〜偽りの転入生〜
私は目の前の巨大な校門を見上げて呟いた。
「噂には聞いていたが、これほど豪華とは思わなかったな」
門の至る所に桜模様のレリーフが描かれていて、門の中央にはでかでかと鈴のマークが彫られている。
だが余りにも大きいので、最初に見たときは鈴と言うより寺なんかに置いてある鐘かと思ったくらいだ。
「時雨さん、一瞬釣鐘かと考えたでしょ?」
自分の後ろから声が聴こえてきた。
振り返るとそこにはショートカットの自分より少し背の低い女の子が立っていた。
淡いピンク色のセーラー服を着ていたが、この服装は見覚えがある。
と言うか今自分も同じのを着ている。
胸元のリボンに小さい鈴を模したブローチが付けられてて結構可愛いデザインになっている。
「よく似合ってますよ時雨さん」
「…ありがとう。朝霧君?」
「違いますよ、今の名は宮倉志保です。気を付けて下さい」
「わかったよ宮倉さん」
「志保で結構です」
一応説明しておこう。
この目の前にいる女の子が昨日俺に不可解なリングを渡した朝霧天馬という男だ。
いや元男だった。
どうやらあの後、天馬自身も同じリングを身に着けて変わったらしい。
まあ本人は嫌がったらしいが相手が自分の上司じゃ分が悪かったようだ。
私は自分の左手を上げるてそこに付いているリングをみた。
「まさかこのリングにあんなオプションが付いていたとはね」
昨日の夜、あの公園での一件の後に気が付いた事だけど、自分の体がまるで羽根のように軽いのだ。
それだけじゃなく運動反射能力、よく言う所の反射神経が格段に向上しているのだ。
オマケに力も若干強くなっているような気がする。
体表面には筋肉として出てはいないが、コレには流石に驚いた。この状態なら女の体でも例の武力組織にもまともに闘り合える自信がある。
唯一不満があるとすれば、このデカい胸が動くたびに揺れて邪魔でしょうがない事くらいか。
…我ながら随分と贅沢な悩みのような気がする。
「それにしても、昨日の今日で随分と手際良い事じゃないか?」
「何の事ですか?」
志保が不思議そうに答えたが、すぐに察したようだ。
「あ!転入手続きやそのほか諸々の事ですか?」「そうだよ。これじゃまるで、最初っからこうなる事が分かっていたかような周到さだぞ」
「でしょうね」
「でしょうね…て、お前な…」
私は今朝の出来事を思い返してみた。
コンコン。
朝早くに俺…私の部屋のドアをノックする音が響いてきた。
「来たか」
私はドアに向かって歩こうとしたが、その前に仙十郎が入り込んできた。
手には随分と大きな紙袋をぶら下げていた。
「おはようございます。早速ですけど草津さん、準備の方は出来てますか?」
「ん…まあね」
そう言って昨日用意したアタッシュケースを見せた。
「使いそうな道具は一通り入ってる。流石に制服とかは用意出来なんだがな」
「十分です。後の方はこちらで済ませておきました」
そう言うと持っていた紙袋を床に置いた。
ドサッと音を立てる所からえらく大量の荷物が入っているようだ。
「…その中身はなんだ?全部制服な訳は無いんだろう?」
「まさか。まあ見て下さい」
言われて中を覗き込んだら、案の定ギッシリと衣服が詰め込まれてた。
「一応サイズは合っている筈です。制服を始め、その他の洋服なども入っています」
中を確認してみると妙な衣類が見つかった。
えらく小さな布きれにホックなんかが付いている胸当てもとい―‥。
「!!こりゃ女物の下着じゃないか!」
他の衣類に紛れて色とりどりの下着が入っていた。
「必要でしょ?」
「そりゃあ確かに必要だが‥‥」
一体こんなモノをどうやって手に入れたのか非常に気になるが…。
まさか直接買いに行ったなんて事は無いだろう。と、言うか本当だったらすごく怖い事になる。
「あ、誤解しないように。コレを用意したのは朝霧君ですから」
「そうか‥‥。ん?ちょっと待て確かアイツも男だったよな?なんでこんなに用意出来たんだよ」
「その辺なら直接本人に聞けば早いですよ?」確かにその方が早いが、コイツ自身は既に事の真相を知っているに違いない。
とは言っても今必要なのはコレの追求では無い。
