第14話 月下の遭遇
今回から第2章です。新キャラも続々と登場しますよ。
見渡す限りの白。
遥か先まで続く雲の白は、地平線で空の紺とのコントラストを生み出していた。
振り仰ぐ濃紺の空には微かに瞬く無数の星々、そして一際強く、けれど淡く世界を照らす上弦の月。
夜という闇の時間域にありながら、降り注ぐ柔らかな光と、それを受けて反射する白い絨毯によって辺りはとても明るい。
見る者によっては、それは寂しさを感じさせる明るさかもしれない。
ここには一切の生の気配が感じられない。
地上から遠く離れた空の彼方。
命少なきその場所は、静寂に包まれていた。
そこにあるのは、ただ雲の海と、星々の瞬きと、優しき月光。
けれど、それで十分であろう。
静かな雲海に身を漂わせ、レティシアは心地行く。
「やっぱり、ここはいいわね」
地上ではこの感覚は十分に味わい切れない。
月の光は淡すぎて、地上に届くまでにそこに込められた恩恵は薄れてしまう。ただでさえ弱い輝きを隠す叢雲も多い。
こうして雲海の上に出てしまえば、遮るものは何もなく、淡い光でも余すことなくその恩恵を感じることが出来た。
月光浴をするならば、空が良い。
人間をはじめ、地上に生きるほとんどの生物が到達し得ない場所で一人月光を全身で受ける。これほどの贅沢はヴァンパイアの、それも力ある者のみが得られる特権である。
「最近来られなかったから、久々だとまた格別ね」
ヴァンパイアにとって、空を飛ぶというのは基本的に備わっている能力ではない。
王族など高位の者ならばほぼ飛行することは可能であり、飛ぶこと自体にそれほど多くの魔力を必要とするわけではない。だが本来備わっていない能力を行使するというのはやはり簡単なことではなく、力が衰えている状態ではこれほどの高高度までやってきた上でその場に留まり続けることは難しい。仮に可能だったとしても、いつ魔力が切れて落下してしまうかわからない不安もある。
つい最近まで力の大半を失っていたレティシアは、今日久しぶりにここまでやってきたのだ。
夜の民とも呼ばれるヴァンパイアは、月の光を好む。
レティシアも例外ではなく、こうして月光浴をしていると気分が高揚してくる。
「あははっ」
雲海を実際の海に見立てて泳ぐような真似をしてはしゃいでみせる。
至福の一時だ。
「こうやって月光浴してる時と、好きな子の血をもらう時が、生きてる中で最高の瞬間よねー」
雲の上を滑るように飛び回りながら、今は遥か足下の地上で眠っているであろう少女のことを思い浮かべる。
エリス・ブランシェ。レティシアの今の想い人である。
最初に手をつけようとしたのは単純に、見た目が好みだったからだけであった。接してみると思った以上におもしろい娘だとわかり、興味がわいた。そして数日共に過ごす内に、すっかり夢中になっていた。
元々ヴァンパイアにとって他者の血液とは、食事と違って常に取り続けていなければ死ぬというものではない。だがより多くの力を行使しようとする場合は、得ておいて損はない。
最適なのは、互いに心を通わせている相手からもらうことだが、そうした相手がいつでもいるとは限らない。レティシアは既に百年以上生きているが、その間に心から想い合った相手は3人しかおらず、一人一人と共に過ごした期間は10年から20年ほどである。それ以外の間は行きずりの相手から血をもらうことも多々あった。けれどそうした相手と、心から欲した相手とでは、血の味わいがまるで違う。
だからいつでも、心から想える相手との出逢いを熱望している。
エリスは4人目というわけだ。
相手がいつも若い娘なのは、単にレティシアの嗜好の問題であろう。嗜好が偏ることはヴァンパイアにとってはよくあることであり、同性に対してそれを求めることも彼女らにとっては特に気に留める事柄でもない。
長い寿命を持つヴァンパイアは、他の生物に比べて生殖活動に対する執着が薄いのだ。
「今度エリスも連れて来てあげようかな~?」
くるくると回りながらゆっくり飛ぶ。
安定して飛ぶために魔力で作り上げたコウモリの翼が雲の一部を巻き上げては霧散させていく。
「でも、どうかな? あの子には太陽の方が似合いそう」
陽の下で生きる昼の民たる人間と、月の下で生きる夜の民ヴァンパイア。
本当は両者は相容れない存在なのかもしれない。
