エピソード6:結果②
結局、政宗の上着を突き返したユカと向かい合わせに座り、2人で夕食を食べる。
今日の献立は、彩衣が用意してくれたあんかけ豆腐ハンバーグとひじきの煮つけ、あさりの味噌汁と白ご飯という、非常に健康的なメニューだ。電子レンジを使って温めなおした食事が、美味しそうな匂いで空腹の2人を刺激していく。
「富沢さんがね、あたしでも食べられるようにって、味付けも薄くしてくれんだよ。あ、政宗はちゃんと濃い味付けのはずやけど……」
そう言われてハンバーグを見ると、確かに、上にかかっているあんかけの色が違う。2人のことを考慮してくれた気遣いに、政宗はただ、感謝することしか出来なかった。
「ありがたいな。じゃあ、食べるか」
「うん、いただきます」
そう言って手を合わせるユカに倣って、政宗も両手をあわせて「いただきます」と口に出してから、ハンバーグを箸で食べやすい大きさに切っていく。
あんかけがかかっていることでテカリを増したハンバーグを口に入れると、しっかり出汁のきいた味が、口の中を幸せで満たしてくれた。豆腐が多く入っていることで食感も軽く、それでいて物足りなさがないという恐るべきハンバーグに仕上がっている。これならば皿に乗っている2つなど、あっという間に食べてしまいそうだ。もっとスピードを落とさねば。
政宗がそんなことを考えていると……目の前にいるユカが、自分をじっと見ていることに気付く。
「ケッカ、食べないのか?」
「た、食べるよ!? 食べるけど……」
ユカがそう言って、政宗の皿に乗っているハンバーグをチラチラ見つめる。
「政宗……それ、一口もらっても、よか?」
そのやり取りは、政宗に、昨日の食事を思い出させた。
「またかよ……自分の分は皿にあるだろう?」
ジト目を向ける政宗に、ユカは今日一番の力をこめて、その理由をプレゼンする。
「あるけど!! 富沢さんが味を変えたって言っとったけんが!! どげな味か気になると!!」
力説するユカに嘆息する政宗は……自分のハンバーグの1つを、箸を使って4分の1程度の大きさに切る。そして、それの1つを、ユカの皿においた。
「ありがとー!! あ、政宗もあたしの味、食べてみる?」
そう言われると……自分の分がこれだけ美味しいので、薄味になっているユカのものもどこまで美味しいのか、ちょっと興味が湧いてきた。
「じゃあ……」
首肯して自分の皿をユカに近づける。政宗と同じように箸でハンバーグを切り分けたユカは、それを政宗の皿の上にのせて、「エヘヘ」とはにかんだ笑顔を向けた。
「実はそれ、ちょっと手伝わせてもらったんよ」
「そうなのか?」
「うん、椅子に座ったまま形を整えたり、野菜の下ごしらえをしたり……少しでも役に立てると、なんか、嬉しかね」
そう言って政宗からのハンバーグを口に入れるユカは、「ああ……味が濃くて美味しい……」と、更に幸せそうな表情になった。
そんな彼女を見ているだけで、自然と、笑顔になってしまう。
「……政宗、食べんと?」
手の動きを止めたユカが、政宗の皿に残ったハンバーグを確実にロックオンしているのが分かるから。
政宗は苦笑いで、しっかり釘を差すことしか出来ないのだ。
「食べるよ。これ以上はやらん」
2人して綺麗に食べ終わって、食器の片付けまで終わってから。
「政宗、政宗」
椅子に座っているユカが、食後のコーヒーをいれようとしている彼の背中に呼びかけた。
「ケッカも何か飲むか?」
「んー……じゃあ、何か甘いの」
「甘いもの……」
そんなものあったかと棚回りを見つめると、スティックタイプのココアがあった。まぁ、甘いだろうと結論付けてそれも一緒に準備して、ユカのもとに持っていく。
「熱いから気をつけて飲んでくれよ。またひっくり返したら大変だからな」
「はーい」
湯気に顔をしかめるユカを口の端で笑いながら、政宗は再び、彼女の正面に腰を下ろそうとして……。
「……政宗、こっちこない?」
「こっち?」
そう言って彼女が指差したのは、自分の左隣。テーブルの角を挟んで向かい合う位置だった。
どうしてだろうと顔に疑問符を浮かべる政宗に、ユカは「はー……」とこれみよがしなため息をついて、その理由を説明してあげる。
「正面だと、テーブルもあってなんか遠いなぁって。政宗のこと、もっと近くで見たいと思ったらいかんと?」
「……」
