第11話 激突する力と心
レティシアは単身、テオドールの前に姿を見せた。
先ほどまでとは明らかに別種の気配をまとわせた敵の様子に、事態を察したテオドールはニヤリと笑みを浮かべて相手を見据えた。
「ハッ、そうか。あの女の血を吸ってきやがったな」
対してレティシアも、余裕の笑みをもって応える。
「ええ、もらってきたわ。残念だったわね、テオドール。これであなたに、万に一つの勝ちもなくなったわ」
人が吸血鬼と呼ぶ彼らの種族は、多彩な魔術と強力な再生能力を主な特徴とする。口から体内へと摂取された血液は心臓へと送られ、そこで自らの血液を混ぜ合わせることで他の生物よりも高い魔力を生成し、様々な能力を使用するためのエネルギー源とする。
どんな生物の血液でも彼らの糧となり得るが、最も魔力への変換率が高いのが、人間の血であった。加えて、元々高い魔力を持った生物の血液は、それだけで体内に取り込んだ時に大きな力へと変換される。
即ち、その両方――高い魔力を持った人間の血液は、彼らの力を最も効率よく高めるということだった。
テオドールが殺した法力使いの神父、そして魔石を持ったエリス。どちらの血も、二人が失った力を回復するに適した人材だったというわけだ。
かくして今、力を回復した二人はこうして対峙している。
「まぁ、いいさ。やっぱ弱ってる奴を嬲り殺してもつまらねぇ。少しくらい歯ごたえのある状態で殺さねぇと自慢にならねぇってなぁ!」
「少しくらいの歯ごたえ、で済むといいわね」
「さーて、どうかな? 元々の魔力総量はあんたの方が上。だがその分回復するのに必要な血の量も多いはずだぜ。取り込んだ血の量が同じだとして、俺様は全快したが、あんたはどうだかな?」
「試してみる?」
「望むところよ!」
ダンッ、と地面を蹴ってテオドールが跳躍する。十数メートルもの上空から、落下の勢いを上乗せした拳を繰り出す。
地響きがするほどの威力を持った拳が、地面にクレーターを作る。
しかしそこにレティシアの姿はない。
拳が繰り出される寸前、その横を掠めるように跳躍してかわしていた。
「見えてるぜっ!」
地面に打ち付けた拳を引き抜き、その勢いのままに後方宙返りをしつつ頭上へ蹴りを放つ。所謂サマーソルトキックである。
レティシアは蹴りがくるのに合わせて相手への足先目掛けて自身の足の裏を突き出し、衝突と同時に相手の足を蹴ってさらに上へと跳んだ。
「小癪な真似を。逃がすか!」
両足で着地したテオドールは深く沈み込み、レティシアのいる上空目掛けて跳び上がる。
前のものよりもさらに高い跳躍で、相手へと接近する。
迫り来る眼下の相手を、レティシアはフッと笑みを漏らして迎え撃つ。
「控えなさい。夜天は王のための領域よ」
レティシアが両手を広げると、左右に魔法陣が出現し、金色に輝く魔力の矢を降り注がせる。
「だから、あんたを引き摺り下ろして、そこを俺様の縄張りにしてやるっつってんだよ!」
拳を握った腕を横薙ぎに振るい、向かってくる矢を叩き落す。矢はさらに降り注ぎ続けるが、それらがテオドールの体に傷を付けるには至らない。
両腕を振るって、テオドールは顔面付近に向かってくる矢を重点的に叩き落し、他は放置した。人間に近しい姿をした彼らの弱点もまた、人間とほぼ同じだった。目や口などは急所であり、しかも再生し辛い箇所だった。まして脳にダメージを受ければ、身体のダメージを感じ取る器官の働きが鈍り、再生能力そのものが著しく減退する。首を切り落とされても同様である。
ただし、たとえ首を刎ねられようが脳を破壊されようが、多少再生に時間がかかる程度で死にはしない。彼らの不死の怪物と呼ばれ恐れられる所以である。
彼らにとって唯一にして最大の急所は唯一つ。だがそれゆえに、そこは強固に守られており、易々と攻撃が通る場所ではない。
「温い攻めしてんじゃねぇよっ!」
矢の雨を掻い潜り、上空の敵へと肉薄したテオドールがアッパー気味の拳を振り上げる。
レティシアは魔法陣を掌の前に移し、それで拳を受け止めた。
「そんな小手先の技、意味なんざねぇってわかり切ってるだろうが!」
小さな傷は、いくら負ったところで彼らにとっての致命傷にはならない。彼らは魔力さえあれば、どんな傷でも瞬時に再生することができる。
つまり彼らを倒すためには、魔力の源、即ち心臓を潰す以外になかった。
