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エピソード4:過去の彼女を知らない彼女③

 木曜日、朝から雨が降り続く宮城県仙台市。

 時刻は間もなく18時になろうとしている。今日も統治と華蓮の2人きりだった仙台支局は、静かに1日の業務を終えようとしていた。

 小花柄のブラウスにジーンズという出で立ちの華蓮が自席から立ち上がり、統治へ書類を持参しようとした次の瞬間……事務所内に電話の音が鳴り響く。

 イヤホンを外した統治が受話器を取り、落ち着いた声で応答した。

「はい、東日本良縁協会――え!? あ、お久しぶり、です……はい、元気です……」

 電話開始数秒で動揺した統治の姿に、華蓮は机を挟んだ斜め向かいで立ち上がったまま、驚いた表情で事の成り行きを見守る。

 普段、誰に対しても落ち着いた態度の統治が、電話でここまであからさまな動揺を見せることなど、今までなかったのだから。

「佐藤ですか? それがちょっと、今週は自宅勤務で……あぁ、それはちょっと俺では分かりませんね……」

 そう言いつつ、統治が顔をしかめる。

「……ええ、電話には出られると思います。お手数をおかけしますが……はい、今度は仕事抜きで遊びに行きたいので、その時は宜しくお願いします」

 いつもよりどこか優しい声音で電話を切った統治は、ここでようやく、自分を凝視している華蓮に気づいた。

「片倉さん……何か?」

「あ……」

 統治の呼びかけで用件を思い出した華蓮は、早足で移動して……書類数枚が入ったクリアファイルを、彼の席へ持参した。

「名杙さん、これ……佐藤支局長に、お願いします」

「分かった。今日はここまでにしておこう。雨も強くなってきたからな」

 書類を受け取った統治がそう言って、机上のスマートフォンで改めて時間を確認した。

 そんな彼の横顔に、華蓮は恐る恐る問いかける。

「あの……先程のお電話、どこからだったんですか?」

 聞いていいのか分からなかったが、統治があれだけ砕けた態度で接する相手は珍しい。

 はぐらかされることも覚悟していた華蓮へ、統治はパソコンの電源を落としながら返答した。

「ああ、『福岡支局』からだ。山本の書類関係で聞きたいことがあったそうだが、俺では分からない内容だった。佐藤へ直接連絡してもらうように頼んだところだ」

 彼はそう言って、昨日から誰も座っていない支局長席を見やる。

 彼と共に政宗の席へ目線を向けた華蓮は……いつもその席に座っている彼と、彼が見つめている彼女がいないことに、昨日以上の物足りなさを感じ始めていた。

「山本さんは、そんなに具合いが悪いんですか?」

 そして、いくらユカの体調不良とはいえ、こんなに情報が入ってこないのは……少しだけ、違和感がある。

 もしかして彼女は、自分が思っている以上に危機的な状況なのではないか……そう思った華蓮の問いかけに、統治はいつもの調子で返答した。

「風邪を少しこじらせているだけで、命に別状はない、と言いたいところだが……山本はそもそも、その生命が不安定な存在だ。本人も仙台に来てから働き詰めだったし、慣れない土地での疲れが一気に出ているから少し休ませてほしい……というのが、伊達先生の見解だ」

 ユカが本来の姿に戻っていること、それを知っているのは、火曜日に居合わせたあの4人と分町ママだけ。分町ママに関しては、一応『痕』なので、状態が不安定なユカのところへは行かないように&政宗の部屋周辺を定期的に巡回して、不穏な存在がいないかどうか確認をして欲しいと頼んであり、本人もそれを了承している。