そう言われると断る理由がない。彼は無言で椅子を動かして、もっと、彼女に近づいた。
テーブルの角をはさんで向かい合う政宗に、ユカが満足そうな表情を向ける。
「エヘヘ……独り占めだ」
「い、いつもそうだろうが」
気恥ずかしくなって視線をそらす政宗に、ユカはどこまでも嬉しそうに……こんなことを呟く。
「そうなんやけど、なんか……これで最後かもしれんなって思ったら、色々見ておきたくなるやん?」
「え……?」
最後。
今、彼女は「最後かもしれん」と言った。
一体、何の話をしているのだろう。
口を開いて放心状態の政宗に、ユカが、すこし離れた場所にある、彩衣が残したバインダーを指差す。食事で汚れないようにと、食べる前に移動させておいたのだ。
「あれ、読んでみて」
言われるままに立ち上がり、政宗はバインダーを置いた棚の前に立った。そして、その内容を確認して――息を、のむ。
『山本さんの体調について
体温、脈拍、血圧、共に問題なし。新たな記憶の混濁や意識障害もなし。
ただ、午後2時から4時にかけて、「背中が痛い」と訴えてベッドから動けなくなる。苦しそうに何度も呼吸を整えており、伊達先生に連絡をして指示を仰ぐ。
伊達先生の指示:山本さんの生命力を信じて、経過を観察することしか出来ない。万が一臨終状態になったら、早急に医療センターへ連絡を。
恐らく、病の完治に伴って、山本さんの体を元に戻す前段階だと思われる。』
『臨終』
その言葉に背筋が寒くなり、胸がギュッと締め付けられる。
一番大切な人が、『また』、いなくなってしまうかもしれない。
そう思った瞬間、目の前が暗くなった政宗は……頭を振って、心によぎった闇を追い払った。
死神の足音は――絶対に、聞きたくない。
ここまで読んだ政宗は、残りの記載をとりあえず後回しにして、慌ててユカのところへ駆け寄る。
そして、彼女の顔を覗き込み、狼狽しながら問いかけた。
「ケッカ、本当に大丈夫なのか!? もしかしてまた無理してるんじゃ……!!」
脳裏を過るのは、広い部屋の中央でポツリと1人で座り込んでいる、あの時のユカの姿。
まさか化粧をしているのも、顔色を誤魔化すため?
悪い方へと想像してしまう政宗に、ユカが慌てて言葉をかける。
「い、今は大丈夫だよ。ご飯食べて、お腹いっぱいで幸せやけんね。これは本当」
政宗の目を見てはっきり言い放つユカは、彼に座るよう促して……自分の状態を改めて語りだす。
「今日のお昼ごはんを食べた後やったかな……急に背中が痛くなって、呼吸が苦しくなった。なんか無理やり圧縮されているような、見えない力で押さえつけられてるみたいな……そんな感覚があって」
「……それで、どうなったんだ?」
「気がついたら治まっとったんよ。ただ……これは多分、あたしの体が元に戻ろうとしてるんだと思うん」
「元に、戻る……」
また、違和感がある。
元に戻る、とは……どういうことだろう。
だって、ユカは19歳じゃないか。
自分の目の前にいる彼女が、本当の姿ではないのか?
困惑が色濃く残る政宗に苦笑いを向けるユカは、手元のココアを一口飲んでから、彼へ無邪気に笑いかける。
「実は今日、富沢さんにちょっと話を聞いたんだ。今のあたしのことについて」
「今のケッカの……こと……?」
「そう。伊達先生の見立てによると、今のあたしは、これまでココにおったあたし――分かりやすく『ケッカ』って呼ぶけど、ケッカがほぼひっくり返ったような存在なんだろうって。ちゃんと成長して、ケッカが覚悟を決めて取り組んできた10年間を忘れて……何も知らない。そして、『ケッカが覚えていない』ことを、あたしは覚えてる」
「ケッカが覚えてないこと……?」
ユカが唐突に語りだした内容は、政宗にとって寝耳に水、ちっともピンとこない。
困惑と疑惑で顔をしかめる政宗に、ユカは一度息をつくと……具体例を出して説明することにした。
「この間、研修時代の話をしたやろ? そこで……やっぱりあたしの具合が悪くなって、政宗が後ろからずっと支えてくれとったこと、今のあたしは、ちゃんと、覚えてるよ」
「え……!?」
刹那、政宗は持っていたコーヒーカップを取り落としそうになる。寸でのところで堪えた彼は、慌ててそれをテーブルの上においてから、改めてユカを見つめた。
あの時のことは、政宗しか覚えていないと思っていた。