「まあそれは良いとして、昨日渡された資料を見る限り私が転校生の生徒として学園に入り込んで惨利を捕獲する。と、まあコレぐらいで良いんだろうけど、いきなり転校生がやって来るなんて向こうさん警戒しないか?」
時期から言ってもう梅雨明けで、夏に突入するようなこの時に転入生とはちょっと変なん感じがする。
「その辺は大丈夫です。前もって手を打っておきましたから」
「…‥あっそう」
どんなテを仕掛けたんだろうと気になったが、これも気にしない事にしよう。
「では早速着替えてもらって行きましょう。学園側にはもう話をつけてありますから」
「へ?今日から登校するのか?」
「はい、そうです」
確かに今日から行動を起こすとは言っていたからおかしくは無いだろう。
「わかった。じゃあ着替えるよ‥‥‥で、なんでカメラをそんな所に仕掛けてあるんだ?」
よく見ると襟元に小型カメラのレンズが光っているのが見えた。
「え?ああ‥これは…その‥‥ちょっとした思い出の一枚にどうかなーと…」
「いらんわ!つーかサッサと外せ!んなもん」
仙十郎は渋々カメラを外した。
「他に無いだろな?」
辺りを注意深く見渡す。
カメラの類はレンズそのものを隠す事は不可能に近い。
なぜならレンズを物で覆ってしまえば写す事が出来なくなる。
従って、今自分から見える位置を重点的に探せば見つける事ができる。
「無いな…うん、大丈夫か」
他にカメラが無いことを確認すると、私は上着を脱ぎ始めた。たゆんと胸が大きく揺れる。
取りあえず適当なブラを掴んでつけてみる。紙袋の中にやり方が書いてあるメモがあったのでそれを参考に身に着けていく。
「よ…と、なかなか難しいな―‥」
と、ここで後ろから視線を感じた。
「仙十郎さん?何をシテルンデスカ?」
ついつい声が裏返ってしまった。
後ろを見ると今度はビデオカメラを片手に仙十郎が立っていた。
「あ、お構いなく。続けて続けて」
笑顔で促す仙十郎の首根っこを掴むとそのまま外へ放り投げた。
「外に行ってろ!このスケベ!!」開いていた窓から仙十郎は飛び立ってもとい、放り出されていった。
「若いっていいな―!!」
そう叫びながら景気のいい音を立てて落ちていった。
「たっく…図々しいにも程があるぞ」
私は窓を閉めるとしっかりカーテンも閉めて着替えの続きをした。
「…確かに、最初っから全部分かってて動いていたな」
いくら何でも出来過ぎな気もするが、ここまで来たら気にしないで行こう。
気にしたら負けだ。
色んな意味で。「そろそろ行きましょうか。えーと…」
「私の今の名は時雨未央未央で良いよ」
「じゃあ未央さん、早く学園長室に行きましょう」
「そうだな。何時までも突っ立ってても仕方がないし」
私達は早速校舎へ向かって歩いていった。
校舎の見取り図は既に記憶してあるので迷うことなく目的地に辿り着いた。
学園長室の扉を数回ノックするとすぐに返事が返ってくる。
「失礼します」
私は扉を開けようとしたら志保が軽く制止して小声で語りかけてきた。
「中に入ったら私に任せて下さい」
「―?分かった」
中に入ると正面に大きな衝立…では無く大きな屏風が立てられていた。
桜の木に天女が舞い降りる光景を表している煌びやかで、見事な絵だった。
「あれ?この屏風はどこかで…」
「どうかしましたか?」
「あ、いや別に何でもない」
(まさかな…)
どこかで見覚えがあったのだが、思い出せなかった。
奥に入っていくと初老の男が窓の外を見ていた。
部屋には彼しか居らず、この人物が学園長なのだろう。
「お初にお目にかかります。私達は本日この学園に転入して来た時雨未央と…」
「宮倉志保です。宜しくお願いします」
とりあえず学園長に簡単な挨拶を済ますと、志保が何かの封筒を手渡した。
学園長がそれを受け取ると目つきが一瞬だが鋭くなった。
よく見ると封筒に何か印が付けられている。
「その印は―!」
付けられていたその印は紫色の竜の印、即ち紫竜会からの封書だったのだ。
学園長はそれを読むとこちらに対して頭を下げてきたのだ。
これにはこちらも驚いた。
「お、おいおい…」
「有難うございます。あなた方が紫竜会からの密偵だと言うことは既に知っておりましたが、まさかこの様なご高名のある方達に来て下さるとは感激の至りで御座います」
