†秘匿会談†
レベル7・絶対零度。
能力の性質は『気体・液体・固体に拘わらず、あらゆる分子の振幅運動を完全に停止』させる。空気は−196℃までしか温度を下げる事は出来ず、絶対零度下では空気は氷――個体に凝固する。絶対零度と呼ばれる少女はつまり、大気の流れや密度というカオス理論的な膨大なデータ量を、悉く解析・構想・具現する能力者である。
量子力学の『曖昧な計算式と解答』という不確定要素を自在に操るレベル7・絶対零度。確かにそんな化け物じみた頭脳の持ち主であるのならば、最強(レベル7)クラスにいてもなんらおかしくはない。
「これが、我々の派閥が収集したデータです。中枢機関・上層部の考える事は定かではありませんが、何故かレベル7の能力者は情報ランクAに分類されていますので、たったこれだけの情報を集めるだけでも血の滲む様な思いをしましたが」
黒須ミサはケータイを閉じ、金城ミロクに向き直る。束ねた漆黒の髪がゆらりと揺れる。
話を聞いていた金城ミロクは、顎に指を沿わせ、黒須ミサの話を吟味し、不意に気付く。
「……ちょっと待て。お前は今、派閥って言ったよな?」
「それが何か?」
「どうして派閥の人間が、俺みたいな無所属の学生にそんな話をするんだ?」
派閥。《ファシリティス》でその名を聞くのは、特に珍しい事ではない。基本方針や背景詳細等の形爾的概念や政治的思想を語り出すとキリがないので簡潔に要約するが、派閥というのは友達グループや部活動の様なもので、同一主張を掲げた《ファシリティス》の生徒らが行動を共にする集群活動である。
金城ミロクはそういった派閥に属さない、無所属と呼ばれる存在である。派閥に入ろうという生徒は基本的に少ないので特に目立つ訳ではない。
それがどうして、黒須ミサと金城ミロクを繋ぐ線が、友人・赤銅アオイなのか――そこまで考えて、ふと気付く。
「……まさか。アオイは、派閥所属なのか?」
「正解です。赤銅アオイは、我々の派閥《総体性SR派革命党》……通称の構成員です」
「……総体性、何だって?」
「《総体性SR派革命党・エスエル》です。革命党と言っても《ファシリティス》の生徒の管理体制に不満がある訳ではありませんし、そもそも革命というのは何も上への反抗を意味する訳ではありません。この主張に反論があるのであれば革命の動機や観念について語りますが、如何ですか?」
「長くなりそうだからいい」
そうですか、と何故か肩を落としてため息を吐く黒須ミサ。派閥の活動家は自らの主義主張を語りたがる傾向がある事は金城ミロクも知っていたが、どうもそういう輩とはウマが合わない。
「って、SRなんだろ?何でエスエルなんだ?」
「ロシア語でSRです。社会主義革命、通常エスエルと言えば一九〇二年に結成された社会革命党を指します。要人の暗殺を行うテロ組織として名を馳せたが、ボルシェビキによる独裁体制による典型的小ブル急進主義として断罪されました。こちらは一七八九年の人民主義から分離した《人民意志》派がモデルとも言われています」
「ごめん、俺が悪かったからちょっと黙ってろ」
歴史や公民の勉強をする気なんか更々ない金城ミロクは、手早く黒須ミサの講義を止めて嘆息吐く。
(……アイツ、派閥なんかに入ってたのか)
金城ミロクは、派閥が好きではない。別に集団で何かを成し遂げようという考えを否定する気は決してないのだが、どうも、よくは思わない。胡散臭さ……というのがどうしても漂うからだ。
そして、赤銅アオイはその派閥に属しているのだ。その事を知らなかったからこそ――多分、赤銅シオンも知らないに違いない――その事実は少なからず、ショックである。
「……フゥ。絶対零度、赤銅アオイの事実……あぁ、それと公民の授業か。これだけ濃縮された疲れる時間は生まれて初めてだ」
金城ミロクはベンチの背もたれにぐったりと背を這わせる。隣に座る黒須ミサはその様子を無表情に見つめ、漆黒の瞳を揺らす。
「……オイ、同一性質」
「黒須ミサと名乗った筈ですが?」
「俺はお前の名前を覚える気はないし、馴れ合う気もない。……話を続けていいか?」
「どうぞ」
否定されたにも拘わらず、黒須ミサはやはり顔色一つ変えずに金城ミロクに先を促す。精神戦では敵わないだろう事に気付いた金城ミロクは、ため息混じりに目元を腕で覆う。
「……《エスエル》の基本方針、目的は何なんだ?俺が絶対零度と下っ端の喧嘩を止めた事はどうせアンタ、知ってんだろ?俺にはどうしても、絶対零度が一方的に悪者には見えねぇ」
あれが《エスエル》の構成員であると言うのなら、多対一で絶対零度を襲っていた事になる。その場合、絶対零度には正当防衛が課せられる。尤も、過剰防衛な気もするが。
「派閥外の人間にこれを言うのは規定違反なのですが……そうですね、まぁいいでしょう」
