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†戦略撤退†

「……レベル0、ですって?」

ピクリと眉尻を動かしながら、絶対零度(コールドスクラム)は金城ミロクを睨み付けた。幼さを残した顔付きにも拘わらず、その鋭い双眸は、背筋をゾクリと震わせる程に冷たい印象を与える。

いや……これは違う、目の冷たさなんて生やさしいものではない、と金城ミロクは本能的な直感を働かせて軽くバックステップを踏んだ。

瞬間、凍結。

パギン、と。熱したガラスを急に冷ましてひび割れた様な小気味の良い音が響き、目の前には氷山の様な『氷の塊』が地面から生えていた。

「……あはん、あははん、あはぁん。そう。レベル0、ね。ようするにアタシは最弱野郎(レベル0)なんかに喧嘩を売られるぐらい、ナメられてるって事ね。あはん、日和ったつもりはないのだけど、なかなか愉快なお話じゃないかしら?」

「喧嘩を売るつもりはないんだけどな。俺は最弱(レベル0)で、アンタは恐らく高レベルだろう?喧嘩売る程バカじゃないさ」

「アタシの楽しみを奪ったって事は全く同義なんだけどねェ!」

ガギリと犬歯を剥き出しに食いしばり、絶対零度(コールドスクラム)はつい先程、金城ミロクを凍り付かせようとした氷の塊を殴り付けた。内側から爆破した様に破砕した氷の破片が金城ミロクに襲いかかるが、金城ミロクはほんの僅かに身を捻ってかわす。

あっさりと攻撃を避けられた事に絶対零度(コールドスクラム)は目を見開いて驚くが、金城ミロクは大した事はないと言わんばかりにニヤリと笑う。

「まぁ、喧嘩を売ったつもりはねぇんだけど、俺は路地裏の無法試合(ステゴロ)に慣れてるんでな」

「……あはぁん」

双方、口元に笑みを浮かべながら対峙する。その距離は三メートル。ほんの一足で飛び込める距離にいながら、しかし二人は動かない。

「……聞いてもいいか?」

「どうぞ」

「アンタのレベルと能力は何なんだ?」

「レベル7、絶対零度(コールドスクラム)

そっか、と。金城ミロクは動じる事なく頷いた。その、余裕を含んだ挙動が、彼女には気に入らない。

「あはん、あははん、あはぁん。レベル0如きが、レベル7に勝つ夢でもみたのかしら?」

「そうだな……強いて言えば、」

右手をズボンのポケットに突っ込み、軽く足を開いていつでも動ける状態にし、左腕をダラリと垂らしながら、過去を思い返す。

かつてレベル7の少女を助ける為に、自らの身体を張って喧嘩に挑んだ時の事を。

「俺は一度だけ、レベル7と無法試合(ステゴロ)で勝ってんだよな」

その言葉に、絶対零度(コールドスクラム)はピクリと眉を微動させた。

「……聞いた事、あるわね。半年ぐらい前に、第六位がたかが低レベルの生徒一人に負けたって話」

それはここ、《ファシリティス》の中ではかなりの話題を呼んだ大事件である。最高能力者(レベル7)が何者か、それも名も知れぬ低レベルに一対一(タイマン)で敗北したという大事件。

レベル7同士の喧嘩に介入した者の正体は不明。元より一〇万人以上が《ファシリティス》に存在するレベル5以上でなければ人々の噂にすらならない様な街だ。レベル4以下の通常能力者ではお話にもならない。

