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エピソード1:雨の日の悲劇③

 リビングに戻ってきた政宗は、ダイニングテーブルの椅子を引いて腰を下ろし……頭を抱えた。

 そんな彼の隣に椅子を持ってきた聖人が、少し厳しい口調で問いかける。

「こうなる前、何か、予兆みたいなものはなかった?」

 そう聞かれると、今日の自分の行動全てが悔やまれる。

「……いきなり体調を崩すまでは、普通でした。ですが、まさか、こんな……」

 自分があの時、ユカが仕事にいくのを止めていれば。もしくは自分が交代して対処していれば、こんなことにはならなかったのかもしれない。

 しかし、全ては後の祭りだ、今更後悔しても、現状は何も変わらない。政宗から特に有益な情報が引き出せないことを悟った聖人は、この話をここで終わらせることに決める。

「まぁ、起こってしまったことは仕方がないよ。今はこれからのことを考えようか」

 そして、手元のバインダーを見下ろして……いつもの口調で言葉を続けた。

「とりあえず自分の見立てでは、現状は、体調不良でユカちゃんの体を活かそうとした『生命縁』の暴走、みたいな現象だと思っているんだ。政宗君、さっき……ユカちゃんの『生命縁』まで、見た?」

「え……?」

 聖人に尋ねられ、政宗は思わず間の抜けた声を出した。

 先程は、ユカとの『関係縁』に気を取られており……彼女の『生命縁』を見る前に、混乱してしまったのだから。

 この反応で政宗が未確認であることを察した聖人が、タブレットに写真を映し出す。

 布団をかけられたユカがベッドに横たわっており、少し苦しげな表情で眠っているように見えた。

「――!?」

 そして、写真を見た政宗が『ある事実』に気が付き、驚きで目を見開いた。

「統治君が買い物に行く前に、撮影してもらったんだ。このタブレットには、統治くんが自分と一緒に開発した、『痕』や『縁』の撮影を可能にするアプリが入っている。勿論、レンズには特殊フィルムを貼っているから、ちゃんと撮影出来たんだけど……」

 聖人がこう言って、画面の中、ユカから伸びる『生命縁』を指差す。

「普段のケッカちゃんであれば、生命力なんか感じられない、暗い緑色なんだけど……今のユカちゃんの『生命縁』は、普通……いや、もしかしたらそれ以上に眩しい緑だと思わない?」

 政宗も、ユカの『生命縁』がこんなに綺麗な色をしているのを、久しぶりに見た。

 前に見たのは……10年前の研修の時。まだ、彼女がこうなる前のことだ。

 政宗はタブレットから目を離し、恐る恐る、聖人に尋ねる。

「……ケッカの『生命縁』が、回復してるってことですか?」

「回復……というか、結果としては回復なんだろうけど、今は無理をしていると考えるべきかもしれないね」

「無理を……」

「そう。ウィルスを除去するために、体がちょっと頑張りすぎちゃった、みたいな感じかな。ほら、政宗君覚えてるかな。前にケッカちゃん、自分と初めて会った時に、ほとんど体調を崩さないって言ってたでしょ?」


 4月、聖人と初めて相対した時、ユカは彼にこんなことを言っていた。


「ケッカちゃんは体のどこかが弱いとか、病気になりやすいとか、特定の季節に弱いとか、ある?」

 聖人の質問に、ユカは首を横に振った。

「いやー、特になかよ。風邪っぽいなーと思うことはあっても市販の薬で大丈夫、高熱が出て寝こむまでには至らないっていうか……こんな状態でも、体は弱くないつもり」


 聖人に言われて思い出した政宗に、彼はタブレットの電源を落としながら質問をする。

「だから、彼女の体調が元に戻れば、この現象も収まるんじゃないかと思ってるよ。まぁ……確証はないけれど。政宗君、こうなる直前に、何か変化はあったのか?」


 言われて思い出すのは、小さな体で苦しんでいた、彼女の姿。

 涙を浮かべて「痛い」と訴え続けた彼女に……何も出来なかったという結果だけ。


「すごく、痛がってました……それで俺が触ったら、急に、俺まで気分が悪くなったというか、意識がおかしくなったというか……」

「なるほど。ちなみに今は大丈夫?」

「はい、問題ありません」

 全てが混乱しているけれど、今のところ、先程のような倦怠感や不安定さはもう感じられない。

 政宗の目の動きや顔色などから、彼の言っていることが嘘ではないと判断した聖人は……書き込みを終えたルーズリーフをペンで叩きつつ、どこか自嘲気味に呟いた。

「結局のところ、物理的に全部引き伸ばされて大きくなっちゃったんだね。そりゃあ、10年分の成長がほぼ数分で終わったなら、体への負担も相当だったはずだよ。いやはや、『縁』の力は底が知れないというか、人間の手には余るというか……本当、怖いね」

