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エピソード3.5:君を好きになった日㊦

 改めて顔を洗って身なりを整えた政宗が足早にリビングに戻ると、食器の片付けを終えた統治が、明日の朝食用のおかゆを作っているところだった。

「悪い統治、俺も何か手伝う……」

 そう言ってキッチンに入った政宗は……鍋の中身を見つめている統治の横顔、その眼差しが、いつも以上に虚ろであることに気付く。

「統治……おい、統治?」

 政宗が恐る恐る声をかけると、我に返った統治が、慌てておたまで鍋の中をかき混ぜた。

 光の加減があるにしても……ひどく、青白く見えるのは、果たして政宗の気のせいなのだろうか?

 ――いや、違う。政宗は自分の中で結論を出すと、調味料を足している彼を、見据えた。

「統治……お前、大丈夫じゃないだろう」

 震える声で尋ねる政宗に、統治はいつもの口調で返答する。

「この程度であれば問題ない」

「嘘つくなよ!!」

 政宗は横からコンロの火を切ると、統治の二の腕を強く掴んで……肩を落とし、項垂れた。

「やめてくれ……ケッカだけじゃなくて、統治までいなくなるのか? 俺を……俺を1人にしないでくれよ……!!」

「佐藤……」

「俺は……1人じゃ無理なんだ。2人がいてくれないと……『佐藤政宗』には、なれないんだ……」


 『佐藤政宗』

 求心力と決断力がある、若き『東日本良縁協会仙台支局』の支局長。

 この名前に自分の目標と理想を掲げ、今まで頑張ってくることが出来た。

 それは……2人が、ユカと統治が、支えて、引っ張り上げてくれたから。


 政宗は顔を上げると、肩越しに自分を見ている統治を、改めて真っ直ぐに見据える。

「嘘をつかずに教えて欲しい……どこが悪いんだ?」

 そんな彼に統治は観念して肩をすくめ、一度、深く呼吸を整えた。

「少し、気分が悪い。体に倦怠感もあるが……熱があるわけではない」

 統治の言葉を受けた政宗は、改めて彼の様子を観察して……大きく息を吐いた。

「そっか……まぁ、色々あったからな。今日は帰って休んでくれ。明日の朝電話するから、その時も嘘つかずに答えてくれよ」

 政宗はそう言って、掴んだままの統治の腕を引っ張り、キッチンからリビングへ移動した。そして床においてあった彼の荷物をテーブルの上に置いて、「さぁ帰れすぐ帰れ」と統治を促す。

 ただ、ここで政宗を1人にしてしまうと、彼が無理をすることが、統治は過去の経験から嫌になるほど分かっていた。

「しかし、佐藤――」

 食い下がろうとする統治に、政宗が真顔で言葉を紡ぐ。

「――ここで統治まで倒れたら、『仙台支局』は終わりなんだ。俺達の理想も終わっちまう……頼むよ統治、俺を助けると思って、今日はしっかり休んでくれ」

「……」

 これが、彼の決めたこと。

 『仙台支局』を――3人の居場所を守る。

 そのための決断なのだから、統治も諦めて従うしかない。

「……分かった。迷惑をかけてすまない」

「気にするなって。とりあえず現時点では、明日の午前中、俺も『仙台支局』に顔を出そうと思ってる。車も戻しておきたいからな。ケッカに関しては、富沢さんか伊達先生に頼んでみるよ」

「分かった」

 身支度を整えた統治が頷いた瞬間――インターホンが鳴り響いた。

 そして、持っていた合鍵で部屋に入ってきた聖人は、政宗と統治の顔を見比べて……ちょっと怪訝そうな表情になり、眼鏡の奥にある目を細める。

「統治君……もしかして、具合が悪いのかな」

 一発で言い当てられ、統治は無言でうつむくしかない。そんな彼を、政宗がドヤ顔で見つめた。

「ほらみろ統治、誰が見ても具合が悪いんだぞお前」

「……そのようだな」

 はぁ、と、ため息をつく統治に、聖人が手に持っていたスーパーの袋をテーブルに置いて、笑顔でこんな提案をした。

「統治君、よければ車で送っていくよ。政宗君、とりあえずコレ、適当な食料ね。レトルトを多めに選んでおいたから。好みが合わなくても、ちゃんと3食食べるんだよ」

「ありがとうございます。統治のこと、よろしくお願いします」

「了解。あと、彩衣さんはとりあえず明日の午前中と、明後日の15時以降に顔を出せるんだけど……自分はちょっと本職が立て込んでいてね、次に来れるのは金曜日の午後になりそうなんだ。万が一、何か事態が急変したら……自分に電話するか、彩衣さんがいれば彼女に頼ってもらえるかな」