「ご高名…て、そんなに有名だったか俺…?」
「私も有名だったかどうか…」
「違うのですか?」
「あ、いや紫竜会からの密偵という部分は合っているんですけど…。そのご高名ってのがちょっと」
「すまんけど、ちょっと借りるぞ」
私は学園長の手から手紙をスリ盗ると中身を覗き込んだ。
「なんて書いてあったんですか?」
志保も覗き込む。
「コイツは…」
「あれま」
二人同時に呟いた。
手紙にはこう書いてあった。
【拝啓、親愛なる鈴守学園長殿。故たびの件につきましてはご協力の程を了承していただき、誠に感謝しております。
それにつきまして、こちらから二名の実力者を派遣致します。
一人は朝霧天馬という探偵で情報収集や推理力に優れ、前回の事件を解決に導いた大変有能な探偵です】
「ほほう?」
あの事件の当事者とは聞いていたが、それが解決させた張本人だとは思わなかった。
どうりで昨日その事を話していた時に顔色が優れなかった訳だ。【そしてもう一人は草津晶という一流の盗賊です】
「盗賊ですか?!」
「一応言っとくが〈元〉だからな!」
何でこんな事を知っているのか分からないが、流石は紫竜会ネットワークだ。
…うーむ、侮れんな。
【彼は現在スリ師として活動していますが、その高い能力は未だ健在です。
調査中は当然の事ながら、非常時には絶大な功績を挙げて下さる事でしょう。
この二人を中心して我々はこの件を片付けたいと思っております。鈴守殿も彼らのサポートを宜しくお願い致します。
紫竜会頭目:神楽総司】
「‥‥‥‥」
「‥‥‥…はぁ」
二人のため息が重なる。
「こりゃ何ともありがたいお言葉だな…」
「そうですね。ここまで期待されているとなると、確実に成功させないといけませんね」
「当たり前の事を言うな。元より失敗する気はない。お前もそのつもりだろ?」
「そうですね。その通りです」「と、言う事だ。これから宜しく頼むよ鈴守学園長」
私達は学園長に向き直り改めて挨拶した。
「こちらこそ宜しくお願い致します」
挨拶兼紹介が済んだ所で早速本題に入る事にした。
「さて、それでは私達は基本的に学生として行動しますので、あまり目立った動きは慎んだ方が良いですね」
「そうだな。…ん?」
入って来た扉へ誰かが近づく気配を感じた。
暫くしてノックの音が聞こえてくる。
「失礼します」
入って来たのは若い女性だった。
服装から見て教師だろう。
後ろ髪を青いリボンで束ねて細めのメガネを掛けているが、目が優しく見えるせいかさほど厳しくは見えない。
「あの、今日転入して来た生徒達がこちらにいらっしゃると聞いたのですが…」
「篠原先生、こちらが今日から貴女が受け持つ新しい生徒達です」
学園長がこちらを指して紹介してきた。
「初めまして。時雨未央です」
「宮倉志保です。宜しくお願い致します」
「こちらこそ宜しくね。私の名前は篠原宮子。あなた達のクラスの担任をしているの」
担任と聞いて少し驚いた。
志保…いや朝霧の実年齢は判らないが、この目の前にいる女性はどう見ても二十代前半にしか見えない。
と、すればまさか…。
「二人共。彼女は今年の春に教師になったばかりの新任さんだ。色々不都合があるだろうが頑張ってくれたまえ」
「学園長‥‥」半分泣きそうな目をして学園長を睨むが、当の本人は目を逸らして惚けた。
しかし、そんな二人のやり取りに構わず私達は何とも言い難い気持ちになっていた。
「…未央さん、ひょっとして彼女は私達よりも…‥」
「ああ、間違いなく年下だな。志保‥いや朝霧お前、歳いくつだ?」
「23…いや4だったかな?」
「俺は27だ。普通に考えれば多分彼女の方は21歳かそこらだろ?」
「若いですね…」
「確かに若いな…」
二人でコソコソと話してると篠原が…いや、一応担任だから篠原先生が訪ねてきた。
「どうしたの?二人で話し込んじゃって」
「あ…いや別に何も」
咄嗟にはぐらかそうとしたが、学園長が言った一言で二人は凍りついた。
「そうそう、確か今年で二十歳になったそうだから君たちの歳とそう変わらんぞ」
『ハタチ!?』
見事なまでに二人の声がハモった。
「マジかよ…」