黒須ミサはあくまで顔色を変えず、淡々と語る。
「我々の目的は、二〇〇万人を越す全能力者のデータベースを作る事です。その為に、日夜様々な能力者を調査しているのですよ。それは貴方(レベル0)も例外ではありません」
「……俺の眼、か?」
「存じております。限定境界でしょう」
チッ、と金城ミロクは舌打ちする。やはりコイツはいけ好かない、と改めて警戒心を強める事にした。
限定境界。それは月に一度行われる身体測定の精密機械に能力値を拾い上げられる事はなく、故に役立たず(レベル0)の汚名を貼られる所以となった下らない超能力だ。
「《エスエル》は現在、一五〇万人のデータベースを記録してます。能力者の顔写真と名前、能力の性質及び長短所、専属している学校または派閥、危険思想の有無、日常生活の細やかなクセや頻繁に立ち寄る場所、人間関係に至るまで、全てです。データベースには、レベル7の空襲爆撃と絶対零度も含まれます」
「……悪趣味な奴らだな」
「どう言われようと構いません。我々には我々の目的があります」
《ファシリティス》では『能力者検索システム』という特殊なアプリケーションがある。しかしこれは個人情報である為に、顔写真とレベルと能力ぐらいしか表示されない。どうも《エスエル》という派閥は、『能力者検索システム』では調べきれない深度の個人情報を記録しようとしているらしい。
金城ミロクはその意図を訊ねようとして、やめた。どうせ喋るつもりはのないだろう。
「あぁ、なるほどな、下らねぇ。何となく、この事件の全貌が分かってきたよ」
ベンチの背もたれから身体を離し、今度は膝に肘を突いてもたれ掛かる金城ミロク。
「……つまり、アンタらは絶対零度のデータが欲しい為に尾け回して、『敵』と見なされて返り討ちに遭ったってとこか?」
「……ご名答です」
「……だとすると、アオイもその一人って事か」
「いいえ、それは違います。赤銅アオイは情報部……つまりはデスクワークが主であり、絶対零度を尾行した訳ではありません。全くの無関係です」
「あん?」
今の推測に自信があった金城ミロクは、怪訝に眉を顰めて黒須ミサを見つめた。どこがどう間違っているのか、その特殊な双眸はそう語っている。
「三日前、派閥の調査専門の能力者が絶対零度を尾行していて、気付かれて病院送りにされました。やりすぎだと憤りを感じない訳ではありませんでしたが、我々が悪役なのは重々承知です。逆恨みをする気はありませんよ、少なくとも私達『は』」
「……まさか、」
「もうお分かりですね、この事件の全貌が」
黒須ミサは一拍置き、深呼吸をしてから告げる。
「先程、貴方は言いましたね?下っ端の喧嘩を止めた、と。あれは我々が通っている学校の、別派閥の生徒です」
「……」
「正確には、《正エスエル》の回りくどいやり方に疑念を抱き、新たに派生した《総体性SR過激派革命党》の者です。意志目的は全能力者のデータを集める事ですが、危険思想を持った能力者は強制力を以て派閥に組み込もうとする馬鹿な方々ですよ。……全く、レベル5の一個中隊で五分の戦力になるとまで言われているレベル7を、たかが2前後の能力者二〇名で勝てると思うのが間違いなんですよ」
「ちょ、ちょいタンマ……、話を整理させてくれないか?」
まず、事件の発端となったのは、《正エスエル》の調査員が尾行していたところ、返り討ちに遭った事だ。次に、絶対零度を『危険』と判断した《過エスエル》が襲撃し、これも返り討ちになった。そこに金城ミロクが割り込んで絶対零度のカウンターを中断した。
これらの出来事は全て、同じ学校の生徒が起こしたのだ。しかし実際には《正エスエル》・《過エスエル》・《無所属》という、言わば三勢力が同時に動いた『偶然』に過ぎない。この事件が複雑化している様な錯覚に陥りそうになるのは、これが原因だ。
そして、最後は事件に関係のない赤銅アオイが重傷を負ったという事件。《正エスエル》情報部で、能力者の調査などと関係のない赤銅アオイが病院送りになる程のこの事件だけが、腑に落ちない。金城ミロクにはどうしてもここだけが納得いかない。
「……おい、同一性質。お前はその真実を知っているのか?」
「……残念ですが。自己発電が絶対零度と接触したと思われる場所へは勿論、早急に向かいはしましたが……その場の残留思念が多すぎた為に……。大きな口を叩いたものの、所詮、私もたかがレベル3に過ぎませんので……」
「まぁ、俺にしちゃレベル3もありゃ立派なんだが……、アオイが攻撃を受けた理由は見当がつく」
そう。
別勢力とは言え、同じ高校の学生が立て続けに絶対零度と関わりを持ったのだ。考えられる事態と言えば、一つしかない。
「……クソッ、あの女。アオイに八つ当たりしやがったのか」
「それは十中八九、間違いはないでしょうが……どの道、この件は中枢機関・上層部に通報出来る話ではありません」