「分かりました。助かります」

 政宗が頭を下げた次の瞬間、彩衣がリビングに入ってきて、政宗を手招きする。

「佐藤さん、よろしいですか? 説明したいことがあります」


 その後、ユカが寝ている部屋で、血圧計の使い方や着替えのありか、ユカに関する注意事項のレクチャーを受けた政宗は、改めて、ベッドに横たわる彼女を見やる。

 いつの間にか眠ってしまっている横顔は、やはり見慣れぬ女性のもの。今はまだ……やはり、違和感しかない。

 政宗がそんなことを考えていると、扉がノックされる軽い音と共に、聖人と統治が顔を覗かせた。

「彩衣さん、終わった?」

 彩衣がコクリと頷いたことを確認した聖人は、座っている政宗を見下ろし、改めて言葉をかける。

「政宗君、くれぐれも1人で無理をしないでね。ユカちゃんも今は落ち着いているから、夜はできるだけ休むこと。自分たちを遠慮なく頼ってくれないと……伊達先生泣いちゃうよ?」

「分かってます、ありがとうございます」

「じゃあ、明日は9時頃に彩衣さんが来るから、それまでは家にいるようにしてね。おやすみ~」

 こうして、3人が政宗の部屋を後にする。

 ユカと2人、部屋に残された政宗が、今からどうしようかと考えを巡らせた矢先……急に眠気に襲われて、バタリとその場に倒れ込んでしまった。

「あ、れ……俺……」

 緊張の糸が切れて、疲れが急に体にきてしまったのだろうか。でも、いくらなんでもこんな唐突に……?

 全てが強制的に重く沈んでいく感覚。確か、先程にも似たようなことがあったような……。

「ケッカ……」

 政宗は為す術無く、意識を再び手放した。



 聖人の運転する車で塩釜の自宅に向かう統治は……窓の外に流れる景色と雨粒を見て、ぼんやりしていた。

 今日の自分が何を見て、何を体験したのか……まだ、半信半疑と言ったところだから。

 そんな彼へ、聖人がいつもの口調で話しかける。

「ねぇ統治君、まだ……具合い、悪い?」

「え……?」

 言われて気づいた。先程まで体を襲っていた倦怠感も、言いようのない気持ち悪さも……まるでそれら全てが錯覚だったように、綺麗さっぱり解消されている。

 統治の反応である程度のことを察した聖人は、雨で混み合う国道を減速しつつ……苦笑いを浮かべた。

「これは……益々厄介なことになりそうだね」

 その言葉の意味を統治が思い知るのは……もう少しだけ、後になる。



「……ね……ま……む……!!」

 自分の近くで声が聞こえた。

 初めて聞くような、どこかで聞いたことがあるような……ひどく、曖昧な、声。


「――政宗、まーさーむーねっ!!」

「っ!?」

 次の瞬間、何やら容赦ない重みを感じた政宗は意識を取り戻す。そして……。

「け、ケッカ!? 何してるんだこんなところで!!」

 自分があの後床の上で寝落ちしたことを思い出す間もなく、現状に対して素っ頓狂な声を上げていた。

 床の上に転がっている政宗の上に、ベッドの上ですやすや眠っていたはずのユカが彼の顔の横に手をおいて覆いかぶさり、非常に、それはもう近い距離で彼を見下ろしているのだから。

 要するに、ユカが政宗に対して床ドンをしているのである。

 彼女の長い髪がカーテンのように垂れ下がり、2人の顔を外から隠しているので、余計に密接しているような感覚になる。そして忘れるなかれ、彼女の膝から下は今は何の役にもたたない。つまり、膝で体を支えることが出来ず、ユカの下半身――というか腹部から下は、完全に政宗の体に密着していた。

