†存在理由†
目が覚めたら、白い天井が見えた。起き上がろうとして、左腕に激痛が走って白いベッドの上で悶絶する。
しばらく悶絶していたがそれも虚しく、耐えながら金城ミロクは身体を起こす。ベッドの上に胡座をかき、辺りを見渡す。白いカーテンで仕切られていて何も見えない。
とりあえず言う。
「どこだここは」
いや、病院だ。そんな事は金城ミロクにも分かっている。だが、言わずにはいられないのだ。
どうやら、個室ではなく共同病室の様だ。枕元のチェストに置かれた置き時計に目を向けると、九時半。外から僅かに差し込む光があるという事は朝か、と金城ミロクは眠たい頭で考える。
(……あ〜、そっか。確か、頭がクラ〜ってして寝たんだっけか)
実は割と危険な『低体温時の気絶』なのだが、専門知識のない金城ミロクには自覚はない。目覚めた先が病院ではなくお花畑でもおかしくはなかった少年は点滴の速度を僅かに早め、カーテンを開ける。
そこには、見慣れた茶髪三つ編み少女がパイプ椅子に座り、首を擡げてコックリコックリ居眠りしていた。言うまでもなく空襲爆撃、茶道リンだ。
もしかしたら、自分の事を聞きつけて、朝早くから駆けつけてくれたのかも知れない……。そう思うと、金城ミロクは胸の奥がジーンと熱くなるのを感じる――。
「――ワケねぇだろ!おいコラ起きろリン!どうして学校に行ってる筈のお嬢様がこんなとこにいるんだ!」
「……ふぁうあ?」
「可愛らしい欠伸を手で隠しながら小首を傾げても駄目!あぁもう、今からでも遅くないから学校に行きなさい!」
ガクガクガクガクゥ、と茶道リンの肩を掴んで凄まじい速度で揺らしまくる。子供を起こす事に命を懸けた母親の怒濤のラッシュの様な揺さぶりでようやく目が覚めたのか、茶道リンは金城ミロクを見つめ、一言。
「……おひゃようごじゃいますぅ」
「って駄目だ!コイツ起きてねぇ!液晶画面の前のみんな、オラにコイツを起こす力を分けてくれってか誰か俺の代わりに起こしてくれ!疲れたし飽きた!」
「……んにゃ?」
意味不明な事を宣う金城ミロクの声に反応し、茶道リンは目を覚ました。右を見て、左を見て、最後に金城ミロクを見て、ようやく思考回路が正常に稼働していく。
瞳孔が明順応する様にギュルンと閉じ、双眸の焦点が金城ミロクを捉えた瞬間、目尻に涙を溜めて飛びかかってきた。
「金城先輩金城先輩金城先輩!大丈夫ですか大丈夫ですか大丈夫ですか!?どこかどこかどこか痛いですか痛くないですかどっちなんですかぁ!?」
「痛い痛い痛い!多分今お前がジャストミートに掴んでる左腕のところは筋肉が切れた箇所だと思われ痛だだだだだだだッ!」
だが、金城ミロクの両腕を掴んでガックンガックン前後に動かす程に我を忘れた御嬢様(レベル7)には届かない。むしろ『痛い』という訴え以外の台詞が全て都合良くキャンセルされているらしく、益々取り乱す。
茶道リンを落ち着ける為に金城ミロクが右往左往する事、五分。ようやく事態の鎮静化を謀る事に成功した。
「えぅ……えぐ、よがっ、良がったですよぉ……。金城先輩の身にもしもの事があったら、どうしようかと……」
「んなオーバーな……」
「オーバーなんかじゃないです!私にとっては一大事なんですよ!」
「わ、分かった分かった落ち着けだから左腕を掴むなヤバい痛いいやこれマジ痛ェ!」
すみません、と借りてきた猫の様に萎縮した茶道リンは、ハンカチで涙を拭いながら呟く。が、突如として断固たる決意を固めたと言わんばかりに立ち上がると、金城ミロクの右手を掴み、やたらキラキラしたオーラを放つ大きな瞳を向ける。
「ですからッ、金城先輩が退院なさるまで、私は毎日お手伝いしに来ます!」
「……『ですから』の使い方間違ってないか?」
というか、何がどうあって『ですから』なんだ?
