(改訂版)第7話 拾われた少女
「エリス、何かいいことあった?」
「は?」
いつもの食堂で働いていたエリスは、やってきたアンジェリーナにそんなことを尋ねられて怪訝な顔をした。
「別に何も…何で?」
「何で、って聞かれると上手く言えないけど。いつものエリスがキラキラー☆、だとすると、今はキラキラキラー☆、みたいな?」
「まったく意味がわからないわね」
「ほんのちょこっとだけどね、嬉しそうというか、楽しそうというか、なんかいつものエリスとは違う、うきうき感みたいなのがあるような…ないような?」
「ますますもって意味がわからないわ」
本当は少しだけ脳裏に浮かぶことがあったが、頭の中から追い払うことにする。
嬉しいだの楽しいだの、そんなことは有り得ない。ただ、胸の重石になっていたものが、誰かに話すことで少し軽くなった、それだけのことだ。
相手が誰であろうと構わなかった。
たまたま話を共有出来る相手が一人しかいなかったというだけのことだ。
(そうよ。あんなのと話したことなんて別に何も…)
「あ、やっぱり何か心当たりありそう」
「! ないわよ、そんなもの」
思い浮かべることも危険だった。変な考えが一緒に浮かんできてしまう。
その名前が頭に浮かんでくる前に思考を切り替える。
「というか、私のことは今はどうでもいいのよ。それより――」
気を取り直したエリスは店の一角を指し示す。
「あなたの連れて来たあれの方が問題でしょう」
現在、食堂内では奇妙な光景が繰り広げられていた。
「………(もぐもぐ)」
テーブルの一つには大量の皿が並べられており、そこに用意された食事は全て一人の少女によって平らげられていっている。
食べ物は皿の上からどんどんなくなっていっているが、少女は意地汚く掻き入れたりしているわけではない。食べる様は落ち着いたもので、むしろ少女の容姿が良いこともあって優雅にさえ見える。ただ、ひたすらに手を動かす速度と、咀嚼して飲み込む速度が速いのだ。
無表情に、黙々と、黒いローブに黒い帽子の少女が食べ続けている。
あまりに異様な光景に、店の他の客達も手を止めてその様子に見入っていた。
「何なの、あの子は?」
エリスは皆の疑問を代表して、その少女を連れて来た当事者であるアンジェリーナに問いかける。
「うーん、話せば長くなるんだけどね」
「手短にお願いするわ」
言っても無駄であろうが一応釘を刺しておく。放っておくとアンジェリーナはいちいち話さなくて良いことまで話し出す。
「朝、散歩をしてたらね、道の陰で蹲ってる人がいたから声をかけてみたの」
「どこで?」
「旧市街」
「…あなたね、あそこにはガラの悪い連中もいるから不用意に知らない人間に近寄るなって言ってるでしょう」
「大丈夫大丈夫、ちゃんとその辺は見分けてるから」
「そうかしらね…」
確かに少女の格好は、浮浪者やゴロツキの類には見えないものだった。だからといって安全な人物という保証はない。加えて見分けていると言いながら、アンジェリーナは興味を抱けば誰が相手であろうと結局声をかける。
エリスの心配を余所に、アンジェリーナは話を続ける。
「それでね、最初は寝てたみたいなんだけど近くに行ったら目を覚まして、でもちょっと気分が悪そうだったの」
「持病があるとか、そういうの?」
「さぁ~? ただ、太陽が悪いんだ、って」
「太陽?」
何やらつい最近どこかで聞いたような話だった。
「で、帽子を失くしちゃったみたいで、それがあれば大丈夫だ、って言ってたから、探してあげることにしたんだ」
「だけどあの帽子、アンジェのよね」
「うん。さすがにどんな帽子かわからないと探しようがないからね。急いで家まで行って、日差し避けに使えそうな帽子持って来たの。それで――」
「はい!」
全速力で旧市街の路地まで戻ってきたアンジェリーナは、走ってきた勢いのままに持ってきた帽子を振り被り、蹲っている少女の頭にかぶせた。
「……………?」
のろのろと反応した少女が、自分の頭に乗っているものに気付いて顔に疑問符を浮かべる。
「…何かしら、これは?」
