†全力疾走†
「ハァ、ハァ、ハァ!おい、どけよテメェら!どけッ、どけっつってんだろがブチ抜くぞコラッ!!」
強引に人波をかきわけ、金城ミロクは走る。現在時刻は既に八時を過ぎているが、辺りを歩いている学生が多い理由は外食組が多い、という事が原因だろう。クソッ垂れ、と悪態吐く金城ミロクは凄まじい形相で大通りを走る。
《み、ミロクくん……今、どこ?》
繋ぎっぱなしのケータイ越しに聞こえる声は、普段の気丈なイメージとは一八〇度変わった赤銅シオンの声。金城ミロクは走りながら、辺りを見渡す。
「今、……えっと、第一五学区辺り!あんま来ねェから分っかんねェけど、多分ここ、医大群集ポイントを絶賛走行中!」
《グズッ……ここがふた、双葉医大の、大学病院だから……》
「分かってる、スグ行くから待ってろ。っつか俺のGPS送るからナビってくれたら助かる!」
金城ミロクは通話を切り、赤銅シオンのケータイへGPS情報を送る。赤銅シオンのケータイは機能性ではなく携帯性を優先している為に、GPSの交換機能がないので、メールで申告されるしかないのだ。
(クソ、双葉大学病院ってどこだよ!)
赤銅シオンからのメールを待つより、ケータイのGPSナビ機能を使った方が速いかも知れない。そう思い立った金城ミロクは双葉大学病院を検索する。すぐ近くだった。というか通り過ぎてる。
(ってチクショウ!医大を同じ学区に集める意味が分からねぇよ!病院ならもっと《ファシリティス》中にバラ撒いて建てた方が利用しやすいっつの!)
と金城ミロクは悪態吐くが、そもそも大学病院は医大の施設である訳で、他の大学と共同研究の為に隣接させるという、移動が容易になるというメリットが充分にあるのだ。
だが病院は病院である訳で、生徒が利用する側に回った場合はひたすらに使いづらい事に変わりはない。一刻をあらそう事態なんだと金城ミロクは口の中で吐き捨てる。
やがて双葉病院の入り口が見えてきて、なだれ込む様にロビーに駆け込んだ金城ミロクは、ロビーを歩いていたの女性の看護師の肩をひっつかむ。
「きゃっ」
「すいません、赤銅アオイって生徒がここに運ばれたって聞いたんですけど、どこにいるか知りませんか!?」
驚いた表情の看護師に、血相を変えて金城ミロクはまくしたてる。相手は完全に怯えて仕舞っているが、そんな事は知った事じゃない。
が、どうやらこの看護師は大学生で見習いらしい。『少々お待ち下さい』と怯えた表情でナースステーションの奥に入って行った。クソ、と金城ミロクはブチ破らんばかりの勢いで壁を蹴り飛ばす。爪先が変な方向に曲がった。涙が出そうなくらい痛い。
――友人・赤銅アオイが病院に運び込まれた事を知ったのは、つい二〇分前。赤銅シオンからの連絡を聞いて、二キロ近く全力で走ってきたのだ。今になって考えれば、タクシーを使えばよかったと思う。生徒の夜遊び防止という名目のせいでバスの運行は六時半に止まるせいで、走るしかないと結論付けた自分が腹立たしい。
しばらくして奥から正看護師らしき人がやってきて、ナースステーションの端末をいじり始めた。程なく、赤銅アオイという急患が315号室という個室に移された事が分かり、金城ミロクは看護師に頭を下げて再び走り出す。
「病院内は走らないで下さい!」
怒られたので、早足で急ぐ事にした。
†††††††††
「シオン……」
「ミ……ロク、くん……」
病室に入ると、真っ先に心電図の音が聞こえてきた。ベッドには横たわる親友の姿があり、そのすぐ隣にはパイプ椅子に座ってうなだれていた赤銅シオンがいて、ゆっくりと涙と鼻水でグシャグシャになった顔を上げた。