だが、思春期真っ直中の暴走少女には何も聞こえていない。
「お食事やお散歩、ジュースの買い出しに下の世話まで何でも仰って下さい!」
「いやいや、色々ちょっと待て!お前は一度自分の発言を吟味すべきだとワタクシ金城ミロクは思うんですが!というかお前その間の学校はどうするんだ!」
「休みます!」
「休むな!」
やる駄目だ、やらせて断るの一点張り。両者譲らず、埒があかないと判断した金城ミロクは、ため息を吐く。
「……、よし。そこまで言うなら仕方ない。それなら、まず最初の手伝いだ」
「ハイ、何なりと!」
嬉々として立ち上がり、直立不動で返事をする茶道リン。右手を差し出し、金城ミロクは言う。
「お前のケータイ貸せ」
「どうぞ!」
特に違和感もないのか、金城ミロクの言葉に被せる様に瞬時に取り出す。凄まじい忠誠心を見せる犬かコイツは、と心中で呟きながら、金城ミロクは茶道リンのケータイ(つい先日撮った二人の写真が貼ってあった)のアドレス帳を開き、その中から一つを選択、通話ボタンを押す。
登録名は『風鈴学院中等部理事室』。
「あぁ、もしもし、風鈴学院さんですか?おたくの生徒さんが学校休んで遊びに来てますんですぐに連れ戻して下さい」
住所は……と言おうとした金城ミロクだが、茶道リンが悪夢でも見た様な青ざめた表情でケータイを引ったくり、通話を切った。ガタガタガタガタと小さな身体が震えだし、極度の緊張感からかゼェゼェと肩で息をしている。
ケータイの電波を逆探知したのか、一分もしないうちに病室にサングラスをしたSPみたいな女性(多分、教師)が数人入ってきたかと思いきや、茶道リンの両腕を掴んで無言のまま連れ去っていった。
「金城先輩の馬鹿ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああ!」
通路から、そんな虚しい叫び声が聞こえてきた。恐るべし、お嬢様学校。
†††††††††
「さて、そろそろ動くか」
茶道リンからメールで『明日こそは必ず……!』『むしろ今逢いに行きます!』など、二分おきに着信するもんだからケータイの電源を切って放置した金城ミロクは、点滴が打ち終わったのを機に立ち上がる。目的地は勿論、病院のどこかにいるだろう絶対零度とか赤銅シオンとか。あと、赤銅アオイももしかしたら目覚めてるかも知れない。
病室を見てみると、共同病室にも拘わらず入院患者は金城ミロクを除いて僅か一名らしい。六つぐらい空のベッドがあり、病室を出る際に振り返るともう一人の入院患者はいなかった。朝早くからどこかに行ったのかも知れない。だが、これで茶道リンと騒いでいても苦情が来なかった理由が分かった。
(……いや、アイツの考えは嬉しいんだけどな〜。割と元気も出たし、……ただ自分を蔑ろにするっつぅのが、どうもなぁ……)
ハハッ、と苦笑しながら金城ミロクが引き戸に手をかけた瞬間、引き戸が勝手に開いた。おっと出かけてた患者が帰ってきたかなと金城ミロクが道を譲ると、そこには薄緑色の病院着を着た白い絶対零度がいた。
「なばッ、あ!?!?」
「ん?……あぁ、アンタか。……なぁにアホ面してんだよみっともねぇな」
ホレやる、と絶対零度は手に持ったビニル袋の中から取り出した缶コーヒーを、愕然とする金城ミロクに渡す。どうやらビニル袋の中には同じ銘柄がぎっしり詰まっているらしく、一つ一つ丁寧にチェストに備え付けの小型冷蔵庫の中に並べていく。
「こ、絶対零度!?何でここに!?」
「あん?そりゃアタシがこの病室に運ばれたからに決まってんでしょ。分かりきった事ぉ聞いてんじゃないわよタァコ。っつかアタシには白木 冷ってカワユイ名前があんのよ、覚えてろ」
相変わらず口調は悪いが、どこか棘の取れた……いや、無気力な話し方だ。金城ミロクは受け取った缶コーヒーを右手だけで器用に開け、絶対零度、もとい白木レイの使用ベッドの横にあるパイプ椅子に腰掛ける。
そんな金城ミロクを見て、白木レイは鬱陶しそうな表情を浮かべたものの、特に何も言わずにベッドに腰掛けた。丁度、二人の位置はベッドを挟んで対角線となる。
沈黙が流れる。二人して無言でチビチビと缶コーヒーを飲んでいる光景はどこか異様だが、それでも沈黙は続く。
「おい、アンタ」
先に沈黙を破ったのは白木レイだった。
「俺にも金城ミロクってカコイイ名前があるんだが?」
「何言ってんだ?馬鹿かお前?」
