†開発都市†
不良を撃退した後、金城ミロクと茶道リンは騒ぎを聞きつけた三軍を路地裏や人混みを駆使して何とか振り撒き、別れて一人帰路についていた。その間、茶道リン……空襲爆撃と呼ばれる少女について考える。
より正確に言えば、その能力について。
金城ミロクや茶道リンが住んでいる街、つまりここは《ファシリティス》と呼ばれている。『改善型記憶術開発研究都市』なんて正式名称があるが、英語である《ファシリティス》は『施設』という意味だ。街レベルに発展した大規模な能力開発施設という認識の方が正しい。
ここで言う能力というのは、早い話が『街の外』で言われている超能力に過ぎない。ESP特殊能力、という名目で透視能力者なんかがよく『外』のテレビで出ているが、《ファシリティス》での超能力の概念は根本的に違う。
そもそも。『外』では同一視されがちだが、超能力は飽くまで科学の賜物であり黒魔術や魔法などの不思議ではない。超能力は科学的に解明されている、歴とした『学問』だ。
発端は一八六五年、ドイツ。『騒々しい幽霊』という事件を境に、RSPK症候群……俗に言うポルターガイスト現象は世界中に広まった。家の家具が独りでに動いたり、奇妙なラップ音が響いたりする、不思議の代名詞とも言えるポルターガイスト現象だが、症候群という言葉から分かる様に、これは学術的に解明された一つの『心的外傷』を指す。
そして。様々な幽霊騒動には、現象事象具象の細部に違いはあれど、一貫する共通点が存在する。子供が、必ず事件の中心にいる事だ。
何らかの理由で『現実を正しく見る事の出来ない』子供……PTSD心因疾患患者が中心にいる。それを元に、ならば『五感を切り離しPTSD心因疾患を人工的に組み込む事で、似た力を引き出せないだろうか』という解釈が生まれ、超能力を開発する実験が始まった。これが後にガンツフェルト実験と呼ばれるもので、それが《ファシリティス》の前身になったのは間違いない。
五感を強制的に切り離す事でポルターガイスト現象を引き起こし、超能力を開発する事を目的としているが、その実、《ファシリティス》はその『結果』自体を目的としてはいない。能力開発は飽くまでBTB溶液やヨウ素液、リトマス紙や石灰水の様なものであり、ただ物事を『観測』する為だけの手段に過ぎない。
能力を開発するという事は、脳を開発するという事に繋がる。脳内のシナプス結合を通常とは異なる形に変質させ、接続する事でより画期的に知能を高める。これこそが超能力が『学術』と呼ばれるが故であり、開発理論と特殊能力の関係性はむしろ、アインシュタインの相対性理論と核爆弾に似ている。
しかし、その目的が何であれ、超能力は超能力に変わりはない。言って仕舞えばそれは核爆弾の様なものであり、ともすれば戦争で使われない筈がない。ここ《ファシリティス》では単に規模がダウンしただけで、路地裏の喧嘩では能力は使われている。
だが、『路地裏の喧嘩最強=不良』という公式が成り立たないのが《ファシリティス》の面白くも厄介なところでもある。
強いのだ、成績のよいただの優等生が。
超能力を開発したからと言って、誰もが漫画や小説の主人公の様に人間を外れた力を持つ訳ではない。
能力の強弱を左右する個体差はそれぞれレベル0からレベル7までの八段階。当たり前だが、PSY数値――正式には具現干渉値――が高ければ高い程、能力は強い。そしてPSY数値が高ければ高い程に脳が活性化するので、必然的に頭がよくなる。どんなに頑張ってもスプーン一本曲げられない奴は、文字通りの『不良』だ。
つまり、《ファシリティス》で言う偏差値の高い有名な進学校というのは、それだけで戦車を相対出来る戦力を有するものと言う事と同義だ。
そして、茶道リンは二〇〇万人を越える能力者を収容している《ファシリティス》にたった八人しかいないレベル7の、しかもその第四位に位置する空襲爆撃。並の人体発火の能力者には辿り着けない領域にまで踏み込んだ者だ。その気になれば生身のまま笑顔で戦車を撃破出来そうなくらいにその力は強力で、