互いを繋ぐ絆は、掬っては散ってしまう雲のように儚いものにも思える。
けれど真逆の性質を持った者同士だからこそ、こうして惹かれ合うのではないだろうかと、レティシアは思う。
何故ならこうして、何よりも至福に思える月の光の下にいながら、心の内には遠く地上にいる彼女の下へ戻りたいとも思っていた。
「母なる月と、想い焦がれるあの子との間で板ばさみ…なんて言ったら、あなたは笑うかしら?」
どちらかというと、呆れた顔をしそうな気がした。
それが彼女らしい。
くすくすと笑い声を上げ、そんな心の葛藤さえも楽しみながら、レティシアは夜の空を漂う。
「離れてる時間が、愛を育む。なーんて……ん?」
視界の隅を影が過ぎり、回るのをやめる。
かなり距離がある上に、雲の合間に途切れ途切れに見えるだけだが、確かに何かが飛んでいる。
鳥でさえこの高度まで上がってくる種は珍しい上、近くに高い山もないため、まず生き物がやってくるような空域ではないはずだった。
よく目を凝らして見ると、さらに珍しいことに影は人の姿をしていた。
人間の姿をしたものが、長い棒状のものに乗って飛んでいる。
ほんとに珍しいものを見たという表情で、レティシアは目を見張った。
「魔女、か」
魔女、或いは魔法使い。即ち魔法を専門に扱う存在。
単純に魔法を扱える人間というだけならば別段珍しくもないが、そうした者らはあくまで便利な技術としてそれを用いるだけであり、彼らのことは一般に、魔術師または魔導師などと呼ぶ。
けれど、それよりもさらに深い境地で魔道を極めんとする者達のことを、魔法使いと呼ぶのだ。
ほとんどの魔法使いは研究のために自身の工房に引きこもっているか、人目を忍んで生活していることが多いので、見かけることは少ないが、こんな場所を好んで飛んでいるような者は魔法使いと見て間違いなかった。
「こんな場所で夜の散歩仲間に会うなんてね。声でもかけてみようかしら?」
そう思ったが、やめておいた。
魔女という人種は基本的に他者との交流をあまり好まないものであり、レティシア自身一人の時間を満喫していたところだ。もしも相手もこの静けさを好んでここにいるとしたら、いたずらにそれを乱すのは無粋というものだ。
幸い相手はレティシアのことには気付いていないようなので、このまま互いに干渉しないのが良いだろう。
そう決めて空気の流れに再び身を漂わせようとした時だった。
「ん?」
今度はより強い気配を感じ取った。
「もう、せっかくの静かな夜だっていうのに、今度は何?」
気配はどんどん存在感を増していく。
しかし姿はまだ見えない。
「………」
レティシアはその場に停止し、接近してくる存在に意識を向ける。
「……下、雲の中か」
足下へ視線を向けると、真っ白だった雲に影が浮かび上がった。
影は徐々にその大きさを増していき、レティシアが数人がかりで手を広げても尚余りあるほどにまでなったところで、雲を突き破ってその姿を現した。
左右に大きく広げられた翼。
前後に長く伸びる首と尾。
それらの中心にある太い胴。
鋭いかぎ爪のついた2本の足。
「こらこら…なんてモノが唐突に現れてくれちゃってるのよ」
一見すると鳥に見えなくもないソレは、しかし鳥などでは決してなく、何よりまずサイズの桁が違う。
頭の先から尾の先までは、ゆうに20メートルはあるだろう。巨大な翼を広げた幅はおそらくそれ以上。
全身は見るからに頑丈そうな鱗に覆われ、口からは大きな牙は覗いている。
紛うことなき、ドラゴンだった。
「ワイバーンか。ドラゴンとしては低位ではあるけど、これだけの大きさの奴ははじめて見るわね」
翼竜と呼ばれるこの種類の大きさは、平均して全長10~15メートルほどである。これはかなり大型の部類になるだろう。
そして何よりも問題なのは、遭遇したこの場所だった。
「『境界線』からこんなに離れた場所に出没するようなものじゃないでしょうに」
人間と、それ以外の魔物と総じて呼ばれる存在の生活圏を隔てる『境界線』。教会が700年前に引き、以来管理しているこの線を越えるものは滅多にいない。
レティシアのようなヴァンパイアロードが支配する土地は『境界線』の外側にありながら、身を隠す術に長けるヴァンパイアは多くの者が線の内側でも生活しているが、それはあくまで例外である。
