(改訂版)第5話 闇にまぎれるモノ
神官フェリエ・ホーリーは、聖騎士ユリウス・ブランシェの補佐官という立場にある。
純粋な戦闘能力という面では騎士には及ばないが、それ以外の部分で騎士達の活動をサポートするのが主な任務だった。
特にユリウスは聖騎士の中でも年若く、経験もまだ浅い。実力は帝国最強の名に相応しいものを持っているが、敵を目前にすると熱くなって周りが見えなくなる傾向が少しある。
例えば、あからさまな足止めに引っかかって標的を見失うなどだ。
そうした時のために補佐官たるフェリエがいるのであり、標的の吸血鬼が建物の崩落を利用して逃走を図った時にも闇雲に追ったりはせず、屋根の上から状況の推移を見守っていた。
案の定ユリウスはグールの群れに囲まれ、すぐには動けない状態に陥っていた。
ここでフェリエも加勢すれば即座にグールを殲滅出来たが、気配を隠すことに長けた吸血鬼はその単時間でも取り逃がす危険が高かった。
ゆえにこの場はユリウス一人に任せ、フェリエは逃げた吸血鬼を追うことにした。
そこまでは良かったのだが――
(迂闊でした。まさかこちらにもグールがいるとは)
追撃を行っていたフェリエの行く手にもグールの群れが現れ、足止めをされてしまう。
群がってくるグールを倒すよりも、振り払って追撃を続けることを選んだフェリエだったが、結局最後には目標を見失ってしまった。
任務失敗を遺憾に思いながら、出現したグールを放置するわけにもいかないと、それらの始末に戻ってきたフェリエは、思い掛けない場面に遭遇した。
「あなた達! そこで何をしているのですか?」
声を上げながら近寄っていったフェリエは、その場の光景に息を呑んだ。
彼女が倒さずに放置してきたグールが4体、いずれもバラバラに斬り裂かれて活動を停止しており、それを成したと思われる少女が二人立っていた。
その内の片方、剣を手にしている方の少女が見覚えがあったため、フェリエはますます驚いた。
「エリス様!?」
「あ、えっと…フェリエ、さん?」
驚いているのは相手も同じだった。
彼女の名前はエリス・ブランシェ。フェリエが補佐をしている聖騎士ユリウスの妹である。
「エリス様、どうしてこのようなところに?」
「えーと…いや、その、色々あって…」
「それに、これは…」
フェリエは辺りに散らばっている肉片を見た。
一部魔法によるものと思しき損傷もあったが、4体のグールいずれにも、鋭利な刃物で斬られた痕跡があった。状況から見て、エリスが手にしている剣によるものと推察出来る。
「エリス様がやられたのですか、この者達を」
「急に襲ってきたものだから…」
「あ…それは、申し訳ありません」
「え? 何でフェリエさんが謝るんです?」
「この者達は、本来私を追っていたものなのです。私が処理を後回しにしたばかりに、エリス様達を危険に晒してしまったようです。不手際をお詫び致します」
「い、いいですよ、そんな。私、この通り無事ですし」
頭を下げたフェリエに対し、エリスは慌てた仕草で首と手を振ってみせる。
己の迂闊さを頭の中で猛省しながら、フェリエは顔を上げた。
そして改めて周囲を見回して感心する。
「それにしても、見事なお手並みですね」
思わずそんな言葉が出てしまうほど、グール達の残骸の状態からでも、それらを斬った者の腕前を窺い知ることが出来た。
生半可なダメージでは活動停止に至らないグールだからこそ何度も斬りつける必要があったのだろうが、相手が真っ当な生き物であったなら全て一刀の下に斬り伏せられていただろう。
「さすがはユリウス卿の妹御といったところでしょうか…。あ、すみません、こういう言い方は失礼でしたね」
「いいえ、光栄です」
はにかみながら笑うエリスの表情からは、兄に対する尊敬の念が感じられて、フェリエはホッとした。
血統によって得られるものを誇りと思う者がいる一方で、それを評価の基準とされることを嫌う者もいる。特に激しい競争が常に繰り広げられている騎士団の内部にあっては、そうしたことから生まれる確執や軋轢が少なからずあった。
そんな様子をずっと見てきたフェリエの目には、ブランシェ兄妹の真っ直ぐさはとても貴重なものに写った。
「ですがそれはそれとして、先ほど夜は危険ですからみだりに出歩かないようにと申し上げたはずですが」
「う…それはその、友達を家まで送って行った帰りで…」
「それにしては随分とお家から遠いところにいらっしゃるのですね」
「いやつまり、ちょっと寄り道を…」