〈事実は小説よりも奇なり〉と言うことわざがある。
私…いや俺達からしてみれば同年代どころか、年下の妹みたいな存在である。
しかし、向こうからすれば私達はごく普通の女子高生な訳だから何とも微妙な立場になるわけだ。
「志保…。こりゃ相当気を配らないといけなそうだな」
「ですね…」
これからの身の振り方を再認識した私たちは学園長室をでた後、篠原先生に連れられて教室へと向かって行った。
私達の学年は二年生という設定になっており、教室は高等部校舎の三階にある。
ちなみに、中等部と高等部の校舎は四階建てになっており職員室などは一階に集中させてある。
各校舎は連絡通路で繋がっていて自由に行き来ができる。
「着いたわよ。ここが貴女達の教室なの」
篠原先生が自信満々に言ったが、私達はジト目で彼女を睨んだ。
学園長室を出た後散々迷った挙げ句、資料で覚えていた私達が道案内したのだ。
やっと教室に着いて篠原先生が中に入ろうとしたが、私は扉の上に何かがある事に気が付いた。
「先生ちょっとま―‥」
パコッ!。
先生が扉を開けた瞬間、上に仕掛けてあった黒板消しが落ちてきて頭に直撃した。
「いった〜い!」
篠原先生が頭を押さえてうずくまる。
「‥‥‥えーと」
「…随分と古典的なトラップですね」
「ああ、ソレに引っ掛かる人間を俺は初めて見た」
「同意見です」
教室の中からは笑い声が聞こえてくる。
「もう!誰よこんなイタズラしたのは!」
すぐに復活した先生は教室に駆け込んでいった。
「‥やれやれ。生徒に遊ばれているぞ」
取りあえずそのまま入る訳にも行かないので暫く待つことにした。
「未央さん」
唐突に志保が話しかけてきた。
「わかっているとは思いますが、くれぐれも怪しまれないよう女の子として振る舞って下さいね」
「…努力しよう」
少し自信はないが、なるべく派手な言動はしないでおこう。
「二人ともー、入って来て良いわよ〜」中から声が聞こえてきたので私達は入る事にした。
「えー、彼女達が今日転入してきた娘達です。それじゃ二人共、自己紹介してね」
そう促されて、予め考えておいた言葉を引き出した。
「皆さん初めまして。時雨未央と言います。これから宜しくお願いします」
その瞬間、クラスの男子達から喝采が上がった。
なんだか分からないが、随分な歓迎振りだった。
「えーと、私は宮倉志保と言います。色々と分からない事が多いので、皆さんに教えて貰えたら嬉しいです」
今度は女子も加わって大喝采が巻き起こった。
よく聴くと
「可愛いー!」とか、
「お人形さんみたい〜!」などの歓声が上がっているようだ。
「おいおい…」
こちらの予想以上の反応に少し気圧されていると篠原先生が注意した。
「コラコラ、みんなで騒いだら先に進まないでしょうが!静かにしなさい!」
『はーい』
そう言うとすぐに教室が静かになった。(…へぇ、中々やるな)
伊達にその若さで教師なってはいないようである。
「じゃあ気を取り直して、取りあえず貴女達はそこの窓側の席に座ってくれる?」
見るとちょうど後ろ側の席が二人分空いていたのでそこに座る事にした。
その後のHRは順調に進んだが、休み時間に入ると予想はしていたが案の定、質問攻めの嵐がやって来た。
「ねぇねぇ、どこの学校から来たの?」
一番乗りで質問して来たのは、大きめのメガネをした志保と同じショートカットの女の子だった。
「…えーっと、私達はアメリカの学校から来たの。ね、志保?」
「あ、うん。まあそんなに長く居なかったけどね」
素早くこちらに話を合わせてくれた事に少しだけ驚いたが、なる程…同行させるには色々都合がいい人材という訳か。
「へぇ、という事は二人とも帰国子女って事なんだ。なんかカッコイー!」
「ど、どこら辺がカッコいいんだろ?」なんか知らんが、相当に独自の解釈を持っている娘らしい。
「ちょっと沙織。いきなり転校生にアンタの空想ワードを聴かせないでよね。時雨さんが困ってるじゃない」
沙織と呼ばれた娘の横から、肩にかかるぐらいのロングの髪の女の子が出てきた。
「えー?そんな事ないよ夏美〜。みーちゃんもそう思うよね!」
「みーちゃん?」
誰の事を言っているのか分からないが、視線を追ってみると……私?