《ファシリティス》で四番目に強い能力者というのはつまり、《ファシリティス》で四番目に重度の心因性精神疾患患者である事も同時に指す――。
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「あ〜、暑い……」
ようやく学生寮に辿り着けた金城ミロクは、キーを差し込みながら呻いた。九月も中旬だというのに、この気だるい暑さは一体なんなんだ……と額を拭いながら玄関のドアを開ける。
学生寮は、基本的にはワンルームのマンションだ。一人の生徒につき一部屋割り当てているが、寮そのものは男女共同。金のない学校の寮なんてこんなもんだろうと金城ミロクは思う。
ついでに、茶道リンの通う学校の学生寮は2LDKの部屋に二人で住んでいるらしい。その優遇っぷりが何だかやるせない。
さて、少し早いが夕飯の仕込みでも始めようかなと金城ミロクが一歩、家に踏み込むと、
「やほー。お邪魔してるおー」
なんか、夏の制服姿で髪を赤紫に染めた派手な少女が無断で転がり込んでいて、無断でガンガン冷房をつけて、あまつさえ無断でゲームをしていた。しかもやってるゲームは、登場キャラが多く、同じ世界観と登場キャラで男性向けと女性向けの二種類がある妄想世界『Boundary line of the world(世界の狭間)』、それの女性向けだ。金城ミロクがそんな物を持っている筈もなく、恐らく持参品だろうと予想。
「……」
「ん〜、どうしてもランスロットたんのイベントが起きないのよねぇ。ねぇミロクくん、ちょっとパソコン使っていい?ギブアップ。攻略サイト見るわ」
「…………、」
「あぁそれと、お茶煎れてくれない?さっき戸棚の中にあった買い置きのポテトチップ食べてから喉カラカラなのよ〜」
「……………………、」
「あ、そう言えば冷蔵庫の中にプリン入ってたよね?それもよろ〜。駄目なら第二希望としてアロエヨーグルト買ってきて〜、なんか無性に食べたぁい」
「…………………………………………、」
「ん〜。あぁ、なるほど。料理が出来ない事を暴露しなきゃいけないのかぁ。そうすれば外食イベントね。っていうか、私としてはランスくんより、サブキャラのカナタきゅんを攻略したいんだけどなぁ……」
「……………………………………………………………………………………、」
「アキラは中学生なのに攻略可能で、カナタきゅんは高校生で攻略不可って何か間違って……んッ!?うわっ、カナタきゅんって隠しルートあんの!?マジ!?やったマジやったぁ!」
「…………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………、」
「えぇと何々……『隠しフラグはアキラルートで一回以上、アキラ死亡のバッドエンドを見ている事が条件。以降、アキラ死亡のバッドエンドはカナタルートに突入する』。ははん、なるほどぉ」
「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………、」
「……ん?ミロクくん、何突っ立ってんの?ミロクくんの家なんだから遠慮する事ないでしょ。あと、早めにプリンとお茶用意してね」
……了解しました、と金城ミロクはため息混じりに呟いた。無言の重圧というものをずっとかけ続けてきたが、どうやら派手な赤紫に髪を染めたこの少女には、HPを1削る力もなかったらしい。傍若無人という言葉が服を着てゲームしているみたいだ、と金城ミロクは心中で囁いた。
少女の名は赤銅 紫苑。金城ミロクの親友の双子の姉で、レベル6の重力管制の能力に目覚めている。平均PSY値がレベル2という金城ミロクの通う学校ではかなり珍しい逸材だ。名門の学校から何度もスカウトされているのに、何故か行く気がないのが金城ミロクには不思議で堪らない。
