エピソード4:過去の彼女を知らない彼女④
「……と、いうことでした」
車に戻ってきて、一言一句違うことなく伝えた華蓮に、運転席に座っていた聖人は、特に悪びれた様子もなく言葉を紡ぐ。
「そっかー、残念。伊達先生のユーモアは、今の政宗君に伝わらなかったか……」
口調はちっとも残念そうではない、むしろ楽しそうにそう言いながらアクセルを踏んで、車は再び雨の降る道を走り出した。
あの政宗を驚愕させた袋の中身、そこまで大きさはなかったけれど、その中身は一体……?
「……一体何を渡したんですか?」
「それは秘密。まぁ……政宗君の緊張感をほぐすもの、だと思ってくれていいかな」
「はぁ……」
正直モヤモヤが残るものの、これ以上この2人に関わりたくはない。華蓮はいつも通り気持ちを切り替えて、運転をする聖人の横顔に、話を続ける。
「佐藤支局長と5分ほど立ち話をしましたが……特に違和感はありませんでしたよ」
「そっか、ありがとう。やっぱり華蓮ちゃんは反応しなかったか……」
「何のことですか?」
「統治君がね、あの部屋に長くいると、体調不良を訴えるようになって。でも、政宗君は割とケロッとしているから……華蓮ちゃんならどうなんだろう、って、ちょっと試してみたくなったんだ」
やはり自分は試されていたのだ。華蓮は頬を膨らませて、明らかな苦情を訴える。
「……そういうことは、ちゃんと教えてください」
「知ってたら構えちゃうでしょ? 華蓮ちゃん、ただでさえ政宗君と2人なのは苦手なのに」
「そこまで知ってるなら、伊達先生が届けてくださいよ……」
最後まで体よく利用された華蓮のため息に、聖人は前を向いたまま、いけしゃあしゃあと返答するのだ。
「だって、自分が行くと……政宗君に何されるかわからないからね」
……そんなもの、渡さなければいいのに。
あの袋の中身を益々知りたくなくなった華蓮は、窓の外に視線を移して……本日何度目なのか分からないため息を、ついた。
「政宗、誰が来とったと?」
テレビの前においたビーズクッションに体をうずめてゴロゴロしていたユカが、リビングに戻ってきた政宗を見上げて問いかける。
今日の彼女は熱も微熱程度まで下がり、額に相変わらず冷却シートは貼り付けているものの、今は、彩衣が買ってきたトレーナー素材のロングワンピースと、黒いレギンスという普段着を着用していた。正直、この長い髪は邪魔なのだが、不用意に切るわけにもいかないので……バレッタで無造作にまとめている。
そんな彼女の問いかけに、政宗は紙袋から予備の風邪薬を取り出しながら……真顔で返答した。
「伊達先生の知り合いが、荷物を届けてくれたんだ」
そういって紙袋の残りを持ち、隣の自室ヘ移動。完全に隠蔽してから、再びリビングに戻ってくる。
時刻は間もなく19時になろうかというところ。今日も統治は立ち寄ると連絡をくれているので、2人して到着を待っているところなのである。
次の瞬間、ダイニングテーブルの上においてある政宗のスマートフォンが、激しく振動した。
その動きから着信であることを悟っている政宗は、統治からの連絡かと思って画面を見下ろし――
「――え?」
相手の名前を確認してから軽く目を見開き、政宗は慌てて電話に出る。
「も、もしもし……あ、瑠璃子さん……!?」
その名前を聞いたユカもまた、寝転がったまま彼を凝視した。
電話の向こうにいる彼女――徳永瑠璃子は、いつも通りの口調で話し始める。
「お疲れ様です、徳永ですー。久しぶりー。元気しとるー?」
「おかげさまで何とか……どうかしたんですか?」
政宗のスマートフォン、着信を知らせる画面には、『福岡支局』の文字が表示されていた。彼は思わず福岡で何かあったのかと思って、気持ちを一気に引き締めたのだ、が……。
「あのね、ユカちゃんの4月の勤務実績の書類、原本を郵送で送ってもらったやろー? それについてちょっと聞きたいことがあったんやけど……『仙台支局』に電話したら、名杙君から、政宗君は今週自宅勤務って聞いたけん、お姉さんが久しぶりに、こうして電話をかけてみたってわけ」
「そうでしたか……ちょっとパソコンを持ってきてもいいですか?」
思っていたほど重大な内容ではなさそうだ。政宗は一旦瑠璃子に断った後、慌てて自室からノートパソコンを持ってくる。ダイニングテーブルの上にそれを広げると、電源を入れて、オフラインでも確認出来るようにしておいた『仙台支局』に関する自分用の資料を開いた。