「未央だからみーちゃん!ね?いいでしょ?」
いきなりあだ名で呼ばれる事になろうとは思いもしなかった。
この沙織という娘は、どうやら思い込んだら一直線のタイプらしい。
ふと横を見てみれば、志保の方も同じ様に女子に囲まれているのが分かる。
「あ、そうそう。まだ名前を言ってなかったね。私の名前は神野沙織で、こっちは千野夏美。さっちゃんとなっちゃんでヨロシク!」「よくない!勝手にヘンな呼び方しないでよ!」
「えー良いじゃん。みーちゃんもその方がいいよねー」
「いや、私も出来れば普通の方が…」
「うー」
むくれて見せるが、こっちからすれば恥ずかしいったらありゃしない。
「ところで沙織。アンタ今日のレポートまだだったでしょ。いいのやらなくって?」
「え?‥‥‥‥あーっ、忘れてた!夏美ぃ〜手伝って〜!」
「…はいはい、分かったから抱きつかないで。じぁね時雨さん」
「あ、はい」
夏美は沙織を引きずって自分たちの机に戻っていく。
他の娘たちもそれに続いて離れていった。
とりあえずこれで少しは静かになったようだ。
暫くして一限目の開始を告げるチャイムの音が響き生徒たちは各々の机へと戻っていった。
「さて、私たちも戻ろうか?」
生徒たちからの質問責めから解放された私たちも自分たちの机に戻った。しかし、こうして学校の授業を受けるのは何年振りだろうか?
‥‥‥‥‥‥‥。
午前中の授業が終わってクラス中から安堵の息が聞こえてくる。
「いや〜参った。結構忘れているものだな。やっぱ時の流れは怖いね〜」
久々の授業というのは中々楽しかった。
何だか学生の頃に戻ったみたいだ。
‥‥てっ、今は学生だったか?
昼休みに入ると教室から生徒たちが各々の昼食を摂るためだろうか、慌ただしく動き始めた。特に男子たちの動きは凄まじく、殺気すら感じられた。
恐らくは学食の席取りか購買部のパン目当てなのだろう。
資料にも書かれていたが、この時間はそこの二ヶ所が戦場のようになると明記してある。
「うーむ、恐るべし」
その根性に少しだけ感心したが、後ろから志保が声をかけてきた。
「未央さん、私たちもとりあえず昼食にしましょう」
「そうだな。メシ食ってサッサと仕事を始めるか」
「はい。‥‥‥‥ところで未央さん、お昼はどうするんですか?」
「どうするって―‥‥あ」
そう言えば弁当とか全然用意してなかった事をすっかり忘れてた。
「私は自分のを用意して来ましたけど、さすがに未央さんのまではちょっと…」
確かに志保の前には自分用の弁当が置いてあるが、サイズがおかしい。
「それ、全部喰うのか?」
そこにあったのは高さ20cm位のドカベンだった。
「そうですけど‥‥アゲマセンヨ」
そう言ってドカベンを抱え込んだ。
「いや…いらないから」
その小柄な体のどこに入ると言うのだろう…?
