(改訂版)第10話 二人の吸血鬼
少しずつ暗くなる空に、まだ微かに夕焼けの赤が残っている。
その空の赤よりも鮮やかな、真紅の瞳を持つ少女が、銀色の髪をなびかせて屋根の上に立ち、眼下の道にいる二人を見下ろしている。
どこか超然とした雰囲気をまとったその少女の名は、ルナティアといった。
「やっと見つけたわ。あなたを探していたのよ」
ルナティアは眼下にいる二人の内の片方、吸血鬼に向かって話しかける。
「あァ? 何だてめぇは?」
「だから、あなたを探していた者、よ。この街にお仲間が来てるみたいだったから、会ってみたかったのよ」
「仲間…? ……ハッ、なるほど。同類か、てめぇ」
屋根を見上げる吸血鬼が目を細める。その目に収まる瞳の色は、頭上の少女と同じ、真紅だった。
判断する材料は十分過ぎるほどあった。
瞳の色、常人らしからぬ容姿と雰囲気、それに“認識をずらす”という言葉。共通点はいくらでもあった。
予測はしていたから、思ったほど驚きはなかった。
それでも、まさかという思いは強かった。
昨日から奇妙な縁で数度出会っている少女、ルナティアは吸血鬼だ。その確信を、エリスはたった今得た。
「はじめまして、ご同輩。私はルナティア。あなたは?」
「……テオドールだ」
「ふぅん」
ルナティアは興味深げに吸血鬼、テオドールの姿を見ていた。その表情はどこか怜悧で、エリスは思わず別人のような印象を受けた。
値踏みするような視線を送られたテオドールは、鬱陶しそうに睨み返している。
「で、俺様に何か用か、同類? 見ての通り、俺様は今食事中なんだがな」
「別に用というほどのものはないわ。私は生まれてこの方、お仲間に会ったことがまだなくてね、興味があっただけよ」
「会ったことがない、ねェ。なるほど、てめぇも俺様と同じで、はぐれってわけか」
「そうなの? まぁ、他のひとのこととか知らないから、よくわからないけど」
「どうでもいいがな、そんなことァ。それより、気は済んだか?」
相手に自身の姿を見せつけるように、テオドールは両手を広げてみせる。
「ええ。思ったほど感慨を覚えることもなかったわ」
にっこりと笑った表情とは裏腹に、ルナティアの言葉はつまらなさそうな響きをしていた。
物理的にも精神的にも見下されているような感覚があるのか、先ほどからテオドールは苛立った顔をしており、ルナティアの言葉にも舌打ちをしている。
「チッ、だったらとっとと消えな。ヒト様の狩りの邪魔をするもんじゃねェぞ」
羽虫でも払うような仕草で手を振りつつ、上にいる相手から目を離したテオドールの視線が再びエリスに向けられる。
エリスも目の前の相手に視線を戻して身構えようとした時、頭上から打って変わって底冷えするような声がかけられた。
「それはそうと、あなた」
声の調子がそれほど違うわけではない。
ただ、先ほどまでとは明らかに違った感情が込められた声だった。
聞いているだけで、身が竦むような重圧を感じさせられた。
当然同じものを感じたであろうテオドールも踏み出そうとした足を止め、一度外した視線をまた上へと向けていた。
エリスも同じように、上にいるルナティアを見やる。
「今、食事とか狩りとか言っていたけれど…一体、誰を襲おうとしていたのかしら?」
真紅の瞳が、妖しげな光を湛えて見下ろしている。
顔には笑みが浮かんでいるが、その目は少しも笑っておらず、咎め立てるように相手を見据えていた。
その視線に、テオドールが射竦められている。
尊大に構えて見据えた相手に向かって、ルナティアが厳かに告げる。
「その子は私のよ。手を出すことは許さないわ」
ルナティアは手にした傘を頭上に掲げ、ゆっくりとした動作で前に向かって下ろしていく。
「第一、邪魔とか以前に、ヒトの縄張りに勝手に入り込んできたのはあなたの方でしょう」
傘が少しずつ、ルナティアの姿を隠していく。
その様子は、月食を想起させた。
「友好的に接してくるならそれを咎めるつもりはなかったけれど…」
やがて傘がその姿をすっぽり覆った。
「あなたは、ダメね」
気付いた時には、屋根の上には傘しかなかった。
