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MACHIKOI ~君と紡ぐ、この町のストーリー~  作者: MACHIKOIプロジェクト委員会
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真田の本懐 ~真田信繁、九度山を発つ~ 著者:友理 潤

舞台: 和歌山県九度山町

伝統芸能: 官省符祭り・真田紐

◇◇


 時は江戸初期。ところは紀州九度山の山間。


 名主みょうしゅの一人、庄左衛門しょうざえもんは、楽しみにしていた祭りに加わるため道を歩いていた。

 すると道端に座っている小汚い男に目が止まった。そこで、彼の下人である猟師にたずねた。


「あの者は紐を売っているのかい?」


「ええ、単なる貧しい物売りですよ。旦那様は、かの者を見るのは初めてですかい?」


「はい。なにぶん、こっちの道はあまり通らないもので」


「毎日ああして同じ場所に座って、紐を売っているのですよ」


「そうでしたか」


「まぁ、物乞いにこられるよりは、こっちも素通りしやすいってものでございます」


「しかし、今日は祭りの日だっていうのに、御苦労なことです」



 関ヶ原の大一番を制した徳川家康公が、江戸に幕府が開いてから早十年もたつと、人々の心にもだいぶ余裕が生まれたようだ。


 なにせ少し前までは、身なりのよくない牢人を見れば命を取られると思い、背を向けぬように足早に遠ざかっていくのが倣いだったのだから。


 だが今は違う。


 庄左衛門と猟師は何の警戒もせずに、紐売りの横を通り抜けようとした。

 すると、男の方から声をかけてきたのである。

 

「そこの御方。紐はいらんかね? わたしが織った紐は、とても頑丈で牛が引いても切れません」


 彼の着物は泥だらけで、いたるところに穴があいているのが目に入る。

 しかし、顔に浮かべる笑顔と透き通った瞳は、とても貧乏を嘆いているようには見えないから不思議なものだ。


 その笑顔に思わず庄左衛門が立ち止まると、猟師が眉をひそめて、紐売りに声をかけた。

 

「お前さんの紐は旦那様の屋敷でも使われているよ」


「そうでしたか。それはありがとうございます」


「こう言っちゃあ悪りいが、確かにその紐は頑丈で、なかなか切れねえ。だから買い直す必要がねえのさ」


「なるほど……頑丈ゆえに売れなくなってしまうというのは、皮肉なことです」


「すまねえが、他をあたってくれや」


「はい。では、またお願いします」



 男は紐が売れなかったにも関わらず、笑顔のまま二人に頭を下げた。

 庄左衛門と猟師は目を見合わすと、「変わった者だ」と声を合わせてつぶやいて、その場を立ち去っていったのだった――



◇◇



 この日は官省符かんしょうふ祭り。


――人を見るなら官省符祭り。


 と言われるほどの賑わいを見せるのだ。

 

 その祭礼が行われる官省符神社の手前には、慈尊院じそんいんという寺がある。

 女人禁制の高野山にあって、山麓のそこは「女人高野にょにんこうや」の名でも知られる通りに女性にも開かれた場所だ。

 そこでは酒も振る舞われるとあって、老若男女問わず多くの民が続々と集まってきている。

 庄左衛門もまたそんな人々のうちの一人だった。


 ふと紐売りの男が気になって、来た道を振り返る。


 すると紐売りは道行く人々に、気さくに声をかけ続けているのが目に入った。

 

「さて……。どれほど売れるのかのう。今日くらい、祭りを楽しめばよいのに」


 そんな風に怪訝に思いながらも、彼の笑顔と瞳がなぜか胸のうちから離れないでいた。

 それでも慈尊院の門をくぐってしまえば、場の雰囲気にのまれるものだ。

 彼は紐売りのことなどすっかり忘れて、祭りを楽しんだのだった――

 

◇◇


 庄左衛門らが暮らしている一帯は、高野山の寺領だ。

 特にこの辺は、官省符荘かんしょうのふしょうと呼ばれており、四人の名主によって治められていた。

 そのうちの一人が庄左衛門であった。


 身分は農民であるにも関わらず、多くの下人を抱え、豊かな暮らしを送れているのは、彼にそれなりの権力と富があるからと言えよう。


 ただ、豊かな暮らしといっても、酒や女に溺れる堕落した生活を送っていたわけではない。

 下人らとともに農地を耕し、猟師らとともに狩りをし、そして僧から世の中についての教えを乞う……。


 つまり彼は規則正しい生活を送っていたのである。


 それは裏を返せば、『何の変哲もない』と言い表すこともできた。だが彼は自分の生活に違和感を覚えることもなく、当たり前として過ごしてきたのであった。


 そんな彼の生活の日課の一つが、慈尊院参りであった。

 日課と言ったが、ずっと昔から行っていたわけではない。

 実は彼の妻が彼の子を身ごもっているのが知れた昨日から、安産を祈願してお参りを始めたのだ。

 