ユカは体調が悪かったこともあり、記憶すらしていない――そう、思っていたのに。
「覚えてる、って……でもあの時確かに、ケッカは覚えてないって……!!」
自分がはっきり動揺していることが分かる。声がかすかに震えていることも嫌になるほど分かる。
でも――政宗の目の前にいるユカは、苦笑いを浮かべつつ、決定的な一言を告げた。
「そうみたいやね。でも、ちゃんと覚えとるよ。あの時……政宗の手に落ちたアイスまで舐めちゃって『はい、美味しかったです。ごちそうさまでした』って、言ったこと。今は絶対、あげなこと出来んよ」
「……」
ここまで具体的に言い当てられると、絶句するしかなかった。確かにあの時聞いた、ユカからの言葉に間違いない。
政宗が初めて、ユカを独り占めしたいと思った――2人だけしか知らないはずの、あの時の言葉に。
呆然とする政宗に、ユカは苦笑いで話を続ける。
「正直、あたしも理由はよく分からんけど……でも、こんな感じで、あたしと『ケッカ』は相反することが多いんよ。だからきっと、『ケッカ』に戻ったら……この数日間の思い出は、全部、忘れてると思う」
「全部……忘れて……?」
忘れてしまう。
折角、あの時のことを覚えていると分かったところだったのに。
彼女の中から、また、思い出が消えてしまう。
「だから今日は……沢山、政宗の顔を見ておこうと思って。あたしはこれで、見納めかもしれんけんね」
「見納め……」
彼女の言葉を反すうすると、心のなかに違和感が残った。ユカはそんな彼の変化に気付け無いまま、努めて明るく話を続ける。
「まぁ、元に戻った後も、いくらでも見ることが出来るんやろうけど――」
――違う。
政宗の直感が訴える。
それは、違う。
「……元に戻るって、何だよ」
彼が俯いて呟く言葉に、ユカが「え?」と問いかける。
政宗は顔をあげると、そんな彼女を真っ直ぐに見つめて……その目尻に、涙を浮かべた。
「戻るって何だよ……ケッカの本当は、今のこの姿なんじゃないのか? どうして、どうして……また……」
「政宗……!?」
戸惑っているユカの声が聞こえた。無理もない。この数日の政宗は、自分の泣き顔を彼女に見せないように、必死で隠してきたのだから。
「あ……」
政宗は頬を流れ落ちた自分の涙に気付き、それを手で強引にこすってから……自分の手を、まじまじと見下ろした。
どうして今、自分は泣いているんだろう。
彼女がもとに戻る――政宗がよく知っている『ケッカ』に戻るなら、それでいいじゃないか。
いつもの彼女に会いたい……そう、思っていたじゃないか。
政宗は両手を見つめたまま、自分自身をあざ笑い、叱咤するように吐き捨てる。
「ケッカ、俺……本当にバカだ。最初は違和感しかなかったのに、今はこっちが当たり前になってるなんて……本当、俺はどこまで……君のことが……」
本当はもうとっくに、心のどこかで気付いていた。
外見が変わり、記憶の一部を忘却し、例え、10年間の積み重ねがなかったとしても……結局自分は、彼女に惹かれてしまう。
それは間違いなく、彼女が『山本結果』だから。
佐藤政宗が好きな山本結果は、ずっと、自分の目の前にいてくれている。ずっとそばに居てくれている。
だから、気づかないフリをしたかった。そのことに気付いてしまったら……思いが溢れて止まらなくなってしまうから。
違う人物だと思い続けることで、彼女と一定の距離を保って、接していたかった。
これ以上近づくと、自分が彼女を壊してしまう、そんな恐怖心さえあった。
でも――もう、無理だ。
「あのね、政宗……あたしは、政宗のこと、好きだよ」
昨日、自分に全てを委ねてこう言ってくれた彼女に、きちんとこたえたい。
彼女が好きになってくれた『佐藤政宗』は、彼女との約束を果たしてきた、強い人間だ。こういう時にはちゃんと、伝えることが出来るはずだから。
あの時――2人きりで話をした、夜の屋上。政宗は心の中に浮かんだ言葉を、そのまま口に出していた。
「俺達はきっと、これからもずっと一緒なんだろうな」
それは、彼女を好きになった冬の日も同じだった。
それでいいんだ。
カッコよくなくていい、無理に着飾る必要なんかない。
今は、あれこれ考えるよりも……心の中にある言葉を、そのまま、彼女へ。
「政宗、あの――」
「――待ってくれ」
ユカの言葉を遮り、政宗は目尻の涙を拭う。
