プロローグ:相違
とある6月上旬の日曜日、時刻は午前11時過ぎ。名波連は自室としての使用が許可されている一室で、週明けに必要な課題をこなしつつ……ある人物を待っていた。
昨日の夜、彼の保護者代理である伊達聖人から、電話でこんなことを頼まれたのだ。
「明日の午前中、政宗君が自分の部屋に資料を届けに来るんだけど……蓮君、代わりに受け取っておいてくれないかな? 秘匿性の高いものだから、ポストに突っ込まれたままになるのはちょっと困るんだよねー」
聖人は原則、日曜日は違う場所で過ごしていることがほとんどだ。何をしているかは知らないし知りたくもないけれど。
だったら月曜日に直接受け取るように打ち合わせをしておいてくれよと内心で毒づきつつ……人生罰ゲーム中なのでおいそれとは逆らえず。そこから政宗と連絡を取って、今日の11時という約束を取り付けたのだ。
正直、蓮の姿で政宗と会うのは気が引ける。華蓮ならば仕事だからと割り切れるし、何よりも仙台支局にはユカや統治など他のメンバーがいるので、政宗もビジネスライクに優しく接してくれるのでまだマシだ。
でも……以前、蓮の姿で対峙した時、蓮は彼が秘めている、底知れぬ思いの一端を感じ取っていた。
「あと……もう一つ。『仙台支局』にいる間は、君が『名波蓮』として生きることを認めないからだよ。学校や私生活はさすがに無理だけど、俺たち『縁故』と関わる時間は、『片倉華蓮』として全てのプライドを捨てて生きてもらう。これが、俺なりの処分かな。ちなみに蓮君の意見は聞いてないよ、全て決定事項だからね」
「君は、俺と統治の大切な人達を危険に晒したんだ。これでも大分優しいと思うけど……もっと生き地獄を味わいたいなら、心を鬼にして相談にのるよ?」
彼の怒りはもっともだ。むしろ自分が彼の立場であれば、もっと厳しい処分を望んでいたと思う。
けれど……笑わない目で穏やかに言い放つ彼は、蓮の首を真綿でしめるようにジワジワと追い詰めることを選んだ。
これは、まるで――
刹那、インターホンの音が室内に鳴り響く。蓮はシャーペンをノートに挟んで教科書と一緒に閉じると、どこか重たい気分を引きずりながら、ノロノロと立ち上がった。
「……まぁ、受け取るだけだしな」
自分にそう言い聞かせて、玄関へ向かう。
「こんにちは、蓮君。わざわざゴメンね」
扉を開くと、スーツ姿の彼が苦笑いを向けた。休日だというのにスーツ姿だということは、何か仕事でもあったのだろう。
蓮は玄関口で軽く会釈をしてから、彼が持っている茶封筒を指差す。
「これを、伊達先生に渡せばいいんですよね?」
「そう。悪いけと直接渡して欲しい。明日の朝、伊達先生が早めにこっちに来るって言っていたからね」
「分かりました」
政宗から封筒を受け取った蓮は、ぶっきらぼうに返答した。
いくら早く来るとはいえ、平日の朝は蓮も登校前で何かと忙しいのだ。コチラの都合を一切考えない大人の動きに、思わず言動が煩雑になってしまう。
そんな彼を見ていた政宗は……口元に薄く笑みを浮かべて、彼にこう告げた。
「……蓮君、君に選択権があると思った?」
「え……?」
どこか面白がっている彼の口調に、蓮は目を丸くして政宗を見上げる。
そこに佇む彼は、優しい眼差しと笑みを携えたまま、戸惑う蓮に矢継ぎ早に言葉を続けた。
「残念だけど、君に選択権はないんだ。君は大人の言うことを黙って聞いているしかない、そういう存在なんだよ」
いきなりこんなことを言われ、思わず萎縮してしまいそうになる。しかし、蓮の中に残っているプライドが目を覚まし、政宗へ牙をむいた。
「そんなこと分かってますよ、どうせ……僕の人生は罰ゲーム中ですからね」
「罰ゲーム?」
その言葉に、政宗が喉の奥で笑う。
「罰ゲーム、ね……そんな甘いものだと思ってた? 悪いけど、君が今度は、結果を生かすために色々と協力してもらわないと困るかな」
「佐藤支局長……?」
「それくらいのことをしたんだ、君は、彼女を……結果を、殺そうとした」
声を絞り出す彼は、震える拳を必死で握りしめていた。
先日感じた、彼の静かな怒り。それが更に具体的になり、蓮の目の前で爆発しようとしている、そんな気配を感じる。
いっそ殴ってくれたら、自分も少しは楽になれるのに……目の前の彼は、蓮にそんなことさえ許してはくれないのだ。
「片倉さんの間は割り切れるよ、仕事だからね。でも……俺はまだ、君を許すことは出来ない」
「それでいいんです。僕は、それだけのことしました」
「俺は、必ず彼女を生かすよ。そのためなら何だってしてみせる」
それはまるで、蓮への宣戦布告に思えた。
大切な女性を助けられなかった彼へのあてつけにしか思えなかったのだ。
そして。
「俺は――君と同じ道は歩まない、絶対に」
「――っ!!」
この言葉にはさすがの蓮も激高した。持っていた書類を地面に叩きつけ、必死に彼の服を掴む。