ほぼ全ての魔物は『境界線』を越えるどころか、近付くことすらしない。
これほど人間の生活圏の深くに出没するなど、稀を通り越して異常な事態に違いなかった。
「まぁ、これだけ高い場所じゃ教会の監視の目も届かない、か」
かつてのドラゴンは大陸の端から端までを一日で飛んだということであるし、人の目の届かない高高度のことであれば、線の存在を無視して移動するものがいたとしてもおかしくはないのかもしれない。が、やはり700年もの間起こらなかった事態となれば、不思議にも思う。
ましてこんな場所を飛び回ったところで、餌にありつけるわけでもない。
「ん、餌?」
雲海の上を飛んでいたワイバーンが雲を離れて上昇し、血走った目をレティシアに向けた。
「え、ちょっと待って」
人間達の中には魔物を極端に恐れる者がいるが、彼らは一つ誤解をしている。
大半の、特に知能の低い魔物は獣と同様に慎重であり、また臆病でもあるため、獲物となり得る相手だとしても群れで生活しているものを無闇に襲ったりはしない。つまり、たとえドラゴンといえども、人間が生活する町に近付いたりはしないものなのだ。
では彼らが狙うものは何か。群れからはぐれた獲物だ。
そしてただの野生の獣と違い、ヴァンパイアと同じように高純度の魔力を体内に宿すドラゴンにとって、強い魔力を持った存在は格好の餌となる。
人間の生活圏の只中にあって、町から大きく離れた上空に高い魔力を有する存在がぽつんと一人いる。
「もしかして、私を狙ってきた?」
答えるように旋回しつつ、大きな口を開いてワイバーンが突っ込んでくる。
レティシアはひらりと身をかわし、すれ違い様に振られた尾も避けてみせた。
勢い余ったワイバーンは、再び雲の中へと沈んで行った。
「いくら力を抑えてるからって、仮にもヴァンパイアロードの私を餌と思って向かってくるなんてねー」
獣は元来、自分よりも強い存在は獲物として狙わないものである。
ドラゴンとヴァンパイアならば、確かに生物としての平均的な能力比較ではドラゴンの方に分があるが、そのドラゴンの中でも下位の存在であるワイバーンと、ヴァンパイアの王族であるレティシアを比べれば、圧倒的にレティシアの方だった。
にもかかわらず、レティシアを狙って襲い掛かってくるということは。
「よほどお腹を空かせているか、ただのお馬鹿さんか」
真下から垂直に雲を飛び出したワイバーンの口が閉じられる。
しかし狙った獲物の姿はそこにはない。
「追い返すのも、逆に狩ってやるのも容易いけれど」
レティシアは離れた場所に浮かんでその様子を見ている。
それに気付いたワイバーンが方向転換をして再び向かってくる。
「無粋ね。せっかくの夜空を旅するお仲間。共に戯れたいというなら、いいわ、踊ってあげましょう」
コウモリの翼を羽ばたかせ、追ってくる狩猟者を誘うように飛ぶ。
「ダンスのお相手としては、甚だ不足ではあるけれど、ね」
猛然と躍り掛かってくるワイバーンの牙を、レティシアは蝶のようにひらひらと飛び回ってかわしていく。
直線に飛んでいるだけでは捉えきれないと感じたワイバーンが機を窺うように周囲を旋回しだすと、急激に方向転換をしながらのかぎ爪による攻撃や、一度回避した後に長い尾による攻撃などが繰り出されるが、尽くを回避してみせる。
地上の食物連鎖の頂点付近にいる獣を相手取りながら、レティシアの表情には遊びさながらの余裕があった。
元より身体能力だけでも他のいかなる種族にも引けを取らないヴァンパイアロード。加えて体術の極意を会得しており、さらにはヴァンパイア最大の特長の一つである優れた感知能力も併せ持ったレティシアにしてみれば、この程度のことは造作もない。
「くすくす、どうしたのかしら? 私はここよ」
わざと見えやすい位置で動きを止め、両手を振って相手を誘う。
苛立ちを表すようにワイバーンが咆哮し、真っ直ぐに突進してくる。
「さーて、じゃあ今度は速さ比べといこうかしら」
レティシアはそれをかわすことなく、反転して同じ方へ向かって逃げ出した。
真っ直ぐ逃げていく相手に対し、ワイバーンがさらに速度を上げて追いすがる。
けれどあと少しで届きそうというところで、レティシアが加速して引き離していく。それを幾度か繰り返す内に、両者の飛行速度は音速に近い域にまで達しようとしていた。