「私の帽子。ごめんね、あなたの帽子がどんなのかわからないから探しようがなくて。とりあえずそれで代わりにならないかな?」
「………」
少女は両手で帽子のつばを持って位置を調整して感触を確かめる。
しばらくして納得したような顔で頷いた。
「…まぁ、悪くはないわね。私の帽子を見つけるまでの代用品としてなら」
「よかった。これで太陽に勝てるね!」
「…何を言っているの、あなたは?」
「あれ?」
「…まぁ、とにかくこれで活動出来るわ。早いところ私の帽子を探して…」
そう言って歩き出した少女だったが、数歩も行かない内によろけて壁に突っ込んだ。
「……あら?」
「大丈夫?」
「…ええ、問題ないわ」
と言いながら、少女は壁に向かって斜めになった姿勢のまま動こうとしない。どう見ても大丈夫ではなさそうだった。
「やっぱり、私の帽子じゃダメだったかな?」
「…活動に支障はないはずなのだけれど…おかしいわ、何故か体に力が入らない」
その時だった。
少女の顔を覗き込んでいるアンジェリーナは、下の方から「くぅ~」という音がするのを聞いた。
音の出所を求めて視線を下げたアンジェリーナがあることに気付いて、少女に問いかける。
「もしかして、お腹が空いてるとかなんじゃ?」
「…そんなことは関係ないわ(くぅ~)」
「……」
「……」
「お腹が空いて力が出ないんですね?」
「……(くぅ~)」
少女自身に代わって、少女のお腹が返事をする。
「……そういえば…最後に食料を摂取したのはいつだったかしら…?」
「そんなに長いこと食べてなかったの?」
「…少なくとも十日ほどは何かを口にした記憶がないわね」
「ダメだと思うなぁ、それは」
「…その程度の期間食べなくても死にはしないわ。いつものことよ。…ただ、帽子を失くしたせいで体力の消耗がいつもより激しかったようね…」
先ほどよりはマシだが、少女の目はまだ若干虚ろで、焦点は合っていない。
どうにか歩き出そうと壁を手で押して起き上がろうとするが、今度は反対側の壁に向かって突っ込みそうになった。アンジェリーナがそれが抱き止める。
「ご飯は命の源です。食べないと力は出ません」
アンジェリーナは諭すように少女に言う。
「帽子の前にご飯食べに行こう。いいお店があるから!」
「…仕方ないわね」
少女はアンジェリーナの手を支えにすると、少し活力が戻ってきたのか、どうにか真っ直ぐ立つことが出来た。
そのまま手を引いて歩き出すと、少女も少しよろよろしながら付いて来る。
日向に出ると少女は少し顔をしかめたが、帽子のつばが日除けになっているので大丈夫そうだった。
前を行きながらアンジェリーナは顔だけ振り返り、少女に笑いかけながら名乗った。
「私、アンジェリーナ・マーティン。あなたは?」
「…ヴィオレーヌ・ノエ、よ」
「で、ここまで来ました」
ピンと人差し指を立てて、アンジェリーナは話を締めくくった。
「話はわかったけど、何でうち? 三区からじゃ遠いでしょうに」
旧市街と呼ばれる区画がある第三区からここ第五区までは、間に住宅街が主にある第四区を挟んでいる。現在この街でもっとも多くの人が住む区画であり、エリスの家もここにある。
アンジェリーナがヴィオレーヌというこの少女を見つけたのが早朝で、今はもう三時を回っている。二人は半日近くかけてわざわざここまでやってきたということだ。
「アンジェの家に行った方が近かったんじゃないの?」
アンジェリーナ自身は料理下手だが、家に行けば誰かしら食事を用意してくれる人はいるはずだった。
「話を聞いた感じだと…というか今の様子を見ても、早く何か食べさせた方がよかったんじゃない?」
「途中で露店があったから、そこで軽くつまみながら来たよ」
「そうまでしてわざわざここまで来た理由は?」
「ん~、なんとなく」
いつも通りだった。
この気まぐれ少女の行動に理由を求めるのが間違いである。
いつだって感覚で生きており、その理由は全て「なんとなく」の一言で片付けられる。
「まぁ、いいけどね。別に何でも。お代さえもらえればお店としてはいくら食べてもらったっていいんだし……ちゃんと払うんでしょうね?」