夜歩きを咎めると、エリスは悪戯を見咎められた子供のように目を逸らす。この辺り、良いことをしても悪いこともしても常に堂々と胸を張っている兄とは少し違うようだ。
「ふ、不審な物音がしたから様子を見に」
「それは私達の仕事です」
「ですよね…」
本当のところ、フェリエとしてはそこまでエリスの行動を問題視しているわけではない。これだけの腕があるならば、グール程度に遭遇しても何も問題はないであろうし、何より時間もまだそれほど遅くはない。むしろこれほど早い時間から吸血鬼が活動していることが想定外だったのだ。今後の活動方針に修正を加える必要があった。
フェリエ個人としては、そのことには利点と問題点の両方があるのだが。
しかしそれとは別に、エリスには一言釘を刺しておく必要はあるだろうと思っての苦言だった。彼女が兄と同じ性格をしている人間なら、今後も無茶をしでかす可能性が高いからだ。
「まーまー、そんなに目くじら立てることもないんじゃない? まだ宵の口なんだから」
ところが、そんなフェリエの思惑を妨げるような言葉が横から投げかけられる。
フェリエは少しむっとして、それまで気に留めていなかった、その場にいたもう一人の人間に目を向けた。
そこで、この日最大の衝撃が彼女の全身を揺さぶった。
(な―――!!?)
動揺を顔に出さなかったのは日頃から補佐官として常に冷静であるよう努めるべく訓練していたお陰であった。それでも、頭の中が真っ白になるほどの衝撃に言葉を失った。
「ちょっとあなた、余計なこと言わないでよ」
「えー、助け舟出してあげたのに何で私が文句言われるの?」
「非があるのはこっちなんだから、叱られたって仕方ないわ」
「今時ちょっと夜歩きしたくらいで怒られたりしないってば。繁華街の方とかもっと遅くまで賑わってるよ」
「それとこれとは話が別でしょう」
幸いというべきか、エリスともう一人の少女は何故かフェリエをそっちのけで口論を始めたので、フェリエの様子がおかしいことには気付かなかったようだ。
「あ、あの…エリス様。こちらの方はお知り合いですか?」
睨み合っている二人におずおずと尋ねる。動揺が抜けていないのか、少しどもってしまっていた。
「知り合いじゃありません。さっきそこで会っただけの赤の他人です」
「ひどいなー。さっきは目と目で通じ合ったと思ったのに」
「事実でしょ」
「まぁ、そうだね」
罵り合っているようでいて、案外親しげな仲に見える二人だった。彼女らの関係も気になったが、それ以上にフェリエには、この銀髪で紅い目をした少女のことが気がかりだった。
「あなたは…」
「ねぇ、神官さん」
「は、はい?」
彼女に直接素性を尋ねようとすると、その言葉を遮って逆に話しかけられた。
「そこに転がってる死体みたいなのってさ、何なの?」
「死体みたいな…グールのことですか?」
「グールっていうんだ。そう、それ。何か急に襲ってきたし、わけわかんない…生き物? いや生きてはいないよね…化け物?」
「……」
フェリエはしばし逡巡する。話すべきか、話さないべきか。
考えた末、話すことにした。
エリスは僅かとはいえ関係者であるし、こうして実物を見てしまった以上、仮にここで話さなくともいずれユリウスに問いただそうとするかもしれない。それにもう吸血鬼のことまでは話してあるのだから、特に隠す意味もないだろう。
そして少女の方については、情報を与えることによってどのような反応を示すかで、彼女の状態を知る手がかりを得られるかもしれないという期待が持てた。
「わかりました、お話します」
「いいんですか、フェリエさん?」
騎士の妹だけあって、エリスにはこれが本来一般人に伝えるような話ではないと察したようだった。
「はい。こうして見てしまった以上、隠していても仕方がありません。その代わり、心して聞いてください」
そうして、フェリエは話し始めた。
住宅街にある一戸建ての家の中で、吸血鬼テオドールは苛立っていた。
「チッ、クソが。まさかこんなに早く聖騎士野郎が出てきやがるとはな」
足下には、この家の住人であった人間が倒れている。
既にその顔に生気は感じられない。テオドールに血を吸い尽くされ、命を断たれていた。
だが、それはただの死体ではない。後しばらくすれば、それは動き出し、テオドールの手足となって動くグールとなって蘇るだろう。
先ほど聖騎士とその付き人を振り切るために何体か消費してしまったため、こうして補充をしておく必要があった。
「あの魔女と聖騎士、どっちかだけなら余裕だってのに、よりにもよって両方とはな」