総合的な能力では下位に位置するワイバーンではあるが、飛行速度に関してはドラゴン最速であり、最高速度は音速を軽々と超える。対するヴァンパイアの飛行能力はそこまで高くはない。にもかかわらず、レティシアの飛行速度はワイバーンと互角どころか、引き離しそうな勢いだった。
「あっははー! いいねいいね、久々だよこの風を切る感じ!」
ヴァンパイアという種族の中にあって、レティシア・ブランシュタインの能力は規格外だった。
その力は、人々が恐れる伝説の怪物そのものと言って良い。
ついには超音速に達した両者の追走劇は、風を切り裂き、雲を蹴散らして続いて行く。
「いぇーいっ!」
調子に乗っていた。
久しぶりに全力で空を飛び回る気持ち良さに全身で浸っていたため、注意力散漫になっていたと言えよう。得意の感知能力が鈍っていた。
だから、少しばかり気付くのが遅れた。
「っ!」
「おや?」
すぐ目の前に、思わぬ人影が出現した。
実際には見つけた時点では100メートル以上は距離が離れていたはずなのだが、何しろ超音速で飛んでいる最中である。相手も同じ方向へ飛んでいたため相対速度で見ればいくらか遅く感じられたであろうが、それでもレティシアとワイバーンの方が速い。
向こうもとっくにレティシア達には気がついていて逃げている最中だったようだが、あっという間に追いついた。
レティシアの方は小回りを利かせて追突は回避出来たのだが、ワイバーンの方はそんな器用な真似は出来ないし、する気もなかった。
真っ直ぐに飛来したワイバーンと接触はしなかったものの、通り過ぎる際の風圧に煽られて人影は吹き飛ばされていった。
人影の正体は、先ほど見かけた魔女だった。
「うわちゃー、思い切り轢いちゃった感…」
きりもみしながら雲間に落下していく姿を苦笑いで見送る。
思い切り巻き込んでしまったことにさすがに罪悪感を覚え、雲の切れ間から下を覗き込む。
すると多少ふらふらとしながらも、ゆっくりと地上へ向かって飛んでいく姿が見えた。
どうやら大丈夫そうである。
見えないとわかってはいたが、レティシアは両手を合わせて、心の中で「ごめんなさい」と言って謝っておく。
動きを止めたレティシア目掛けて、ワイバーンが反転して向かってくる。
巨大な口を開いて襲い掛かったワイバーンだったが、まるで見えない壁にぶつかったかのように、激しい音を立てて空中で停止した。
手をかざしたレティシアの前にワイバーンの頭部と同じ程度の大きさの魔法陣が浮かんでおり、それが進行を阻んでいるのだ。
「さすがに人様に迷惑をかけるようじゃ、少し遊び過ぎだったわね。今夜はこの辺りでお開きにしましょう」
諭すように語り掛けるレティシアだったが、興奮冷めやらぬ様子のワイバーンは、牙を剥いて強引に魔法陣を突破しようと試みている。
「聞き分けなさいな」
あくまで静かに、けれど微かに細めた視線で目を合わせると、ワイバーンは動きを止めた。
「ここは元々、私やあなたがあるべき場所ではないわ。なれば節度を持って、密やかに行動しなくては、ね」
魔法陣による防壁を解き、指先でワイバーンの鼻先を軽く弾く。
大して力を入れたわけではないが、怯んだワイバーンがじりじりと後退していく。
「それにこの辺りじゃあなたの餌になるようなものも少ないわ。迷い込んできたのなら、大人しく巣へと帰りなさい」
レティシアは指先を北東方面へと向ける。
このワイバーンが実際にはどこから来たものかは知らないが、一番近い『境界線』と、ドラゴンが生息していそうなおおよその地域はその方角にある。
言葉が通じたわけではないが、レティシアのことを明らかな格上の存在と認識したワイバーンは、微かに逡巡した後、指し示された方角へ向かって飛び去っていった。
にこやかに手を振って、レティシアはその後姿を見送った。
「はー、静かな夜だと思ったのに、何だか賑やかなことになってしまったわね」
気付けば月の位置も大分低くなってきていた。
まだ夜明けまではいくらか時間はあるが、改めて月光浴を再開する気分でもない。
竜との戯れだけでなく、夜の散歩自体そろそろ終わりの時間のようだ。
それにしても、とレティシアは思う。
「まさかワイバーンに出くわすなんてね。ホーリーの子が言ってた通りということかしら」