 祭りの翌日。


 昨日と同じ道を通って、庄左衛門はお参りに向かった。

 すると、同じ場所に例の紐売りが座っていたのだった。

 

「やあ、また会いましたね」


 昨日と同じように、紐売りの方から声をかけてくる。

 庄左衛門は、訝しい顔をして答えた。

 

「あなたはいちいち他人の顔を覚えてらっしゃるのですか?」


「ええ。ここの村の人々は、みな良くしていただけますので、自然と覚えてしまうのです」


「しかし、わたしはお前さんから紐を買ったことはないのだよ」


「ええ、存じ上げております。しかし、屋敷で使ってらっしゃるとうかがいましたので」


「うむ……」


 庄左衛門は、にわかに信じられなかった。

 ちなみに彼は物覚えの悪い方ではない。

 しかし一言、二言だけ会話をかわした者の顔や素性を覚えていられる自信はない。


 ましてや昨日は祭りだったのだ。

 彼だけでなく、多くの人々がこの道を通ってきたのだから、余計にひとりひとりの印象は薄くなるのは当然と言えよう。

 

 だが、紐売りの屈託のない笑顔を見る限り、彼が嘘をついている訳でもなさそうだ。



 この日はこれだけの会話で別れたが、翌日も同じように言葉をかわすと、徐々に彼と話しをするようになっていったのであった――

 

◇◇


 どうやら紐売りの男は、侍だったそうだ。

 聞けば歳は四十を越えているとのこと。名を真田信繁さなだのぶしげ


 庄左衛門は、信繁の父である、真田安房守昌幸さなだあわのかみまさゆきという武士の名を聞いたことはあったが、彼のことはよく知らなかった。


 戦に敗れたのちは、この地に流れ、日々の食いぶちを必死に稼いでいるのだという。

 

「しかし、とても焦っているようには見えません」


「ふふ、こればかりは焦っても仕方ありませんから。ただ、このところは歯も抜け落ち、髪にも白いものが混じるようになってまいりました。老いが早いのも、満足な食事をとれていないからなのかもしれません」

 

 信繁がにんまりと口を開くと、確かにところどころに隙間が見える。

 ふと後ろに束ねた髪に目を移せば、たしかに白髪がまじっていた。

 信繁は暗くなりかけた空気を変えたかったのか、話題をそらした。

 

「庄左衛門殿のところには、間もなくお子が生まれるとうかがいました。元気にお生まれになるようお祈りしております」


「ありがとうございます」

 

 庄左衛門が小さく頭を下げると、信繁の着物の下に視線が吸い込まれる。


 ちらりと覗いた信繁の体は、はっと息を飲むほどに引き締まっており、朝晩かかさずに鍛錬をしているのが容易に分かったのだ。


 そのことを不思議に思った彼は、何気なくたずねた。

 

「ところで真田様は、どこぞに奉公にでようとお考えなのでしょうか?」


「はて……? どうしてかようなことを?」


「いえ、ずいぶんと立派な体つきをしておられますから、いつかは立身を、とお考えなのかと思ったしだいです」


 庄左衛門の言葉に信繁は目を丸くした。

 庄左衛門は、信繁の雰囲気が少しだけ変わったことに、気を損ねてしまったのかと危惧した。


 だがそれも束の間。

 信繁はすぐに元通りの笑みを浮かべて言った。

 

「ふふ、庄左衛門殿は良い目をしておられますな。まるでわが妻のようです。少しでも怪しいと見れば、それはもう鬼のような形相で問い詰めてくるのですから、たまったものではございません。はははっ」


 はぐらかすような彼の物言いに、庄左衛門はほっと胸をなでおろした。


 なぜなら人には、他人に聞かれたくない『秘めたる想い』があるものであり、信繁自らがそこから話題をそらしてくれたからだ。

 そして、『秘めたる想い』は庄左衛門にも、もちろんある。


 だが彼のそれはひどく抽象的なものだった。

 

――いつかは『大きなこと』をしてみたい!


 『大きなこと』とはなんぞや?