心臓が無事な限り、彼らの身体は無限に近く再生し続けることが出来る。テオドールが先ほど豹雨やエリスに深手を負わされながらも、神父を殺してその血を得たことでそのダメージを全て回復できたのも、心臓が無事だったからである。
そして彼らの心臓は、それ自体が膨大な魔力を内包しており、人間の同じ器官よりも強靭だった。しかも特に意識せずとも、彼らは心臓の周りに常に何重もの魔力結界を展開しており、肉体を大きく傷付けるほどの攻撃でも、心臓までは届かないことがほとんどだった。
当然、そこが自分の弱点とわかっている以上、彼ら自身も戦いの中でそこへのダメージには最も気を使う。その防御を掻い潜り、強靭な肉体を切り裂き、魔力結界を突破する。それだけのことをしてはじめて、彼らに致命傷を与えることが出来るのである。
「俺様を殺してぇんだろ! 心臓をぶち抜きてぇんだろ! だったら、本気の一撃を喰らわせてこいやっ!!」
テオドールの、一見我武者羅に見える大振りの攻撃はそもそも、同族との戦いを想定しているからこそのものだった。
共に強靭な肉体と高い再生能力を持っている以上、小手先の技で小さなダメージを狙うことは無意味であり、必要とされるのは相手の防御を貫き、一撃で倒すことの出来るパワーである。だから全ての攻撃が、必殺の一撃となるのだ。
渾身の力を込めて放たれた拳が、数秒間の拮抗を経て、レティシアの魔法陣の防御力を上回った。
魔法陣が砕け散る。
しかし矢の雨を振り払った際と今の魔法陣による防御で勢いを失った拳は相手を捉えることはなく、空を切った。
レティシアは身を翻し、地面へと降下する。テオドールもそれを追った。
空中での攻防を終え、両者は再び地上で睨み合う。
「本気の一撃ねぇ。あなたの考え方も間違ってはいないけど、相手の防御を崩す技くらいはあって悪くはないでしょう。その方が、低い威力でも心臓を打ち抜けるわ」
「防御ごと叩き潰しちまえばいいだけだろう。常に全力で殴り続けりゃ、それで十分だ」
「当たるんならいいけどねー」
「当てるさ。そのためには…速さだ!」
再び地面を蹴って動き始めるテオドール。今度は左右に素早く動き、横合いから連続して拳を放つ。
連打による攻撃を、レティシアは最小の動きで回避していく。
拳が反らせた顔のぎりぎり横を通過する。風圧が頬を掠り、裂傷を負うが瞬時に再生する。先ほど全身に裂傷を受けた際には再生に時間がかかったが、今は即座にそれが可能となっていた。レティシアの力が前よりも回復している証拠だった。
さらに蹴りも交えて繰り出される連続攻撃を紙一重で避け続ける。
そして大振りの拳を放った直後の隙を突いて、魔爪を伸ばして首筋を狙う。
頚動脈を深々と切り裂き、血が噴出する。人間ならばこれでもほぼ即死だが、彼らの場合はそうはいかない。
「首を飛ばすつもりだったけど、わりと硬いわね」
「その程度で効くかよ!」
裏拳が放たれる。
頭を下げ、その場から動かずに回避する。
「もう一度同じ場所!」
「甘いぜ!」
「と見せかけて」
テオドールが再生途中の首筋をガードしようとする動きを見て、レティシアは振り上げた腕を下ろし、胸板に向かって魔爪を突き出した。
胸、即ち心臓を狙って。
「あら」
だが、レティシアが放った魔爪の先端は、相手の胸に僅かに刺さるに留まった。
「だから甘ぇっつってんだろうがよ!」
「やば…っ」
攻撃を止められて一瞬動きの止まったレティシア目掛けて、テオドールの拳が振り抜かれる。
後退するのが遅れたレティシアは、その拳をまともに受ける。
十メートル余り吹き飛ばされるが、空中で体勢を立て直し、滑りながら両足で地面に降りる。
「いたたた……馬鹿力ねぇ、まったく」
レティシアは拳を受けた左肩を押さえる。肩から先が千切れ飛ぶことはなかったが、服の袖が肩の部分から破れ、露出した肌には大きく腫れ上がった痣が出来ていた。
骨までいっている様子だったが、すぐに再生出来るくらいの傷である。
鈍痛のする肩をさすりながら、レティシアは追撃してこないテオドールのことを見据える。
そのテオドールは、肩を上下に震わせていた。
「ハッハ、そうか…やっぱりそうか」
顔に浮かんでいるのは、嘲笑だった。
「そうじゃねぇかと思ったんだよ、ああ!」
ビシッとテオドールがレティシアを指差す。
「さっきの魔法障壁もやけにあっさり壊れたと思ったが。あんた、まだまだ全快には程遠いだろう」
「………」