少し派手に動き過ぎたかと思ったが、己の所業を振り返って考えるほどテオドールは思慮深い男ではなかった。
それに、もしもテオドールの行動が完全に把握されているとしたら、騒ぎはもっと大きくなっているはずだった。
何故ならこの家のように、人知れず彼の手によって人の住まぬ所となっている場所は、一つや二つではないからだ。
騎士達を相手に、10体余りのグールを使って尚、それが微々たる消費でしかないくらいに。
テオドールは比較的目立たない場所に建っている家に狙いを定め、密かに侵入して一家を皆殺しにする。その上で周囲に幻惑の魔法をかけ、その家から人の気配がなくなっていることに誰も気付かないようにしていた。
常に誰かしらの目に留まっているような有名人ならばともかく、何日かに一度見かける程度の人間の存在を意識から消し去ることくらいは造作もなかった。それが吸血鬼の得意とする術であり、人間にとって脅威とされるところなのだ。
そうやって食事と戦力の補充を行いながらこの街に潜伏して一ヶ月。
本来であればここまで大々的には動かないし、騎士団などが現れたら即座に狩り場所を変えるのが常であったが、この街ばかりは事情が違う。
ただの狩り場としてではなく、テオドールは別の目的があってこの地を訪れたのだった。
「ハッ、まぁいい。魔女と騎士どもの数人程度、目当てのもんが手に入りゃどうとでもなるか」
テオドールは吸血鬼としては若く、まだ200年程度しか生きていない。吸血鬼が大きな力を持っていたのが、かつて起こった人と魔による大戦よりもさらに昔、つまりは1000年近く前であり、尚且つ今でも当時から生きている吸血鬼がいるくらいなのだから、彼などまだまだ若造の部類である。
しかし、だからといって己を若輩者などと考える殊勝な心をテオドールは持ち合わせていなかった。
吸血鬼ははじめから成人した自我を持って誕生するため、年齢に対する感覚が薄い。
力さえ強ければ、例え生まれたばかりの吸血鬼だとしても、何百年何千年も生きてきた先人と同等、いやそれ以上の立場となれる。
だからテオドールは、生れ落ちた時からずっと力を求めて生きてきた。
「そうさ、力だ、力! 力させありゃどこまでだってのし上がれる! 吸血鬼の王になり、人間どもに恐怖を与え、他の魔物共も尽くひれ伏させる! 俺様こそが最強になる! そのために!」
そのために一時、あの魔女ヴィオレーヌ・ノエと手を組んだ。
吸血鬼の実態を知りたがっていた彼女の研究に協力する見返りとして、彼女が持つ知識を得るためだった。そして必要な知識を得たところで、彼女が所有していたある物を強奪して逃走。得られた知識を元にさらなる力を得るため、ここフォルモントの街へやってきた。
この街には、かつて至高と謳われた吸血鬼の王が遺した力が眠っているのだ。
「ベルンシュタイン! その力、俺様が現代に蘇らせてやる。このテオドール様が新時代の王としてその名を継いでやるよ!」
そのためには、邪魔者に対処するための戦力がまだ必要だった。
一度見つかっているため慎重に、しかし速やかにさらなる数のグールを増やすべく、テオドールは獲物を求めて再び夜の街へと出て行った。
「つまりこのグールっていうのは、元は普通の人間だった…ってことですか?」
「はい、その通りです」
動く死体、グールについて語り終えたフェリエは、話を聞いていた二人の反応を見る。
「吸血鬼って、そんなことも出来るんですか?」
エリスは驚いた風に散らばっている死骸を見ながら聞いてくる。
「全てではないようですが、そうした能力を持った個体も確認されています。伝承にあるように人間の血を吸い、殺した後、その死体を自らの使い魔のように使役する。大戦期には、一つの町に住む住人全てがグールとされ、乗っ取られたという話もあります」
「そんなことが…」
自身の肩を抱いて身震いするエリスは少なからずショックを受けているようだが、思っていたよりは冷静に話を聞いていた。胆の据わり方も兄譲りかもしれない。
もう一人の少女は、きちんと話を聞いていたのかどうなのか、あらぬ方向を向いて何事が思案している。
「…何か、ご不明な点がありましたか?」
「いいえ、特に。こいつらのことはわかったわ」
探るように問いかけたフェリエに対して、少女はそっけない感じで返す。
その反応から少女の内面を読み取ることは難しかった。
(どこまで知ってらっしゃるのでしょう、この方は…)
少女の正体がフェリエの予想している通りのものだとして、今この場にいることをどのように捉えるべきか。そして少女に対して自身がどのような態度で接するべきか。