「……何が、あったんだ?」
「……分かんない。よく分かんないの。ただ、さっき、病院から連絡があって、アオイが運ばれたって聞いて。着いた時には眠ってて。起きなくて、心拍数も弱くて、あたし、怖くて!ねぇ、どうしよう!アオイ死んじゃったらどうしよう、ねぇ!」
赤銅シオンはパイプ椅子を蹴り飛ばす勢いで立ち上がり、金城ミロクの胸ぐらを掴んだ。いや、しがみついたという表現の方が適切かも知れない。何かに触れていないと、不安に押し潰されそうなのかも知れない。
「お、おい、シオン。まずは落ち着――」
け、と言い切る前に、周囲に異変が起こった。
ズグリュと自身の内臓が捻れ曲がる様な激痛が全身に迸り、ベギベキと床のタイルにヒビが入ったりめくれ上がったり、カーテンレールがグニャグチャと波打つ様に不気味に折れ曲がり、ギギギギギと黒板に爪を立てた様な甲高い不快なラップ音が響き始めた。超能力者は精神が高ぶったり不安定になった場合、能力が周囲と相関干渉を引き起こす『無意識の自我』現象を起こすという知識が頭をよぎった。
簡単に言えば、漏れているのだ。赤銅シオンの重力管制の能力が。二〇〇万人を越える能力者の中でも、『たった』一〇〇〇人足らずしかいないレベル6の能力が、無意識の内に脳内で重力を操る演算式を作り上げている。
「グブッ、」
肺の空気が一気に喉から漏れ出す様に、金城ミロクは不気味な声を吐き出した。ゴギン、と。右肩が脱臼した。このままじゃ不味いと思うものの声は出ず、過呼吸になったかの如く正常な呼吸さえままならない。
動くのは左腕。右腕はダラリと垂れ下がり、使えない。金城ミロクは骨が軋み始めた左手をあげ、赤銅シオンの左の頭――目玉の辺りから一房ずつ髪が飛び出したドクロの髪留め(バレッタ)を乱雑に掴み、抱き締める様に引き寄せた。丁度、赤銅シオンの右耳が、自分の左胸に当たる様に押し付ける。
「……あっ」
「……お…………け……オ……、……だい……ぁら(落ち着け。アオイならきっと、大丈夫だから)」
上手く喋れず、そんな事しか言えなかった。が、伝わったのかどうかはともかくとして、赤銅シオンはどうやら落ち着いてくれた様だ。周囲に漏れだしていた能力の暴走はピタリと止まった。
よかった、と金城ミロクは安堵のため息を漏らす。
人間は心臓の音を聞けば落ち着くという、生物学だか不思議だか分からない知恵が役に立った。一説によると、心音を聞くという行為は胎児と同じ心境に陥るらしいが、実際の確証の有無は金城ミロクは覚えてない。テレビの砂嵐を聞かせても落ち着くという話も聞いた事がある。
何にせよ赤銅シオンの暴走は収まった。病室は見るも悲惨な傷跡が剥き出しになってはいるものの、赤銅アオイとその周辺の電子機器に影響は及んでいない様だ。無意識下でも、弟思いなこの姉は、どこか能力を制御していたのかも知れない。
「……落ち着いたか?」
「……ン」
赤銅シオンは涙で真っ赤に腫れた瞼を瞑り、全身を預ける様に金城ミロクに寄りかかる。まるで赤子をあやす様に赤紫の頭をポンポンと叩いてやっていると、病室のドアをノックする音が聞こえてきた。少し考え、金城ミロクは赤銅シオンから身を離し、『どうぞ』と答える。
「あい、失礼するよ」
開いたドアの先にいたのは医者だ。恰幅のよい体つきの中年男性。多分、正規の医者か大学の教授だろう。
「あい、赤銅アオイさんの事でお話があります。身内の方は――」
「あぁ、コイツが姉です。そんじゃ俺は出てますんで」