「私は学食で済ませるよ」
「そうですか、わかりました。ではまた後で」
「ああ、また後でな」
そう言って私は教室を出ようとした。
「あっ、ちょっと良いですか?」
席を立った所で一人の男子から声を掛けられた。
「はい?」
「もしかして、これからお昼ですか?」
「そうですけど‥‥」
「なら良かった。僕も一緒してもいいかな?」
「ええ…まあ、良いですけど?」
「良かった〜」
話し掛けてきたのは少し小柄な大人しそうな男子生徒だった。
私達はとりあえず学食で昼食を摂ることした。
ちなみにあの後、彼の友人であろう男子達も数人加わって随分と賑やかになった。
「あ、そうそう。自己紹介がまだでしたね。僕は佐々木達也で、右から―‥」
「吉田友也だ。ヨロシク」
「あ、どうも」
そう言って握手をしてきたのはブロンドの長髪をした男子だった。
ルックスは悪くないし、態度からしても嫌みに見えないから結構モテるタイプだろう。
まあ、この態度が演技によるものかもしれないが、そこは裏社会をみてきたこの俺には通じない。
100%本物だ、間違いない。
さて、今の二人は初対面なのだが‥‥‥もう一人、一緒に付いて来た男子には見覚えがあった。
今の二人と違いあまり喋らないが、、その眼光に威圧感を感じる。
「俺の名は八神出雲。まあ、よろしく」
(間違いない‥‥‥アイツだ)
物静かな印象を受けるが、その立ち振る舞いが何かの武術を身に付けいる事がわかる。
(そういえばリストの中にコイツの名前が載っていたな)
何故私がこの男を知っているかと言うと、二年くらい前に仕事で殺り合ったのだ。
その時の勝負は警察が乱入して来たのでお流れになったが‥‥、まさかこんな所で会おうとは思わなかった。
(まあ、正体がバレない限り危険はないか…)
「はい。よろしく」
とりあえずは怪しまれないよう普通に接しておこう。
一通り紹介も済んだ所で、昼食にした。
その後は質問混じりの談笑で何事も無く昼休みが過ぎていった。
「ちょっといいか?」
全員が食べ終わって教室に戻ろうかと言うときに、突然八神から呼び止められた。
「話がある」そのまま有無を言わさず私の腕を取って学食から連れ出した。
「お、おい出雲?」
吉田が慌てて止めようとしたが、八神はそれを片手で制した。
「大丈夫だ。先に戻っていてくれ」
「…あ、ああ。判った‥‥?」
訳が分からない様子だったが、とりあえず佐々木を連れて教室へと戻っていった。
さて、腕を掴まれて学食を出た私は校舎の裏手にある古びた物置小屋まで来ていた。
「ここなら人目は無いだろう」あたりを見渡して人影が無いことを確認する。
「久し振りだな。こそ泥野郎」
私に顔を近づけていきなりこう言ってきた。
まさかとは思ったが、やっぱりバレてたか…。
「よう。また会ったな、武術バカ」
「こんな所で何をしている?」
「ちょっと待て。その前にどうして俺だと気付いた?」
そう、そこが不自然なのだ。今の私は女に女装してるわけでは無く、女に変身しているのだ。
人相や声まで変わっているこの状態で、男だった二年前の姿から判る筈がない。
「そんなのは簡単だ。お前の動作にその眼光、そして気配だ。まあ、俺は真っ先にその気配で気付いたがな。後の二つは確定要因だ」
「……あっそう」
‥‥‥コイツは人を気配で判別しているのか?器用な奴がいたものだ。
とりあえず感心はした私だが、もうじき昼休みも終わるのでサッサと話を進める事にした。
コイツとの昔話はまた今度にしよう。
「私は仕事でこの学園に来ているんだ。ホレ」
私は八神に学園長に見せた手紙を渡した。
「この印は紫竜会の…そうか、連絡は来ている。しかし、俺はてっきりまた盗みに来たのかと思ったぞ」
「そっちの方面は休業中」
「だろうな。あれ以来お前の噂は聞かなくなったからな」
そりゃそうだろう。
何せあの時の死闘で体中がボロボロになったのだ。
完全復帰まで半年はかかった。
「まあ、それでも今起きている下着泥棒の犯人ってことは無いだろうからな」
「当たり前だ。誰がんなケチ臭い盗みをするか‥‥‥って下着泥棒?」
「ああ。ここ最近女子寮で頻繁に起こっているらしい。別にお前の仕事と無関係かも知らんが、一応気をつけろよ」
「…はいはい、気をつけるよ。まあ、要らん心配だろうがな」
どこの世界に自分の下着の盗まれる盗賊がいると言うんだ?あ、元か。
だが、結構近くにそんなマヌケが居た事に後で気が付くことになるとは、この時は考えもしなかった。
ちょうど良いタイミングで予鈴が鳴ったので私達はそのまま戻る事にした。
八神とは別のクラスだったので廊下で別れた。
「あ、未央ちゃんおかえりー」
教室に入ると夏美や沙織達が私の机を中心に何やら話し込んでる。
その中に志保の姿もあった。
「みんな、私の机で何してるの?」
「何って未央ちゃんを待ってたんだよ。ちょっと相談したい事があったの」
「相談?」
二人の顔をみると少し神妙な表情をしている。
「未央さん。どうやらここ最近、女子寮で下着泥棒が現れるらしいですよ?」
二人の代わりに志保が答えた。
「ああ、その事か。それならさっき聞いたよ」
「え?!どこで聞いたの?」
「どこって、別のクラスの男子から注意された」
素早く反応した夏美だが、そんなに男子生徒が知っている事が衝撃だったか?