「……、」
泣けてきた。
「じゃあミロク。……アンタさ、アタシを救うって言ってたじゃん」
「ん?あ、あぁ、言ったけど」
「結局、ありゃ何を以て『アタシが救われた』事を定義にしてんだ?……蓋を開けてみりゃ、何も変わっちゃいねぇ。まぁ、確かに前みてぇにピリピリしちゃいねぇのは確かだけど、これからも誰かに狙われ続ける事ぁ変わんねぇだろ。なぁ、テメェはアタシの何を救ってくれたんだ?少なくともアタシには何が救われたのか分っかんねぇ」
それじゃ何も変わってねぇのと同じだろ、と。白木レイは、何かを懇願する様な表情を金城ミロクに向けながら、そう語る。
だが、それでも。金城ミロクは答える。
「変わらなくていいんじゃねぇの?」
「……はぁ?」
「強いお前も弱いお前も、全部ひっくるめて『白木レイ』って人間が出来てるんだからさ、わざわざ変わる必要はねぇんじゃねぇのか?っつか俺はお前を変える為に救うなんて大それた事を言った訳じゃねぇよ」
「は……?オイ、オイオイオイちょっと待てテメェ!何ネムてぇ事ウタってんだ!?お前はアタシを救う為にあの場にいたんだろ!?『変わる必要がねぇ』だ?フザけた事ヌカしてんじゃねぇぞコラ!」
怪我人とは思えない様な鋭い動きでベッドを飛び越えた白木レイは、金城ミロクの胸ぐらを掴んで押し倒す。その際に左腕を床に打ち付け、金城ミロクはほんの一瞬だけ苦悶の表情を浮かべた。
「冗談じゃねぇ!あの時の事は全部ムダだったってのか!?冗談じゃねぇぞクソッタレが!何が『俺の為』だ、何が『みんなが笑ってる方が楽しい』だッ!結局、全てテメェのフザけた自己満足だったってのか!?何の救いにもなってねぇじゃねぇかよ!」
怒鳴り散らす白木レイの双眸には、ジワリと、涙が浮かんでいた。だが同時に、金城ミロクを掴んでいる両手から白い蒸気の様なものが噴き出し始めた。『無意識の自我』だ。
「……だったら、確かめに行くか?」
「……何だと?」
「だから、確かめようか。本当にお前は救われていないのかどうか」
白木レイの手を解き、金城ミロクは立ち上がりながら、囁く。
「お前の抱いた救済は、まだ始まってもいないんだからな」
†††††††††
『個室・赤銅アオイ』。
引き戸のプレートにはそう書かれている。病室の引き戸の前には、金城ミロクと白木レイの姿。
「……、誰だよコイツ」
「俺がお前を止めた時、お前が襲った奴だ」
金城ミロクの言葉に、白木レイは愕然とし、凛然とし、呆然と引き戸のプレートを見つめていた。
「……ここに入れ、とでも?」
「いんにゃ。俺が強引に押し込む」
は?と目を点にする白木レイを余所に、ドアをノックする事もなく金城ミロクは引き戸を盛大に開け、動けないでいる白木レイの腰を蹴って中に押し込んだ。
「なっ、わっ、たったっ……何しやがん――」
「あ、君はもしかして絶対零度?」
恐らく部屋の主・赤銅アオイだろう声が聞こえた瞬間、白木レイは本気で心臓を握り潰された様な衝撃にかられた。後にゆっくり入ってきた金城ミロクを睨み付ける事も出来ず、もはや動く事もままならない。
話の経緯は、ここに来るまでに金城ミロクに聞いた。恨まれている筈だ。いや、むしろ恨まない奴がいない。何故なら、彼だけは今回の件に無関係……唯一、白木レイの意志で傷つけたのだから。
正当防衛は課せられない。
殴られても、文句は言えない。
ベッドの上で上体を起こしたまま座っている少年が少し手を動かし、まるで親に叱られる子供の様に白木レイが肩を震わせた瞬間、
「今回は、僕の仲間が迷惑かけちゃって、ゴメンね」
……、白木レイは訳が分からないと言った表情で少年を見た。
「……はい?」
前髪は左が短く右が異様に長いアシンメトリーの紫頭の少年は、申し訳なさそうに微笑んだまま手招きした。事態の把握に努めつつも、白木レイは混乱していた。
「あ、今、姉さんが花瓶に水を差し替えに行ってるんだ。悪いけどミロク、お茶を三人分煎れてくれないか?」
「ティーパックはどこに仕舞ってんだ?」
「あ、そこの棚の真ん中に。うん、僕のオススメはダージリンだね」
「これか?」
「……君は文字が読めない人?それはアールグレイ、そっちの……そう、それ」
今朝、目が覚めたと、ナースステーションで聞いたばかりなのは、金城ミロクも同じ事。
(……にも拘わらず、何なのこのほのぼのほんわかした教育テレビみたいな空気は!?)