それらを決定付けるにはまだ判断材料が足りなかった。
少なくとも一つだけ確かなのは、この少女とユリウスを接触させることは避けるべきであろうということだった。
(なの、ですが)
よりにもよって、そのユリウスの妹であるエリスと接触してしまっている現状はどうするべきであるのか。
(いっそこの場ですぐに保護して…いえ、それは無理ですね)
この後すぐに状況報告のためにユリウスの下へ戻らなくてはならない。彼女をどこかに匿っている余裕はなかった。
同じく、この場で全てを語って聞かせるにも時間が足らない。
この場は放置する以外に道はないだろう。
(一先ずは監視しておくとして、テオドールのこともありますし、想像以上に厄介な任務になりそうですね…)
フェリエは心の中で嘆息する。
それから気持ちを切り替えて、やるべきことをやることにした。
「さて、お話出来ることは以上です。今言った通り、この街には現在危険な吸血鬼が侵入しており、未だ活動を続けています。無論、早急に処理するつもりですが、それまでの間は、日が落ちてから人気のない場所には近付かないようにしてください」
「…はい、わかりました」
エリスは神妙な顔で頷く。
「はいはーい」
少女の方は適当な調子で返事をする。
その態度が癇に障ったのか、エリスが少女のことを睨みつける。
「ちょっとあなた、ちゃんと話聞いてたの?」
「んー、聞いてる聞いてる」
「どうだか」
「というか、どうしてあなたが私の態度のことでそんなに目くじら立ててるのよ」
「だって…人が死んでるのよ、この街で、私達が思ってたよりもずっとたくさん…。何も感じないの、あなた?」
「そんなこともないけど、知らない人が死んでどうしたとか言われてもいまいちピンとこないかな」
「他人事だから、どうでもいいって言うの?」
「赤の他人の心配までする? もしかしてあなた、私のことでも心配してくれてるの?」
「ええ、そうよ」
「え?」
涼しい顔でエリスの追求をかわしていた少女が虚を突かれたように目を見開く。
エリスの方はいたって真剣な表情で少女のことを見つめていた。
「はいはい、喧嘩はそこまでになさってください、お二人とも」
手を叩きながら間に割って仲裁する。
「時間が遅くなるほど危険は増すのですから、早々にお帰りになってください。家までお送りします」
「私はいいよ、必要ない」
「そういうわけには…え?」
振り返ったフェリエは、その場にいたはずの少女の姿が消えているを見て唖然とする。
「ってこら、あなた! どこ行くのよ!?」
エリスが声を張り上げるのを聞いてそちらに目を向け、さらに彼女の視線を追った先で少女の姿を見つけた。
一体いつの間にそんなところまで行ったのか、少し目を離した隙に少女は道の先まで移動しており、角を曲がって立ち去ろうとしていた。
「あら、見つかっちゃった。でも残念、ごきげんよう」
「待ちなさい! もう、何考えてるのよ、あの子は!」
「……」
ひらひらと手を振って道の先に消えていく少女と、肩をいからせながらそちらを睨みつけているエリス。二人を交互に見ながら、フェリエは尚も呆然とする。
(認識をずらされた…? いえそれよりも、エリス様はそれに気付い…た?)
目の前で起こっていることを知識と照らし合わせて説明することは出来たが、すぐには理解が追いつかない。
どうにか言葉を搾り出して尋ねる。
「えっと…追わなくて良いのでしょうか?」
「いいです。放っておきましょう、あんな奴」
「はぁ…」
これで先の少女がただの一般市民であったなら、フェリエもいちいち尋ねたりせずにすぐさま追いかけていたところなのだが、あの少女の場合はこのまま行かせてしまった方が良いような気がした。
頭に血が上っているらしいエリスは、フェリエの態度に不審を感じている様子はない。
それとは別に、もう一つフェリエが意外に感じているのは、エリスの態度だった。
先ほどはじめて会った時は、ユリウスから聞いていた通りの少女だと思っていたのだが、このように声を荒げる様子は聞いていた人物像と少し違っていた。
或いはこうした状態が素で、兄の前では大人しい態度を取っていただけということであろうか。
人の性格は接する相手によっていくらか変化するものでもある。
特に重要というわけでもないので、その点に関してフェリエはそれ以上考えないことした。
「それでは、帰りましょうか、エリス様」
「…はい」
フェリエが促すと、エリスは素直に返事をして歩き出した。