 と、問われても、彼自身も何であるか分からないのだから、とても他人に話せるものではない。

 ただ、毎日同じことを繰り返す日々に対する漫然とした不安と不満が、まるで灰色の雨雲のように、彼の心の中に広がっていたのは確かであった。

 

「庄左衛門殿?」


 ふいに信繁から声をかけられると、庄左衛門は、はっと我に返った。

 

「……申し訳ない。少し考え事をしておりました」


 彼は素直にそう告げると、信繁は追求してくることもなく、

 

「そうでしたか。では、今日も気をつけて、いってらっしゃいませ」


 と話を切り上げてきた。

 庄左衛門は小さく頭を下げると、もやもやとしたものを胸に抱えたまま、その場を立ち去ったのだった――

 

◇◇


 人は一度なにかに囚われると、夜も眠れなくなるほどに、思考の深みにはまっていくものだ。

 それは、はた目から見れば、何の不自由もなく平穏な生活を送っている庄左衛門とて例外ではなかった。

 

 否。凪の湖面のように一糸乱れぬ日々を送ってきた彼だからこそ、たった一つの波紋に、ひどく狼狽してしまったのかもしれない。

 

――侍でなくなってしまったのに、なぜ体を鍛えているのだろうか……?


――貧乏であるにも関わらず、なぜあれほど澄んだ瞳でいられるのだろうか……?


 身なりも汚く、栄養も足りていない真田信繁のことが気になって仕方ない。



 苦悶の夜が、静かに過ぎる。



 九月も半ばに差しかかれば、朝晩はめっきりと冷え込むもの。

 鋭い刃のような冷たい空気は、一層彼の頭を研ぎ澄ませていた。

 


 そして……。

 空が白みはじめた頃。


 底知れぬ苦悩は、ようやく彼に一つの答えをもたらしたのだった……。

 

――真田様は、いつか『大きなこと』をしようとしているのではないか。


 一晩費やしたあげく、ここでも極めて抽象的な答えしか導けぬ己の貧しい思考が憎い。

 だが、それしか考えられぬのだから仕方ない。


 そして同時にこう思った。

 

――わたしは、あの男に近付いてはいけない。


 彼には守るべき妻がおり、もうすぐ子も生まれてくる。

 それに彼を慕う農民や猟師もいるのだ。

 これ以上、信繁に近づいたら『大きなこと』に巻き込まれてしまうのではないか……。

 そう彼の理性は警鐘を鳴らし続けていた。


 だが一方で彼の『人』としての本能は、彼の頭の中へ直接ささやいてきたのだ。



――本当のお前はどうしたいのだ?