 彼の顔の横にあるユカの細い腕は、彼女の体重を頑張って支えようとプルプル震えている。しかし、コレも時間の問題で……いつ、この腕に限界がやってきて、ユカと政宗の顔面が正面衝突するのか分からない。

 政宗は慌てて彼女の肩を掴んで、せめて顔の周りだけでも一定の距離を確保すると……どこか不満そうに自分を見下ろす彼女に……引きつった苦笑いを向けた。

「あ、あのー……ケッカさん? ど、どうかなさいましたか……?」

 そう尋ねる政宗に、ユカは少し言いにくそうに口ごもってから……意を決して、こんなことをしている理由を告げる。

「ゴメン、政宗……トイレ、連れて行ってくれない?」


 ユカがトイレを済ませている間(流石に中に入っての介助は拒否された)、政宗はリビングに戻り、テーブルの上に置きっぱなしにしてあったスマートフォンを確認した。

 時刻は午前1時過ぎ。統治と聖人から、それぞれにメッセージが届いている。

「統治……そっか、良かった」

 統治からは、「体調不良が回復したから、明日は定時どおり出勤する」というメッセージ。遅い時間ではあるが、とりあえず簡素な返信を作って送信した。

 一方、聖人からは……。

「……これはいいか」

 内容が実にくだらなかったので、すぐに返信しなかった。


 その後、ユカを連れて再び客間に戻った政宗は、彼女をベッドに寝かせてから……さて、と、思案する。

 夜も更けてきた。一度寝落ちしたとはいえ、夜が明ければいつも通り仕事に行かなければならないので……もう少し寝ておきたい。

 とはいえ……ユカをこの部屋に1人にするわけにもいかない。先程のようにトイレに行きたくなったら可哀想だし、何よりも、政宗自身が彼女と離れるのは不安しかないのだから。

 と、いうわけで……政宗は非常用の寝袋を広げ、その上に、自分が普段使っている掛け布団と枕をセットする。流石に自室のベッドのマットレスを持ってくる気力はない。

 その様子を横目で見ていたユカが、片手で頭をかきつつ、あまりにも普通にこんな提案をした。

「政宗も、あたしと一緒にここで寝ればいいっちゃないと?」

 彼女があんまりにも自然に言うものだから、政宗は一瞬閉口したものの……。

「ありがたい申し出だが、シングルベッドに大人2人は窮屈だ。今は頼むから、ケッカ1人でゆっくり休んでくれ」

 用意しておいた答えでユカの提案を切り捨てた政宗は、自分の寝床を改めて整えから、一度、息をつく。

 そして、ベッドの上に座っている彼女を改めて見上げると……ユカが少し顔をしかめて、頭をポリポリとかいていることに気付いた。

「何だよケッカ。頭……かゆいのか?」

「う、うん……なんかジメジメするっていうか、ムズムズするっていうか……!!」

 政宗の問いかけに首肯したユカは、ここで再び彼をチラリと見やり。

「ねぇ政宗、お風呂でシャンプーって――」

「――病人が何言ってるんだ。そもそも俺が1人でケッカを入れられるわけがないだろうが」

 ピシャリと切り捨てられたユカは、「ですよねー」と言って、重苦しいため息をついた。

 確かに今日の彼女は、雨に濡れることも多かったので気持ち悪いだろう。加えて、こんな体の変化だ。体への負担が汗となって放出されたこと&髪の長さが長くなったこと等も相まって、より、かゆみを増しているのかもしれない。

 そんな彼女を見て何かを思い出した政宗は、少し離れた場所にある、彩衣が残した荷物袋に近づいて……中から、水の要らないドライシャンプーのボトルとタオル、液体歯磨きと歯ブラシ、そして、小さなボウルを取り出した。

 ドライシャンプーとは、水を使わず、髪の毛にスプレーすることで、頭皮の汚れやニオイなどを取り除くことが出来る優れものだ。タオルで拭いて終わりとなり、洗い流す必要がないため、災害時や入院中などに役に立つ。

 そしてもう1つ、液体歯磨きは、水を使わなくてもオーラルケアが出来る代物。先に液体歯磨きを口内に含んで行き渡らせ、その後、歯ブラシで磨けば終わりだ。基本的に口を濯ぐ必要がない。(口に残った香りが気になる場合は、軽くゆすいでも構わない)

