自分の書いた少女小説の世界に転生してしまったようです
「ごめんなさい。やっぱり貴方はタイプではありません」
私はずっと心に引っかかっていた違和感を隠しきれなかった。
婚約者の公爵子息は不服そうだったが、「君がそこまで言うのなら仕方がないね」と言って去っていった。
私はグリムピア王国の王女フィーネに転生していた。
高熱でうなされているときに、知っている人物の人生を辿っていることに気づいた。
私が会社員時代に趣味で書いていた少女小説「王女様の憂鬱」にそっくりな展開だったのだ。小説投稿サイトに続きを発表しようとしたら、自宅の階段から落ちて打ち所が悪かったようで死んでしまったのである。未完結の遺作となったことが悔やまれる。
小説の流れは王女様が公爵子息に一目惚れして、すれ違いの果てに結ばれる運命だった。
公爵子息に口付けされる直前に拒否反応が起こった。自分でも驚いた。公爵子息の胸を押して「嫌!」と叫んでいた。
私は王女様のお兄様が好きだったんだ。もともと金髪碧眼に憧れがあった。妹思いで、優しくて、困ったときにさりげなく助けてくれる。小説を書きながら、主人公の兄に恋をしていたのである。
私は愕然とした。なんで、結ばれる運命の公爵子息を黒髪短髪の美形に設定してしまったのだろう。
「フィーネ、婚約破棄というのは本当なのか?」
「ユリウスお兄様」
ユリウス様だ。公爵子息とは正反対の美形で、柔らかい金髪に優しげな瞳をしている。
「心配かけてしまってごめんなさい」
私が謝るとユリウス様は不思議そうに首を捻った。
「いつもなら、『私が決めたようにするわ』とか言って僕を困らせるのに……」
ユリウス様は私のおでこに、自分のおでこをくっつける。
「もしかして、まだ熱があるのかな?」
近い、近い! 金色の長い睫毛、おでこから少しユリウス様の体温を感じて、危うく鼻血が出そうになった。
ちょうど一週間前に、高熱にうなされた。熱が引いていくのと同時に前世の記憶が流れてきたのだった。
「いいえ、ユリウスお兄様。婚約破棄は単純に私の我が儘です。心が決まるまで婚約はやめたかったのです。ほら、結婚には覚悟が必要っていうでしょう?」
ユリウス様を心配させてはいけないと、話を取り繕った。
「フィーネは周りの顔色を伺ってしまう癖がある。無理をするんじゃないよ」
ユリウス様は優しく言った。
本当はお兄様が好きなんです、とは言えなかった。ユリウス様の愛情は妹に対する家族愛だった。兄妹で恋なんて許されない。ユリウス様に好きだと言っても困った顔をするだろう。心の奥に気持ちをしまっておくことにした。
夜、眠れなくなって廊下を歩いていたら、光が漏れている部屋があった。ユリウス様の部屋だ。ノックして、「ユリウスお兄様」と声をかける。
「フィーネか」
ユリウス様は仕事をしていたようで、机から頭を上げる。眼鏡をしていてとても似合っている。
「仕事中ごめんなさい。どうしても眠れなくなってしまって」
「可愛いフィーネ。今日は色々あって考えることも多いのだろう。僕でよければ話し相手になるよ」
ユリウス様は眼鏡を机に置いて立ち上がる。
「ちょっと外に出ようか」
夜風は寒いかもしれないから、と上着を私の肩に乗せてくれる。中庭を少し歩くことになった。ハーブの香りが漂ってきて、心が癒される気がする。
「ユリウスお兄様は好きな方がいらっしゃるのですか」
「僕? 僕は好意を持つ女性はいるけれど、その人とは結婚できないかもしれない。国同士の外交の問題も関係してくるからね」
「外交の問題も考えているのですね。因みにどなたですの?」
「秘密」
興味半分の質問に、ユリウス様は人差し指を立てて口元にあてた。ユリウス様は大変もてる。そんな人に好かれたら嬉しいに違いない。
「というのは、僕と隣国のメアリ王女との縁談が上がっているんだ」
「え?」
過去の記憶を引っ張ってくる。主人公の兄は隣国のメアリ王女と結婚していた。新婚旅行のアドバイスはお兄様からもらうことになっていた。