 と。


「ああ、少しでも寝よう」


 彼はそうつぶやくと、むりやり目をつむって、頭の中を空にしようと試みたのだった――


◇◇


 翌日から彼は道を変えた。


 つまり慈尊院への道順を変えたのである。

 それは言うまでもなく、真田信繁と顔を合わせたくなかったからだった。


 最初は気にしないように気にするあまり、かえって気になって仕方なかった。

 しかし、湖面に生じた大きな波紋でさえも、時が立てば元通りになるのと同じで、彼の子が生まれてくる頃には、信繁の存在すら頭の隅から消えていったのである。



 そうして一年の時が流れた――


 山の木々が燃えるように紅く染まっていく季節へと移り変わっていくと、もうすぐ官省符祭りを告げる合図でもあった。


 そんな中、中央から離れた九度山にも、とある噂話が聞かれるようになっていたのである。


――ついに大御所様は豊臣をお取り潰しになさるおつもりらしい。


――そうなると大坂は火の海に包まれるだろうな。


――ああ、大坂方はやっきになって全国から牢人を集めているようだが、そんなもん死にに行くようなものだ。


――どうせ欲に目がくらんだ愚か者の集まりだろう。



 それは後に『大坂の陣』と呼ばれる大戦のことだ。

 大坂城にこもる豊臣家を、徳川家康率いる幕府軍が徹底的に打ちのめすことになる。

 当主の豊臣秀頼をはじめとして、多くの大坂方の血が流れるのは、戦がはじまる前から分かりきっていたことであったのだ。


 だが、大坂やら江戸やらといった話は、庄左衛門にとってはひどく浮世離れしたものだ。

 彼はさしたる興味も抱かずに、祭りの準備とわが子の成長に心を傾けていたのだった。



 そしてついに訪れた祭りの日。

 今年も慈尊院では酒が振る舞われることになっており、庄左衛門は下人の猟師とともに寺の門をくぐった。


 しかし、例年とは少し雰囲気が違っていた。

 慈尊院から官省符神社へ抜ける参道が綺麗に整えられており、人々は両脇に控えていたのである。

 不思議に思った彼は、近くの人に問いかけた。


「これはいったいどうしたことでしょう?」


「来月ここを発つお侍様が、神社に太刀などを奉納しに来られるそうなのです」


「そのお侍様の名前は知っているかい?」


「ええ……。たしか……」


 だが庄左衛門は、自分で問いかけておきながら、その答えを既にさとっていた。


 そして、穏やかな湖面のような心が、ひどく波打っているのが分かると、彼はぐわんぐわんと脳みそを揺らされるような気分だった。



「たしか、真田左衛門佐信繁さなださえもんのすけのぶしげ様でございます」



 予想と寸分違わぬ答え。


 心の準備ができていたとは言え、とてつもない衝撃に襲われた彼は、忘れたはずの苦悶が胸の内に蘇ってきた。


 そしてそんな彼に追い打ちをかけたのは、直後に訪れた音だった――


――カポッ、カポッ……。


 と、石畳の上を馬が闊歩してくる音が響き渡る。

 人々の目は、その音の持ち主に釘付けとなった。

 

 そして、次に訪れたのは……。


――ワアアアアアッ!!


 と、自然と湧きあがった大歓声だった。


――お前は見てはならん! 目を伏せるのだ!


 庄左衛門の理性は必死に語りかけてきた。

 彼は音なき心の声に従って、目をかたくつむり頭を低く下げる。


「……絶対に目を合わせてはならぬ」


 あえて声に出すことで、周囲の音をかきけそうと強がったのだ。

 

――カポッ、カポッ……。


 徐々に足音が大きくなってくる。

 

「音にとらわれてはなりません」


 そうつぶやいた直後だった……。

 音がピタリとやんだのである……。

 

 庄左衛門は、思わず顔を上げてしまった。

 それは皮肉なことに、音が響いている間は働いていた自制心が、音が消えた瞬間に解かれてしまったことからだった。

 

 そして彼の目に飛び込んできたのは……。

 


 真紅の甲冑に身を包んだ真田信繁だった――

 


 頭には大鹿の巨大な角があしらわれた兜をかぶり、わずかにのぞかせている顔は、紐売りをしていた人物と同じには思えないほどの気品を漂わせている。

 

 だが彼の瞳は、以前とまったく変わらないことに庄左衛門は驚かされた。


 それは一点の曇りもない、澄んだ色。


 どこまでも奥が見通せるようだが、それでも底までは見えない不思議な瞳だ。

 

 信繁は栗毛の馬にまたがったまま、その瞳をすぐ目の前にいる庄左衛門へ向けている。

 庄左衛門もまた、彼の瞳に吸い込まれるように見つめ返していたのだった。

 

 しばらくした後、穏やかな口調で、信繁の方から声をかけてきた。

 

「元気な男の子が生まれたと聞きました。まことにおめでとうございます」


「え、ええ。おかげさまで。ありがとうございます」


 酷く形式ばった会話であり、この会話だけで終わってしまえば、これ以上惑わされることはないはずだ。


 庄左衛門は、心の中でびくびくと震えながら信繁に頭を下げた。

 

――このまま立ち去っておくれ!


 だが悲痛な祈りは届かない。

 なぜなら馬の足音がまだ聞こえてこなかったのだから。


 そして彼の視界に入ってきたのは、一本の『紐』だった。

 

「庄左衛門殿。これはわたしからのお祝いでございます」


「お祝い……。紐が?」


 庄左衛門が不可解そうに問いかけると、信繁は目を細めて答えた。

 

「わたしの織った紐は頑丈でございますゆえ。腰の帯やたすきにも使えましょう」


「……ありがとうございます」


 本当なら、これで黙ってしまえばよかったのだ。

 そうすれば、信繁は再び馬を参道の先へと向けただろう。


 そうして二人は二度と言葉をかわすことなく、二人の『縁』は永遠に切れたはずなのだ……。



 しかし、庄左衛門はそうしなかった。


 

「真田様。ひとつだけおうかがいしてもよろしいでしょうか」



 なぜか?