「クッハッハ、どうせあの女の体に負担をかけまいと、血を吸う量を加減したんだろう! そうだよなぁ、人間てのは脆い生き物で、ちょっと血ぃ吸い過ぎるとすぐに死んじまうもんなぁ!」
ゲラゲラと哄笑が響く。
「だからあんたは俺様に勝てねぇんだ! たかが餌の人間のことを気にかけるせいで本来の力を発揮出来ず無様を晒す。結局前と一つも変わらねぇ。人間の女なんぞに現を抜かす、それがあんたの弱さだ!」
蔑みの言葉が投げかけられる。
「間抜けなお姫様が! どの道あんたを殺した後で、あの女も殺すんだ。何一つ結果は変わらねぇのさ! あんたは自分の命も、大事とかぬかしてる人間のことも、何も守れやしねぇ!」
嘲り笑う表情の中に、怒りが混ざり込む。
吐き出すように、テオドールは身の内から湧き出る思いを叫ぶ。
「そんな奴が、王様気取りで俺様を見下していやがる……これが許せるものかよ! だから俺様は、あんたを殺す!!」
高らかに宣言するテオドールを半眼で見据え、レティシアは小さく嘆息する。
「何度も言うけど、別に見下してはいないわ。王様気取りって言われても、実際私は王族だしね」
「そうさ。あんたら王族は、自覚無しに俺様を見下してやがるのさ。俺様が卑しい身分の出だからってな」
「それがまず違う。仮にあなたの言うとおり、私が無意識の内にあなたを見下した言動をしているとしても、それは身分のせいじゃない。あなたの心のせいよ」
「心、だ?」
「そう。あなたは他者から“奪う”ことで力をつけてきた。その行いこそが、あなたを貶めているのよ」
「何だと?」
テオドールが眉を顰める。その表情は、レティシアの言葉をまるで理解出来ないと語っていた。
きっとこの男には、言葉でいくら語ってみせても伝わらない。これまでのやり取りからレティシアはそう結論付けていた。
それでも語り聞かせる。
王の言葉は、民に聞かせるためにこそあるものであるから。
「私達は自らを、“尊き種族”と称する。けれどそれは決して、私達が他の種族よりも優れた存在という意味ではない。私達は、誇りを持って生きる者なればこそ尊い。そして私達に生きる糧を与えてくれる人間との交わりを尊い行為と位置付け、彼らを最も近しき隣人として敬うのよ」
「敬う、だぁ? まるで奴らが、俺様達と対等みてぇな物言いだな」
「対等だわ。私達は彼らに与えてもらい、同時に彼らに与える関係にある。あなた、ベルンシュタインの城下町にどれだけの人間が住んでいるか知っている?」
「あん?」
「町の人口のおよそ8割は人間よ。彼らの血を与えてもらうことで私達は生き、代わりに私達は外敵から町の人間達を守る。それがあの町の在り方なのよ」
「家畜として飼ってやってるだけだろうが、あんなものは。俺様達には、奴らなんぞより遥かに大きな力がある。対等なんかじゃねぇ。ただ奪えばいいだけだろうが。強者が、弱者からよ!」
「ただ奪って、それで終わり?」
「それ以外に何があるってんだ」
「そんな生き方は獣以下よ」
「生き方に上等も下等もあるものかよ。ただ強けりゃそれでいい。弱い奴から奪い尽くして、最強になっちまえばよ、誰も生き方に文句なんかつけられねぇだろうが」
「……これ以上語ってみせても、無駄みたいね」
やはり、言葉で心を伝えるのは難しい。
元よりそれで分かり合おうなどという気があるわけでもなく、正直面倒くさいというのがレティシアの本音でもあった。
王族として生まれたことに誇りを持っているのは事実だが、あまり自分は王に向いた性格ではないだろうと思えた。
言葉よりも、障害は力ずくで取り除くという点においては、レティシアもテオドールと大差ない考え方をしていた。
ただこの男は、一つ勘違いをしている。
「でもね、テオドール。あなたは奪うことが強さだと、人間と交わることを弱さだと言うけれど、私達にとっては、そうではないのよ」
「まだ無意味な講釈を続けるつもりか?」
「これは生き方の貴賎というだけの話じゃない、もっと現実的な話よ」
「はぁ?」
「あなたには、論より証拠ね。さっきので十分、今のあなたの動きに目も慣れたでしょうし」
「何を言ってやがる?」
スーッとレティシアの腕が持ち上がり、指先が空を指す。
「今から、私達の本当の『力』を見せてあげるわ」
頭上に現れた気配を感じ取ったテオドールが振り返ると、その目が夜空を背に剣を振り被ったエリスの姿を捉えた。