サイドの髪をまとめている、凶々しいドクロの髪留め(バレッタ)がチャームポイント(死語)と主張してはばからない変な奴であると追記しておく。
「つか、アンタが一人で俺んちに来るのも珍しいな。アオイは?」
「彼女とデートだってさ。今日は夜に帰るんだって」
「ふぅん。確かアイツの彼女って、霞ヶ咲の生徒なんだろ?」
霞ヶ咲女学院。それは風鈴学院と並ぶ有名な名門校で、在学条件はレベル4以上とかなり険しい。赤銅シオンの双子の弟・赤銅 葵はそこのレベル6の二年生と付き合っているらしいのだが、彼の能力は所詮、静電気を起こす程度しか出来ないレベル1の自己発電だ。どうしてレベル6なんて成績優秀な人間と知り合ったのか、金城ミロクも赤銅シオンも知らない。
(……いや、まぁ俺も人の事は言えないか)
かく言う金城ミロクはレベル7の空襲爆撃と知り合いだ。二〇〇万人を越える《ファシリティス》にたった八人しかいないレベル7と知り合いというのは、一〇〇〇人を越すレベル6と付き合うというのと同レベルなんじゃなかろうかとも思う。目の前で乙女ゲーやってるレベル6の少女は友人の姉だからカウントしないとして。
(……それにしても、)
羨ましい、と金城ミロクは妬む。ここ《ファシリティス》の生徒は必ず何らかの能力に目覚め、その出力はPSY値に換算される。
言うならば、誰もが物理法則を軽く無視する力があるという事だ。《ファシリティス》にいる能力者は全部で二〇〇万。その内の八人がレベル7に対し、一一〇万人はたかがレベル1だ。誰もが力を発現出来るからと言うのと、『マンガの主人公の様に強くなる』と言うのは決して同義にはなりえないものだ。
斯くして、レベル0というランクは、ある意味ではレベル7と同じ様にレアなものだ。ヒエラルキーの最下位に存在するレベル0というのは、レベル1と比べて遙かに少ない。統計結果がないので断言は出来ないが、恐らく《ファシリティス》全体から見て一〇〇〇人程度だろうと金城ミロクは践んでいる。
そして、髪を金に染めた少年・金城ミロクはレベル0。わざわざ自ら精神障害を煩ったのに、この結果はあんまりじゃないかと。
だからこそ、金城ミロクは羨ましい。『落ちこぼれ(レベル1)』と呼ばれる能力者でさえも、羨ましい。『落ちこぼれ(レベル1)』と『役立たず(レベル0)』では、近しい様で甚大ならない差があるものだ。
(……まぁ、それも慣れたケドな)
ハァ、とため息を吐く金城ミロク。確かに劣等感は常につきまとうが、それでも初等部の頃からずっと立場が変わらなければ、慣れて仕舞うというのもある。実際、金城ミロクはレベル0の能力に対する悪口や陰口に耐える自信は存分にある。出来れば一生欲しくない自信ではあるが。
「……で?いいからさっさと私にプリンを貢げよテメェ」
「……あ」
怒りに震える声で、赤銅シオンがギロリと金城ミロクを睨み付ける。気付いた時には時遅く、クンッと手のひらを下に向けた。
赤銅シオンは手のひらを下に向けたまま、軽く上下した。たったそれだけの意味のない仕草にも拘わらず、変化は訪れた。
「うごぁっ!」
ミシリと骨が軋む程に強力な超重力が、金城ミロクを襲った。
(り、理不尽だ……)
つまり、高レベルにはこういう武力制圧派が多いものだ。
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時刻はPM七時半。そろそろ空腹が際だち始める頃合いだ。
「ね〜えミロクく〜ん。あたしお腹空いたぁ。何か作ってぇ〜」
何か気色の悪い猫撫で声で、図々しい事を軽々と言ってる少女。どうも遠慮だとかいう言葉は辞書登録されていないらしい、と金城ミロクはため息混じりに読んでいたファッション誌を放り投げ、キッチンに向かう。