数日前にことである。
町の吸血鬼事件の事後処理を終えて教会へ帰る直前に、フェリエ・ホーリーからこんな話を聞いていた。
「実はここ半年ほどの間に、『境界線』の内側での魔物の出現情報が増加しているんです。町などへの被害は今のところほとんど出ていませんが、無視出来ない件数の報告が上がっていて、教会は現在その対応に追われている状態です」
「なるほどね。いくら何でも3人は少なすぎるとは思ったのよ。テオドールはそっちでもマークしてた奴でしょうに」
「四天のどなたかが出向くという話も出ていたのですが」
「聖天の一位から四位の化け物どもね。確かに連中なら、単独でも余裕でやれるでしょうけど」
「姫が活動し辛くなると思い、そこはどうにかしていただきました」
「ありがと。で、『境界線』の方は何か問題が出てるわけ?」
「いえ、結界の方には何も。元々侵入を阻むようなものではありませんし、監視にしても範囲が広大過ぎて完全には網羅し切れないのは事実ではありますが、それでもこんな事態は、この700年ではじめてのことと言われています」
「ただの偶然じゃないと?」
「そこはまだ何とも。もう一つ別の案件もあって、調査の方も滞っている状態です」
「別件て?」
「反教会を掲げる過激派集団のことで」
「ああ、例の旅団ね」
「人的被害を出したことはありませんが、各地の教会施設を破壊するなどの活動を繰り返しています。大司教様方にとっては、そちらの方が悩みの種のようです」
「色々あるわね。それで、城の方は何か言ってきてる?」
「現状では静観せよと」
「でしょうね。話してくれてありがとう。気には留めておくわ」
ベルンシュタインをはじめとするヴァンパイアの各王家は、人間世界の各国家、さらには最大勢力である教会の内部に至るまで、無数の間者を忍ばせている。常に情報を収集し、人間とヴァンパイアの間で争いが起こらないよう、また万が一起こった場合に被害を最小限に抑えられるように。
フェリエ・ホーリーは教会に潜んでいるヴァンパイアである。と言っても、生粋のヴァンパイアではない。彼女の家は何代も前から教会の本拠地がある聖都リーガルに居を構えており、その間に幾度か人間と交わっている。
血に力を宿すヴァンパイアの血の濃さは、半分より薄くなることがないため、どれだけ多種族と交わっても半分はヴァンパイアの血を持つことになる。よってフェリエは、人間とヴァンパイアのハーフと言えた。
能力的には少し魔力の扱いに長ける人間と変わりない程度であり、よほどの者でない限り彼女をヴァンパイアと見抜くことは出来ないだろう。
教会上層部には、このようにヴァンパイアが内部に潜んでいることを知っている者もいくらかいるが、その辺りは教会と各王家の間で秘密裏に話がつけられており、黙認されている状態だった。
ヴァンパイア側の望みはあくまで平穏であり、教会側も人間社会の秩序が乱されない限り今の関係を壊す気はない。
そんな関係が既に何百年も続いていた。
ともあれレティシアも、そうした筋から情報は常に得られる立場にあった。
ここ数ヶ月はテオドールを追い回すことばかりをしていたため情報収集を怠っていたが、知らない間におかしな気配が漂い始めていたようだ。
「大したことじゃなければいいのだけどね」
ヴァンパイアが望むのは平穏な日々。それはレティシアも変わらない。
多少刺激的で、おもしろおかしい毎日を愛する人と過ごせれば満足だった。
差し当たって今のレティシアにとって大事なことは、エリスとの仲を如何にしてもっと親密なものにするかである。
「さてと、帰りましょうか。早く寝て、夕方になる前には起きないと、エリスと遊ぶ時間が短くなってしまうわ」
人間は昼に活動し夜に寝るが、ヴァンパイアはその逆、昼に寝て夜に活動するのが基本である。
もちろんその気になれば昼夜逆転の生活習慣を身につけることも出来るし、実際人間社会に溶け込んで生活している者達はそうしている。
けれど夜起きている方が落ち着くのも事実である。だからいきなり生活習慣を変える気はないのだが、好きな相手と過ごす時間も大切にしたい。そのために、最近では少し寝る時間をずらすようにしているのだ。
「人間との恋も、楽じゃないねー」
レティシアは夜空の散策を追え、地上へと帰って行った。