「俺は……これから、どうすればいいですか?」

「とりあえず、彼女をしばらくここに置いていて欲しいかな。この部屋なら『痕』や『遺痕』の対策もバッチリだし、部屋数もあるからね。ただ、今日みたいに政宗くんが室内で倒れた時……統治君を呼ばなくてもこの部屋に出入り出来るように、合鍵があれば1つ貸してもらえるとありがたいよ」

「分かりました。ちょっと……取ってきます」

 そう言って立ち上がり、隣の自室に引っ込む政宗。そんな彼の背中を見つめながら……聖人は1人、ため息をつく。

「さて……どうしようかな」


 明かりのない自室に入ってきた政宗は、扉を少し開けたままにして隙間から明かりを入れ、扉近くにある、デスクトップのパソコンが置いてある机の前に立った。そして、プリンターの脇に置いている小物入れをあけて、この部屋の合鍵を取り出す。

「……っ!!」

 気を緩めると、泣いてしまいそうになった。鍵を強く握りしめ、その痛みで意識を保つ。


 また、自分は――守れなかった。

 あんなに近くにいたのに、彼女に頼りすぎて、また――壊してしまう。


 10年経過したのに、また――同じことを繰り返してしまう。



 また、自分は――大切な人を、失ってしまう。



「ダメだ、俺が、俺が……俺が助けるって決めただろうが!!」

 苛立ちを声に出したところで、慌てて我に返った。今、自分が取り乱したら……ユカは確実に動揺してしまう。今、彼女がはっきり認識しているのは、自分だけなのだから。


 ――しっかりしろ、佐藤政宗。

 自分がここで折れたら、誰も、彼女を守れない。


 政宗はもう一度、右手に握った鍵を強く握りしめて……暗い自室を後にした。


 リビングに戻ってきた政宗は、椅子に座る聖人の背中と……ダイニングテーブルに買い物用のマイバックを置いて、一息ついている統治の姿を見つける。

「統治……」

 政宗の声に視線を向けた統治だったが、すぐにそれを自分の手元に戻した。そして、買ってきたものを確認するように、1つ1つ、テーブルに並べ始めるではないか。

「統治、何をしているんだ……?」

「買ったものとメモの内容を見比べている。正直……動揺していて、全てを正しく購入出来たかどうか、あまり自信がないんだ」

 そう言いながら中身を取り出す彼の手には、かすかな震えが感じられた。

「統治、お前……会ったのか?」

「まだ直接話をしたわけではないが、山本の現状は把握している。あの部屋で倒れていた佐藤を伊達先生と一緒にここまで運んでから、伊達先生から頼まれたものを買いに行っていたんだ」

「そうか……悪かったな」

 自分がリビングにいた理由を察して、政宗が苦笑いを浮かべる。

 統治が珍しく、狼狽えを隠しきれない瞳で、彼を心配そうに見つめた。

「佐藤こそ大丈夫か? まだ休んでいて構わないぞ」

「いや、これ以上寝てられない、というか……神経が高ぶって今日は眠れそうにないわ」

 そう言って肩をすくめる政宗は、椅子に座っている聖人へ、部屋の合鍵を差し出した。

「伊達先生、これがこの部屋の鍵です」

「ありがとう。さて……じゃあ、今後のことを簡単に打ち合わせてもいいかな。統治君もそのまま聞いていてね」

 荷物を確認しながら首肯する統治に、聖人はバインダーをボールペンで叩きつつ、少し思案してから……。

「今、統治君には市販の風邪薬も買ってきてもらったんだ。正直、今の状態のユカちゃんを外に出したくはないから、基本的にこの部屋での療養にしようと思う。症状を見る限りは疲労や気圧、季節の変化からきてる風邪だとは思うけど、この薬を服用して症状が緩和して、回復に向かっていくことで……今後、彼女にどんな変化が訪れるのか、注意深く観察する必要がある」

