†戦闘状態†
「……間違いありませんね。ここには赤銅……もとい、重力管制がいたようです」
「やっぱりか、チクショウ!」
パン、と金城ミロクは右の拳で左の手を殴って音を立て、その場で地団太を踏み荒らす。当たって嬉しくない勘ほどムカつくものはない。
金城ミロクと黒須ミサは、先程までいた公園の茂みにいた。黒須ミサの同一性質が必要だったから全力ダッシュで階段を上り、自室より三つ隣の黒須ミサの部屋へ強行し……そして殴られた。かなり本気のラッシュだった。しかもそれら全てが人体急所を的確に捉えていたのだから現在の金城ミロクは相当なダメージが蓄積している。
理由は以下の通りである。
†††††††††
「ハッ、ゼェ……!な、七階は高いってマジで……ゲホッ、クソッ!」
黒須ミサの自室のドアに手を突いたまま息を整える金城ミロク。だが一刻を争う事態なので、休んでいる暇はない。疲労で震える手をどうにか動かして、インターホンを連打する。
「おい、同一性質!いるか!?」
「えっ!?いや、それはさっき一緒に帰りましたから居ますが、どうしたんですか?」
「緊急事態だ、ちょっと入るぞ!」
「えっ、なっ、ちょっ、待っ!?」
金城ミロクは躊躇う事なくドアノブを捻り、開け放つ。そして硬直する。
何度も言ってきたが、学生寮はワンルームだ。そして各部屋はドアを開けてすぐ横に台所があり、更にその横に浴室とトイレが備わっている。廊下と呼ぶほどではないフローリングの先には八畳ぐらいの広さ(いや、この場合は狭さか)の部屋があるが、個人によって洗濯機をベランダかトイレ横に設置している。見たところ、黒須ミサは後者の様だ。
繰り返し言うが、学生寮はワンルームだ。八畳ぐらいの黒須ミサの部屋はやたらとピンクで統一されていて、ゲーセンの戦利品らしき可愛らしいぬいぐるみが置いてある。黒い私服を着ていた黒須ミサのイメージにそぐわない家具や模様が、玄関から見る事が出来る様になっている。
しつこい様だが言う、学生寮はワンルームだ。もしトイレの横に洗濯機を設置している場合、入浴の為の脱衣を部屋で行えば二度手間になるので、自然、台所で行うのが基本になる事だろう。脱いだ服や下着を洗濯機に放り込み、すぐに浴室に直行出来るからだ。
以上を踏まえて言える事があるとすれば、黒須ミサはまさしく入浴準備に入っていた、だろうか。
絶対零度の件で心身共に疲弊しきっていたのか、部屋の鍵をかける事も忘れて。
「……コレハ事故デスヨネ?」
「……客観的に考えれば自ずと答えが出るんじゃありませんか?」
下着を洗濯機に入れようとしたポーズのままバスタオルで前を隠し、無表情なのにこめかみをピクピク動かすという器用な真似をしながら、黒須ミサは親が子を諭すが如く柔らかな口調で答える。バスタオルが隠しきれない端からは白磁の陶器の様な、真っ白で滑らかな肌がチラチラと見え隠れしている。ちなみに、上も下も下着のラインは見えないし、黒須ミサの右手にはまさしく『上下の下着』が握られていた。
もう一つだけ付け加えさせて頂けるのならば、バスタオルは少々小さめで、胸元から垂らして太股の付け根より若干下までしか隠せていない。
そして最後にもう一つ。金城ミロクは、七階分の階段を短距離走ばりの速度でダッシュし、呼吸が乱れている。赤銅シオンがいなくなったという緊急を有する事態である為か、冷や汗もじっとりと湧いてきている。そしてドアを開けた先には、今まさに風呂に入ろうと言う様相の全裸の少女。
Q1.事情を知らない少女には、突如息を荒げて家屋侵入してきた少年がどう見えるでしょう?