レベル7の中でも第四位と第六位に位置する二人の少女の、全面戦争。それを止めた一人の正体不明(低レベル)。

「……あはん、あははん、あはぁん?その低レベルが、アンタだって言いたい訳?」

「試してみるか?……と言いたいトコだけど、今はもっと優先すべき事があるんでな」

「あはん?アタシと遊ぶ事よりも、優先すべき事があるのかしら?」

金城ミロクは周囲を見渡す。薄暗い処刑場の様な開けた路地裏には、二〇人前後の少年少女が倒れている。誰も彼もが、恐らく、一刻を争う様な危険な状態だろう。

「俺がどうして、わざわざ無駄に話をして時間を稼いでたと思うんだ?」

「……貴方、まさか、」

「無能(レベル0)には、それなりの戦い方ってのがあるもんなんだよ」

ポケットに入れていた右手を、スラリとしなやかな動きで取り出す。

その手には、《ファシリティス》特製の最新型ケータイが握られていた。大学部が打ち上げた四つの人工衛星との並列リンク機能により、地下鉄が走っていようが冷蔵庫に閉じ込められていようが、電波妨害が行われていようが磁場異常が発生していようがお構いなしに電波通信を行い、任意により発信元(GPS)を即座に送信あるいは逆探知出来るという物だ。

「能力者同士の喧嘩じゃとんでもない重傷を負う事もあるからな。俺のケータイにゃ自衛三軍(スリーカード)救急隊(メディック)への短縮ダイアルが登録されてんだよ」

ギクリと、絶対零度(コールドスクラム)は背筋を震わせた。

いくら彼女が最高(レベル7)とは言え、未来兵器や近代装備で武装した自衛三軍(スリーカード)が相手では勝ち目はない。能力者と言えどその正体は所詮人間で、能力(スキル)の行使というのは開発した『自分だけの世界(パーソナルリアリティ)』を超々高度な演算公式を使用して『間違った常識(パラレルイレギュラー)』を作り出すだけだ。言って仕舞えば、『手を動かす』『足で歩く』程度の認識でしかない。

「既に救急隊(メディック)へアクセスする準備は整ってる。後は通話ボタンを押すだけで一括で繋がり、GPS機能で居場所を教えてくれる。その情報送信はお前が阻止しようとするよりも早いだろう。さて、ここで質問だ。

お前はこんな所で、のうのうとしていていいのか?」

絶対零度(コールドスクラム)は何も言わない。ただ拳が白くなる程、骨が軋む程に握り締められ、先の様に人を小馬鹿にした笑みはどこにも見当たらない。

ヒュウゥ、と。冷たい風が、絶対零度(コールドスクラム)を中心に軽く吹き荒れる。急激な減圧による空気の流れが絶対零度(コールドスクラム)に向けて移動をしているらしい。あっという間に路地裏全体に霜が張り始める。

が、張り詰めた糸がプツンと切れる様に、減圧は止まった。夏とは思えない寒さの中、平然としている絶対零度(コールドスクラム)は、ため息混じりに真っ白な前髪をかきあげる。

「……興ざめ。もう、帰るわ」

あまりにも隙だらけな様子で、たった一本の路地に向かってダラダラと歩きだした。

「アンタみたいな奴が、第六位を倒した?ハッ、嘯くんならもっとマシな事を言いなさい」

去り際に、絶対零度(コールドスクラム)は吐き捨てる。やがて、その姿が見えなくなり、金城ミロクはその場に座り込んだ。

「こ、怖ェ……!」

レベル7と対峙するというのは、言い換えれば何の武装もなく真っ裸で戦車と睨み合う様なものだ。

たかがレベル0の金城ミロクが、そのプレッシャーに押し潰されなかったのは、単純に半年前にも似た出来事があったからだ。ただし、その時は一人の少女(レベル7)を救いたい一心という一種の興奮(トランス)状態であったが為であり、素面(ノーマル)で行うにはなかなかの勇気(デンジャー)である。

「駄目だって、ヤバいってアレ。あぁもう、心臓バックバクだって!」

過去に一度だけ第六位のレベル7を打ち破った者が何を言うかと言いたい者もいるかも知れないが、だったら拳銃を思い浮かべて頂きたい。そんな物を突きつけられてなお正常でいられる奴は、きっと尋常ではないぐらいに肝が据わっているのであろうが、残念な事にただの一般人(レベル0)でしかない金城ミロクとしてはちょっと勘弁願いたい。

「っとチャベーチャベー(※超ヤベーの意)。恐怖に打ちひしがれてる場合じゃねぇな」

金城ミロクは冷凍マグロの様に凍り付いたまま倒れている少年少女を見下ろしながら、《外》の物より遙かに次世代モデルのケータイの通話ボタンを押した。





†††††††††





(イライラするイライラするイライラする!クソッ、やっぱりあの野郎(レベル0)、斬り刻んでやればよかった!)