「スイマセンお待たせしました、何か不備がありましたか?」
「ありがとー。不備ってほどじゃないんやけど、ユカちゃんの、仙台での勤務開始日の扱いがねー……」
その後、5分ほど事務的なやり取りをした政宗に、瑠璃子は「ふむふむ、了解しました、ありがとー」と受話器の向こうで謝辞を述べつつ……少し声を潜め、こんなことを尋ねる。
「ユカちゃん、何かあったと?」
「え……?」
不意に核心を突かれて、思わず動揺を声に出してしまった。そんな政宗の態度で何かを察したはずの瑠璃子だが、努めて明るく返答する。
「いやーだって、支局長が自宅勤務って、よっぽどのトラブルが発生したのかなって思ったんよ。違ってたらゴメンね」
ここではぐらかすことも出来た。ただ、政宗はどうしても……電話の向こうの彼女たちに嘘をつくことが出来ない。混乱している心情を相談したくなる気持ちを堪え、表向きの情報を発信しておくことにした。
「いえ……その、実はケッカが風邪を引きまして」
「え……!?」
今度は受話器の向こうで瑠璃子が絶句した。政宗は慌てて言葉を取り繕う。
「た、大したことじゃないんですけど、宮城で体調を崩すのは初めてだったので、慎重に経過を観察しているところなんです……瑠璃子さん?」
今まで相槌をうってくれていた瑠璃子の反応がないことに、政宗は一抹の不安を抱いて彼女の名前を呼ぶ。
受話器の向こうで我に返った瑠璃子が、「そうだったのかー」と、いつも通りの口調で声を返す。
「ユカちゃんが体調を崩すなんて、珍しいからびっくりしちゃった。それは大変やったね……政宗君もあんま無理しちゃいかんよ」
「はい、ありがとうございます」
「ゴメンね忙しい時に、助かりました。ユカちゃんにお大事にって伝えとってねー」
そう言って電話が切れる。政宗は通話の終わった電話を見つめ……一度、息をついた。
場所は変わって、『西日本良縁協会福岡支局』。既に通常業務は終了しているこの時間、事務所内にいるのは、瑠璃子1人だけ。
自分の机に配置された固定電話で政宗との通話を終えた瑠璃子は、手元にある正方形の付箋に、先程聞き取った内容を記載して、付箋の下にあるユカの書類にはりつけた。
ヘアスタイルも、体型も、10年前とほぼ変わっていない。しかし、眼鏡の奥にある瞳は、これまでの経験に裏打ちされた落ち着きがある。今の瑠璃子は『縁故』としての最前線からは退いており、事務方のトップとして『福岡支局』を支えている。
襟の付いた白いシャツと、ジーンズ素材のロングスカート、足元は黒いレースの靴下と、室内履きのナースシューズという出で立ちの瑠璃子は、更に付箋を2つほど記載してからユカの書類にはりつけて、書類を封筒の中に戻した。
そして……改めて電話機を見つめ、怪訝そうな表情で眉をひそめる。
次の瞬間、事務所入り口の扉が開き――
「――あれ、瑠璃子さん、まだ残ってたんですか?」
福岡市郊外での仕事を終えた橋下セレナと川上一誠が、2人して事務所の中に入ってきた。
毛先をゆるく巻いた髪の毛をたらし、長袖Tシャツの上からレース素材の膝丈ワンピースとボーダーのレギンスという組み合わせ。一方の一誠はクールビズを実践しているかのような、半袖の黒い無地のポロシャツとグレーのパンツを着用している。10年前よりも更に貫禄が出来た彼は、今、『福岡支局』においてセレナ達のような若手『縁故』を統括する立場にいた。ちなみに瑠璃子とは3年前に結婚しているが、『福岡支局』で働く時は、引き続き仮名の『川上一誠』と『徳永瑠璃子』で仕事をしている。
瑠璃子は2人に「お疲れ様ー」と言葉をかけると、おもむろに立ち上がり……彼女とは別の島にある自席でPCメールをチェックしようとしているセレナのところへ近づいた。
「ねぇ、セレナちゃん……ユカちゃんが具合悪いって、何か聞いとるー?」
「えぇっ!? あのユカがですかっ!?」
瑠璃子からの言葉を聞いたセレナが、目を見開いて事務所中に響く大声をあげた。
すると、セレナの斜め向かいの席の一誠が、瑠璃子に「いやいや」と苦笑いを向ける。
「おいおい冗談だろう? 山本ちゃんといえば、ここでどれだけインフルエンザが流行しても、毎年風邪1つ引かずにピンピンしてるような健康優良児だろうが。まさか……」