 そのため、昨日の里穂を含む学生組には、ユカはあくまでも「風邪をこじらせ、大事を取って休んでいる」というスタンスを貫く予定だ。

「伊達先生と話し合いながら、慎重に様子を見て……今後のことを判断しようと思っている。もうしばらく負担をかけることになるが、よろしく頼む」

 終始よどみ無く説明する統治に、華蓮はどこか機械的な違和感を感じつつ……自分には関係ないことだと割り切って、ペコリと頭を下げた。

「お疲れ様でした。今日は失礼します」


 身支度を整えた華蓮が、仙台支局のあるビルの通用口から、いつも通り外に出ると――


「――華蓮ちゃん、お疲れ様」

「っ!?」

 

 急に予想外の方向から声をかけられ、思わず身をすくめた。そんな彼女の死角から飄々と姿を見せた聖人は、いつもの白衣ではなく、黒いトレンチコートにスーツのズボン、という格好と相まって、華蓮にはいつも以上にそれは凄まじく怪しい人に見えている。

 懐疑的眼差しで自分を凝視する華蓮に、彼はいけしゃあしゃあと声をかけた。

「今日は雨が強いから、聖人お兄ちゃんが迎えに来たよ」

「私には姉しかいませんので失礼します」

 そう言って本気で駅の方へ向かおうとする華蓮。聖人は特に慌てる様子もなく追いついて彼女の隣を歩き、こんな提案をする。

「そんなつれないこと言わないでよ。伊達先生、悲しくなっちゃうなー」

 耳元で聞こえる声に不快指数が上昇していく華蓮は、苦い顔で立ち止まった。そして聖人をジロリと睨み、蓮に近い低い声で問いかける。

「……用件は何ですか?」

「ちょっと協力して欲しいことがあるんだ。これから少し、自分に付き合ってね」

 提案……ではなく、既に確定事項だった。華蓮は自分に一切の拒否権が無いことに諦めつつ……まぁ、バイトの残業だと思えばいい、このぐずついた天気の夕方に、車で帰れるなら楽でいいか、と、いつも通り機械的に気持ちを切り替えることにしたのだった。


 近くのコインパーキングに停めていた、グレーのセダンタイプの車の助手席に乗り、2人が向かったのは……仙石線小鶴新田駅せんせきせんこづるしんでんえき近くにある、スーパーや薬局、書店やホームセンターなど、各々独立した店舗が一箇所に集まった、複合商業施設だった。

 駐車場に車を停めて、2人は足早にスーパーの入口へ向かう。入り口近くの軒下で一旦立ち止まり、雨の雫を払い落とす華蓮に、聖人が笑顔でメモと財布を手渡した。

「華蓮ちゃんはこのスーパーで、このメモのものを買ってくれないかな」

「分かりました……って、伊達先生はどうするんですか?」

「自分はちょっと、隣の薬局に用事があるんだ。ケッカちゃんの薬とか諸々ね。多分、自分の方が早いだろうから……終わったらスーパーに行くよ」

「分かりました」

 仕事だと割り切っているので素直に首肯する華蓮は、そのまま彼に背を向けて、平日の夕方で混み合っているスーパーの中へ消えていく。

 そんな彼女の背中を見送りつつ……聖人もまた、隣にある薬局へと移動するのだった。


 30分後、それぞれの買い物を終えた2人は、車で政宗の住んでいるマンションの駐車場にいた。

 すると、助手席に座っていた華蓮へ、聖人が笑顔で薬局の紙袋を差し出す。

「華蓮ちゃん、ちょっと政宗くんのところに、はじめてのおつかい、してきてくれない?」

「は!? 私が……ですか?」

 予想外の頼み事に、華蓮は思わず間の抜けた声を車内に響かせた。しかし聖人はそんな彼女の反応など意に介さず、グイグイと紙袋を押し付ける。

「ほら、今は来客用の駐車場も他の車で使えないから、運転できる人間が車に残ったほうがいいと思って」

「それはそうかもしれませんけど……すぐに終わるんじゃないですか?」

「だったら華蓮ちゃんも、すぐに終わらせられるんじゃないかな」

 ああ言えばこう言い返される華蓮は口をつぐみ、そこはかとなく重たい気持ちで……聖人から押し付けられた紙袋を握る。


 思い出すのは、以前、2人きりで相対した時に垣間見た、政宗の別の一面。

「結果のために、君を俺のそばに置いておきたかったんだ。俺はもう……二度と、死神にはなりたくないからね」

 ゾクリと寒気がするほどの、底知れない何かを感じ取ってしまったことで……華蓮(蓮)としてはもう、しばらくは職場以外で、しかも2人きりでなんか絶対に会いたくないのが本音だったのに。

