†プロローグ†
街を歩くのは、一人の『白い』少女だった。
その少女は端麗な顔をして尚、『白い』と形容する他ない。
肩まであるツーレイヤーの髪は白く。冷ややかに凍結した双眸は銀。センターにフリルの付いたノンスリーブのブラウスは白で。ミニのプリーツスカートは白みがかった灰。そして、膝まであるロングブーツは白い。
人混みをかき分ける様に、白い少女はただ歩く。照りつける太陽は既に落ち始め、しかしまだまだ暑い。にも拘わらず、少女の身の回りだけがやけに冷ややかな空気を放っている。
最良(レベル7)、絶対零度。白い少女はそう呼ばれていた。
何をするでもなく、ただ歩いているだけの少女・絶対零度の三〇メートル後方を歩くのは、一人の少年だ。
赤と白がコントラストのキャップに、有名なバスケ選手のナンバーが入った裾の長いタンクトップに、すりきれた幅の広いジーンズに、限定生産の黒いバッシュ。
見た目はどこにでもいる様な普通の少年だが、目つきが違う。その鋭い双眸は常に絶対零度に向けられている。それはまるで、犯罪者を追いかける私服警察官のそれと似ていた。
(……気付かれてはいないな)
もし何か、自分が尾行られているんじゃないかという人間は、後ろを振り返ったり手鏡で確認したりする筈だ。しかし目の前の少女にはそれはない。せいぜいで前髪を手櫛で梳いただけだ。
細心の注意を払って尾行する少年。上からは『深追いせずに、気付いた素振りを見せたら撤退せよ』と言われている。少年だって、言われなくてもそのつもりだ。最良(レベル7)の中でも第八位とはいえ、つまりこの街で八番目に強い能力者を相手に無事に済むとは思えない。少年はたったの微弱(レベル2)なのだから。
(……まったく。あんなレベル7の尾行なんて追走開始に任せればいいのに)
少年は、追走開始という二つ名で呼ばれる少女の事を思い浮かべる。彼が知る限り、尾行に組織一長けているのは間違いなく彼女だろう。
と、少年が別の事を考えた瞬間、少女がビルとビルの間の狭い路地裏に右折した。少年は慌てて走り出す。
(どうして急に、あんな人気のない場所へ!?気付かれたか?いや、そんな素振りはなかった……偶然か?いやしかし、あまりにも不自然すぎる。……どうする?)
続行するか、撤退するか。
少年は走る速度を落とし、路地裏の前を何気なく歩く振りをし、チラリと視線を流す。絶対零度はただ普段通り、普通に歩いている。待ち伏せをしている訳ではなさそうだ。
(……、)
路地裏を通り過ぎ、少年はほんの一瞬だけ逡巡し、引き返した。
(……続行だ、クソッ)
ビルの壁から少しだけ顔を出して絶対零度を見る。前方一〇メートル程度の場所を、ただ歩いている。
路地裏を抜けた絶対零度は、今度は左折した。よし、と少年は頷いて路地裏を軽く疾走した。途中、ガラスか何かを踏みつけたのか、パキンと足下で何かが割れた。
――瞬間、少年が動きを止めた。
「……は?」
いや、違う。動きを止めたのではなく、少年は動けなくなった。まるで地面に縫いつけられた様に、足が動かなくなった。
少年は、チラリと視線を落として足下を見てみる。
先程踏みつけた、ガラスか何かの正体は、氷だった。九月も中旬だと言うのに、溶けている箇所が一切見当たらないという不自然な氷は平べったく、
鏡の様な光沢を放っている。
(……まさ、か、!?)
さらに、少年は視線を移す。タイル敷きの地面は霜が出来る程に凍てつき、靴底のラバーが張り付いていた。まるで、寒い場所で金属に触ると皮膚と金属がくっついて仕舞う様に。
ここにきて、不意に思い出したのは、少女の二つ名。
絶対零度。
思い返す。少女が歩きながら前髪を梳いた際、特に鏡の様な物を取り出した様子はなかった。
しかし、自らが鏡の様な氷を生み出して手のひらに隠し持っていたとするのなら。
(……不、味いッ、バレていた!?)
気付いたところでもう遅い。少年は動けないし、それ以上に何より、
「あはん。あははん。あはぁん。今日和、追跡者さん♪」
少年の目の前には、白く白き白い、ひたすらに白を主張する絶対零度がいるのだから。
「あはん、あははん、あはぁん。それで、アタシに何の用なのかしらん、お兄さん?」
ニンマリと。唇を薄く引き延ばした、まるで熱したナイフでバターを切った様な、不気味な笑みを浮かべながら少年の額を小さな手のひらで掴む。
その手は血液が通っていない様に冷ややかで、少年は背筋を震わせた。
「……あはん、あははん、あはぁん」
少女は嗤う。
絶対零度の微笑みを浮かべる。
「ねぇ、お兄さん?貴方はどこまで『保つ』のかしらねぇん?」
こうして、
絶対零度が織りなす更迭劇が幕を開けた。