「…え?」
「なっ!?」
エリスとテオドールが、共に驚愕の声を上げる。そして二人は同時に、消えたルナティアの姿を捉え、さらに驚く。
ルナティアは、テオドールの真正面に降り立っていた。
移動した瞬間も、その動作も、エリスには一切見えなかった。テオドールも同じだった。
辛うじて反応して後退しようとしたテオドールだったが、明らかに遅い。
またしても一瞬姿を見失ったルナティアは、テオドールの真上に現れた。伸ばした手でテオドールの頭を鷲掴みにし、落下する勢いのままに地面に顔面から叩き付ける。
「あなたみたいな輩に近場をうろつかれたら迷惑だわ」
頭から地面に突っ込んだ形で、テオドールが動かなくなる。
手を離したルナティアは、大したことはしていないといった様子で立ち上がり、エリスの方へ向かって歩き出す。
近寄ってくるルナティアを、エリスはじっと見据えた。
(今の、動きって…)
屋根から地面に降りた時、その後テオドールの頭上へ回った動き、どちらも動きを捉えることが出来なかった。しかし、先ほど見たヒョウウの動きのようにとてつもなく速いという感覚ではなかった。むしろ動きそのものは、緩慢にさえ思えた。
ただまるで、瞬間移動でもしたかのような感じだった。
その謎の移動方法について考えている間に、ルナティアはすぐ目の前まで来ていた。
前に会った時とはまるで違う雰囲気を警戒して身構えるエリスだったが。
「やっ、エリス。また会ったね」
気さくな調子で話しかけてきたのは、以前と変わらない彼女だった。
「ルナティア…?」
「うん、覚えててくれて嬉しいわ」
「……」
「それにしても危ないところだったね。もう、ヒトの心配よりもエリスは自分の心配をするのを優先した方がよかったんじゃないかしら」
本当に、今のルナティアの様子は昨夜と昼間に会った時と変わらない。むしろ名前を名乗りあったためか前より親しげな感じがした。
相手の態度に警戒心を緩めたエリスは身構えていた体の力を抜いた。
そうすると、ふつふつと心から湧いてくる思いがあった。
「…まぁ、言いたいことは色々とあるけど」
「あら、いいのよ、お礼なんて。私が好きで助け…」
何やら得意げにしているルナティアの顔に向かって手を伸ばし、人形のように整った顔に触れる。シミ一つない白い肌は手触りも滑らかだった。
エリスは妬ましいほどに綺麗な顔をした少女の頬をつまむと、思い切り引っ張った。
「ふぁぇ??」
「いつから私は“あなたの”になったのよ?」
「えっ? 最初に反応するところそこ? 助けてあげたこととか、私の正体とかはスルー?」
「ああ、そうだったわね。助けてくれてありがとう、あなた吸血鬼だったのねびっくりだわ」
「わぁお、すごい棒読み」
つねられてもおどけた態度を崩さない相手の様子に嘆息し、エリスは頬から手を離した。白い肌がほんのり赤くなっていた。
「それで、助けたお礼に、今度はあなたが私に血を吸わせろとか言うのかしら?」
「それも魅力的な話ではあるんだけどねぇ。さて、どうしよっかな~?」
悪戯っぽい笑みを浮かべていたルナティアだったが、ふいに目を細めて後ろを振り返る。
振り向き様にかざした手の先で、飛んできた石つぶてが空気の壁のようなものにぶつかって弾けとんだ。飛んできたのは、起き上がったテオドールが、地面に突き刺さっていた頭を引き抜く際に飛び散った土や石だった。
「無粋な輩ね。ヒトがお話をしてる時に邪魔をするものではないわ」
エリスに向けるにこやかな表情とは打って変わり、嘲るような笑みをルナティアはテオドールに向けていた。
血の混じった唾を吐き捨てたテオドールの顔には、怒気が浮かんでいた。
「ハッ、ナメた真似してくれるじゃねェか、てめぇ。俺様をこうもコケにしてくれる奴が一日に二匹も湧きやがるとはなァ」
「あら、二人しかいないの。寂しいことね」
「あァ?」
「そんな寂しい奴は、同類のよしみで一度だけ見逃してあげる。とっととこの街から失せなさい」
「クソが……偉そうな口利いてんじゃねェぞ!」
怒りを露にしたテオドールが飛びかかってくる。
