†停戦協定†
限定境界。
どういう訳か、そんなつまらない能力を開発して仕舞った俺は、レベル0という汚名を貼られた。人生最大のコンプレックスになりうるその能力は、まさしく、日常じゃ何の役にも立たない力だった。
手から火が出る訳でもなければ、雷の火花をバチバチ飛ばせる訳でもなく、喧嘩が強くなる訳でもなければテストの点数が上がる訳でもない。何の役にも立たない、正真正銘の使えない能力(レベル0)。
発現方法は単純、眼を『開く』だけ。イメージとしては、角膜の上にもう一枚、見えない角膜がある感じ。夜行性動物の眼を思い浮かべれば分かりやすいかも知れない。
ただ、眼を開いても、世界は何も変わらない。使えない能力(レベル0)は、あくまで役立たずなまま。
だけど、この眼は時に便利だ。何故なら、条件さえ整えば、全てが視える様になるのだから。
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パキン、と空気が歪み、凍てつく。辛うじて絶対零度の能力を避けた金城ミロクは、床を転がる様に横に移動し、更に追い打ちの様に床から生える氷柱から逃れようとする。
(おいおい、ここにきて絶対零度、演算速度が上がってねぇか!?)
金城ミロクはしゃがんだ様な体勢で起きあがり、同時にバックステップを踏む。無茶な体勢で跳び退いたせいでバランスを崩したが、構ってられる暇はない。
何故なら、軌道転換した金城ミロクを追う様に、這う様な動きで床から生え続ける氷柱の向きが変わったからだ。
「ちょっ、冗談!!」
脳を揺さぶられた絶対零度は、一歩も動いていない。元々、機動力に乏しい彼女は接近戦をしながら演算式を組み立てるよりは、一カ所に腰を据えて敵を追い詰める方が得意なのかも知れない。
だが、機動力に劣るというのは、金城ミロクだって同様(レベル0)で負けていない。ただし、彼の場合は絶対零度と違い、遠くから敵を必殺する様な能力なんてない。ひたすら己の身体こそが資本だ。
(……あれ?何か……泣けてきた)
虚しすぎる、と心中で救いようのない悪態を吐きながら、支柱の陰から陰へと移動する。流石に物陰へ座標が重なる様に演算式を組み立てる事は難しいのか、ほんの僅かにタイムラグが生じる。
と言っても、ほんの〇・二秒程度。プロボクサーのジャブが届く程度の一瞬ぐらい。
「何を逃げてんだぁアンタ!とっととアタシをブン殴りに来い!あはん、それともただ焦らしてるだけの前戯のつもりかっつーかアタシは逃げ回るだけのアンタの追っかけっこに延々付き合わされるってのか、アリエネェ!」
(す、好き勝手言いやがって……近寄りたくても近寄れねぇんだよッ!)
ボパパパパパ、と。今度は周辺の空気が炸裂しだした。細かい氷の刃が満遍なく飛び散り、避ける為に物陰から飛び出した金城ミロクを、しかし容赦なく切りつける。
が、息吐く暇があるのなら大変嬉しいが、当然ながらそんな悠長な事を言ってられる場合ではない。空間がたわむ様な凄まじい轟音が響いたと同時、頭程の大きさはあろう氷塊が一斉に飛んできた。その数、ざっと見て二〇ちょい。
「うっ……そぉ!?」
当たれば軽く骨が折れそうな氷の塊が、下手すれば死にかねない速度で飛来してくる。空間手榴弾とでも言えばいいのだろうか、氷の刃に体勢を崩された金城ミロクに避けるすべなんかがある筈もなく、床に倒れ込んだ際に両手で頭を抱えて身を縮ませる。そんな事しか出来ない自分がもどかしい。
《ドゴゴゴゴ》!鼓膜が破けそうな爆音が轟き、辺り一面、破壊に埋め尽くされる。その内の一つが金城ミロクの脇腹を掠め、すぐ背後に落下した。それだけなのに、まるでハンマーで横殴りにされた様な激痛が迸る。
「ぐぎゃっ……は!」
「あはん、あははん、あはぁん!何を立ち止まってんだウスノロ!縁日のミドリガメを間違って踏んづけたみてェなスプラッタにされてェのかよ!」
「ご、ご長寿の象徴様になんて事してんだよお前は!」
「知った事かっ!」
絶対零度が金城ミロクに手をかざす。実際は座標系列の超能力にはそんな事をする必要はないのだが、正確さを極める精神的な安定の為によく見る光景でもある。単純な計算式を、指を使って数える様なものだ。