 聖人の言葉に、2人がそれぞれ頷いた。

「と、いうわけで、この部屋には必ず、ユカちゃん以外の誰かにいてもらいたい。政宗君、そっちの仕事具合はどうかな?」

 尋ねられた政宗は、働かない頭を無理やり動かして、『仙台支局』のスケジュールを確認した。

 今、最も忙しいのは……週末に控えている名杙の会議に関する仕事だった。既にあらかた作業は終わっているが、日々発生する細かいチェックは残っているし、いつ、名杙に呼び出されるか分からない。そのため、しばらくは外部営業の仕事を入れていなかったのだ。

「そうですね……俺や統治は、今から1週間くらいであれば、パソコンを使った内勤のみも可能です。突発的な外部交渉は名杙に相談しようと思います。ただ、それ以上長引くとなると……ちょっと厳しいですね」

「ユカちゃんがそれ以上長引くようであれば、次の手段を考えた方がいいと思うから……とりあえず、どちらかがこの部屋で仕事、あと1人が事務所で連絡係ってところかな。自分たちもここに留まって力になりたいところだけど、生憎本業との兼ね合いがあるからね。ただ、1日1度はどちらかが立ち寄るようにはするよ」

「ありがとうございます。ただ……ケッカの着替えなんかの買い物は、彩衣さんに頼んでも大丈夫でしょうか。というか、今のケッカが着ていた服は、どうしたんですか?」

 先程実際に抱きしめられて実感したが、彼女は確実に成長している。そして、当然ながらこの部屋に女性ものの服や下着はない。ユカの部屋に行ったところで、サイズが根本的に違うので使えるものなど何もない。

 そんな彼の疑問に、聖人が当時の様子を……政宗が倒れていた間のことを話してくれた。

「自分たちが統治君の持っていた鍵を使って部屋に入った時、政宗君は床に倒れていて、ユカちゃんはベッドの上でうつ伏せになっていたんだ。元々今日のケッカちゃんは、ちょっとゆったり目のオーバーオールを着ていたみたいで、洋服は伸び切っていたけど体に引っかかっていたように見えたかな。そこで彩衣さんに一旦任せたってわけ。あ、その時に着てたケッカちゃんの洋服、処分してもいいよね」

「そうですね……どうせもう着れない状態でしょうし」

 政宗は心のどこかで何かに安堵しつつ、聖人の話に耳を傾ける。

「ユカちゃんに布団をかけてもらってから、自分たちも改めて部屋の中に入って、呼吸の有無を確認したり、脈をとったり、さっきの写真を撮影したりしたんだ。それと並行して、彩衣さんには、近くの衣料品店で最低限度のもの……パジャマや下着数枚を購入してきてもらった。それを着せてもらっているときに政宗君の意識が戻ったんだよ。あ、勿論自分は着替えに関して何もしていないから安心してね。今、彩衣さんが改めて身体検査をしているから、次はちゃんとサイズのあったものを届けられると思うよ」

「助かります……本当、ありがとうございます」

 正直、女性ものの服や下着に関しては、政宗でも買うのにそれなりの勇気が必要になる。ましてやそれを自分の想い人が着るのだとすれば、もう、何を選べば良いのか迷うことなど分かりきっていた。

 ただ、問題が1つ解決したことに安心する暇などない。また、課題は山積している。例えば……。

「あと……ケッカにはどこまで過去や今のことを話しても大丈夫ですか?」

「そうだねぇ……事実であれば何を話してもいいと思うけれど、彼女が混乱しないように、なるだけ時系列に沿って話をしてあげたほうがいいと思う。彼女は研修中のことは覚えているみたいだけど、どこまで正しく認識出来ているのか分からないからね。まずは研修時の話をすりあわせてから、徐々に、彼女が知らないことを話してあげるのはいいんじゃないかな」

「分かりました」

 淡々と事実を受け入れ、今後の行動計画を脳内で構築していく政宗。一方、リストと品物の照合作業を終えた統治は、食材を再びマイバックにつめて、ペンをくるくる回している聖人を見つめた。

「これから食事を用意するのですが……伊達先生と富沢さんはどうしますか?」

「そうだね、自分たちは一旦出るから不要だよ。取りに戻りたいものもあるし、ユカちゃんの着替えとか、買い足したいものもあるからね」

「分かりました」

 そう言って、リビングの奥にあるキッチンへ移動する統治。そんな彼の背中を見送る聖人は、自分の隣に立ったまま、取り出したスマートフォンで改めてスケジュールを確認している政宗へ……チラリと、意味深な視線を向けた。

