第16話 拾われた少女
経緯はこうだ。
アンジェリーナがいつもの如く好奇心の赴くままにふらふらと町中を散策していると、丁度町外れにやってきたところで倒れている人影を発見した。
近寄ってみれば同い年くらいの少女だった。
見覚えはない。
旅人だろうかと様子を窺ってみたが、旅装にしては荷物も見当たらず、服装もそれらしくない。どちらかというと、整った顔立ちと併せて深層の令嬢といった雰囲気を漂わせている。肌も随分と白い。
気を失っているようなので何度か声をかけてみたが、起きる気配はなかった。
どうするべきか迷った末――。
「連れて来ました」
「どうしてその流れでうちに来るのよ?」
役所か町の警備団辺りに行くのが妥当だろうと、話を聞き終わったエリスは思った。
とりあえず来てしまった以上放置するわけにもいかず、立ち話もなんだということで家の中に入り、意識のない少女をソファに横たえ、その周りで話をしていた。少女の傍らにアンジェが腰掛け、その向かいにエリス。レティシアは少し離れたところで、少女が持っていたという唯一の持ち物を手にしていた。
それは箒だった。
家庭で使われているようなものよりもかなり大きく、柄の部分には装飾がなされており、実用品というよりは美術品のような感じがした。
「ねぇ、アンジェリーナ。これはその子が持っていたの?」
「うん。見つけた時にはずっと握ってたよ」
「そう……」
箒を見て考え込むレティシアの様子に違和感を覚えたエリスだったが、そのことは後にしてまずは少女の身柄をどうするかを考えるのが先決だった。
「アンジェはこの子、見覚えないわよね」
「ないよ。エリスは?」
「わたしもないわ」
小さい頃から町の至るところを遊び場にしていたアンジェリーナと、人の交流が盛んな町の中心部で働いているエリスの二人の交友関係はそれなりに広く、少なくとも同世代の人間ならば町内で知らない者はいないはずだった。
つまり二人がどちらも見覚えがないということは、この少女は町の人間ではない。
ならば、やはり町の外からやってきたと考えて良いだろう。
「やっぱり、役所に保護してもらうのがいいとは思うんだけど…」
言い掛けてエリスはチラッとアンジェリーナを見やる。
「…気乗りしないのね」
アンジェリーナは拒否こそしないものの、複雑な表情を浮かべていた。
向こう見ずな性格ではあるが、アンジェリーナは決して頑固ではない。エリスがよく考えた上で告げた言葉が正論であれば異は唱えない。それでも無理を押し通すことも多々あるが、その場合無茶によって生じる迷惑を被るのはアンジェリーナ本人とエリスまでというのが暗黙の約束事として存在している。
今回のようなケースの場合、適切な判断をしなければこの少女自身や、どこかにいるかもしれない少女の家族など関係者に累が及ぶ可能性があり、軽はずみな行動は取れない。
よって然るべき場所に預けるのが確実には違いないのだが、アンジェリーナは不満なようだ。
そしてこうした場合、彼女の勘は冴えている。
「やめておいた方が良さそう?」
「うん…何となくだけどね」
この流れは半ば予想通りだった。
一応筋を通しておくために正論っぽい話を切り出してはみたものの、最初にアンジェリーナがこの少女をエリスの下にに連れてきた時から、この家でとりあえず保護することになるだろうと思っていた。
アンジェリーナがその方がいいと直感的に思ったのならば、その方がおそらく良い。
では次にどうすべきかを考えようと視線を巡らせると、何故か少しふくれた様子のレティシアと目が合った。
「……何?」
「んー…なんかエリスとアンジェリーナ、二人で通じ合ってるっぽいのがおもしろくないわ」
「レティシアさん、妬いちゃってるんだ」
「ふーんだ」
「何をつまらないことを」
「つまらないことじゃないわ! 私はエリスのことを一番に想っているし、だからこそ一番にわかっていたいのよ!」
相変わらず恥ずかしいことを臆面も無く言うものだと、エリスは視線を逸らす。その顔が微かに赤く染まっていることに唯一気付いているアンジェリーナはいたずらっぽく笑っている。
「ふっふっふー、残念ですけどレティシアさん、エリスの観察歴では私に一日の長があります。年季が違うのです」
「過ごした時間の長さじゃなくて、密度こそが重んじられるべきだわ」
「どこに行くにも、何をするにも、エリスと私は苦楽を共にしてきたんですよ~」