「……金城ミロク」
「ハイッ!」
ドスの利いた恐ろしい重低感のある声に、金城ミロクは直立不動で返事をした。
「……とりあえず向こうを向きなさい」
「サー、イエッサー!」
1・2・3の動きで回れ右をする金城ミロク。
「……人間、首筋に五〇万ボルトのスタンガンを当てると、どの程度の記憶を失うか試してみても良いでしょうか?」
「失礼しました!」
反射的に弾かれる様に、金城ミロクは逃げ出した。
†††††††††
その後、数分で着替えを終えた黒須ミサに悪鬼か般若の如し形相で追いかけられ、捕まった瞬間に鳩尾に的確な角度で肘が入り、更に怒濤の急所ラッシュ。喧嘩慣れした不良でも攻撃に躊躇う様な危険な個所へ数々の殺人技術、見事です。
「……いや、特に最初の肘は本気で死ぬかとオモタ。確実に三分は呼吸が止まった」
「そのまま死ね」
「イェーイ言われると思ったぜチクショウ!」
実はさり気に横隔膜の動きがぎこちない訳だが、それ以上にオンナノコノハダカを見た事の方がどうも頭から離れない。尤も、その辺の諸々の事情は顔には出さず、平静を装う大人な金城ミロク。
……と本人が思い込んでるだけで、実は顔がトンデモない事になってる金城ミロクだった。
「では気を取り直して、重力管制がここに隠れて私達の話を聞いていたのは間違いないとして……そこまで心配する事もないのではないでしょうか?」
「あん、何でだよ?」
「彼女は絶対零度と接触した事がある訳ではないですし、顔を知ってる訳ではないでしょう。一般生徒が絶対零度を知っているとも思えません、聞き込みも無駄であれば接触する事も――」
「いや、多分、アイツは絶対零度の顔を知っている」
金城ミロクの言葉に、黒須ミサはギョッと顔を歪める。
「アイツの能力は『重力の方向性や圧力』を自在に変質させる事が出来る。力のかかる方向を一点に集中させる事で圧縮し、一気圧下の大気を歪ませる程に強力な力だ」
「……それが、何の関係があるんですか?」
「陽炎は地面が太陽熱で熱せられて水蒸気の飽和量が増える為に、気圧が増して光の屈折率が変化する現象だろ?それを考えれば分かる筈だ」
「……つまり、一定周期の気圧アルゴリズムを操作する事による指向性重力への変質、それに伴った偏光現象……。空気を光学スコープの様に使用したとでも言うのですか?」
「あぁ。多分、顔を見たのは、お前がケータイで絶対零度のデータフォルダを開いた時だ。辺りに人がいないからってデータフォルダを開いたのは迂闊だったな、今度からは絶対に外じゃ開くなよ、個人情報なんだし」
「……発達しすぎた科学は魔法と変わらない、とは……よく言ったものですね」
「とにかく、俺らの勝利条件はシオンを止める事だ。アイツはアオイの為なら何だってやる、敵が最良だろうが最強だろうが、絶対に潰しにかかる」
「最悪の場合……レベル6とレベル7が全力でぶつかる事になりますね。どれ程の被害が周囲に出るのか想像もつかない分、背筋が凍る思いです」
「ったく、テメェらが面倒くせェ事をしやがったせいだぞ、そもそもの発端は」
「……肝に銘じておきましょう」
金城ミロクと黒須ミサは互いに頷き合い、駆けだした。どこにいるかも分からない、復讐心に猛る少女を捜す為に。
†††††††††
とある建設途中のビルは鉄骨を剥き出しにしていた。
どうやら衛生大学系列の食品加工の為のビルらしく、床となるコンクリートは高演算型複合並列高分子素材という硬質化生体装甲を応用した『計算し呼吸する壁』を使用している。これは微生物や細菌の侵入を防ぐ上に、衝撃吸収能力ないし耐火耐熱能力に長けていて、地震や火災の被害を抑える効果は勿論、ミサイルの直撃にも耐えきるという近未来的な素材なのだ。
ガギゴン、と。鼓膜が破れんばかりにけたたましい轟音が響き、重厚な鉄筋がグチャリとへし折れる。真横に過度な力がかかった為に起こった、決して起こり得ない現象が目に飛び込んでくる。
「チッ……何のつもりなのかしらアンタは、いきなり襲いかかってきて!?」
何の機械的外力もなく、しかし光の屈折率を変える巨大なビー玉の様な大気の塊が鉄筋をへし折った光景を見て、絶対零度は背筋を凍らせた。あれが当たって仕舞えば、人体のどこがどうなるのか……想像するだけで吐き気を催しかねない。
靴底を滑らせ、立ち上る埃に噎せ返りながら、絶対零度は埃の向こうから悠然と歩いてくる少女のシルエットを睨み付ける。クラウチングスタートの如く上体を低くし、股関節を上げた様な這い蹲った格好で警戒したまま、埃が晴れて少女のシルエットが露わとなる。
派手な赤紫に染められた髪は両サイドにドクロのバレッタを着けていて、ドクロの眼球部分から一束ずつ髪を飛び出させている。全身から湧き上がる様な能力の余波……『無意識の自我』が大気を凶々しく歪ませ、その殺気立った双眸はギラギラと妖しく輝いていた。
邪気や障気を放つ死神の様だ、と絶対零度は思う。
(ここまで派手な能力を放つって事は、低く考えてもレベル5以上ってとこかしらねぇ?八人しかいないレベル7にはこんな事が出来る奴もいるけど、見ない顔だし。あはん、あははん、あはぁん、って事ぁレベル6の能力者と考えるのが妥当!)