「貴方に僕の何が分かるんですか!!」
自分に掴みかかる蓮を冷静に見下ろす政宗は、掴まれた手を静かに振り払い、相変わらず穏やかな表情でため息をついた。
「分からないよ、知りたくもない。君も俺のことは知らないよね。それでいいんだ。俺達は交わっちゃいけない、出来るだけ……別の道を歩んだほうがいいんだ」
「佐藤支局長……?」
淡々と言葉を紡ぐ彼を、直視することが出来ない。
何を考えているのかを一切悟らせない、そんな、強固な壁を感じたから。
この人は……どうして、こんな顔になれるんだろう。
聖人から何となく聞いている政宗の経歴は、本当に漠然としたものだけ。本人はもとより、統治も、ユカも、誰も語ろうとしない……というか、詳しいことは知らないのだとさえ思っている。
彼が『佐藤政宗』という名前を名乗る、その前のエピソードに関しては、何も。
「政宗君、生みの親とも育ての親とも死別して、確か中学生から天涯孤独だからね。そんな環境で……よくもまぁここまでのし上がったと思うよ」
家族のいない政宗と、家族に見放された蓮。
この2人は似ているようで、根本的に異なる。
政宗は蓮が投げ捨てた封筒を拾い上げると、パンパンと砂埃を払い落とした。そして、その手を彼の肩にまわして……グッと、自分の体を近づける。
「っ!?」
予想外の密着に、蓮は体を硬直させて身構えた。
「……雑に扱わないで欲しいな。伊達先生に怒られちゃうよ?」
耳元で聞こえる彼の声に、思わず萎縮してしまう。
政宗は蓮の右手に封筒を押し付けてから、あいている自分の左手で蓮の頬をつつき、面白そうに言葉を続けた。
「こういう時、なんて言えばいいか知ってる?」
あからさまに挑発している物言い。しかし、蓮は彼の予想外すぎる行動で完全に混乱しており、これ以上、対抗することが出来そうにない。
彼にこんなことを言うのは、正直、とてつもない敗北感があるけれど……今は敵わない、蓮の本能がそう警告している気がした。
「……スイマセンでした」
「心がこもってないけどまぁいいや。成功した自分を見ているみたいで、気分が悪いかな?」
至近距離で愉しげに言葉を続ける政宗に、蓮は必死で首を横に振った。
のみ込まれてしまう。
彼に――底の知れない『佐藤政宗』という男に、負けてしまう。
今はまだ敵わなくても……負けを認めたくはない。
「僕は……貴方のような大人になりたくないです」
震える声で負け惜しみを何とか吐き出した。そして、自分の華奢な体に重くのしかかる彼の腕を外したくて、左手でその袖を掴んでみたけれど……その腕は、蓮を離してくれそうにない。
困惑で動けない蓮に、政宗は冷たい笑顔を向けると……頬をつついていた左手を彼の顎の下に移動させ、無理やり自分の方を向かせた。
そして、目をしっかりとあわせて、最至近距離を保ったまま……囁く。
「結果のために、君を俺のそばに置いておきたかったんだ。俺はもう……二度と、死神には戻りたくないからね」
そう言った彼の口元が、蓮にはどこか懐疑的に笑っているように感じた。
蓮が映り込むほどの距離で見つめるその目は――ちっとも笑っていないけれど。
死神に『戻りたくない』。
戻るという言葉を用いた、その真意は、どこに――
「佐藤、政宗……貴方は――!!」
蓮が言い終わる前に、政宗が彼の拘束を解いた。
そして、呆然と立ち尽くす蓮に……いつも通りの、爽やかな笑顔を向けて、別れの言葉を告げる。
「じゃあそれ、伊達先生によろしくね。また明日……仙台支局で、片倉さんとして会おう」
そう言って彼は踵を返すと、一切振り向くこと無くその場を後にした。
彼の背中が完全に消えた後も、1人、その場から動けない蓮は……受け取った書類に視線を落とす。そして……深く、息を吐いた。
「……何なんだ、あの人は」
この疑問に答えてくれる人は、『仙台支局』にはいないだろう。恐らく聖人も、彼のあんな一面は見たことがないはずだ。
ただ……。
「僕と同じ道を歩まないかどうか……見せてもらいますよ」
それが、今の蓮に出来る最大の負け惜しみ。
もう一度、封筒の表面についた砂埃を払い落とした蓮は……静かに、自室へと戻っていったのであった。
と、いうわけで始まりました第3幕!!
初っ端からなんというエピソードでしょう!! 挿絵が2枚あるという豪華さなのに主役がいないわ!!
蓮の中の人であり、素晴らしいイラストを(2枚も)描いてくれた、狛原ひのさんをも驚愕させた政宗の別の顔です。霧原の中では「政宗って絶対まだ蓮のこと許していないよなー」と思っていたので、この辺でしっかり自己主張してもらいました。若者にお灸をすえたことにしてください。
今回は、『佐藤政宗』というキャラクターに力を入れているので、これまでにないような彼の表情を沢山引き出していきたいです。その中には彼が辛い時のものも含まれてますが、どうか、最後まで見守ってやってください。