「だろうな。この街の遙か上には、宇宙航空系の大学が打ち上げた人工衛星が幾つもあって、俺らはずっと見られてる訳だから、通報すればアオイの件『は』絶対零度の傷害事件として三軍に捕まるだろう。問題は……《正エスエル》と《過エスエル》の人間だ。芋蔓式に釣られれば、今度は学校の管理問題に発展する。その次は教育委員が出てくるだろうし、最終的には《ファシリティス》総監督理事長までもが乗り出してくる。これだけ話が発展して仕舞えば学校全体が無くなる。取り残された生徒達による反体制学生派運動か?まるで六〇年代だ」
たかが底辺学校が大袈裟な、と思うかも知れないが、問題の前提となるのは『学校の組織』が『別の学校の個人』を巻き込んだ事にある。この事件は、どこぞの小国が別国を攻撃したというイメージに近いだろう。
しかし、だ。金城ミロクの言った通り、《ファシリティス》の上空には幾つもの人工衛星があり、常に監視されているのだ。詰まる話、《ファシリティス》中の情報が集まる中枢機関・上層部が気付いていない筈がないのに、どうして動かないのか。
「……黙認、でしょうか?」
「……まぁ、間違いないだろうな」
恐らく、上は今回の件には取り合わないだろう。それ程までに肥大し過ぎた事件である為に、二つの組織を罰してハイ終わりと矮小化する事が出来ない。事件としては非道く単純な構造をしているのに、全体を見てこれ程まで複雑な絡み方をした事件も珍しい。
だが、歴史を振り返ってみると、組織ぐるみの大事件なんてそんなものかも知れない、と金城ミロクは思う。
「かくして事件はこのまま人知れず消える、か。なぁ、同一性質。お前はどうしてそんな話を俺にしようと思ったんだ?」
「……さぁ。もしかしたら私は、救いが欲しかったのかも知れませんね。いえ、この場合はむしろ、」
懺悔に近しい、と黒須ミサは苦虫を噛み潰した様な表情で吐き捨てる黒須ミサ。この表情こそ、金城ミロクが初めて見た黒須ミサの感情だったのかも知れない。
――パキッ、と。
不意に奇妙な音が聞こえ、二人は音のした方向を振り返る。そこにはシンとした宵闇の公園があるだけで、他には何も見えない。硬質的な音だったし、もしかしたら昼と夜の気温差に、アスファルトが軋んだだけかも知れない。
特に気にする事もなく、金城ミロクは黒須ミサと肩を並べ、学生寮への帰路を歩き始めた。視界の片隅に、金城ミロクの特殊な眼が、何かを捉えた気がしたが、再び見ても特に変わった様子はなかった。
†††††††††
「ただいまー」
ワンルームの学生寮で一人暮らしなのだが、今は意気消沈した赤銅シオンがいる筈だ。そう思って悠々と金城ミロクは自室に入ったのだが――電気は消えていた。
「……あん?」
弁当の入ったコンビニ袋を無造作にテーブルに放り投げ、電気を点ける。
赤銅シオンの奇抜な赤紫の髪は、どこにも見えない。
「部屋に……帰ったか?」
嫌な予感がした。金城ミロクは大急ぎで部屋を飛び出し、夜にも拘わらず学生寮の廊下を走る。階段に差し掛かり、行き着いた先は、あまり広くはない1Fロビーだ。
「ッな訳ねぇよな、チクショウ!あのアマ、やりやがったな!?」
1Fロビーには郵便受けがある。
閉鎖的な環境である《ファシリティス》で郵便受けは必要ないという声もあるが、《外》で別居している両親を《内》に招かなくてはならない授業参観の申請書類や両親との文通、または予備校や学生塾からの勧誘チラシなども来るので一概には要らないとは言えないのだ。
この辺りはパソコンなどの端末機器を使った情報流通の純機械化すべきだと言う端末機器推奨派の意見と、情報流通の人道主義によるアナクロ交信存続派の意見の相違のせいで無駄な論争がしばしば行われているのだが、今の金城ミロクにしてみればそんな事はどうでもいい。郵便受けがあってよかった、とは思うのだが。
(黒須、黒須、黒須、……あった!あれ、うっわ、俺の部屋の三つ隣じゃねぇか!)
階段下りた苦労は何だったんだよ、と金城ミロクは心中で叫び散らすが、そんな事が何の慰めにもならない事は分かっている。だが叫ばずにはいられない。金城ミロクの部屋は、七階なのだから。ちなみにこの学生寮と名乗るワンルームマンション、エレベーターは夜九時以降は作動しないのだ。これは生徒の夜遊び防止だと聞かされているが余計なお世話だと言ってやりたい。
(さっき『視』えた何か……ありゃ多分、『無意識の自我』だ!奇妙な音の正体は重力の方向変換による空間の歪みだってか!?)
恐らく、時間はそこまで残っていないだろう。先程とは違ったこの時間の流れる早さのギャップに戸惑いながら、金城ミロクは一心不乱に階段を上る。
足りない時間分は走るしかない、開いた距離は足で稼ぐしかない。結局、行き着く先にはそれしかないのだ。