考えた瞬間、赤紫髪の少女が手を翳し、絶対零度は四肢を駆使してとっさに横に飛んだ。瞬間、砲弾の様な速度で飛来した圧縮空気が先程まで絶対零度がいた場所を襲撃し、ズゴンと床にクレーターを作り上げた。
(あ、あはん?こ、こんなの喰らっちゃったら、確実に死んじゃうわね、アタシは……)
「一瞬でもあたしから目を離すと本気で死ぬよ?」
「!?」
いつの間にか絶対零度の背後に回っていた少女は、体重を乗せて思い切り拳を降り下ろす。圧縮された重力は凄まじい音をつんざき、絶対零度の背骨を悉く破壊し尽くす筈だ。
パギャベキン!
硬質的な破壊音が少女の耳に届いたと同時に、腹部に強い衝撃が走った。
「あはぁん、甘いっつぅのテメェはぁ!」
カポエラの様に両手と額を地面につけた絶対零度が蹴り上げた足だった。完全に死角からの攻撃を喰らった少女は、息を大量に吐き出しながらよろめく。
少女が殴ったのは、氷だった。非常に高圧で凝縮された空気を固めた氷が、いつの間にか絶対零度の背中を覆う様に作り出されていた。
(まさ、かッ、コイツ……あたしが圧縮した空気をそのまま、氷に凝固させた!?)
空気は圧縮される事で熱を帯びる。ディーゼルエンジンはこの理論を利用したエンジンであり、圧力鍋なんかも膨張した空気が圧縮される身近な例として挙げる事が出来る。そしてもう一つ、あまりに圧縮率が高すぎた場合には原子の陽イオンと電子へ分解させ、空気が白熱し放電しながらとある性質を生み出すのだ。それが電離気体だ。
少女の圧縮空気はそれ程の力を秘めていた訳ではないが、一気に発散すれば拳大の爆竹じみた威力を発揮する事が出来る。拳大の爆竹と言えば、それは廃建築物爆破用のダイナマイトと変わらない。
驚くべきは、それだけ凝縮された空気の圧縮率を変える事なく、氷にした事だろう。『理論上』で言えば出来ない事ではないが、果たしてどれだけ膨大な演算式が絶対零度の頭で展開されたのだろうか。
「クッ!」
少女は一旦距離を開く為か、後ろに大きく跳び退いた。まるでアクション映画のワイヤーアクションの様な動きで、一〇メートルは宙を舞った。
そして、その判断は何よりも正しい。
パキン、とガラスが砕けた様な音が響くと同時、少女がいた場所に小さな氷の固まりが出現し、床に落ちて砕けた。剥き出しの鉄骨に着地しながら、ゾッと氷を見つめる。もし体内が内側から凍った場合、果たしてどうなるのか――想像だに易い。
「あはん、あははん、あはぁん。アンタ、なかなか愉快な能力を持ってるじゃない。何の能力者か教えてくれないかしらん?」
「教えると思ってるのか?」
絶対零度は少女を見上げながら、スカートのポケットに手を突っ込む。少女はギリッと歯を食いしばりながら、不意に立っている鉄骨の表面が凍り始めている事に気付き、慌てて飛び降りる。
五メートルはあろう床に着地したと同時に、真正面から頭ぐらいの大きさの氷塊が砲弾の様に飛んできた。少女の目の前の空間が湾曲し、氷塊はルートを急速に変えてフォークボールの様に床に叩きつけられる。
「はい、激写」
ポケットからケータイを取り出した絶対零度は、カシャッと効果音を鳴らして少女の顔をカメラ機能で撮った。フラッシュに目を灼かれた少女は渋面を作りながら、近くに生えていた鉄骨の陰に隠れた。
「何を……!?」
「うん?アンタも《ファシリティス》の生徒なら知ってるでしょ、能力者検索アプリケーション。これって人物の顔を撮って送れば網膜・骨格を読み込んで検索してくれるのよ。……ねぇ、レベル6・重力管制さん?」
