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エピソード5:名杙兄妹ラブコメディ①

 金曜日、雨は今日も降り続ける。

 時刻は16時45分頃。学校帰り、ちょっと久しぶりに『仙台支局』に立ち寄った心愛は、仕事をしている統治の机に、そっと、小さな袋を置いた。

 今日は1件外回りがあり、久しぶりにスーツとネクタイ姿の統治が、妹が持参した謎の袋を凝視する。斜め向かいの席で仕事をしていた華蓮もまた、チラリと視線を向けたが……すぐに目線を手元のパソコンに戻し、事務作業を再開した。

 心愛が持ってきたのは、片手にのるくらいの白い紙袋。表面には英語で書かれた、店名らしきロゴも印刷されているが……これだけでは内容がサッパリ分からない。統治が心愛を見上げて、この中身の説明を求める。

「心愛、これは一体……」

 そんな兄に、心愛は一瞬口ごもってから……制服の裾を握って、その中身を伝えた。

「け、ケッカが具合悪いって聞いて……これ、気分が落ち着いたり、ぐっすり眠れるって評判のアロマオイル。阿部会長に教えてもらったの」

 そう言って視線をそらす心愛は、どこか不安げな表情で統治を見ている。

 彼女が家族や身内以外の誰かのために、1人でお見舞の品を選ぶなんて……きっと、初めてだっただろう。そんな妹に、統治は心からの感謝の意を示す。

「必ず山本に渡しておく。ありがとう」

 統治の言葉にホッと安心したような表情を見せる心愛だったが、普段、彼女が座っているはずの席に視線をうつし……心配そうな眼差しで問いかけた。

「ケッカ、そんなに悪いの?」

 いくらユカの具合が悪いとはいえ、彼女のみならず、支局長である政宗まで一緒になって休んでいるのは、どうしても違和感があるから。

 心愛の質問に、統治は華蓮と同じ内容を説明した。

「とりあえず熱は下がって、風邪としての症状は大分治ってきた。ただ、山本は元々『生命縁』が不安定だからな。不測の事態を想定して、誰かが必ず付き添っていなければならないんだ。宮城でも……名杙としても初めてのケースだから、慎重に対応しているところだ」

「そっか……分かった。お大事にって伝えてね」

「ああ」

 統治が優しく頷いた次の瞬間、室内にインターホンの音が響いた。統治はパソコンの画面で時間を確認してから、政宗の席にある受話器を使う前に、扉の方へ歩いて行く。

 普段ならば受話器で相手を確認してから出迎えるのだが、ワンクッション省略した統治の行動に、心愛と華蓮は顔を見合わせて、ともに首を傾げた。


「――お疲れ様です、名杙さん」

 統治が扉を開くと、両肩を少し雨で濡らした透名櫻子(とおな さくらこ)が、ペコリと会釈をする。

 つややかな黒髪を首の後ろでゆるく1つに結い、白いカーディガンと薄い水色のワンピース、足元は8センチの黒いハイヒールを着用している。その手に持つベージュのトートバックは、A4サイズが入る縦長のフォルム。かっちりとした作りなのに、随所に細工が施されており、女性らしさを感じることが出来る。要するに、今の彼女は完全に仕事モードである。

 統治の案内で『仙台支局』に足を踏み入れた櫻子は、彼に促されて応接用の椅子に腰を下ろした。

「透名さん、コーヒーでいいですか?」

「はい、ありがとうございます」

 笑顔で首肯する櫻子に一度背を向けて、統治は衝立の向こうへ移動した。すると丁度華蓮が立ち上がり、来客用のコーヒーを用意しているところに遭遇する。

 手伝おうと近づく統治を、振り向いた華蓮が視線で制した。

「名杙さんはお客様の応対をお願いします。すぐにお2人分お持ちしますので」

「あ、ああ……分かった」

 華蓮の言葉に頷く統治は、その言葉に甘えて櫻子の元へ戻ることに。

 そして、彼女の正面に腰を下ろし、軽く頭を下げた。

「今回は、ご足労をおかけしました」

「気にしないでください、今日は泉(仙台市泉区のこと。『仙台支局』からさほど離れていない)で研修があって……あと、伊達先生に頼まれていたことですから」

 櫻子はそう言って、トートバックからA4サイズの茶封筒を取り出した。

「これが、実家の病院で健康診断を受ける時に記載が必要な問診票や注意事項一式です。今回は山本さんという女性が、来月頭までに検査をご希望だとか。予約は伊達先生が取ると伺っていますので、当日までに必要事項を記載して、持参していただければと思います」