「ねえ未央ちゃん、その男子って…もしかして白羽くん?」
「誰ソレ?私が聞いたのは八神って人からだけど」
「ああ、八神くんからか。なら良かった」
「で、その白羽って人は誰?」
もしかして夏美の彼氏だったりなんて事は‥‥‥。
「あ〜アレは只の女好き。どーゆう訳か女子の情報に詳しいんだよね」
無かったか。
「あの〜」
不意に背後から声が聞こえてきた。
振り向いてみると篠原先生が涙目でこっちを睨んでいた。
「…もう授業始まってるんですけど。いい加減、席に戻ってくれませんか?」
『‥‥はい』
「‥‥‥ふ〜終わった、終わった」
「お疲れ様です」
午後の授業も無事に終わり私達は学園の女子寮へと向かっていた。
沙織と夏美に歓迎会の誘いを受けたが、先に届いている荷物の片付けをすると言って別れたのだ。
あの二人も寮住まいと言うからすぐに会えるだろう。
「しかし、奇妙なもんだな」
「何がです?」
「今は二人揃って女になってるから違和感ないが、普通は入れんぞ女子寮なんか」「ああ、確かにそうですね」
「男二人、禁断の花園へご招待ってか?」
「あははは。僕たちは今は女の子ですから、その言い方はどうかと」
「そりゃそうだ」
と、ここで私は足を止めた。
「さて、冗談はここまでして本題に移ろう」
周りに人影が無いことを確認すると、志保を連れて近くの木陰に入り込んだ。
夕暮れが近いせいか上手い具合に身を隠す事ができた。
「志保…いや朝霧。俺はこの依頼について、昨日渡された資料で大体理解しているつもりだ。だが、あの資料には肝心な情報が抜けていた。
「それが何かは知っているな?」
俺はここに潜入してからずっとある疑問を持っていた。
それが解けなければ仕事にならないモノだった。
「惨利火李の事ですね」
「そうだ」
資料のどこを見ても惨利に関する情報が無い。
これでは捕獲するどころか発見する事すら難しい。
「すみません。惨利の情報に関しては記載する事が出来なかったんです」
「どういう事だ?」
「アイツは変装の達人なんです。オマケに紫竜会にいる時も正体を隠していたらしいんです」
紫竜会の奴らにも正体を明かさないとは‥‥一体何者だ?