 ……これもまた、自分が乗り越えなければならない『罰ゲーム』なのか。


 諦めた表情でため息を付き、重たい手でシートベルトを外す華蓮に……聖人がこんな言葉をかける。

「華蓮ちゃん、多分政宗君は入れてくれないと思うけど、部屋の中に入っちゃダメだよ。あと、何か違和感を感じたら覚えておいて、後で自分に教えてね」

「はぁ……分かりませんけど分かりました」

 聖人の言葉の意味は分からないけれど、自分が彼の元へ行くことには、聖人の思いつきだけではない、それなりの理由があるようだ。そして今は、これ以上の事情を知らされないことがよく分かる。

 聖人から政宗の部屋番号を聞いた華蓮は、車のドアをあけて、憂鬱な気分とともに暗い雨の中へ飛び出していったのだった。


 オートロックで政宗の部屋を呼び出し、応答した彼に用件を告げる。

「片倉です。伊達先生からの荷物を持ってきました。開けてもらえますか?」

 最初はどこか困惑した様子の政宗だったが、すぐにオートロックを解除して、華蓮の目の前の自動ドアをあけてくれる。

 中に入り、エレベーターも使って移動してから……華蓮は教えられた部屋番号の記載された扉の前に立ち、インターホンを押した。

 程なくして扉の向こうから、足音が聞こえてきて――


「――片倉さん……」


 つっかけを履いて扉を開いた政宗に、華蓮はいつもの調子で頭を下げる。

「お疲れ様です。伊達先生からの荷物を持ってきました」

 そう言って、彼に紙袋を手渡す。七分袖のロングTシャツに膝丈のパンツというラフな格好の政宗は、華蓮から荷物を受け取ると、いつも通りの穏やかな笑みを向けた。

「わざわざありがとう。伊達先生は?」

「下で待ってます。来客用の駐車場が使えなくて、車が駐車出来なかったんです」

「そっか」

 ユカが倒れてからつきっきりだと聞いていたので、政宗がどれだけやつれているのか、その変化をちょっと楽しみにしていた華蓮だったが……彼は特に疲れた様子もなく、紙袋を開いて中身を確認している。

 しかし、聖人は自分に何をさせたいのだろうか。こんな玄関先で会話をさせて、違和感があれば教えろだのと自分勝手なことを――


「――なぁっ!?」

「ひっ!?」


 次の瞬間、政宗の素っ頓狂な声が、開け放たれた扉からマンションの廊下中に響き渡った。唐突な大声に肩をすくめる華蓮に、政宗は目を細めた真顔で……華蓮を静かに問い詰める。

「片倉さん……この袋の中身、誰が買ったの?」

 その目に宿る、先日とはまた異なるタイプの怒りを感じた華蓮は、自分は関係ないと全力で訴えた。

「全部伊達先生です、けど……それが何か……?」

「ハハハだよねーだよねーそうだよねー……ったくあの人はこんなことばっかり……!!」

 最早袋を握りつぶしそうな勢いで吐き捨てる政宗に、華蓮は……あの人一体何を買ったんだ、と、中身の見えない紙袋を凝視する。

「佐藤支局長、その中には何が……」

「あー、ちょっとプライバシーに関わるものだから、具体的には言えないけど……片倉さん、そんな伊達先生に伝言を頼んでもいいかな」

「はぁ、どうぞ」

 触らぬ神に祟りなし、その心境であっさり身を引く華蓮に、政宗が笑顔で、こんな言葉を託すのだ。

「いい加減にしろ」

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