「クソッタレが!」
金城ミロクには、視える。絶対零度から一直線に伸びる能力の軌道が。
苦痛に悶絶している場合じゃない。金城ミロクは四肢をバネの様に弾いてその場を離脱する。パキャン、と今まさにいた床が凍り付いた。ゾッと背筋を凍らせる。
近付けない。
ほんの僅かな『隙』を与えて仕舞った事が悔やまれる。どうにか懐に潜り込めないものかと思考を張り巡らせるが、走りながらではそれも厳しい。一瞬でも油断すれば死にかねない緊張感が余計に体力を奪っていく現状で、机に張り付いて策略を考える様な集中力を発揮するなんて器用な真似が出来れば苦労はしない。
(レベル0の足りない頭は足で稼げ。どうせ使えない能力(レベル0)しかないのなら、身体でぶち当たれってか!……うぅ、どっち選んでもマイナスの天秤ってのも最悪だな)
とは言え、気合いと根性で懐に入れるなら既にやってる。問題は如何に距離を詰めるかではなく、如何に裏をかくかがポイントになってくる。
それは絶対零度にも分かっているのだろう。命中精度を犠牲に最低限の集中力で弾幕を張って、必要以上に近寄らせようとはしていない。それだけ、金城ミロクの格闘戦に警戒心を持っているという事に他ならない。
攻め入る為の一瞬の隙。それさえ見つけられれば死中に克、勝機を見出す事が出来る。
絶対零度を中心に、鉄筋の柱に隠れ、グルグルと回りながら、金城ミロクは臍を固める。
(考えろ。アイツの攻撃パターンとタイムラグについて、何でもいい、疑問を抱け俺!)
まず、地面から生える氷柱。即応性が高く、床という固体物質により計算式の安定が図れている様に思える。たが、大量の大気を消費する為か、近付こうとする一瞬で足止めを果たす様な使い方しかしていない。タイムラグは殆ど存在しない迎撃専門の様だ。
次に、空気分子を一定量固め、放出する様な手榴弾。恐らく空気を氷に固めた内部で、分子の電子素粒子をプラスとマイナスまで分解し、小さな対消滅爆発を起こしているのだと推測。確か、つい最近物理で習った知ったかぶりだけど。これはタイムラグこそないが、常に変動し続ける大気を正確に演算しなければならない為、狙いは曖昧だ。だが、柱の裏から直に攻撃出来る利点もあるし、何より広範囲にダメージを与える。まさに欠点を補う能力。
で、鉄筋から鉄筋へ移動する際にたまに飛んでくる氷塊。流体物理的な空気抵抗がある為にタイムラグは生じるが、一撃の破壊力が半端じゃない。武装テロなんかでも投石はよく見受けるが、近代兵器を装備した機動隊や軍隊ですらも死傷者が出る様な禁じ手には違いない。
最後に、絶対零度が持っている氷の剣。あれは路地裏で見た。触れた箇所から凍り付かせていく、攻撃専門ではなく防御専門の能力だ。直に対象と自分を繋ぎ合わせる事で、演算式の簡略化を図っているのだろう。遠くの的にボールを当てるよりも、手元の的を直に殴る方が簡単だ。
以上を踏まえて、金城ミロクは考える。
(勝ち目ナッシング!)
実力云々の前に、まず手数が違い過ぎる。
大貧民(大富豪とも)というトランプゲームを知ってる者なら誰でも分かる事だが、如何に金城ミロクが『2』のカードを一枚持っていて、絶対零度が『3』や『4』しか持っていなかったとしても、数枚ずつ出されては金城ミロクの『2』は宝の持ち腐れ。根性論云々の前に、まず『無理』だ。
ちくしょう打つ手なしかー、と金城ミロクは白く染まるため息を吐きつつ、不意に気付く。
(……息が、白い?)
暦は九月。未だ熱帯夜が続く様な都会の夏。にも拘わらず白い息が吐き出される理由は、絶対零度がこの建設途中のビルのここワンフロアを凍らせているからだ。
黒須ミサの姿は……ない。もしかしたら凍死寸前の赤銅シオンを連れて別フロアに行ったのかも知れない。まぁ、ミイラ取りがミイラ、になる様な馬鹿な性格ではないだろう。
そして、さっきから金城ミロクは延々と走り続けている。立ち止まれば死ぬ様な現状でもあるし、何より路地裏の喧嘩では勝つ事よりも逃げる事の方が多い彼にしてみれば、長距離走は慣れている。
では、絶対零度は?