「大丈夫。店主さんとは交渉済み♪」
「ああ、そういえばそうだったわね」
この食堂の店主とアンジェリーナの父親は顔見知りであった。そもそもエリスがここでバイトするようになったのも、アンジェリーナの父親の紹介によるものだった。
要するに、お代の請求は彼の下にいくということだ。
そうとなれば、そのことでエリスがこれ以上口を出す必要はない。
「それにしても…」
エリスは未だに食べ続けるヴィオレーヌの姿を見て眉を顰める。
「どれだけ食べるのよ? もう十人前は軽く突破したわよ?」
「ん~…十日は食べてないって言ってたし、一日二食計算だとしても、二十食はいくよね」
「あの細い体のどこに入るんだか…」
その後もヴィオレーヌはひたすら出される料理を平らげ続け、アンジェリーナが予想した通り二十人前を食べ終えたところでようやく動きを止めた。
「………苦しいわ」
「ええ、そうでしょうとも」
呆れ果てた顔でエリスは空になった皿を下げていく。
「はっはっは! いい食いっぷりだな、お前さん」
「って、いつの間にそんなところに座ってるんですか、あなたは?」
割って入ってきた声の主は、昨日エリスに話しかけてきた男、ヒョウウだった。
今日も昼間から飲んでいたらしく、酒瓶片手に寄って来てヴィオレーヌの向かいの席に腰を下ろしていた。
「硬いこと言うなよ、嬢ちゃん。どうだお前さん、一献?」
「…やめておくわ。今アルコールを摂取したら逆流しそうだわ」
差し出された杯を首を振って断ると、ヴィオレーヌは椅子の背にもたれて天井を向いた。
頭に載せていた帽子がずれて顔を覆う。
「…さすがに十日以上物を口にしないのは無理があったようね」
「当たり前でしょう」
「ちゃんと食べないとダメだよー」
食器を下げ終わったエリスと、奥で店主と話していたアンジェリーナが続けてテーブル脇にやってくる。
他の客は今はあまりいない。これから夕方にかけて段々と増えていくが、次に混み始める前にエリスの勤務時間は終わるので、既にエリスの仕事はほとんど終わっているようなものだった。
「あ、エリス。今日はもう上がっていいって、店主さんが」
「どうしてあなたからそれを聞くことになるのかわからないけど、まぁ、わかったわ」
思った通り、仕事はこれで終わりだった。
アンジェリーナが椅子に座ったので、エリスもそれに倣って隣に腰掛けた。エリスの右隣にアンジェリーナ、その斜め向こうにヴィオレーヌ、そして左斜め前にいるのがヒョウウ。四人でコの字になってテーブルを囲んでいる状態だ。
「よし、じゃあ嬢ちゃん達も飲むか」
「飲みません」
「残念~、私達未成年なんだよねー」
「そいつは確かに残念だ」
それほど残念そうでもなく、ヒョウウは手酌で注いだ杯を煽った。昨日と変わらない、豪快な飲みっぷりだった。
「よく飲みますね、昨日から」
「おうよ。俺の人生、基本酒を飲んでるか、こいつを振ってるかだ」
腰に差した刀の柄を叩いて、ヒョウウが笑ってみせる。
実にシンプルな人生だった。
「ねぇねぇ、ところでエリス」
「ん?」
「この人誰?」
「ただの酔っ払いよ。気にすることはないわ」
「ヒョウウってんだ、よろしくな、ほんわかした嬢ちゃん」
「はーい。アンジェリーナです。よろしくー、ヒョウウさん」
「おう」
二人は手にしたグラスと杯で乾杯する。ちなみにアンジェリーナのグラスの中身はただの水だ。
「で、ツンツンした嬢ちゃんの名前は教えてくれないのか?」
「誰がツンツンですか。ちゃんとお客様対応してるじゃないですか」
「なーに、イメージの問題さ」
「うんうん。ヒョウウさん、エリスのことよく見てますねー」
「なるほど、エリスっていうのか。改めてよろしくな」
「はいはい」
杯を差し出されたので、仕方なくアンジェリーナと同じように水の入ったグラスを乾杯を受けた。
「って、何であなたと親交を深めないといけないのよっ」
「おいおい、ひどい言い草だな。別に仲良くするくらいいいじゃないか」
「そうじゃなくて、今問題にすべき人は…」