咄嗟に身構えるエリスだったが、その腕をルナティアが掴むと、手を引いて道の端へと移動する。
標的を見失ったテオドールの拳が空を切り、拳圧が一瞬前まで二人が立っていた地面を抉った。
ルナティアに引っ張られて攻撃をかわす瞬間、エリスはテオドールの目が自分達を捉えていないことに気付いた。
(やっぱり、これって…)
先ほどおぼろげに思いついたことに、改めて確信を得る。
「チッ、小賢しい技を使いやがる」
おそらく、テオドールもルナティアの不可思議な動きのからくりに気付いた。
「初動の瞬間に認識をずらしてやがるな。だからまるで消えたように見えるってわけだ」
「さすが同類、その程度はすぐに気付くわね」
ルナティアはエリスをその場に残して姿を消す。いや正確には、エリスとテオドールの目には消えたように見えた。
実際には幻惑魔法によって認識をずらされ、動き出す瞬間を隠されたのだ。
動くものを見る場合、目はある程度その動きを予測して対象を追うものだ。だから動き出す瞬間を見逃すと、容易に対象を見失ってしまう。
もちろん、認識のずれはほんの一瞬のことであり、小さな虫ならいざ知らず、人間サイズのものをそうそう見失ったりはしない。しかしそこに目にも留まらぬほどのスピードでの動きが加わると、まるで瞬間移動したかのように錯覚させられる移動方法が出来上がるというわけだ。
戦いにおいて相手の姿を見失うことは致命的である。ましやて超高速で動き回る者同士の戦いとなれば、それがほんの一瞬であっても命取りだ。
ルナティアの移動法は、それを容易に成す。
「気付いたところで、対処出来なくちゃ変わらないけどね」
テオドールのすぐ横に現れたルナティアが、指を鉤状に曲げた手を薙ぎ払う。すると触れてもいないのにテオドールの上体が仰け反った。昨日グールを切り裂いた手刀と同じように、風の塊をぶつけたようだった。
その場に踏み止まったテオドールは、バネ仕掛けのように上体を元の位置に戻すと、その反動のままルナティア目掛けて拳を振るう。
「ハッ!」
上半身を軽く逸らしただけで拳をかわし、さらにルナティアが風をまとった掌を突き出す。
腹部に直撃を受け、テオドールの体が僅かに後退する。
「そんなもんが…効くかよッ!」
拳による反撃を後ろへ跳んでかわすルナティア。それを追って突進するテオドールの前でまたしてもその姿が掻き消える。
背後へ回り込み、後頭部への一撃を放つ。
前へつんのめってたたらを踏みながらも、上体を捻って後ろへ向かって拳を振り払う。
回避しつつ繰り出された腕を取り、小柄なルナティアが自身の3倍は重量がありそうなテオドールを豪快に背負い投げにする。
背中から地面に叩きつけられながらも、テオドールは即座に上体を起こしつつ回し蹴りを繰り出す。
小さく跳び上がってそれをかわすと、逆にルナティアの放った蹴りがテオドールの顔面に突き刺さり、その身を大きく吹き飛ばす。
仰向けに転がったテオドールだったが、すぐさま勢いよく立ち上がった。
「ハッ、効かねェってんだよ、んなヌルい攻撃はよォ」
「無駄にタフな奴ねぇ。だけどそんな動きじゃ、いつまで経っても私は捉えられないわよ」
「攻撃を喰らわねェてめぇと、攻撃を喰らっても効かねェ俺様。先に力が尽きんのはどっちかな?」
「それも無駄なこと。わかってるでしょう? 魔力も私の方が上。あなたの再生能力もいずれは底を突くわ」
「……」
「あなたでは私に勝てないわ。もう一度だけチャンスをあげるから、とっとと消えなさいな」
余裕の体で告げるルナティアに対し、テオドールは先ほどまでの激昂した様子とは違い、何かを思案するような顔をしている。
じっと何かを押し殺すような調子で、テオドールがルナティアに問いかける。
「……てめぇ、何者だ?」
「あら、今更そんな質問? 同類だってさっき言ったばかりでしょう」
「てめぇさっき、俺様がはじめて見た同類だとか言ってやがったな。親は?」
「さぁ?」
「やっぱり真祖か…。つーことは、だ…この街で生まれたってこと、か?」
一言一言、搾り出すように聞く。