 櫻子の実家は、宮城県北部にある登米市(とめし)で、『透名総合病院』という病院を経営している。仙台市からは車で2時間程度かかる場所なのだが、ここで聖人が働いていること、『縁故』という職業に理解があること、そして何よりも、信頼出来る優秀なスタッフが揃っていることから、今回、ユカの健康診断の病院として選ばれた……の、だろう。

 統治の中で全て曖昧なのは、彼もまた、詳しいことは何も知らないからに他ならない。

「そう、なんですね……申し訳ありません、俺も伊達先生からの又聞きで、細かいことは把握していないんです。とりあえずコレを、山本本人が直接記載すればいいんですね」

 正直、統治もこの話を聞いたのはつい数時間前なのだ。今日の午前中に、聖人から「櫻子ちゃんが書類を持ってそっちに行くから、受け取って、政宗君に渡しておいてね」としか言われていないのだから。彼女が訪ねてくる時間だって、そこから慌ててメールで聞いてみたのだ。返ってきたのは、平仮名と数字とカタカナが混じった、謎の1文だったけれど。

 統治の言葉に櫻子が頷いた次の瞬間、コーヒーを2つ持ってきた華蓮が、2人の目の前にそれぞれを置き、中央に砂糖とミルクを置いて、再び衝立の向こうへ引っ込んでいく。

 櫻子は砂糖とミルクを少し足してからティースプーンで中身をかき混ぜ、そっと、口に含んだ。

 そして、カップを口から離し、衝立の奥を覗き込むように、少しだけ体を傾ける。

「……そういえば、今日は佐藤さんはいらっしゃらないのですね。久しぶりにご挨拶を、と、思ったんですけど……」

「佐藤は今日は休みですが、山本を連れて行くのは佐藤になるかと思いますので……その際は宜しくお願い致します」

「分かりました。私も、山本さんとお会い出来るのを、楽しみにしていますね」

 そう言って、綺麗な所作でカップをテーブルに戻す櫻子に、統治は何も言えなくなって……コーヒーを飲んで自分の口をふさいだ。

 櫻子は、ユカのことを何も知らない。実際に顔を合わせた時――その時のユカがどんな状況なのか、今の統治には分からないが――どんな反応を示すのだろうか。

 統治がそんなことを考えていると、コーヒーを飲み終わった櫻子が、カバンを持って立ち上がる。そして、座っている統治に向けて頭を下げた。

「では、私はこれで失礼します。お邪魔しました」

「え、あ……」

 慌てて立ち上がる統治は、そのまま出ていこうとする彼女の背中に、何か声をかけようとして――


「――ちょっとお兄様!! このまま帰らせるなんてありえないんですけど!!」


 次の瞬間、衝立の向こうから顔を出した心愛に全て持っていかれた。



 統治の脇を通り抜け、思わず動きを止めた櫻子へ近づく心愛は、目をパチクリさせている彼女にペコリと会釈。顔をあげると、そこには完璧な美少女がいた。

「こんにちは、透名さん。先日は突然おしかけてしまってスイマセン。ありがとうございました」

 そして、完璧な対外モードで接している。もっとも、先程大声を出したせいで、心愛の印象操作は大分失敗している気がしなくもないけれど。

 我に返った櫻子もまた、心愛に会釈をして……彼女に笑顔を向けた。

「こちらこそ、先日はありがとうございました。心愛さんも、その……お務め、なんですか?」

「はい。まだまだ未熟ですが……頑張ってます」

 統治は妹の背中を見つめながら、「心愛って謙遜出来るのか……」と、少しズレたことを考えていた。

 そんな心愛はギロリと一瞬統治を睨んでから、改めて櫻子に向き直り、こんなことを尋ねる。

「透名さんは、ここからどうやってお帰りですか?」

「少し離れた場所に車を駐めています。今日はこの天気で、駅に近いコインパーキングが全滅で……」