 

 それは彼にも分からない。

 しかし、彼は知っておきたかったのだ。

 真田信繁の瞳の奥に隠されているものを。

 


 自分自身の本懐を――


 

「真田様はどうして大坂へ行かれるのですか? やはり銭が目当てなのでしょうか?」


 信繁は口元に小さな笑みを浮かべると、変わらぬ静かな口調で答えたのだった。

 

「紐は人の縁と同じ。わたしはそう思っております」


「紐が人の縁……」


「ええ。わたしが織った紐がなかなか切れぬように、わたしが作った縁はなかなか切れませぬ」



――この先を聞けば、後戻りができない! 庄左衛門! 今すぐにここを立ち去れ!

 


 庄左衛門の理性が、声を枯らして命じている。

 しかし彼は動かなかった。


 否。動けなかった。

 なぜならもう既に固く結ばれてしまったからだ……。



 真田信繁と庄左衛門の『縁』が――


 

「わたしはかつて太閤秀吉様と『縁』を結びました。彼亡き後も、『縁』はなかなか切れてくれません。そうこうしているうちに、紐が手繰り寄せられてしまった。という理由でございます」


「しかし……。わざわざ死ににいくようなものだ、と聞きました。そうまでして切れぬ縁なのでしょうか!? そんなの変でしょう!」


「ふふ。死ににいくのは変……ですか」


 信繁の漏らした小さな笑いに、庄左衛門は目を丸くした。

 気付けば声色は荒くなり、あれほど口うるさかった彼の理性は、どこかに消え失せている。


「違うとおっしゃるのですか!?」

 

 庄左衛門の大きな声に、それまで歓声を上げていた人々が一瞬のうちに静まりかえった。

 そして静寂を破るように、信繁は透き通った声で答えたのだった。

 

「わたしにとっての『死』とは、本懐が叶わぬと諦めてしまった時でございます」


「それはどういう意味でしょう? 本懐が叶わずに首を取られてしまえば、それまでではありませんか!?」


 そこで一度会話を切った信繁。

 彼は小さく会釈をすると、馬の腹を優しく蹴った。

 

――カポッ……。


 馬が一歩足を踏み出すと、信繁の背が庄左衛門の方へ向けられる。

 信繁は馬を進めたまま、熱がこもった声で続けた。



「大事なのは『本懐が叶う、叶わぬ』ではございませぬ。『決して譲れぬ本懐に挑み続けたか』、だと思うのです」



 徐々に離れていく信繁の背中。

 しかし庄左衛門は諦めきれなかった。


 彼は知りたかったのだ。

 己の本懐を。



 そして己が進むべき道を――



「では、真田様の本懐とは!?」



 信繁が再び馬を止める。

 彼は振り返ることなく、天を仰ぎながら声を轟かせたのだった。

 


「真田の結んだ『縁』は決して切れぬ! それを世に示すことなり!」




◇◇


 慶長一九年(一六一四年)十月一九日――

 祭りからおよそ一カ月後のこと。

 

 真田信繁と彼の家臣たちは、幕府による監視の隙をついて九度山を脱出した。


 最初に随行したのは、わずかな人数だったようだ。

 しかし、紀州を出る頃には百人以上にもおよんだという。

 

 彼らはみな真田信繁と『縁』を結んだ者たちであったのは、言うまでもないだろう。

 

 そして、そのうちの一人に庄左衛門の名もあった。


 なぜ彼が信繁と生死を共にするために、安寧の生活を捨てたのか。

 その真意を知る者は、もはやこの世にいない。

 

 ただ一つ事実として残っているのは、真紅の甲冑に身を包んだ『赤備え』の信繁の軍団は、戦場を縦横無尽に駆け巡り、徳川家康をあと一歩というところまで追いつめたこと。


 そして信繁の死によって『全滅』の憂き目にあったのちも、伝説となって語り継がれていく。

 

 しかし、なぜ彼らは劣勢の大坂方にあって、天下無双の軍団となりえたのか。


 それは、名も知れぬ男たちが、誰にも譲れぬ本懐に挑んだからと言えるのではないか。

 

 では、彼らの本懐とはなんぞや?

 それは……。



 決して切れぬ『縁』を守るため――



 そう思えてならないのである。

 


 (了)

 

 

 



▼著者より

御一読いただきましてありがとうございました。

真田紐は『紐』ではございますが、『組む』のではなく『織る』と表現するそうです。


▼著者プロフィール

友理 潤

【経歴】

2016年4月執筆開始。

2018年1月『太閤を継ぐ者』(宝島社)を刊行。


【受賞歴】

第5回ネット小説大賞 受賞


趣味はカレー作りと犬の散歩。

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