「ならば愛の深さで勝負よ」
「むむ、やりますね。でも私だってそう簡単には負けませんよー」
「…何の張り合いをしてるのよ」
睨み合っている二人は放置して、エリスは一人少女のことを考える。
まずは身元を確認したいところだが、それを確かめられそうな持ち物は無い。仮にあったとしても、余所の地から来た人間の身元を確認するのは容易ではない。
ましてや訳ありっぽいとなれば、尚更だった。
本人に話を聞ければ一番早いのだが、今のところ目を覚ましそうな気配は無かった。
「とりあえず、町に来てる旅商人達に聞き込みでもしてみるかな…?」
一人旅をしているような風体ではないし、どこかの旅の一団に同行していたところをはぐれたのだとしたら、何か情報が入っているかもしれない。
「それも意味無いと思うわよ」
しかしそこへ、レティシアが待ったをかけた。
「人に聞いても、この子を知ってる人はいないでしょう」
「どうしてわかるのよ?」
「それは――」
レティシアは手にした箒をよく見えるように掲げてみせる。
「その子が魔女だからよ」
結局、まずは少女自身に事情を聞いてからその後のことを考えようという話にまとまった。
レティシア曰く、魔女という人種は世間から隠れて生活している者がほとんどで、他人に聞いてもその正体を知る者は皆無だろうということだった。本人も衆目に晒されることは望まないはずであり、最初に彼女を発見したのが魔女の実態を知っているレティシアを知っているアンジェリーナだったのは、彼女にとって幸運だったろうとも言っていた。
話をさくさくと進めるレティシアの様子に、エリスは妙に引っかかるものを覚えたのだが、ともあれ話は少女が目覚めてからということで今日は解散となり、アンジェリーナは自分の家に帰って行った。
エリスが少女を空き部屋のベッドに寝かせ、自室に戻って来ると、ベッドの上にレティシアが腰掛けていた。
「さ、さ、やっと二人きりよ、エリス」
楽しげに両手を広げて誘っているレティシアを無視して、壁に立て掛けてある少女の持っていた箒のところへ歩み寄る。
指先で箒の柄をなぞる。
不思議な感覚がした。単に見た目だけでなく、これが普通の箒ではないことが感じ取れた。
「ねぇ、何であの子が魔女だってわかったの?」
「あら、エリスだってわかるでしょう、その箒を見れば」
エリスの発した疑問に、レティシアは淀みなく答える。
その内容にも口調にもおかしな様子はないのだが、エリスは先ほどからの違和感が強くなるのを感じた。
「確かに、これが何らかの魔力を帯びた道具だっていうのはわたしにもわかるわ。けど、それだけでどうして“魔女”だって決め付けたのかしら?」
「箒を媒介に魔法を使うのは魔女の基本よ?」
「絵本とかでは、そうよね」
「どうしたの? エリス。そんなことを気にするなんて」
「そうね…何もおかしいところなんて無いようにも思えるけど、何か引っかかるのよ」
それはほとんど当てずっぽうに等しいものだった。
ただの勘。それはどちらかというとアンジェリーナの領分なのだが、レティシアに関することだけはエリスの方が勘が働くような気がしていた。
違和感の正体を探るため、小さな疑問を少しずつ投げかけてみる。
「魔女は人目を忍んでいるものなんでしょう。そんな人が如何にも、魔女です、って格好で出歩くもの?」
「ポリシーなんじゃないかしら」
「だとしても、そうじゃない魔女もいるはずだわ。ただ魔法の道具を持ってるっていうだけなら、魔女と断定するには理由として弱いはず。例えば、わたしとか」
「エリスは特別だよ」
「そうかもしれない。けど魔法を使う人なら、教会とか、王宮とか、他にも色んなところに、多くはないけどそれなりにいるはず。なのに、身元を証明するものが何一つ無いのに、どうして箒一つで彼女を魔女と呼んだのか」
「身元不明なのがまた魔女っぽいじゃない」
「何より!」
素早くエリスが振り返ると、レティシアはサッと顔を逸らして明後日の方を見た。
その態度で確信した。
「わたしの難癖に等しい言い分にいちいちもっともらしい理屈をつけるのがあなたらしくない! 怪しい!」
「いやいや、それ完全に言いがかり…」
「そうやって慌てた素振りもらしくない」
ベッドに歩み寄ったエリスが詰め寄ると、レティシアはベッドの上に乗って逃げようとする。
さらに身を乗り出して、ほとんど鼻先がくっつきそうなところまで近付く。