どこか異様な雰囲気をかもし出す相手に、ルナティアは律儀に答えを返していく。
「ええ、そうよ」
「なら……」
テオドールはそこで溜め込むように言葉を切る。
次の質問こそが核心だと言わんばかりに。
「…てめぇがベルンシュタインか?」
投げかけられた言葉に、ルナティアは微かに訝しげな表情を見せながらも答える。
「確かに、私の姓はベルンシュタインよ。ルナティア・ベルンシュタイン。でも、何で知って…」
「………クッ」
俯き、肩を震わせたテオドールが、次の瞬間、堰を切ったように大笑いをし始めた。
「ハッ、ハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!!」
突然のことにルナティアも、状況を見守っていたエリスも戸惑った。
そんな二人を余所に、テオドールは片手で顔を覆い、もう片方の手をお腹に当てて笑い続けている。
「クッハッハッハ、ハハハッ、そうかそうか! そういうことか! なるほどそういうこともあるわァなっ、なァ!?」
「わけがわからないわね。何なのかしら、あなた?」
「ハハッ、あァ、悪ィ悪ィ、ちっとばかり思ってたのと違ったんでよ、つい、な。まぁどっちにせよ、ようやく探しもんにありつけたから興奮しちまってよォ」
「探しもの?」
「てめぇだよ、ベルンシュタイン」
ビッと指差して名前を呼ばれ、ルナティアが眉をしかめる。
「姓で呼ばれるのはあんまり好きじゃないんだけど」
「クックック、ハッ…さァて、どうするか。確かにてめぇがベルンシュタインなんじゃ、まともにやっても勝ち目がねェのは仕方ねェ。むしろそうでなくちゃ困るってもんだ」
興奮しすぎている自分を落ち着けるように自分の頭を指で突きながら考え込むテオドール。
「そうだなァ、その力さえ手に入れちまえば後のことを気にする必要はねェな。なら、出し惜しみはいらねェってことだ!」
自問に結論を出したらしく、額を突いていた指を掲げてパチンッと鳴らす。
「出てこい、グールども!!」
空気を震わせる大音声が辺りに響き渡る。
声の大きさもさることながら、聞き覚えのある単語にエリスとルナティアの表情が共に変わる。
少し遅れて、周囲から一斉に立ち上る気配を感じた。
目に見える範囲にある家々の扉が開き、それぞれから昨日見たのと同じ異形の存在が姿を現した。
さらには道の両側から、また家の間の路地などからも次々と、グールと呼ばれる動く死体が現れる。その数はゆうに数十体、或いは100体近くいるかもしれなかった。
「嘘…こんな数どこから…」
エリスはその数に驚きを隠せなかったが、さらに恐ろしい事実に気付いて背筋が凍る感覚がした。
そもそも、今の今までエリス、ヒョウウ、ルナティアと立て続けにテオドールと激しい戦闘を繰り広げていたにも関わらず、他の誰一人この場にやってきた人間がいないのは何故か。
先のテオドールの言葉、それにルナティアが話していた暗示とやらで人が近付かない環境が作られていたとしても、壁が突き破られている家まであるのだ。いくらなんでも、誰も状況に気付かないなどということがあるはずがない。
ならば、導き出される結論は一つだった。
「この辺りの家、全部……」
テオドールが潜んでいた家は、外から見た時は微かな違和感がしただけだった。中に入るまで、そこがどんな状況にあったのかを知ることは出来なかった。だとすれば、他の家も同じだったと考えるのは、まったく不自然なことではない。
エリスの家から、ほんの数百メートルの距離で、これほどの数の家が襲われていた事実に戦慄した。
次いで、激しい怒りが込み上げてきた。
「なんて…ことを…!」
「不快ね」
静かに発せられた声に、エリスは口に出そうとしていた言葉を飲み込んだ。
一見すると、エリスのように怒りを覚えているようには見えないほど涼しい顔をしているが、その言葉の通り、ルナティアの声には相手に対する不快感が滲み出ていた。
じっと相手を見据える真紅の瞳には、侮蔑が色が混じっているのが見て取れた。
「私達に命の源を与えてくれる愛すべき隣人に対して、その死を辱めるこの仕打ち。恥知らずもいいところね」