手にした氷剣は既に砕け散らしていて、凶器は手元にない。が、それが先程、喧嘩を止めたレベル0の少年を赦す理由にはなりはしない。

(あんな奴が第六位を倒した?ハッ、フザけんじゃねぇよ!あんな腰抜けが、アタシより能力値の高い第六位を倒せる訳がないでしょうがッ!)

能力者の強弱というのは単純な話、月に一度行われる身体測定の機械が弾き出した能力レベルにより決定される。レベルは0〜7までの八段階評価であるが、二〇〇万人を越える能力者=施設生徒の中でも八人しかいないレベル7は、更に一位から八位まで分類されている。

例えば、第四位には空襲爆撃(パイロキネシス)と呼ばれる少女が君臨していて、絶対零度(コールドスクラム)は第八位に位置している、と言った具合だ。

そしてこの位分けは、決して喧嘩の強さではない。能力値、つまり先に言ったPSY値の高低で決定される。

レベル0は一桁、レベル1は二桁、レベル2は三桁といった様に徐々に難易度が上がってゆき、レベル7は八桁の能力値が必要になってくる。理論上で言えば九桁の能力値を弾き出せばレベル8が生まれるのだが、何故いないかと言うとただ単に『八桁以上は計測出来ません』というだけの話。視力が二・〇までしか計れないのと同じだ。

詰まる話、第一位から第八位までの順位(ランク)付けは、喧嘩の戦闘能力では推し量れない。もしかすると第八位が第一位を倒す事があるかも知れないし、第一位には第八位じゃ勝てないかも知れない。それは試してみなければ分からない。

過去にそういう例が一度しかない理由は、レベル7同士の戦いでは死者が出る可能性が高いからだ。レベル7が、ではない。レベル7という壮絶壮大な力の拮抗により、周囲に被害が出た場合の人々が、だ。

怪獣映画を思い浮かべてもらえれば分かりやすいだろう。巨大な怪獣(ヒール)と巨大な味方(ヒーロー)が戦って、ビルや鉄塔を薙ぎ倒す。レベル7の戦いというのはそんな物だ。被害を出さない戦いをする方が遙かに難しい。

半年前に起こったレベル7同士の戦いは、何とかそれを止めた人間がいたから周りに被害がいかなかっただけに過ぎない。

だからこそ、絶対零度(コールドスクラム)には、先程の腰抜けが仲介をしたレベル0だとは思えなかった。

(クソッ、苛つく!マジ腹立つ!今度会ったらどうしてくれようかしらね!)

ツカツカと踵を鳴らして早足で歩く絶対零度(コールドスクラム)だが、ふと何かの異変に気付いた猫の様な仕草で、一点を凝視する。大多数の学生が混在して歩いている中、ただ真っ直ぐに先を見つめている。

視線の先に、一人の大柄な少年を。

距離は目測五〇メートル強。長身の少年は、髪を派手な紫に染めていて、とにかく遠巻きでも目立つ。

少年は別の学校の制服を着た女子――霞ヶ崎女学院の少女と笑顔で手を振って別れ、人混みの中へ溶けていった。

(……さっき、私を止めたクソ野郎と同じ制服か。……運がなかったわね、アンタ)

絶対零度(コールドスクラム)は、新品の玩具を貰った子供の様に純粋に、しかしどこか病的にニタァリと犬歯を剥きだして笑う。

(あはん、あははん、あはぁん!今のアタシは頗る気分が悪いのよねェ!ちったぁ鬱憤晴らさせろっつぅのッ!)