そして、彼女を真っ直ぐに見つめて……肩をすくめ、笑顔を向けた。
「昨日は、情けなくて……本当にゴメンな。今日はちゃんと、俺から言わせて欲しい」
そして、彼は思いを紡ぐ。
例え、未来の彼女が覚えていないとしても。
「ユカ、俺は……君のことが好きだ」
政宗からの言葉を受けたユカは、放心状態で目を開いた。
そして……大きな目に浮かんだ涙を、慌てて両手で必死に拭う。
「や、ちょっと待って政宗……政宗が好きな『ユカ』は、あたしじゃなかろうもん……?」
「俺も最初はそう思ってた。でも……そもそも違う『ユカ』って何だ? 俺が好きな『山本結果』は、ここにいるたった1人なんだ」
やっと、自信を持って言うことが出来る。心の中にあったモヤが晴れて、ようやくスッキリした気分になれた。
一方、困惑が続くユカは、涙を必死に拭いながら言葉を続ける。
「だ、だってあたし、10年間のことなんか何も覚えてなくて……」
ここにいるユカには、10年間の蓄積がない。
そのことが負い目になり、政宗も困惑させた。だから――ここからの未来は彼が好きな『ケッカ』に任せて、自分はあと少しだけこの現状を楽しんでから、消えたい。そう、思っていたのに。
子どものように涙をボロポロと落とし、制御出来ないユカに……政宗は軽く目を閉じて、自分の左手の小指からつながる『関係縁』を見つめた。
鮮やかな紫色の縁は、真っ直ぐ、色を変えずに、ユカとしっかり繋がっている。
これだけで……また、涙が溢れた。でも、繋がっている『縁』が、今の政宗に力をくれる。
政宗は泣きそうになる自分を必死で制御しながら、一言ずつ、思いを言葉にして、彼女に伝えていく。
「確かにそうかもしれない。正直、覚えていて欲しい思い出も多いんだ。でも……やっぱ、ユカはユカなんだよ。こうして話して、一緒にいて……統治と3人でいても、何も変わらない。俺が救われた、あの時の3人なんだ」
あの夏の研修、3人で共に過ごした時間。
例え、結末は悲劇的であったとしても……戻れるならば戻りたい、そう願ってしまうほど、楽しくて、忘れられない時間になった。
政宗はそっとまばたきをして、視界をもとに戻した。そして、ユカの目尻に浮かぶ涙を右手の指で拭うと、反対の手を、彼女の頭にのせる。
そして、ユカに笑顔を向けてから……心のなかに浮かんだ言葉を、そのまま口に出した。
「例え、ユカがどんな姿でも……俺たちはこれからも、ずっと一緒だ」
刹那、ユカがテーブルに手をついて立ち上がろうとした。しかし、膝から下が動かない彼女の体を腕一本で支えられるはずもなく、バランスを崩した彼女の体が、椅子の上から床へ転がり落ちる。
「ユカ!?」
慌てて椅子から離れてしゃがみこんだ政宗は、俯いている彼女の肩を両手で掴んだ。そして、少し強引に彼女の体を持ち上げつつ、大きな怪我をしていないかどうかを確認する。
「バカ、何してるんだ!! 怪我でもしたら大変だぞ!?」
「だ、だって……」
ユカは声を震わせ、両手を強く握りしめた。
そして……顔を上げて政宗に笑顔を向けると、彼に抱きついて、細い腕をその背中にまわす。
「だって……嬉しかったっちゃもん……政宗が……政宗がぁっ……」
「ユカ……」
「あたし、ちゃんと覚えてないのに……ちゃんとした『山本結果』じゃないのに、それでも、それでも……!!」
そこから先は言葉にならない。小さな肩を震わせて泣き続ける彼女を、政宗はしっかり抱きしめてから……彼女にだけ聞こえるように、もう一度呟いた。
「ずっと……あの時からずっと、ユカのことが好きなんだ。だから俺が……俺が、側にいられたらって……」
宮城と福岡。そう簡単に会えるような距離ではない。今でこそ電話やメールですぐに連絡をとることが出来るようになっているが、特に最初の2年ほどは……ユカの容態が不安定なこともあり、例えメールでも、直接連絡を取ることに気が引けていた。時折届く瑠璃子や一誠からの情報が、政宗を励まし続けた。
特に政宗は、電話をすることに躊躇ってしまっていた。瑠璃子からは「取り次ぐから、遠慮しないでいつでもかけていい」と言われていたのだが、どうしても……声を聞くと、会いたい気持ちに押しつぶされてしまいそうになることが分かっているから。
側にいて欲しかった。
ずっと……側にいたかった。
ここで政宗も我慢できずに、彼女を抱きしめたまま、大粒の涙を流す。
