初に書いた「美女たちに迫られている騎士<オレ>は自由がほしい!~どうしてこうなった!?~」がシルバーナイルより電子書籍化。
『もし異世界ファンタジーでコンビニチェーンを経営したら』(KADOKAWA)で書籍出版デビュー。