金城ミロクは、病室の惨状を見て怪訝な表情を浮かべている医者の横を通り過ぎようとして、服を引っ張る感覚に振り返る。不安げな表情の赤銅シオンがシャツの背中を引っ張っていた。
「……ごめん、傍にいてもらって、いいかな」
弱々しい言葉。医者を見てみると、黙ったまま頷かれた。居てやれ、と言われた気がし、金城ミロクは赤銅シオンの隣に立つ。
「あい、それじゃ単刀直入に言うよ。あい、彼は命に別状はない。あいや、彼だからこそとも言えるけどね」
やたら砕けた喋り方の医者は、赤銅シオンに近付きながら語る。
「あい、僕は能力開発の専門じゃないから能力に関してはよく知らないけど、彼は電気使いだよね?」
「はい、確かにアオイは自己発電の能力者ですが……それが、どうして『アオイだからこそ』なんですか?」
「あい、この心電図を見てもらえば分かる事だけどね。あい、心拍数は30前後。あい、どう見てもこれはおかしいよね。あい、人間の心拍数は大体60〜70なんだけど、半分しかない。あい、これが電気使いの特徴なんだよね」
確かに、今の赤銅アオイの心拍数は極端に少ない。だがそれと電気使いという事と何が関係あるのかは、二人には分からない。
「あい、電気使いはね。あい、身体のドコかが破損した場合は体内の電気信号の量を調節して、心拍数を減少させる事で生命維持機能を優先させるんだよ。あい、それはこの子……レベル1でも適用されるみたいだね」
医者の説明を聞いて、何かヤバいと金城ミロクは思う。嫌な予感に、冷や汗が頬を伝う。
「あい、僕の言いたい事は分かるね?……あい、彼『だから』死ななかった、電気使い『ならでは』生き延びれた程の大怪我だった、って事だね」
畜生、と金城ミロクは吐き捨てる。嫌な予感だけは当たりやがる、と。
「あい、ちなみに彼は事故で大怪我を負った訳じゃない。あい、これは相手は能力者だね、確実に。あい、怪我の大部分は鋭利な刃物で腹部を刺された事だね。あい、下手すれば失血多量でショック死するとこだった」
鋭利な刃が凶器と言われても、形状風圧か、遠隔操作か、空間移動か、物質変化か。物理的に鋭利な刃ないし同等の武器を生み出すなんて能力、腐る程存在している。どこの誰がアオイをやりやがった、と金城ミロクは下唇を噛み締める。
「あい、何にせよこの子は重傷だ。『無意識の自我』現象でこれ以上傷つけない様に注意する事だね。あい、今日はこうして面会させたけど、意識が戻るまでは面会謝絶、絶対安静だよ。あい、今日はもう遅いから帰りなさい。君達学生の本分は勉学だ、ここは僕ら医者の世界だからね」
話は終わり、医者に背中を押され、金城ミロクと赤銅シオンは病室を後にした。
病院を出て振り返るまで、終始、赤銅シオンは無言だった。
「……あたしは、」
ただそれだけを呟いた。
†††††††††
よく考えてみれば、金城ミロクは夕飯の食材を買っていない。故にまだ夕飯は食しておらず、それは赤銅シオンも同じ事だ。
意気消沈した赤銅シオンは食欲がない様だったが、それでも食べない訳にはいかないと言う事で金城ミロクはコンビニに来ていた。
(……まぁ、こんな時だし。ちったぁ奮発してやっかな)
金城ミロクは手に取った鶏そぼろ弁当を置き、カルビ弁当に変更して二つ購入する。コンビニから学生寮までは徒歩で一五分はかかるので、弁当は温めないでおく。ありがとうございましたー、というバイトの学生の声を背に、金城ミロクはコンビニを後にする。
「……レベル0、金城ミロクですか?」
不意に、横合いから声がした。凛とした少女の声に振り返ってみると、そこには闇と同化した様に稀薄な雰囲気を纏う少女が立っていた。