 それを持ってユカのところに戻った政宗は、まず、座っているユカの真横、ベッドのヘリに腰を下ろした。そして、困惑する彼女の頭にドライシャンプーを吹き付けていく。

「うわっ!? な、なんコレ!!」

「いいからじっとしててくれ。何もしないよりマシだから」

 政宗の言葉に、ユカが緊張して背筋を伸ばした。そんな彼女の髪に適量のドライシャンプーを吹き付けた後、ブラシ……が、手元になかったので、とりあえず手ぐしで整えておく。

 長い髪の彼女には、やはり違和感はあるものの……ただ、こうして世話をできることは、彼女の役に立てているようで素直に嬉しいと思う。

 そういえば研修中にも、彼女を背中から支えたことがあった。残念ながらユカは覚えていなかったけれど。

 とはいえ、女性の髪をこうやって整えるのは初めてなので、政宗も勝手がよくわからない。タオルで恐る恐る水気を拭きながら、先程から黙り込んでいる彼女へ、ビクビクしながら問いかけてみた。

「どうだ? 何か変わったか……?」

「うん……うん!! なんか、スッキリした!!」

 おぉーと感嘆の声をあげる彼女は、肩越しに政宗を見上げ、目を輝かせる。

「政宗、ありがとう!! なんか凄かね!!」

「それだけ感動してもらえると、やったかいがあるな。じゃあ次は、っと……」

 政宗はタオルを自分の膝に置くと、次に、彼の脇に置いていた液体歯磨きと歯ブラシを手に取った。

 再び興味津々のユカに使い方をレクチャーしてから、キャップで規定量を量ると、それを彼女に手渡す。

「余計な病気を併発したら厄介だからな。統治の食事も全部食べたことだし、口の中も綺麗にしておくぞ」

「ふぁーい」

 ユカは言われた通りに口を濯ぎ、終わったものをボウルに吐き出す。そして、歯ブラシで口内を綺麗にしてから……終わったものを政宗に手渡して、再び感嘆の声をあげた。

「すっごくスッキリした。便利なものがあるっちゃね……」

 これまでに体験したことのない感覚に興味津々のユカに、政宗は言葉を噛み砕き、努めて優しく語りかける。

「宮城では、過去に大きな災害があってな。その時に水がほとんど使えなくなって……こういう商品が活躍したんだ。俺も備えで持っておかないとな」

 政宗は改めて、ドライシャンプーや液体歯磨きのボトルを見つめてから……ユカが使った道具を洗うため、一旦部屋を後にする。

 1人、部屋に残されたユカは……ベッドの上に座ったまま天井を見上げ、ため息を付いた。

「本当……あたし、知らんことばっかり。でも……政宗が後ろから支えてくれるの、あの時みたいで……嬉しかったな」

 自嘲と喜びを混ぜて呟いた声は誰にも届かず、誰にも気づかれないまま……部屋の中で消える。



 その後、2人はそれぞれ改めて眠りにつき――ようやく、長かった1日が終わった。

 申し訳ない程度の情報です。備えあれば憂いなし!!


 ドライシャンプー(例→https://www.shiseido.co.jp/faq/qa.asp?faq_id=1000001043)は、あると本当に便利だと思います。霧原も震災時は2週間近くお風呂に入れず、頭や体をしっかり洗えなくて……真冬だったこと&濡れたタオルで拭いたりしていましたが、あぁもう不快でした。途中から感覚も忘れました。コレは霧原も常備しております。


 液体歯磨き(例→http://jp.sunstar.com/inquiry/qa/page_02.html)もあると便利ですよ。うがいの回数が格段に減ります。コレは霧原家に……ないな。買っておこう。(ヲイ)


 非常時にこういうものを使って体を綺麗にすることが出来ると、本当に気分転換になります。体調を崩したときにも使えるので、地味に便利ですよ。

 今回の第3幕は、どうしても災害に関するネタを入れることが難しいので……非常時の備えという観点から、何とか情報をねじ込んでみました。

 非常時に心の平穏を保つという意味でも、持っておく&使ってみることをオススメします。霧原も確認しておきます……。

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