エリスは同じテーブルにいながら会話に参加していないもう一人に視線を向ける。
そこにいるヴィオレーヌは、未だに顔に帽子を載せて上を向いたまま、時々苦しげに呻いていた。
「そうだ。ヴィオレーヌちゃんの帽子を探さなくっちゃ」
「…ちゃん?」
呼ばれたヴィオレーヌが気だるげに帽子を持ち上げ、正面を向く。
「…ちゃん呼ばわりされたのははじめてだわ」
「そっかー。じゃあ、私がヴィオレーヌちゃんのはじめての人だね」
「卑猥な響きだな」
「あなたは黙ってて」
「…まぁ、好きに呼べばいいわ」
言いながら椅子に座り直したヴィオレーヌの顔を覗き込みながら、アンジェリーナが尋ねる。
「それで、どんな帽子なの?」
「…その前に根本的な質問をしてもいいかしら?」
「ん、なに?」
「…何故あなたが私の帽子を探すことになっているの? それ以前に、何故私はあなたに食事を奢られているのかしら?」
「あれだけ食べておいて今するのね、その質問…」
呆れるエリスとは対照的に、アンジェリーナはまるで気にした風もなく笑っていた。
「んー、私がそうしたいと思ったから、じゃ、ダメかな?」
「…それがあなたにとって何のメリットになるのかしら」
「人に優しくすると自分が楽しいんだよ。あとは、私があなたと仲良くなってみたかったから、かな」
「…そう。それがあなたの行動原理、ということ」
「そういうのはよくわからないけど。でも、うん! そんな感じかも!」
「…なるほど。理解は出来ないけれど、把握はしたわ」
淡々とした調子で、納得したように頷く。
その様子を観察しながらエリスは、表情を変えない子だな、と思った。
「それで、どんな帽子なの?」
「…あなたの行動原理を考察するに、ここで断っても無駄なようね」
「ええ、無駄よ。やると言った以上、アンジェは必ずやるわ。大人しく手伝われておきなさい」
アンジェリーナに代わってエリスが答える。
今までにアンジェリーナがこうして誰かに手伝いを申し出て、断られたからといって引き下がったことは一度もなかった。断固拒否されたとしても、無理矢理手伝いに行く。
僅かなやり取りで早くもそのことを把握しはじめてるらしいヴィオレーヌは、相変わらずの無表情だが、少し呆れた素振りで笑顔を向けているアンジェリーナを見やる。
「…見返りを期待されても、何も出ないわよ?」
「いいよ、そんなの。ヴィオレーヌちゃんが仲良くなってくれたらそれで」
「…なら、いいわ。ここは素直に好意を受け取るとしましょう」
そう言ってヴィオレーヌは立ち上がり、店の出口に向かって歩き出す。すぐ後からアンジェリーナもついていく。
「…とりあえず、ごちそうさまと言っておくわ」
「うんっ、どういたしまして♪」
二人はそのまま連れ立って店を出て行った。
後にはエリスとヒョウウだけが残される。
「うーん…なんか噛み合ってるんだか噛み合ってないんだか、よくわからない子達ね」
どちらもマイペースで、まるで違う性格をしているのだが、何か通じる部分があるように見えた。
元より、アンジェリーナは基本的に誰とでも仲良くなれる人間である。
今度の相手は少々変り種のようだが、いつものアンジェリーナのお節介だ。放っておいても何も心配することはない。
だが、気がかりもある。
既に夕方である。今から行動を開始すれば、探し物をしている間に陽が落ちて暗くなる可能性があった。
エリスの脳裏に、昨夜の出来事が浮かぶ。
(…ちょっと、心配ね)
アンジェリーナも昨日、ユリウスの話を一緒に聞いていたのだから、夜の危険性は理解しているはずであり、遅くまで出歩くことはないはずだった。
(本当に?)
そのはずなのだが、むしろ不安の方が強かった。
「うん、やっぱりついていこう」
声に出して行動を決めてから席を立つ。
「行くのか、嬢ちゃん」
「ええ。あなたはどうぞごゆっくり。もっとも、あまり飲み過ぎない方がいいですよ」
「忠告ありがとうよ。まぁ、その心配はなさそうだが、な」
「?」
「何、こっちの話さ」
「そう。じゃ」
軽く会釈して、エリスはテーブルを離れ、店の外へと向かった。




