1+1=1(三十と一夜の短篇第9回)
私の住んでいる島は南太平洋のちっぽけな島で三時間歩けば、一周できるくらいの大きさだ。イメージとしては常夏の楽園を思い描いてもらうのが手っ取り早い。椰子の木、色とりどりの花々、人懐っこいイルカとどこまでも広がる珊瑚礁。環境保護の法律のせいで観光開発業者が立ち入ることができず、島には空港はないし、リゾートホテルもない。そのかわり、白い砂浜はどこまでも続いているし、海はとてもきれいだ。透明度がすごい。マサイ族を連れてくれば海底100メートルの砂粒だって見分けられるだろうが、あいにくマサイ族は狩りに忙しいし、魚にも興味はないらしい。
島は国と同じ意味だ。つまり、わたしの住んでいるのは島であり、一つの国なのだ。それ以外に国土がない。よくあるイギリス連邦に属していて、事実上独立国なセントクリストファー・ネイビス島のようなものはない。私の住んでいる島はその一つだけが国なのだ。
主要産業について説明すると、ほとんどの人は信じないが、しかし事実だ。私の住んでいる島には世界トップ100の巨大企業が本社を置いている。つまり、私が暮らす島の主要産業とは観光でもなければ漁業でもなく、椰子の実で作った置物の輸出でもない。純然たる商業が私たちの島の主要産業なのだ。島にはビリオネア通りと呼ばれる街路がある。世界の富の七割を牛耳る巨大メーカーたちの本社が並んでいるのだ。ちょっと説明しよう。ビリオネア通りは全長167.2メートル、幅10メートルで島で一番真っ直ぐで長い通りだ。通りはこの島のどの通りもそうであるように舗装されておらず、家の裏は鬱蒼と茂るジャングルだ。さてビリオネア通りだが、道の左右にまったく同じつくりの木造の平屋がずらりと並んでいる。パッと見はオーストラリアの中所得者向け分譲住宅のようだが、これが世界的大企業の本社社屋なのだ。世界的大企業ともなると効率化を極め、一切の無駄を廃する。試しにこうした建物の一つを覗くと、家具も棚も何もない部屋にテーブルと椅子が数脚あるだけ。社員向けカフェテリアだとか、ケーブルがごちゃごちゃにつながれた専用サーバーだとか、そういうものはない。何にもない。これだけの効率化を成功させられたからこそ、大企業は大企業として、君臨できるわけだ。
まあ、大企業が私の住んでいる島に本社を置くのは、島の法律、つまり国の法律だが、それが〈1+1=1〉であると法律で定めたからなのだ。つまり、ある会社が利益を素直に申告したら、莫大な税金をかけられるが、もし利益を半分だけにごまかせれば、取られる税金の量はぐんと減る。ただ、これはやると犯罪だ――私の住んでいる島以外では。私の住んでいる島ではこれは合法だ。それどころか真理ですらある。島に本社を置いた企業の利益は島の法律によって半分になる。だから、払う税金も半分で済む。しかも合法だから、世界のどの警察機構も手を出せない。
〈1+1=1〉法のおかげで私たちがハンモックで寝そべっているだけで、世界中の大企業が島に本社を置きたがる。その登記料だけで国民全員が向こう百年遊んで暮らせるほどの金を落としてくれるのだから、たまらない。俗に言うタックス・ヘイヴン。最近はタックス・ヘブンの誤用でも通じるが、それというのもタックス・ヘイヴンの島々が天国みたいに素晴らしい島だからだ。
まあ、弊害もある。〈1+1=1〉を成立させるため、この島では1はみな0.5になるのだ。〈1+1〉と〈0.5+0.5〉は同一のものとされる。つまり、どういうことかというと、この国の人間はみな1ではなく0.5、つまり半人前なのだ。あそこで釣り餌を売っている老人も半人前だし、終了ベルとともに学校から飛び出してくる子どもたちも半人前、警察官も半人前、大統領だって半人前、この道五十年のカジキマグロ漁師も半人前。かくいう私も半人前なわけだ。
ただ、半人前になったからといって、何か不便があるわけではない。むしろ、自分はまだ半人前なのだという警句が私たちを次なる段階へ引き上げようとする向上心を育ててくれる。
そうこうするうちに我が家についた。高潮対策で高床式にした一軒家。ドアを開けると妻が私に笑いかけた。もちろん、妻も0.5、半人前である。妻はベビーベッドで眠っている赤ちゃんに寄り添っている。ふわふわした服に包まれた、ぷくぷくした頬の赤いかわいらしい赤ちゃんだ。
みなさんに紹介しよう。
この子が私たちの、1だ。