「でも、さっき用事があって政宗君に電話したら、そげな話やったとよ。彼がユカちゃんに関して嘘をつくとは思えないし……慣れない環境で、疲れが一気に出ちゃったのかねぇ……?」
うーむと首をかしげる瑠璃子を、一誠は真面目な顔で見つめて……腕を組み、ため息をついた。
「4月の名杙君の件といい……宮城で一体、何が起こってるんだろうな」
再び、福岡から遠く離れた宮城県仙台市。
「……ねぇねぇ政宗、ちょっとちょっと」
電話も終わったのでパソコンを片付け、椅子に座って再びスマートフォンを操作している政宗を……床の上に座り直したユカが、ちょいちょいと手招きする。
何事かと思って彼女に近づき、しゃがんで視線の高さを合わせる政宗。そんなユカは自分の額からペリペリと冷却シートをはがすと、その額を、政宗の額におしあてた。
「ケッ……!?」
予想外の行動に、政宗は体が硬直して変な声しか出ない。至近距離で自分を見つめる彼女は、どこか意地悪な上目遣いで、口元にニヤリと笑みを浮かべた。
「ほら、そろそろ熱も下がってきたと思わん?」
「いや……それは体温計で計ってみないと何とも……」
「まぁ、それはそうなんやけど……ヘヘッ」
どこか楽しそうに笑うユカは、政宗からそっと離れてから……まだ顔が赤い彼を見つめ、どこか自嘲気味に呟いた。
「政宗、やっぱり1人で椅子に座っとるっちゃもん。そりゃあ仕事してる時はしょうがないけど、なんか……その、迷惑かけて嫌われてるのかなって、これでもちょっと気にしとったんよ?」
「それは……悪い、そんなつもりはなかったんだが……確かにそうだな」
まさか、昨日の夜のようにあまり近くにいると、ユカが気になって何もできなくなって時間が無駄に過ぎてしまうから……なんて、情けないことを言えるわけもなく。
モゴモゴと言葉を濁す政宗に、ユカがそっと問いかける。
「ねぇ、政宗は……『今の』あたしのこと、好き?」
「え……」
ただでさえ答えに困る質問なのに、『今の』、という言葉を強調したように聞こえた彼女の言葉に、政宗は戸惑いと驚きで……やっぱり、口ごもってしまった。
「俺は……」
自分が好きなのは、佐藤政宗が想いを寄せている山本結果は……。
「俺、は……」
……自分が好きな彼女は、10年前を知り、共に切磋琢磨してきた『ケッカ』だと思っていた。
何度も助けられてきた、政宗が知る中で誰よりも強い女性。そんな彼女と並び立つため、ここまで頑張ってきたのだから。
でも、こうして共に時間を過ごしていくと……目の前の『ユカ』が政宗の知る『ケッカ』と重なることも多い。根本的に同一人物なのだから当たり前だと言われればそこまでなのだが、外見が異なり、記憶の蓄積もない彼女がここまで『ケッカ』とシンクロしていると、最初に『別人』だと認識してしまった政宗は、どうしても混乱してしまうのだ。
加えて、『ケッカ』とは違い、自分に対して甘えてくれたり、頼ってくれたりすることで、どうしても10年前と同じような――初めて出会ったときのような庇護欲を掻き立てられてしまい、その外見とも相まって、今、目の前にいる『ユカ』が気になっていることも事実。
彼女は――違う。直感でそう思ったはずなのに。
すぐに答えられない政宗に、ユカは肩をすくめて……どこか意地悪な苦笑いを浮かべる。
「ちょっと、そげん本気で困らんでよ。やっぱり政宗、あたしのこと迷惑って思ってるんやねー」
「違っ……!!」
それだけは違うとはっきり分かっていたただ、。政宗が慌てて訂正する前に、ユカの右手人差し指が彼の唇を押さえたため……彼は結局、何も言えなくなってしまう。
「言わせてあげない。女の子を不安にさせたことを、ちょっと反省せんね」
「……」
そう言って自分を見上げるユカは、とても楽しそうで、とても無邪気で。
気になってしまう、惹かれてしまう。
この、過去の彼女を知らない彼女に――どうしても。
伊達先生が政宗に何を渡したのか……本編最後で分かる人は分かる、かもしれません。本編とは特に関係ない遊び要素なので、多分明記しません。『エンコサイヨウ七不思議』の1つにします。ただ、他人からこんなものもらったら(少なくとも霧原は)引きます。流石伊達先生そこに痺れる憧れる。
そして、福岡組の10年後も登場させました!! 一誠と瑠璃子は結婚してます。(子どもはいません)彼らにも色々あったことに関しては、隙間語とか、外伝などでチマチマ書けたらいいなぁ……そしてコレでセレナの出番をもっと増やせる!! やった!!