なぜ前世でユリウス様の結婚の設定を作ってしまったのだろう。また、なぜユリウス様と結ばれる予定のメアリ王女に転生しなかったのだろう。自分の運命を少し恨んだ。
「ごめん。急に言って驚かせてしまったかな」
ユリウス様は黙っている私を覗き込んで固まった。
「あ、私こそ心配させてごめんなさい。でも、何だかユリウスお兄様が遠くに行ってしまう感じがして」
目頭に涙が滲んでいた。ユリウス様はハンカチで涙をそっと拭ってくれる。ユリウス様の優しさとユリウス様の婚約のショックで自分を見失っていた。何を思ったのか、普段なら口に出さないことを言っていた。
「私はずっとユリウスお兄様のことが好きでした。ユリウスお兄様の思う好きとは違う好きです。この気持ちをなかったことにしたいと思っていましたが、自分ではどうしようもできません」
言ってから、後悔した。ユリウス様が目を丸くしているからだ。それはそうだろう。妹から告白されてしまったのだから。急に恥ずかしくなって、顔に血が上った。
「私ってばなんてことを……聞かなかったことにしてください!」
「フィーネ!」
叫んで、走り去る。自分の気持ちをバラしてしまった。恥ずかしさでいっぱいになった。
「フィーネ、待って」
と、手を引かれて抱き留められた。ユリウス様は仄かにミントの香りがした。
「可愛いフィーネ。僕はフィーネが婚約すると思って自制してしまっていた。どうやら気持ちは同じだったようだ」
見上げると、ユリウス様はふんわり微笑んだ。
「もう少しだけ待って」
◇ ◇ ◇
「ユリウス王子とフィーネ王女は恋仲にあるようだ」
元婚約者の公爵子息の暴露に、静かだった王国のパーティの会場にざわめきが起きる。
兄妹の結婚は許されていない。フィーネ王女との婚約破棄の腹いせからか非難の言葉を放ったようだ。
会場のあちらこちらで「本当か?」「本当だったら、ユリウス王子の隣国の王女との婚約はどうなる?」「禁断の恋はダメじゃないか」と小さく疑惑の声が上がる。
真意を求めて、視線はユリウス王子に集まった。
ユリウス王子は前に進み出て、優雅に一礼した。
「まず、急な報告となることを謝罪いたします」
どういうことだ、と疑問が広がる。ユリウス王子は周囲を見渡してから側にいるフィーネ王女を見る。一呼吸入れて口を開く。
「公にはしていませんでしたが、私は国王の実の子ではありません。後妻の王妃の連れ子であり、フィーネ王女とは血の繋がりはありません」
会場にざわめきが走った。現王妃が後妻であることは知られていたが、ユリウス王子が連れ子というのは秘密にされていたからだ。
「隣国のメアリ王女との縁談がありましたが、私が国王の実の子でないという理由から辞退いたしました」
それだけの理由ではないということは周囲は知っていた。
「また、このことが明らかになることで皆様に多大な迷惑をかけることの自身の戒めとして、王籍を辞退し、王妃の遠縁の公爵家に養子に入ることにいたしました。大変なご迷惑をおかけしました」
ユリウス様は深く一礼した。一人を除いて反発する者はいなくなっていた。公爵子息を除いては。
「国民を騙していた元王子がフィーネ王女と結ばれていいわけがない!」
「騙していたと言われてはそうなのかもしれない。ですから今までのことを謝罪し、正当な手段でフィーネ王女と婚約いたします。実際に国王様と王妃様には婚約を認めていただいております」
公爵子息は「くそう!」と言って、苦い顔をして黙った。国王の決定を覆すことはできないからだ。
私は驚いた。ただ待っているだけだったが、鮮やかに問題を解決してしまった。家族の、とくに厳格な国王の説得までも。どこまでも私の好きなお兄様だった。
「私はフィーネ王女を幸せにしたいと思います。これからもどうぞよろしくお願いいたします」
拍手に包まれる。私は皆の前であることを忘れて、ユリウス様を抱きしめていた。