「あァ? 何言ってやがんたてめぇ。愛すべき隣人だァ? ただの餌だろうが、こんな奴ら。ついでに残りカスを有効利用してやってんだ、むしろ光栄に思えってもんだろ」
「日々の糧には感謝を。人間達もそう言っているわ。命を奪うことを悪とは言わないけれど、その死の意味を重んじる心は必要よ」
「餌の死に意味なんかねェよ。あるとしたら、俺様の血肉になっただけの話さ」
「ならその事実に感謝をなさい」
「感謝すんのは餌どもの方だろう。俺様の糧になれてありがとうございました、ってなァ」
「それは傲慢よ」
両者の意見は、徹底的に食い違っていた。
互いに相容れない思想を持つ相手に、鋭い視線を向け合う。
「傲慢で何が悪い? 俺様は全ての生物が恐れ敬う“尊き種族”だぜ」
「違うわ。全ての生物を尊ぶ心を持ってこその“尊き種族”よ」
もはや言葉は無駄とばかりに、ルナティアは水平に掲げた腕の風をまとわせる。
「同類と思ったのが間違いだったわ。あなたの行為は許し難い。私が、殺すわ」
「ハッ、許すの許さねェの、てめぇの方こそ偉そうにしてんじゃねェよ」
テオドールが手を振ると、周囲のグールが一斉に動き出した。
「だが、かつて最強の一人と謳われた王、ベルンシュタイン。その名を継ぐてめぇの力、この俺様がいただく。てめぇみたいな博愛主義の小娘なんぞより、ずっとその力を有効活用してやんよ。やれ、グールども!」
掛け声と同時に、グールの動きが活性化する。
前列にいた数体が跳び上がって頭上からルナティアに襲い掛かり、後ろにいたモノらも囲んだ円を狭めるように進み出る。
ルナティアは向かってくるグールに構わず、前方へ向かって大きく踏み出す。
狙いはグールを操っているテオドール自身だ。
薙ぎ払った手の先から風の塊が放たれる。しかしそれが目標に届くことはなかった。テオドールの前に数体のグールが折り重なるようにして立ち塞がり、風を受け止めたのだ。最前列にいたグールはズタズタに引き裂かれたが、数体分の質量をまとめて吹き飛ばすには至らず、後ろにいたテオドールはまったくの無傷だった。
攻撃を防がれたルナティアの後ろからグールの群れが迫る。
ルナティアは舌打ちをしながら横へ跳んでかわすが、その先にもグールが群がってくる。
「邪魔っ!」
一括と共に振るった左手から放たれた風の刃がグール数体をまとめて切り裂く。出来た隙間から囲みを抜けようとするルナティアだったが、風による攻撃を放つのに僅かに動きを鈍らせた隙に回り込まれ、再び囲まれる。
上から襲い掛かってくるグールをかわしつつ、囲みの薄い箇所を狙って動き回るルナティア。けれどグールはその動きを読んでいるように、行く先々に回り込んで包囲を崩さない。
エリスはその動きに違和感を覚えた。
(何であんなに…?)
昨日戦った時のグールは、あんなに的確な動きをすることはなかった。そもそもまともに思考する能力があるのかも怪しい。それが今は統制の取れた動きでルナティアを追い詰めている。
しかも、ルナティアには先ほどまで使っていた移動法があるはずなのに、何故それを使わないのか。
(違う、使って…る?)
よく見れば、ルナティアに襲い掛かっているグールは時折あらぬ方向を見ており、その時は明らかにルナティアの姿を見失っている。それなのに、別のグールがその隙を隠すように動いていた。
一部の相手には目くらましが効いていて、他には効いていないのか。しかし先ほどは、相対しているテオドールだけでなく、傍で見ていたエリスに対しても効果があったはずだった。
或いは全方位に対しては使えないのか、相手の数が多すぎて死角が潰されてしまうのか。
しかしそれだけではやはり、ルナティアを追い詰めている動きの説明はつかなかった。グールの動きには、まるで一つの意思の下で動いているかのような統一感があった。
そこまで考えて、エリスはハッとなって逆側へ視線を向けた。
グールを仕向けてからその場を動かなくなったテオドールは、したり顔で笑いながらルナティアとグールの戦いを見ていた。
(っ…そうか!)