「側に居られなくて、本当に辛かった。俺が……君の将来を全て奪った、俺が、俺がユカを殺したんだって……何度も、そう、思って……!!」
一方、一度決意しても、現実はなかなか上手くいかない。特に、名杙家でもない、何の後ろ盾もない彼なので、『縁故』としての実績を積み重ねるごとに身内が敵になっていくという、歯がゆい現状に直面することになってしまった。
心のどこかに残っている過去の自分が、何度も、彼の中で闇を広げそうになったこともあるけれど。
そんなときに思い出すのは、やっぱり、あの時のユカからの言葉。
「政宗……あたしはここで、『縁故』として生きていくよ」
「だから……政宗は、あたしの前からいなくならんでね。ずっと、ずっと……『関係縁』、繋いどってね」
ユカは決して諦めていない。だから政宗も、ここで諦めるわけにはいかない。
左手の小指からつながる『関係縁』を見つめたり、繋がっていることを確認したくてたまに少し引っ張ったりして……一歩を踏み出す勇気を充電していた。
そして彼は、外へ、自分の味方を作ることにする。名杙以外の人脈を広げ、愛想笑いとしたたかさをスキルアップさせて、理不尽なことや辛いことにも数多く耐えてきた。
全ては、3人で交わした約束を果たすため。
あの時……ずっと『関係縁』を繋いで欲しいと言ってくれた彼女の願いを、叶えるため。
政宗はユカを抱きしめたまま肩を震わせて……嗚咽を噛み殺し、胸の奥にずっとあった言葉を、声に出して、伝える。
「ユカと統治が、俺に生きる意味をくれたんだ。ユカが生きていてくれたから、俺は、ちゃんと大人になれた」
10年間、この言葉を伝えたくて生きてきた。好きだという思い以上に、どうしても、この言葉を。
「……ユカ、ありがとう。俺は、君に出会えて……本当に良かった」
あの冬の日、生きる理由をくれた彼女へ。
ずっと伝えたかったのは、『好き』の気持ちと――心からの『ありがとう』。
ここまで言って、少し腕の力を緩めた政宗は……相変わらず涙を流すユカの顔を、大きくなった両手で優しく包み込んだ。
「どうしてユカがそんなに泣いてるんだよ……泣きたいのは、感謝1つ伝えるのに10年かかった、俺の方なんだぞ……」
「ま、政宗だって泣いとるよ……だって……だって……」
ユカは自分の手を彼の手に添えると、泣き顔のまま言葉を続ける。
「怖かった……あたし、本当にどうなるんだろうって……い、いきなり身長とか伸びとるし、知らない人しかおらんかったし……」
その時に感じた不安感は、言葉で言い表すことが出来ない。言葉の代わりに、また、涙が溢れる。
「だから、政宗と統治がいてくれて、本当に嬉しかったよ。でも……2人が困っとることも、すぐに分かった。あぁ、あたしは違うんだって……ここにいていいあたしじゃないんだ、って……」
政宗の手の中に、ユカの涙が溢れる。
彼は相槌をうちながら……彼女の言葉に、心を寄せた。
「10年間のことなんか……何も分からんよ。覚えとるはずの10年前のことだって、認識が違って……でも、政宗のことが好きだって気持ちは、ずっと残ってた。あの時から……辛いあたしに気付いてくれて、支えてくれた……あの時からね、あたしは……」
ユカは呼吸を整えながら、震えが残る口角を上げた。そして、泣きながら笑みを浮かべると、自分からもはっきりと、彼に伝える。
今、目の前にいる彼へ……改めて、今のユカの声で。
「政宗……大好きだよ」
その言葉を受けた政宗は、もう一度、ユカを力強く抱きしめた。
※お読みの小説は『エンコサイヨウ』です。
段々と今回のからくりが明かされていきますよ。お待たせしました……あれ、そんなことどうでもいい?
個人的には、告白よりも感謝のセリフを書いているときのほうがグッときておりました。政宗が10年かけて伝えたかったのはコレに尽きるんだろうな、と、書いていてようやく彼の気持ちが理解出来た気分です。
そして挿絵的なイラストは、おがちゃぴんさんから過去にもらったものを合成したり描き足したりして(遂に足したのか霧原←ちゃんと事前に報告してます!!←そういうことじゃない)勝手に作ってしまいました!! あー楽しかった。これだけ素材があるなんて、本当にありがたいことです。
……あれ? ユカと両思いになったら、『エンコサイヨウ』終わりなのでは……。