視線を逸らしたままのレティシアを、エリスはじーっと見据える。
「レティシア、何を隠してる?」
「やーねー、私がエリスに隠し事なんて、ねぇ」
「いつものあなたならもっと適当に流すか、逆にこっちをからかうような調子で返すかするはずだわ」
「そ~…とも限らないんじゃないかな~」
「わたしの考え過ぎだって言うなら、こっちを向いてわたしの目を見て言ってみなさい」
問い詰められて目を泳がせていたレティシアだったが、一転して不敵な笑みを浮かべて見返してくる。
「ふ、ふふん、いいのかしら? 今そっちを向いたら、近過ぎてキスしちゃうかも」
「いいから向け」
正面を向いたレティシアの表情は余裕を取り戻していた。
そこで主導権を奪うべく顔を突き出しかけたが――。
「ちゅ」
「!!??」
逆にエリスの方から先に前に出て、唇を押し付けた。
ほんの一瞬触れ合っただけで離れると、戻りかけた余裕は吹き飛び、信じられないものを見るように目を丸くしているレティシアの顔が目の前にあった。
頬を染めて呆然としている相手に、エリスは短く告げる。
「吐け」
「……はい」
そしてレティシアは、昨夜の出来事を語った。
「はぁ…空を飛んでたら魔女を轢いた」
「はい」
別人のように大人しくなってベッドの上で居住まいを正しているレティシアの話を聞いて、エリスは首を捻る。
「ごめん、何を言っているのかわからない」
「ですよねー。えっと、つまりね」
レティシアはさらに詳しく状況を説明する。
「はぁ…ワイバーンと追いかけっこをしてたら勢い余って前を飛んでた魔女を撥ねた」
「うん、そう」
「ごめん、ますます意味がわからない。そもそもワイバーンって何?」
「翼竜って、ドラゴンの一種なんだけど、知らない?」
「……からかってるの?」
魔女の次はドラゴンときた。しかも語っている本人は吸血鬼。どれも真っ当な人生を送っていれば日常ではまったく接点がないものばかりだ。
だというのに、それらが全部まとめてこの場にいるという。にわかには信じられない話だった。
とはいえ、この期に及んでレティシアが嘘を吐いているとは思えない。
信じ難い話だが、本当のことなのだろう。
「その空で見た魔女が、あの子なの?」
「顔は大きな帽子をかぶってたから見えなかったけど、背格好は一致するね。魔力の感じからしても、間違いないと思う」
「空で会ったのが魔女だったっていう確証は?」
「あの高度で、あの速度で自在に飛ぶのは並の魔導師程度じゃ無理よ。教会にはそのくらいの奴もいるだろうけど、教会に属してる人間には見えないしね。それに空で見た時はもっとこう、魔女独特の雰囲気を感じたわ。今は寝てるからか、よくわからないけど」
「なるほどね」
話を聞き終わって、エリスも納得した。
少しばかり魔力が使えるといっても魔法に関しては素人同然のエリスよりも、レティシアはずっと魔法に精通している。そのレティシアが言うのだから、あの少女が魔女だというのは間違いないのだろう。
先ほどから続いていた違和感も無くなっていた。
すると今度は、レティシアの方から逆に尋ねてきた。
「ねぇ、エリス。何であんなに私の言ったことを疑ったの?」
「ん?」
言われてみればそうだと気付く。
結果から言えば、レティシアは嘘を言っていたわけではない。あの少女が魔女だという主張は一貫しているし、エリスが提示した疑問もそれを誤りだと断定するには弱い。
ただレティシアが言っていなかったことがあったというだけで、何故あそこまで疑いを持ったのか。
「ただの勘、かな?」
「勘で? 何がそんなに引っかかったの?」
「それは……」
何かと、少し考えてからポツリと漏らす。
「隠し事されてるような感じがしたから。何かそれがむかついた」
「そんなに態度に出てたかな?」
「全然。アンジェでさえ何も感じてなかったみたいだし」
「じゃあ、何で私が隠し事してるって?」
「さぁ? ただ、レティシアのことだから、何となくわかったような気がしたって言うか…」
そこまで言いかけて、エリスはハッとなった。
これではまるで、さっきのレティシアとアンジェリーナの張り合いの時の主張のようではないか。
相手のことがわかっているなど、まるで――。
「………」
チラッと当の相手の様子を窺うと、少し前までの大人しさはどこへやら、キラキラと目を輝かせていた。
「やばいわ。今の超萌えた!」
「萌えるな」
「無理! エリスー!」