さっきから一定場所から動かず、金城ミロクの様に走って発熱する事もしていない彼女は?
チラリと金城ミロクが絶対零度を見てみると、唇を紫に染め、ガタガタと震える絶対零度の姿を見た。
(そう、か!アイツの弱点って……!)
よくよく考えてみれば、絶対零度はこれだけ、わざわざ攻めなくても敵を殲滅出来る能力(レベル7)があるのに、自ら敵の懐に潜り込もうとしていた気色がある。離れていても戦える人間が、わざわざ相手の間合いに入ろうとするのはおかしい。はっきり言って無駄だ。
だが、その奇妙な行動には、裏があった。
仮に、もし戦いを長引かせてはいけない理由が、そこにあったら?
周囲の気圧の変動による低気圧高山病。そんな力の弊害があったとしたら?
絶対零度という能力は、もしかしたら、
あらゆる敵を殲滅させる最良(レベル7)の能力というだけではなく、
むしろ、敵を傷つければ傷つけた分、全てが自分に返ってくる諸刃の剣だとしたら?
(……チクショウ、)
金城ミロクは下唇を噛み締めながら、柱の陰で立ち止まる。
(お前は、そこまでして、俺(レベル0)なんかが許せねぇのかよ!)
触れる者全てを凍てつかせる氷の剣。それの危険性を関知した金城ミロクは、避けた。その上で絶対零度を無力化しようとした。
別に、斬るでも突くでもなく、触れるだけの用途であるのなら、形状をわざわざ剣にする必要はない。むしろ、氷で作った棒で充分事足りる。
あの剣は、ひょっとすると、彼女の不安そのものなのかも知れない。
近付く全ての者を拒絶する、冷たい氷で出来た両刃の剣。
自らを守り、自らを傷つける諸刃の剣。
「あはん、なぁに立ち止まってんだ?諦めるのか?だったらその場で冷凍マグロ決定だぞテメェ!」
言葉の裏に貼り付けられた、本人でさえも気付いていないのだろうSOS。
金城ミロクは、確かに、それを聞き入れた。
(ったく、我ながら損な性分だなぁオイ!)
焦れたのか、絶対零度は能力を発動。ギュッ、と金城ミロクのすぐ近くの空気が凍り付いた瞬間、
爆ぜるよりも早く、金城ミロクは柱に沿う様な動きで裏側に張り付いた。刹那、爆発する氷は幾多の刃と化した破片を撒き散らすが、柱が金城ミロクを守る様に遮る。
「なっ……」
ほんの一瞬。二人は対峙し、視線が絡んだ瞬間に金城ミロクは柱を蹴り飛ばす様な仕草で一気に加速した。
氷の手榴弾にタイムラグはない。しかし、金城ミロクが柱に隠れる度、〇・二秒のタイムラグが生じるのであれば、それを利用すればいい。
全方向へ氷の刃が飛ぶのであれば、唯一の安全圏である柱の陰に回ればいい。例え、絶対零度の真正面に出る事になろうとも。
一直線に駆ける金城ミロクを狙った、氷塊の一斉射撃。だが、なまじ頭を狙った攻撃であると言うのなら、ほんの少し屈めば簡単に避ける事が出来る。背後から聞こえる破壊音に背中を押される様に、金城ミロクは更に速度を上げる。
「チィ、調子に乗るなよ無能(レベル0)!」
絶対零度が新たに演算式を組み立てるのが分かる、否、『視える』。
ギュキュ、と摩擦の増した床とバッシュの擦過音を鳴らし、金城ミロクは直角に方向転換する。寸前の進行方向に氷柱が出現し、予測された事に絶対零度は驚愕の表情を浮かべた。
「お前、まさか、未来予知か!?」
「違うね。俺は限定境界だ」
距離はたった一メートル弱。もう、絶対零度を間合いに入れたも同然だ。
だが、まだ手が僅かに届かない距離。一方の絶対零度は、攻撃が届く距離。
氷の剣。
「死んどけ!」
全てを意識の深淵へ誘い凍てつかせる氷の刃が、一直線に突いてくる。一瞬、金城ミロクの中の『何か』が脈打った気がした。
これは、危険だ。赤信号そのままだ。触れただけで凍り付く一撃だ。避けなければならない。
だが、これを避ける限り、目の前の『不幸』な少女を見捨てる事になる。
「死ねないね。言ったろ?俺はお前を救うって」
貫かんばかりに突き出される氷の剣を、
金城ミロクは、左手で掴んだ。
パシュン、と一気に二の腕まで凍り付いた。鈍い悲鳴が金城ミロクの喉元から漏れ、苦虫を噛み潰した様な渋面を形作る。