「で?何でそんなのをお前は判別出来るんだ?」
「気配‥‥とでも言いましょうか?半年前のあの時もそんな感じで奴の正体が分かったみたいです」
「随分とアバウトだな」
「まあ、そんな訳で資料に記載出来なかったんです」
「なる程」
こりゃ惨利を発見するのは相当苦労しそうだな。
それに、最悪職員どころか生徒の中に紛れ込んでいる可能性がある。
「仕方ない…地道に捜すしか無いか。じゃあサッサと寮に行って荷物を片付けるとするか」
そうと分かればここでの詮索は意味がない。
「そうですね、そうと決まれば早く行きましょう」
二人で同時に立ち上がるともう一度周りを見渡しで木陰から出た。
しばらく道なりに歩いて行くと、目の前に大きな建物が2つ見えてきた。
向かって右側が女子寮の桜咲寮で、反対側が男子寮の鈴鳴寮となっている。私達は桜咲寮の管理人室に行くと、自分たちの部屋の鍵と見取り図を受け取った。
本来なら寮長の役目なのだが、どうやら留守のようなので変わりに管理人さんが代行したらしい。
管理人は、二十代後半らしい落ち着いた感じの女性だった。
スタイルも良く、艶やかな黒の長髪がよく似合う。
(…と、見取れてる場合じゃなかった)
部屋番号を見ると、個人部屋で志保とは隣室になっていた。
「よし、じゃあ行くか」
部屋に着くと私達は荷物の整理の為一旦別れた。
部屋の中には大きめの段ボールが2・3個と自分のアタッシュケースが置いてあった。
中身は教材に衣服類と……。
「何だこりゃ?」
どこかで見たよーな物が沢山積まれていた。
ファンデーション…アイカラー…口紅……他諸々の化粧品がぎっちり揃っていた。
しかもご丁寧に説明書付きで。
「……何を考えてるんだよ」
俺に化粧しろって事なのだろうか?
壁に取り付けられている姿鏡を見た。
確かにハタから見ても器量は悪くない。
さぞかし化粧すれば化けるだろう。
「……てっ、違う違う!‥‥‥コレは別に閉まって置こう」
化粧品一式を部屋の隅に避けておき、その他の物を順に締まっていく。
「‥‥そう言えば下着泥棒がいるんだっけ?」
私は備え付けのタンスに必要の分だけしまうと、残りを別の場所へ移した。
「これで良いな」
部屋には無断で入られないよう細工をしておくが、多少デコイを置いておけば対した被害は無くなる。
「ま、こんなもんか」
暫くして大体の片付けが終了すると、ノックの音が聞こえてきた。
「はーい」戸を開けると志保が待っていた。
その後ろには沙織や夏美の姿も見える。
「ヤッホー」
「こんばんは」
寮内のせいか、二人とも制服を脱いでラフな私服に着替えている。
「二人共どうしたの?」
「いや〜実は私達も同じ階に部屋があってね」
「詩織じゃ無いけど、ちょっとした親睦会みたいな事をやろうかって話になったの」
「ちょっと夏美〜!。私みたいってどういう事よ!?」
「さあね〜?」
「ぶ〜」
素早くツッコミを詩織を夏美が軽く流す。
この娘たちはもしかして毎日こんなやり取りをしているのだろうか?
「で、未央さんは片付け終わりましたか?」
「ん?まあ、大体の所は終わったかな。志保の方も終わったみたいだな」
「はい。じゃあ早速ですけどお部屋をお借りしますね」
「はあ?」
「えっとね、未央ちゃんの部屋って周りの部屋と違って少し広くなってるの。だからこーゆう時に使うには最適ってわけ」
「……なる程ね」
いきなり部屋を貸せと言ってきたのは驚いたが、なにも怪しい物を置いてあるわけじゃないし問題無いだろう。
「そういう事なら別にいいよ。さ、入って入って」
私は部屋に招き入れようとすると詩織が呼び止めた。
「ちょっと待って。おーい大丈夫だってさー!」
詩織が廊下の方に向かって叫んでるのを見て、私も覗いてみた。
「をい…」
見るとあと数人こっちを見て手を振っている。
しかも、それぞれに小さな袋をぶら下げているが、飛び出している形状から察するにお菓子や飲料品では無かろうか?
「……宴会でもする気か?キミたちは」
「まあまあ、気にしない気にしない♪」
ああ…私いや俺は今この瞬間、この仕事を引き受けた事を少しだけ後悔し始めた。
異常なまでに用意周到な紫竜会の対応。
朝霧天馬による惨李火利の捜索方法。
なによりも初対面だからと言ってお祭りモード全開で接してくるクラスメートの面々。
ハッキリとは言えないが、これから先俺が仕事とは無関係なトラブルに巻き込まれて行く。
そんな気がしてきた。
俺は自分の部屋で行われている宴会を見ながらふと、そう思った。
信じたくは無いが、所謂〈女のカン〉というシロモノを感じながら俺の、〈時雨未央〉としての学園生活の初日が過ぎていった。