ギクリと肩を震わせた重力管制は、陰から飛び出して空気を圧縮した砲弾を絶対零度めがけて放つ。
だが、砲弾が絶対零度を貫いた瞬間、バキンと砕けた。
「へ〜ぇ、重力使いとは珍しいわねぇ。あはん、で・も・ね!アンタのアドバンテージはとっくになくなってんだって気付けボケナス!」
狂笑しながら、絶対零度は重力管制との距離を詰める。その手には、紙すらも切れそうにないくらい分厚い剣が握られている。
(まさか、鏡!?氷を鏡みたいに使ったって……そんな馬鹿な!)
重力管制は重力の方向性を『下』から『後方』に切り替え、大きく跳び退く。やはり機動力と攻撃力は絶対零度より重力管制の方が上であるが、手数の量に違いがある。
それは、レベル6とレベル7という、言葉遊びでは大した事のない違い。
しかしそれは同時に、致命的な差でもあった。
「あたしに、近寄るなぁ!」
轟、と凄まじい暴風の如き音が轟き渡り、建設中のビルのワンフロア全域の『重力の方向』を真横に流した。逃げ場のない、押し寄せる重力の津波に避ける事も出来ずに、絶対零度は五メートル背後の支柱に叩きつけられた。それは建物の二階から落ちて背中を打ちつけるのと同義である。
「ぐかッ……」
溜め、吐き出された吐息は混濁しており、絶対零度はともすれば意識が飛びそうな激痛に耐えながら、ギョロリと生き物の様に眼球を動かして頭上の重力管制を見据える。
屋内にかかる重力のみの方向性が真横に傾いている為に、本来なら壁である物が床や天井となり、床や天井である物が壁として機能している。それでもビル自体が倒壊しないのは、高演算型複合並列高分子素材による優秀な衝撃吸収能力の賜物だろう。もしこれがただのコンクリートであれば、今頃は大惨事になっている筈だ。
「……あはん、」
強烈な激痛を背中に受けたにも関わらず、絶対零度は床から伸びた鉄骨を足場に真横に立ち上がり、壁に向かって跳んだ。バギンと先が丸まった氷柱が壁から真横に生え、絶対零度はそれを足がかりに重力管制に向かって跳んで近付いていく。
「あはん、あははん、あはぁん!いくらレベル6だからって、ワンフロア全域の重力をねじ曲げるなんて無茶、続く訳がないでしょうが!」
「グッ……!」
超能力を使用した戦闘というのは要するに、複雑で膨大な演算式を脳内で処理をしながら殴り合うという意味だ。
特に重力管制の場合、絶対零度の様に能力の発現=固着した物体というタイトな計算式に省略出来る訳ではなく、常に変動し続ける気圧や空気の密度というものを正確に演算していかなくてはならない。それはボクシングをしながら大学レベルの数学問題を暗算で解いていくのと同じである。脳を開発されたからと言っても、それには限界が伴う。
詰まる話、絶対零度と重力管制では根本的な勝利条件という前提からして違う。
重力管制はとにかく絶対零度を攻撃して戦闘不能にしなければいけないのに対し、絶対零度は重力管制を戦闘不能にするか、戦闘を長引かせてただ自滅を待つだけで構わないのだ。
(だ、けどッ……!)
何の罪もない愛弟を意識不明の重態に陥れた敵が、目の前にいるのだ。重力管制には退く理由が存在しない。
(アオイの為にも、あたしはコイツを殺してやる!)
右手にまとわりつく様な高密度な大気を拳で握り潰し、重力管制は下から這い上がってくる絶対零度めがけて跳び出した。