「何で……だよ」
ポツリと、凍り付いた腕に唖然としながら、絶対零度は呟く。
「今のだって、避けようと思えば避けれただろ。テメェなら避けれた筈だ!なのに、何だって、わざわざ、馬鹿な真似ぇしやがった!?アタシが式を中断しなきゃ心臓まで凍り付けだったんだぞ!?」
「でも、止めたじゃん、お前。止めれたじゃねぇか」
はっ……、と。絶対零度の息が凍る。
「馬……鹿、じゃねぇのかアンタ……そこに何か理由があんのか?アンタ、アタシを救うっつってたよな?何でだ?そこまでする理由は何なんだよ……」
「俺の為」
凍り付いた腕を引き、氷の剣や絶対零度ごと引き寄せる。どこかの蛋白組織が破裂したのか、左腕からピキンという金属質な音が聞こえてきた。
「俺がどっかで馬鹿みたいに笑ってる裏で、誰かが泣いてる様な現実は嫌なんだよ。知り合いだろうが初対面だろうが知らない奴だろうが、みんなが一斉に笑ってる方がずっと楽しいだろ。っつぅかもし他の誰かが別の意見だろうと、俺は楽しいから、誰が何と言おうと俺は止めないね」
偽善だとか、そんなつまらない理由じゃない。どちらかと言えば自己中心とか開き直りに近い。
でも、その分、この金髪の少年は全てをひっくるめて救おうとしているのだ。たった独りで。
たった独りの限定境界。
たった独りの絶対零度。
両者には決定的な違いがある。独り、という重みが違う。全てを拒絶し続けた絶対零度と違い、全てを受け入れ続けたのだろう、みんなの輪の中心に立つ限定境界。それが決定的な違い。
「……気障野郎」
「よく言われる」
金城ミロクに引き寄せられた絶対零度は、自らの体重を金城ミロクの胸に預け、何かしらの安堵からか、深い眠りについた。
†††††††††
「……とりあえず、一命は取り留めましたね」
ため息混じりに額に滲む汗を拭い、黒須ミサは長い黒髪を後ろに流してゴムで束ねる。足下には死んだ様に眠る赤銅シオンの姿。かなり衰弱しているものの、とりあえず今は快復傾向にある。応急処置とは言え、上出来だと黒須ミサは思う。
(さて、まだ仕事はありますね)
ケータイを取り出し、黒須ミサは仲間に連絡を取る。どうせ一連の流れは筒抜けだろうし、恐らくビルの下には何人か待機している事だろう。
「……《正エスエル》黒須ミサです。符丁はRTGKBH−00956、照合をお願いします」
《承認しました。ご命令を》
「とりあえず病院の手配ですね。重傷者三名予定です。足も用意しておきなさい」
《了解しました》
ケータイを切り、その場に座り込む。程なくして彼女のいるフロアに大勢の『戦闘要員』が流れ込んできて、その内の二名は担架に赤銅シオンを乗せて運送する。
「総員、スクランブル。第一戦闘配備を整えなさい。α及びβを封鎖、ポイントGをポイントEへ移行したまま待機」
『サー』
総勢二〇名の戦闘要員の着ている服はただの私服だが、その動きは見事に統率がとれていた。実はこの私服は、如何なる事態にも臨機応変に対応させる為の『戦略』である。
(さて、降りてくるのは金城ミロクか、絶対零度か)
黒須ミサは考えるが、どちらが降りてきても問題はない。どのみち――、と考えたところで、足音が閑静なビルに響き渡る。『何者か』が階段を降りて来ている様だ。
やがて、一同が見守る中、階段を降りて来たのは金城ミロクと、荷物みたいに肩に担がれた絶対零度だった。
「……はぁ、何の騒ぎだよこれは」
「《エスエル》の一部を動かしました。安心して下さい、彼らは味方です。赤銅シオンは先に病院へ運びました」
「……そうかよ」
金城ミロクは、寄ってきた私服姿の少年二人に眠る絶対零度を受け渡し、担架で運ばれていく様を見ながらその場に尻餅をついた。左腕は相変わらず凍り付いていて、血が通わず青黒い。
「……あと、出来れば俺にも担架くれ」
言葉と同時、金城ミロクは意識を失った。恐らく、血流不全による貧血と推測、黒須ミサは部下に命令してなるべく安静に運ばせる。
「……お疲れ様です、金城ミロク」
そっと、そう呟いたが、慌ただしく動き回る少年少女らに、その呟きはかき消された。