飛びかかってくるのを避け切れず、エリスはレティシアに半ば押し倒されるような形で抱きつかれた。
「嬉しいっ、エリスは私のことをわかってくれてるのね!」
「そんなんじゃない! ただほんのちょっとだけ、普段と違う感じがする気がしただけ、たまたまよ!」
「やっぱり私達の心はいつでも繋がってるんだわ!」
「ないわ! わたしにはあなたのそういうところがさっぱりわからないわよっ」
妖艶な態度で迫ってくることもあれば、こうやって感情を隠さず飛びついてこともある。
そのどちらがレティシアの本当の姿なのか、時々わからなくなる。
ずっとずっと年上のはずなのに、年下のように見えることもある。そんな不思議な人外のお姫様のことは理解出来ない。
意味不明だ。そう思っているはずなのに。
これまた不思議と、わからないはずなのに、わかってしまうのだ。
ちょっとした態度や仕草から、彼女の考えや、望んでいること、求めていること、そして隠していることなども。
全てではないけれど、エリスと関係が深い部分に関しては、何となくわかった。
「いいから、離れなさいってば!」
「エリス! 大好き!」
チュ、と唇が触れ合う。
「なっ…だから不意打ちは…」
「さっきはエリスの方からしてくれたくせに~」
「あれはあなたの口を割らせるために…」
「ハッ! さっきは突然のことにびっくりし過ぎて喜びを噛み締め損ねたわ。だから、もう一回して!」
「するか!」
「いいじゃない! 今夜はいいって言ったよね? その勢いで思い切り愛し合おう!」
もう一度キスしようと詰め寄ってきたレティシアの顔を鷲掴みにして止める。
「いい加減にしなさい!」
手を離さず、そのままベッドから降りて壁際へと歩み寄り、窓を開け放つ。外はもうすっかり暗くなっている。今夜は晴れていて、月も綺麗に見えていた。
本当のところを言うならば、エリスも少しだけ夜を期待していた。
認めたくはないし、仮に認めても決して口になど出さないが、レティシアに血を吸われ、夜を共に過ごす行為はエリスの方も求めていることには違いなかった。
だが、エリスとしてはそれは、もう少しムードのある中で行われるべきものだという思いがあった。
断じて、現在のこのあほみたいなレティシアのテンションで行うものではない。
台無しだった。
一気に気持ちが冷めた。
すると今度は怒りで熱くなってくる。
意識せずとも、魔石から引き出された力がエリスの身体に満ちていく。
腕に力を込め、窓の外をキッと睨む。
「あ、あれ? エリス~?」
「……今夜は…」
「あの、え? あれ? ちょっと…」
振り被る。
そして掴んでいたものを、思い切り窓の外目掛けて放り投げた。
「お・あ・ず・け・よぉ~~~~~~~!!!!」
「えぇえええええええぇ~~~~~~~!!??」
月が浮かぶ夜空に向かってレティシアの体が飛んでいくのを見届けると、窓を閉め、鍵を掛け、カーテンまで閉めた。
「ふんだ。ばーか」
そして灯りを消して、ベッドに潜り込んで寝た。
数時間後。
微かな物音がして、エリスは目を覚ました。
(…帰ってきたのかしら?)
しばらく眠って頭も冷えたところで、さすがにあんな風に放り出したのはやり過ぎだったかと反省していた。
帰ってきたら謝ろうかと思ったが、同じようなテンションのままだったらやはり追い出してしまいそうな気がした。
もしも殊勝な態度で戻ってきたら、求めに応じても良いと思った。
(さて、どんな様子で…)
ベッドの中で息を潜めたまま、エリスは近付いてくる足音に耳を傾けた。
ドアが静かに開き、足音の主が室内に入ってくる。
無言のまますぐ傍までやってきて、さらにベッドの中まで潜り込んできた。
(いきなり…って、あれ?)
何かがおかしかった。
エリスは当然、レティシアが戻ってきたものだと思っていたのだが、落ち着いて気配を探ると、やってきたのが彼女ではないことに気が付いた。
では一体誰が、と身を起こそうとしたところで、ベッドに潜り込んできた相手が寝ているエリスの上に覆いかぶさるように姿を見せた。
室内に灯りはなかったが、カーテンの隙間から僅かに差し込む月明かりだけで、目の前にいる人物の顔を判別することはエリスには十分だった。
「な…あなた…!」
それは、別室に眠っていたはずの例の少女だった。
眠たげな目をした少女の顔が近付いてきたかと思うと――。
「んむ!?」
少女の唇が、エリスの唇に押し当てられた。