「政宗君、下世話な話で申し訳ないんだけど……大丈夫そう?」

 質問の意味が分からない政宗は、スマートフォンから一旦視線を外し、顔に疑問符を浮かべる。

「どういう意味ですか?」

「いやー、さっきのユカちゃん、大分政宗君に懐きそうな印象だったから。政宗君も一応、年頃の男の子だし、好きな女の子とひとつ屋根の下ってシチュエーションは、ラブコメ展開で色々危険かなーと思ってね」

 刹那、政宗のこめかみに青筋が浮かぶ。

「……よくこんな状況でそんなこと言えますね」

 聖人が何を言いたいのかを痛いほど理解した政宗は、先程のユカの様子を思い出して……ため息をついた。

 確かに彼女は、ユカが成長した姿なのかもしれない。でも、それはあくまでも外側の話だ。少し話をしただけでも感じた違和感は、そう簡単に拭い去れそうにない。


 彼女は――違う。

 (政宗)の好きな彼女(ユカ)は、君じゃない。

 直感でそう思ったら、もう、別人としか思えなくなってしまったのだから。


 スマートフォンの操作を終えた政宗は、自分を楽しそうに見上げる聖人へ、どこまでも自嘲気味な表情を向ける。

「流石に、病人に手を出すようなことはしませんよ。というか……俺がそういうこと出来ると思ってます?」

「ううん、ちっとも。ただ、こういう軽いことを聞いて、場を和ませたほうがいいかなって」

「お気遣いありがとうございます。おがけで大分和みました。」

 棒読みで謝辞を述べた政宗は、スマートフォンをズボンのポケットにねじ込んで……自分がまだ、ワイシャツとスーツのズボン姿だったことに気がつく。

「すいません……動きやすい格好に着替えてきてもいいですか?」

「どうぞどうぞ。先は長いからね」

 笑顔の聖人に見送られて、政宗は再び、自室へと引っ込んだ。


 長袖のTシャツとチノパン姿になった政宗が、トイレを済ませてリビングに戻ろうとすると…‥客間から出てきた彩衣と鉢合わせになった。

「お疲れ様です。彩衣さん、ケッカはどうですか?」

「症状だけで判断すると、風邪です。2~3日安静にしていれば大丈夫でしょう、ただ……」

「ただ?」

「……皆さん揃ってからお話します。私は伊達先生を呼んできますので、佐藤さんは山本さんのところについていてもらえませんか?」

「分かりました」

 そういってリビングへ消えていく彩衣と入れ違いに、政宗は客間の扉をノックする。

「ケッカ、入るぞ」

 一応断ってから扉を開くと……ベッドに横たわっている彼女と、目があった。

 大人びた顔つきの中にある、純粋な眼差し。自分をじーっと見つめる彼女を何となく直視出来ないまま近づく政宗は、ベッドの縁、顔に近い位置を陣取ると、あぐらをかいて腰を下ろした。

 額に熱冷ましの冷却シートを貼っている彼女が、少し潤んだ瞳で彼を見つめる。

「政宗……なんよね」

「ああ。実感わかないと思うけどな」

「統治も、おると?」

「ああ、もうすぐ会えるぞ。今、ケッカの晩御飯を用意してるんだからな」

「えっ!? 統治が!?」

 驚きで目を見開き、数回咳き込むユカ。その反応に笑いがこみ上げる。

「だよなぁ……あの統治が、だぞ。後で本人に色々聞いてみてくれ」

「うわぁぁ……信じられん。何かもう、何を信じればいいのか……」

 ユカはこう言って、静かに天井を仰いだ。

 彼女の戸惑いは当然だ。だからこそ……政宗は今日の自分の行動に、判断に、苛立ちが募る。

「悪い、俺のせいなんだ。俺がもっとしっかりしていれば……」

 自責の念にかられて、政宗は思わず頭を下げた。

 熱が上がってきたのか、頬を紅潮させ、どこか焦点の合っていない眼差しのユカは……笑っている政宗に、安心しきった笑みを向ける。


「……頭、上げんね。あたしが脅してるみたいやん……」


「――っ!?」


 刹那、政宗は急いで顔を上げた。

 その言葉はかつて、仙台にやってきたばかりの頃、ユカが2度ほど使った言葉だ。

 1回目は仙台に来た初日、2回目は仕事方針が合わずに仲違いをした時。


 目の前の『彼女』の中に、その時の記憶はないはずなのに。


 政宗は、自分に向けて笑いかける彼女に、言いようのない複雑な感情を抱いて……何も言えなくなってしまった。

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