†††††††††





駆けつけた救急隊員の話によると、凍り付けにされた少年少女らの命に別状はないらしい。どうも凍死する前に完全に固められたらしく、仮死状態(コールドスリープ)したのが不幸中の幸いらしい。絶対零度(コールドスクラム)がわざと仮死状態(コールドスリープ)にしたのか、ただの偶然なのかは分からないが、少なくともあの白い少女はそれだけの力を持っているという事になる。

帰路につきながら彼女と対峙した光景を思い出し、金城ミロクは今更ながらゾッと背筋を震わせた。よく生きていたものだと感動の余り、小躍りしたくなる程に。

(レベル7、絶対零度(コールドスクラム)……と)

金城ミロクはケータイのアプリケーション『能力者検索システム』でデータを入力してみる。

能力者検索システムとは文字通り、《ファシリティス》の中枢機関が保管する全二〇〇万人の能力者データを公開していて、生徒IDさえあれば誰もが閲覧出来る様になっているのだ。ただし個人情報なので、公開されているのは顔写真とレベル、能力ぐらいのものである。名前や学校その他は見れない様になっている。

……の筈だが、金城ミロクのケータイは絶対零度(コールドスクラム)のデータを表示しなかった。液晶画面には『端末ランクDでは閲覧出来ません。ランクA以上の端末で再検索して下さい。(エラーコード:56003)』という文字が映し出されていた。

(端末ランクAって……どれだけ機密事項なんだよ)

《ファシリティス》では情報端末(インターフェース)を使用して情報を引き出そうとする場合、使用する端末のランクと呼ばれるものが存在する。特に複雑な枠組みではない。

例えば、携帯電話。ケータイの端末ランクはDとされている。家庭用デスクトップはランクC、学校教職員が校内で使用するパソコンはランクB、研究室など特別な施設で使用するパソコンはランクA、そして中枢機関の様に最高位端末のランクはS。

例えば情報ランクBのデータがあったとして、それを引き出す為には端末ランクB以上の端末を使用しなくてはいけない。C以下ではファイアウォールを突破する事が出来ないセキュリティがかけられている訳であり、これはただ単にテストの問題をハッキングされない様にしているだけだ。

通常、能力者データは情報ランクDに分類される。にも拘わらず、絶対零度(コールドスクラム)の能力者データは情報ランクAなのだと言う。

金城ミロクは、試しに茶道リン――レベル7・空襲爆撃(パイロキネシス)を調べてみる。数秒待って、やはりエラーが発生した。

どうも、レベル7には情報ランクAのセキュリティがかけられている様だ。何故かは分からないが、レベル7というのは中枢機関にとって、それ程大切という事なのだろう。二五〇〇〇〇人分の内の一人という貴重な存在ならば当然かも知れないが。

まぁ上層部・中枢機関のお偉いさんの考えなんて一介の高校生である金城ミロクには分からないだろうし、今は少年少女を助けてやれたという事実があれば満足だ。そう考えながらケータイを閉じ、街を歩いていると、ふと正面から一人の少女が走ってきている事に気付いた。

焦っているのか、何度も足をもつれさせながら、それでも懸命に前を見据えて走っている。長い黒髪を後ろで縛った髪が、馬の尻尾の様に感じる。

このままでは衝突コースだなと予測した金城ミロクは、立ち止まり、左に避けてやる。

中距離走並の速度で走る少女はふらつきながらも力強く踏み締め、金城ミロクのすぐ横を走り過ぎて行った。

何故か、その瞬間、

金城ミロクの頭を『運命の女神(ファムファタル)』という言葉がよぎった気がして、振り返る。

黒髪の少女は尻尾の様な後ろ髪を揺らしながら走り去っていき、やがて人混みに消えて行った。

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