それを見てエリスはからくりに気付いた。
「ルナティア違う! そいつらの目をくらませてもダメッ、そいつらを操ってるのは…」
振り返って叫ぶエリスだったが、全てを言い終わらない内にゾクリとした感じを覚え、咄嗟にその場から跳び下がった。
直後、傍らの壁が何かを叩きつけられたように砕けた。
「きゃっ」
飛び散った破片が降り注ぐのを、両手で顔を覆って防ぐ。
腕の隙間から横を見やると、テオドールの片手が振り抜かれているのが見えた。あの拳から放たれた拳圧が、壁を打ち砕いたのだとわかった。
「余計なこと言ってんじゃねェよ、小娘」
「エリス!?」
気を取られたルナティアの動きが鈍る。その隙をついて左右からグールが挟み込むようにして迫っていた。
「このっ!」
ルナティアは両方の手を同時に振って、左右の敵を同時に倒した。
だがエリスはそこで、昨日の会話を思い出した。風を放つあの技は、連射は出来ないのだと。現に今も、ルナティアは左右の手に溜めた風を交互に放つようにして使って隙が出来ないようにしていた。それがエリスに気を取られたことで追い詰められ、左右同時に使わざるを得なかったのだ。
助言を送るつもりがかえって足を引っ張ったことに、エリスは歯噛みした。
「ハッ!」
これまでの戦闘から既にエリスと同じ考えを得ていたのか、ルナティアが左右の風を同時に使った瞬間、テオドールが飛び出していた。
「ルナティア、危ない!」
「ッ!」
遅れてそれに気付いたルナティアが回避しようとするが、その足に倒れたグールの手が絡みつく。バラバラにされて尚、動いている固体がいくつかいた。
動きを封じられたルナティアの眼前にテオドールが迫り、拳を振り被った。
「動きは優れてても、戦いにゃ慣れてねェな、てめぇ!」
繰り出された拳がルナティアの身を捉える。絡み付いていたグールの残骸もろともルナティアの体が吹き飛ばされる。
打ち付けられた地面でバウンドし、その身を群がっていたグールが受け止める。
何体ものグールが寄り集まり、伸ばした手がルナティアの四肢を掴み、地面に押し付ける。さらに数体がその上から圧し掛かり、ルナティアの身を下敷きにする。
ルナティアは十数体のグールによって、顔だけが見える状態でうつ伏せに組み伏せられていた。
「…っいたた」
殴られた衝撃で脳震盪を起こしているのか、ルナティアは焦点の定まらない目で首を振りつつ、近付いてくる気配を感じ取ると顔を持ち上げた。
「レディを思い切り殴るなんて、粗雑な男ね」
「俺様は老若男女区別しねェ主義なのさ。ハッ、いい格好だぜ、ベルンシュタインのお姫様よ」
「この程度で勝ったつもり?」
「強がりを言いやがる。その華奢な体で俺様の一撃をまともに受けたんだ、いくら魔力があったって、再生にはいくらか時間がかかるはずだぜ」
「……」
ルナティアが無言でテオドールを睨みつける。気丈な態度を崩さないでいるが、沈黙は相手の言葉を肯定しているようなものだった。現にルナティアは、グールに圧し掛かられて身動き一つ取れないでいた。
嗜虐的な笑みを浮かべてルナティアの顔に向かって手を伸ばそうとしたテオドールだったが、さっと振り返ると眼前に腕をかざした。
ギンッと、振り下ろしたエリスの剣がその腕に受け止められる。
「邪魔するなっつったはずだぜ、小娘」
テオドールが腕を振り払うと、エリスの剣はあっけなく振り払われた。腕には傷一つついていない。
地面に降り立ったエリスは、それでも尚剣を構えてテオドールに相対する。
「ハッ、ほんとに威勢がいいな。やっぱり先にてめぇの血をいただいちまうか」
「こらっ、エリスに手を出すな! その子は私の…!」
「うるせェよ」
振り返りながら立ち上がったテオドールが手を挙げると、周りにいたグールがさらに何体も群がってきて、ルナティアの顔まで地面に押し付けた。
くぐもった声を上げるルナティアの上に、残りのグールが全て覆い被さっていく。
数十体のグールが山のように折り重なり、ルナティアの体は完全にその下敷きとなって見えなくなった。
「メインディッシュは後回しだ。こんだけ味の良さそうなオードブルなら、なかなかいい力の足しになりそうだしなァ」
一歩踏み出したテオドールに気圧されて、エリスの足が後ろへ下がる。
これではルナティアが現れる前に状況が戻っただけだった。
「二度も邪魔が入ったが、今度こそちゃんと喰らってやるよ」
「くっ…!」
さすがにもう横槍が入るようなことはないだろうと、両者が対照的な思いを抱いた時だった。
「あー! エリスいたー」
「なっ!?」
想定外の三度目。しかもエリスにとっては、最悪の乱入者の登場だった。
6月中に、って言ってたのに7月になってしまいました…もうちょっとかかるかなー…。