とは言っても、ワンルームマンションみたいな学生寮なので、ベッドから身を起こして四歩も歩けば到着する。金城ミロクは小型冷蔵庫を覗き込み、材料を漁る。
「あ〜、材料……ってか肉がねぇや。買いに行くのも面倒だし、チャーハン(肉抜きの味オンリー)と野菜炒めでいいか?」
「えぇぇぇええええ?ヤだぁ、もうちょっと格好いいのがいい〜!例え穀物でもパスタとかリゾットとか〜!」
「何を堂々と言ってんの?ちょっとお前調子に乗ってない?」
そんなこんなで、今晩の献立はチャーハンと野菜炒めに決定。金城ミロクはエプロンをする事なく野菜を細かくカットしていく。トントントントン、と夕暮れ時にふさわしい包丁の音が響く。
ただし、部屋には赤紫の髪にドクロのバレッタを左右につけた奇抜な少女がゴロゴロしていて、包丁を扱っているのは金の髪をした派手な少年である。
「……あれ、何だろう……目から出るしょっぱい汗が止まらないや」
「……何いきなり泣き出してんのよ、ミロクくん」
やがて程なく晩飯は出来上がった。野菜炒めとチャーハンを狭いテーブルに並べ、金城ミロクは赤銅シオンと向かい合わせる様に座る。
「さぁさぁさぁお待ちかね!あたしのとっておきが炸裂する様なしない様なッ!」
「何の脈絡もなく何ブッ飛んだ事叫んでんの?」
これから早速食事に取りかかろうとしていた金城ミロクだが、突如立ち上がりハイテンションに叫ぶ赤銅シオンを訝しむ。それすらも気にならないくらいにニンマリと笑う赤銅シオンはおもむろに自らの背中に手を回し、
「ジャン!とっておき!」
ペットボトルを取り出した。炭酸飲料用のペットボトルの中には、限りなく透明に近い乳白色の液体が入っていた。トロッ、とした粘り気のある液体からは、何だかよく分からない異臭を放っていた。
「うわっ、何だそれ!?ってかお前は今、それを物理的にどっから取り出した!?臭いとか全くしなかったのに!」
「そこは企業ヒミツよん♪さ、呑も呑も」
「……で、何なのさコレ?」
コップに並々注がれた液体を凝視する金城ミロク。得体の知れない液体を呑め、と言われればこの反応も否め無いだろう。というか当然の反応だ。
「何って……お酒だけど?」
「酒?」
そう言われてみれば、この臭いはアルコールだ。合点がいった、と言わんばかりに首を縦に振る金城ミロクは、しかしと思い直す。
ここは《ファシリティス》だ。施設人口二四〇万人、うち二〇〇万人は学生で構成されている事から分かる通り、酒の一般販売は行われていない。残り四〇万人の教師や研究者、その他大人の為に売買されていない訳ではないのだが、それでもコンビニやスーパーに置いている筈がない。この事は《ファシリティス》ではもはや常識だ。
「ん〜。鍋にお米と水を適量入れて煮詰めて、お粥になってきたらまた水を足して煮詰めて、を繰り返して完全にドロドロにするの。んで、常時五〇度くらいで熱しながら発酵させて、その上澄み水だけを別の容器に移して、残った物は布に包んで水分を絞る。後はこれをミネラルウォーターで薄めれば出来上がりな訳なのです」
「……それって、」
金城ミロクは額に油汗を浮かべながら、手にしたコップをテーブルに置いた。
「……なぁ、シオン」
「何?」
「お前さ……酒税法って知ってるか?」
「【酒税法】・名詞。施行は昭和三七年三月三一日、第五〇条第一〇項第二号、及び酒税法規則は大蔵省(現財務省)が制令。
アルコール度数1%以上の飲料を公的機関の許可なく製造する事。懲役五年以上、または五〇万円の罰金。
公的機関の許可や免許の施行の為には、ウィスキー等の蒸留酒は六キロリットル以上、日本酒の場合は六〇キロリットルの製造が必要。故に一般家庭での製造は不可能。許可なく製造された日本酒は濁酒と言う」
「……で、この濁酒のアルコール度数は?」
「ん〜。幾分かは薄めてるけど……大体三かそこらかなぁ?」
「それは犯罪だぁ!」
金城ミロクの叫びは、夕暮れ時の学生寮全体に木霊した。