 そう言って苦笑いを浮かべる櫻子に、心愛は「それは大変ですね」と相槌を打ってから。

「ではお兄様、車がある場所まで送って差し上げたらいかがですかぁ?」

 そう言って、それはもう意地悪な笑みと共に振り返る。それは今までに統治が見たことのない妹の表情だった。

「心愛……!?」

「あらお兄様、透名さんのご実家の病院では、お祖母様もお世話になっているんですよ? その上わざわざ仙台にまで出向いてもらって……まさか、このままココでお別れするつもりじゃなかったですよねー?」

「……」

 確かに統治も、彼女ともう少し話を――スマホどうですか、とか、メールにカタカナ入ってましたね、とか、リダイヤルが10回もきていたので誤操作気をつけてね、とか、そもそもスマホにちゃんとロックかけてますか? 等――したいとは思っていた。でもまさか、それを妹にお膳立てされることになろうとは。

 統治は心愛から視線をそらし、豹変した妹の向こう側で困惑している櫻子を見つめた。そして……一度浅く息をついてから、櫻子に一言、断りを入れる。

「すぐに用意してきます。お待ちいただくことは可能ですか?」

「え!? あの、いえ、そんなお気遣いなく!! 流石に1人で車までは戻れますから……!!」

 ズレたことを言って手を振る櫻子に、統治はいつもの調子で言葉を続けた。

「俺も……もう少しお話が出来ればと思っていたところなんです。よろしければ、お付き合いいただけますか?」

「……」

 ここまで言われると、断る理由がない。櫻子は慌てて居住まいを正し、ペコリとその場で頭を下げる。

「分かりました、宜しくお願いします……!!」


 統治は最低限度の荷物――傘とスマホ、仙台支局への入館証――を持って、支局内の電話を留守番電話へ切り替えた。そして、華蓮と心愛と分町ママに留守番を頼み、櫻子の隣に立つ。

「お待たせしました」

 頷いた彼女を先導して『仙台支局』を出た2人は、外へ出たところで、それぞれに傘をさした。

「透名さん、車はどこに駐めたんですか?」

「えっと……花京院の交差点の先にあるコインパーキングです」

 櫻子が仙台市市街地の地名を口にすると、統治は脳内に地図を呼び出して、何となくの場所を思い描く。

 そして、2人並んで、雨が降り続ける歩道を歩き始めた。仙台の中心部の歩道ということで通常よりも広くなっており、傘をさした大人が2人並んで歩いても、十分な余裕がある。

 丁度学生が帰宅する時間でもあるため、2人のように傘の下でお喋りに興じている女子高生や、雨の中で傘さし運転をする危険な自転車とすれ違う。統治が危うくぶつかりそうになった若者にジト目を向けていると……彼の右隣を歩く櫻子が、傘を少し動かして顔を覗かせ、少し声を潜めて、統治に声をかけた。

「あ、あの……名杙さん、1つ伺ってもよろしいですか? 答えにくかったら答えなくていいんですけど……」

「は、はい、何でしょうか?」

 彼女の態度に急に身構えてしまう統治に、櫻子は数回躊躇ってから……意を決して、口を開く。

「あ、あの……先程書類を渡して欲しいとお願いした、山本さんのこと、なんですけど……伊達先生と富澤さんが話しているのを、聞いてしまって……」

 彼女の口からついて出たまさかの内容に、統治は全身を緊張させた。

 心愛と櫻子は、第2幕のエピローグ内で既に会っていることが発覚していますが……こうして対面させたのは初めてですね。そして、普段の櫻子は仕事できる子なんです。ええ、基本的に『エンコサイヨウ』のキャラは仕事出来ます。ただ、性格や思考、私生活がちょっと残念なだけなんです。

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