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微かな始まりの音

作者: ミエチ

彼らは惹かれあっていた。

お互いに表情に出さない性質だから、誰にも悟られてはいないけれど。

お互いに素っ気無くしているから、惹かれあっていると気付いてはいないけれど。


「返却、お願いします。」

「はい…予約してた本、却ってきてるけど、借りますか?」

「あ、是非。」

「わかりました。他には?」

「そうですね、少し見て来たいですが、いいですか?」

「じゃあ、後で一緒に手続きします。」

「ありがとう、助かります。」

「いえ。」


とある中学校の図書室。

交わされる何気ない会話。

けれどその言葉のひとつひとつは、実は幾度も吟味され、周到に準備されたもの。


背を向けて、書棚へ向かう彼を見つめる。

本の隙間から、カウンターの彼女を盗み見る。

その視線が交わることはない。


別の日の昼休み、彼らは偶然職員室で一緒になった。

彼女は大量のプリントを抱え、彼はクラス分のノートを運んでいた。

ドアを開けてくれた先生に、『大荷物同士、仲良くよろしく!』と送り出されて2人はしばし固まった。


図書室以外でこんなに近づくのは初めてに等しい。

突然のことに思わず胸が高鳴る。

けれど想定外なので、話すことを用意していない。

口をついて出たのは、ありきたりな社交辞令だった。


「大変そうだね。」

「そちらも。」

「何のプリント?」

「物理の…これから授業で使うのと、宿題みたいで…」


ふーん…と相槌を打ちながら彼は、必死に考えていた。

なんとなく動けずにいるのだが、次はどうするべきだろうか。


ふーん…という相槌を聞きながら彼女も、必死に考えていた。

自分たちの関係の希薄さからすれば、ここで別れの挨拶をして、別々になるほうが自然だろうか。


先生は『仲良くよろしく』と言っていたし、クラスは違っても途中まで一緒に歩くのも、不自然ではないはず。

それに何より、もう少し一緒にいたい…


「行こうか。」


思案の末絞り出した彼の言葉に、彼女は笑みを殺して反射的に頷いた。

そして2人は並んで歩きだした。


何度も通ったことがある廊下なのに、何だか足元が覚束ない。

廊下の中心を分けている直線を、いつになくじっと目で追ってしまう。


自然に、自然にしないと。

そんなことばかりがぐるぐると頭の中を巡る。


「そっちは、何のノートですか?」

「英語。」

「たくさんあるから、大変そう。」

「量ならそっちのほうが多そうだけど…」

「いやいや、私のほうが軽いですから。」


沈黙が辺りを包むと何故か焦燥に駆られる。

気持ちばかりが逸って思考が空回りする。

次第に手の中に汗が滲み出して、普段はなんでもない階段に足を取られそうになる。


どんな表情をしているんだろう。

何を見ているんだろう。

自分のことをどう思っているんだろう。


知りたい…


不意に、2人の視線が交わった。


((あっ!))


2人は同時に、手にしていたものを取り落としそうになった。

はずみで彼女がバランスを崩したのを、咄嗟に彼が立て直そうとして、その手と手が繋がれる。


目と目が合って、息も時間も止まった。

2人が手にしていたものは、バサバサと音を立てて足元を埋めて、階段を雪崩落ちた。


止まったままの時間が、長いようにも、短いようにも感じた。


ふと気づくと、誰かが走ってくる足音が近づいて来ていて、2人はハッとしてお互いの手を引っ込める。

走ってきた足音は、2人のことなど気づきもしないで、速度を変えることなく遠ざかって行った。


「「大丈夫?」」


同時に同じ言葉を発した相手に、思わず息を呑む。

その驚いた表情が何だかおかしくなって、2人は小さな声で笑った。


「ごめん、助けるつもりが…これじゃ、派手に散らかしただけだ…」

「そんなことない、じゃなきゃ私が落ちてたと思う。」


彼女は戸惑いつつも、はっきりと彼に視線を合わせる。


ありがとう…


呟かれた言葉とその瞳に、釘付けにされる。


いや…


いつも無表情な2人がお互いに、相手の表情に小さな変化を読み取った。

うるさく鳴り響いている心臓は、静まる気配を見せない。


「これ、拾わなきゃ…」

「だね。」


二人を取り巻く空気がやわらかくなる。

胸の内側がじんわりと温かい。

互いのものを拾い合って、微かに触れ合う指にも緊張し過ぎなくて済む。

好きな人の笑顔をこんなにも近くで見ることができる。


一秒ごとを噛み締めるように、ゆっくり、ゆっくりと回収した。

そして最後の一つが床に残る。

2人の間に再び静寂が訪れた。


この一つを拾ったら、行かなくてはならない。

この人と離れなくてはならない。

この空気を終わらせなくてはならない。


2人とも、それを拾えずにいた。


しばらくの空白の後、彼女が静かに手を伸ばした。

その指が紙の端を捉えようとした瞬間、彼女の手は彼の手に包み込まれた。


その手は、さっきよりも温かくて、自分と同じように汗が滲んでいた。

見つめた瞳の奥に小さな光が灯っている。

その光にとらわれて、夢の中の風に吹かれたように、ふわふわと体が浮き上がる感覚に包まれた。

カタン、という音が聞こえた気がした。


彼らは惹かれあっていた。

まだ誰にも悟られてはいないけれど。

彼らの想いは、緩やかな川の流れのように、いま動き始めた。

これはずいぶん前に書いた物で、出来には納得いかないけれど思い入れが強くて、破棄するのも忍びなくてどうしたものかと思っていました。

こういうサイトがある事はほんとうにありがたいですね。

日の目を見られて感無量です。

読んでいただきありがとうございました。

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