腰まである髪は影の如く黒く、前髪は真ん中で分けられている。漆黒の瞳はコンビニの光が逆光となっているにも拘わらず輪郭がハッキリしていて、ギラリと黒い光を放っている。身長は一五〇強、金城ミロクより頭一つと少し低いくらい。
どこかで見た気がしたが、金城ミロクは思い出せない。だが少女はお構いなしと言わんばかりにカツカツとヒールの高いパンプスを鳴らしながら近付いてくる。
「誰だアンタは」
「……隣のクラスの生徒の顔くらいは覚えておくのが礼儀ではありませんか?一年E組の黒須 美沙です」
E組というと赤銅アオイのクラスか、けどE組はよく出入りしてるけどこんな奴いたっけか?と金城ミロクは首を捻る。目の前の黒須ミサを見つめる。
いや、見覚えがあった。先程すれ違った『運命の女神』だ。今は髪を結っていない様だが。
「で、俺と何の面識もないクセに気安く話しかけてきやがる黒子ちゃんが何の用だ?」
「誰が黒子ですか誰が。黒須ミサです」
憤る訳でもなく、ただ単調に抑揚のないツッコミを入れながら金城ミロクに近付く黒須ミサ。目と鼻の先まで歩み寄った黒須ミサは、金城ミロクの胸ぐらに掴みかかる。
突如として襲いかかる、軽い耳鳴り。何だコイツは、と思いながら、金城ミロクは負けじと黒須ミサのワンピースの胸ぐらを掴んで引き寄せる。
「……喧嘩売ってんのか?今の俺は機嫌が悪ィ、女だろうと高額買い取りしてやんぞテメェ」
「黙ってて下さい、貴方の戯れ言に用はありません。私が用があるのは貴方ではなく貴方の記憶です」
記憶――ッ、と金城ミロクは不意に何かに気付き、黒須ミサの華奢な身体を突き飛ばす。距離を取り、右の拳を顎に当てて左腕をダラリと垂らした独特のファイティングポーズを構える。
「テメェ、精神感応の類か!?」
「精神感応ではなく同一性質です。お間違えなきよう」
「……チッ、似た様なもんだろ」
「そう。似た様なものだからこそ精神感応と同一性質の能力者は仲が悪い事は多い。貴方の後学の為に教えてあげたのですよ、役立たず(レベル0)の能力者」
ギリッ、と金城ミロクは歯を食いしばり、一足で飛び込み距離を詰める。ダラリと垂らした左拳を、スナップを聞かせて下方向から放つ。
「ナメんな、クソアマっ!!」
鞭の様にしなる拳は黒須ミサの顎を打ち上げて砕くべく唸り、
しかし、黒須ミサは半歩右に身体をズラして金城ミロクの攻撃を避け、開いた右手を一閃。とは言っても黒須ミサのそれは反撃の類ではなく、ただ金城ミロクの頭部に掴みかかっただけだ。
(しまッ……!)
「他方、精密なる電子操作により冷静なる思考に還元せよ」
黒須ミサが呟いた瞬間、熱した鉄に冷水をブチ撒けた様に金城ミロクの怒りが消え失せた。正確には黒須ミサの手により脳内の鎮静物質が強制的に分泌されたのだ。
「精神感応と違い、同一性質は応用次第でこういう事も出来ます。……少しは落ち着きましたか、金城ミロク?」
自分の『怒り』を全て呑まれた事が余程癪に障ったのか、金城ミロクは犬歯を剥き出しにして苦々しい表情を浮かべる。だが鎮静物質が分泌されているせいか、なかなかボルテージが上がってはくれない。
「……怒らせて仕舞った事には謝罪します。ですがその前に、少し話をしませんか、金城ミロク?」
「話?」
ようやく本題に入れる、と呟きながら、黒須ミサは金城ミロクを見据えながら呟く。
「貴方の親友、自己発電を瀕死に追いやった犯人の話ですよ」
黒須ミサの申し出を受け、金城ミロクは驚愕に目を見開いた。
「結論を先に言わせて頂きます。赤銅アオイをあんな目に遭わせたのは、レベル7の能力者・絶対零度です」