白木レイの混乱は今や極致。というか意味不明の光景に目を真ん丸にしている。
やたら高そうなティーカップ(赤銅アオイの私物)を三つ取り出し、チェストに乗っているポットからお湯を注ぐ。紅茶の芳しい香りが病室に立ち込め、金城ミロクはそれぞれのカップを渡す。
「お茶受けがなくてゴメンね。今度、ご馳走するよ」
「……でだ?」
「ん?」
あくまでも笑顔を絶やさず、赤銅アオイは何かを呟いた白木レイに聞き返す。
「何で……お前はヘラヘラ笑ってんだ?アタシが何をしたか覚えてないのか?アタシのくっだらねぇ力でアンタの腹をブチ抜いたんだぞ?それなのに、何でアンタが謝ってんだ?わっけ分かんねぇ、何考えてんだよテメェは!アタシが憎いとか、殺したいとか、そんな事は思わねぇのかよ!?」
紅茶を持つ手を震わせながら、俯いたまま喚く様に語る。が、そんな白木レイを諭す様に、赤銅アオイは彼女の白い髪に手を添え、答えた。
「思わない」
はっきりと、笑顔のまま、答えた。白木レイは怪訝そうな表情のまま、顔を上げる。
「だって、ずっといがみ合い続けるよりかは、仲直りして友達になった方がずっといいじゃないか。だから、今回は僕の所属している組織のせいで君を追い詰めちゃったから、僕が謝らなきゃ……いけない……気が、するん、だけど……なぁ、あれ、違う……の、かな?」
どんどん自信なさげに声が小さくなっていく赤銅アオイ。何故か彼も泣きそうな表情で金城ミロクを見た。
「こっち見んな」
一蹴されて更に泣きそうだ。
ほんの、数秒程度。白木レイは熱い紅茶に息を吹きかけ、面倒くさくなったのか能力で冷まし、一気に飲み干して赤銅アオイを睨み付ける、いや見つめる。ギョッと肩を竦める赤銅アオイ。
「ゴメ――
「お姉ちゃんご帰還ー!!」
スパァン、と。この湿っぽい空気を取っ払う様な勢いでドアを開け、花瓶を頭の上に乗せた赤銅シオンが登場。空気の読めない奴、と金城ミロクは呆れ顔で明後日の方角を眺めた。
「って、およ?絶対零度じゃない。何してんのこんなトコで」
「あ……あれ?アンタ、重力管制……えっ、ちょ、ミロク?まさかコイツが……」
「アオイの『双子』の姉、赤銅シオンだ」
何じゃそりゃー!と白木レイは髪をかきむしった。どうも何かが許せない様だ。
(……コイツ、割と面白い奴かも)
と金城ミロクがこっそり思ったのは秘密。
「花瓶の水換えるついでに買ってきたんだけど、折角だからアンタも食べる?売店で抹茶ソーダ味のプチシューとモカゴーヤ味のケーキ買ってきたんだけど」
「何!?それは何の拷問!?っていうかそれを食べ物と認識出来ないアタシがいるんだけど!?ちょっ、待て、まだアタシはアンタから受けた重力の一撃で内臓が傷ついてて負担をかけちゃいけないって医者に止められモガァッ!モグモグ……ゴクン……。あは、あはん、あははん、あはぁん……殺す!やっぱテメェだきゃ殺す!今この瞬間からテメェは冷凍マグロの刑だ!」
ギャアギャアと叫びながら、個室で喧嘩を始めた二人(コイツら本当に怪我人か?)を、オロオロしながらどう止めようか悩んでいる赤銅アオイ。と言っても、能力を使ってないところを見ると、TPOは弁えている様だ。それを見ながら、金城ミロクは静かに病室を後にした。
(……ま、後はもう心配ねぇか)
変わる必要はない。ただ、打ち解ける事は出来る。大切なのはどう変わるかじゃなく、何を考えるか。ただそれだけでいいのだから。
ちょっとした、人に歩み寄る勇気。それがほんの少しでも白木レイが理解したのであれば、もう放っといても大丈夫だろう。
(……おっと、そう言えば、まだ一つだけ『問題』が残ってたな)
金城ミロクは病院の廊下を歩きながら、心中で呟く。
たった一つだけ残った『問題』を、思いながら。
(……さて。『アイツ』、一体どういうつもりだ?)
呟く。