1-4「決着」
Side:S―――同日9時26分
火球魔働術によって引き起こされた爆裂さと煙の量は、直撃したゼスを完全に覆っていた。
あの威力では、無傷とは縁遠いものだろう。
流石に魔働を行使して、気分が悪くなったシェリーは一瞬眩暈を起こしたが、何とか踏ん張って立ち続ける。
「ふぅっ……ど、どう? 一応命だけは助かるように初級魔法を、使ったけれど、これで、私の勝ちは、決まったも同然、ね」
ゼスは爆発時の煙により姿を確認する事が出来ないが、僅かな気配からまだ息はあるとシェリーは感じ取れている。
自らの実力を認めさせるために本気を出したは良いものの、それで勝負が決まってしまうとは皮肉なものね、と彼女は喜びと残念な気持ちを抱いた。
誰もがシェリーの勝利、と思ったことだろうと思い、ふと怪訝そうに考えた。
……試験官がいつまで経っても判定を出さないなんて変ね……? もしかして、私の華麗な魔働術に目を奪われたのかしら。
それを裏付ける為に彼女は試験官と受験生達の顔色を窺うことにした。
確かに彼らはこの光景に呆気に取られていた。しかも、今までの称賛できる戦法を見た時も、シェリーの態度が激変した時も、受験生程の表情の変化をしていなかった試験官。それが信じられない、と言いたいように口を開けていた。
だが、シェリーは自身の魔働術は確かに初級魔法だが、その威力に驚かれる事ではない、と自覚している。試験官は騎士だし、それ以上な威力の魔働術を数多く見てきたはずだ。
勿論、彼らはシェリーを全く見ていない。さらに言えば、その魔働術の爪痕である煙を見ているわけでもない。
彼らの視線は、その後方へと向けられていた。
「……ま、まさか―――」
これほどの状況で、その結果を考え付けない程、シェリーは愚かではない。だが、それは有り得ないことだった。試験官と同じく、そんなことは信じられない、と心中で連呼して煙が晴れるのを注視する。
煙は晴れていき、その中心に居た人間の輪郭が現れる。
「……やれやれ、危ないところだった。俺以外だったら完全に大火傷でミイラ暮らしだったなこれは」
悠然と冷静至極で言う、主武装の大剣、その剣身を前に突き出したままひょっこりと顔を出す、まさにゼス本人だった。彼は先ほどの魔働術の威力を見据えながら、達観した物言いで語る。
彼の顔には煙によって片頬が黒く煤けていたが、それ以外に火傷や怪我などは一切見かける事はできなかった。
その光景に、シェリーが無意識に一歩退いた。
「―――嘘。む、無傷ですって……? わ、私の、私の全ての実力が、無傷……?」
先ほどの凛とした態度はどこへやら、シェリーの声はだいぶ裏返っていた。
混乱の極み。これで冷静になれ、というのは無理なことだ。
元々魔働術は物理的な武装で防げるものではない。それは数多くの歴史が証明している。確かにファイアボールは直撃し、そしてその威力は申し分なくゼスに向かって炸裂したはずだ。
だがその威力を物語っておきながら、相手は火傷一つないなんて事は有り得ない。歴史を裏切ったゼスは完全に魔働術を防ぎきった。
シェリーも、そして試験官も同様の反応を見せるのは当然と言えた。
試験官は次第に冷静に考えて、ゼスの身を守った現象を分析する。
見た限り、シェリーの魔働術は彼の身に届く前に、あの漆黒の大剣に衝突した瞬間に炸裂したが、ゼス本人にはなんらダメージが届かなかったのだ。
この結果に何が起こったかは想像に難くない。
反魔働障壁。通称反魔働。
その名の通り、魔働を唯一無効化する事が出来る魔働理論だ。ある高名な魔働術者が長年の実験を重ねて、実用する事に漕ぎ着けたが、元は難しい論理だった。それを行使するのも専門の魔働術士ですら、非常に困難とされている。
しかし、聖王国ではおろか、その理論を一剣士である者があの短期間で簡単に行使出来るなど聞いたことが無い。彼は外国人らしいと聞いた事があるが、もし国外でそんな理論が実用化されたとすれば、既に魔働の強さは聖王国に優っているのではないか、と考えてしまう。
いや、そんなキリが無い想像はどうでもよかった。
ただ一つ言える事は、最も強い攻撃手段を持つシェリーに万に一つも勝ち目が無くなった、ということだけだった。
* * *
Side:Z―――
「わ、私の自信が、こうも簡単に……う、嘘、嘘よ。そんな事は有り得ないわ!」
あまりの混乱に、力なく退かざるを得ない状況のシェリー。
全く未知の存在の彼に、本能で畏怖すら抱いている結果の行動だった。
「そう言われてもな。有り得ない、なんてことは無い。今目の前に起きている光景がそうだぞ」
ゼスは溜め息を吐きながら、大剣を構え直す。
判定が出ていない以上、仕合は継続されている。そこに油断も隙もない。
しかしシェリーは既に混乱によって、戦意喪失気味であった。
頻りに嘘と呟いている彼女に、果たしてこのまま斬り込んで良いものか、と悩む。だが動かない以上仕合は終わらない、という考えに至ったゼスは膝を屈めた。
一気に跳躍するように、肉薄する。
しかし流石に騎士を目指しているだけあって、彼女も咄嗟に半ば無意識で盾を構えて迎え撃った。ゼスと彼の大剣から流れる殺気を感じ、生存本能が働いた結果だったが、足まで力が入らなかった為にまともに大剣を受けて、態勢が崩れないわけがない。
重い大剣の横薙ぎな一撃が、シェリーの盾へ直撃する。
「きゃぁっ……!」
案の定、衝撃を殺しきれず、盾ごとシェリーが態勢を崩して仰向けに倒れ込んだ。
唯一のチャンスをゼスは見逃すはずがない。
ここぞとばかりに彼女の上を跨いで、その大剣を振りかぶり、一気に一撃を放とうと―――
「―――――」
だが―――やはり彼女の言う通り、結局は終始女子供として見ていただけだった。
ゼスの腕は振り下ろされていた。
「―――そこまでっ!」
厳格な声音が訓練場に響く。
試験官の仕合終了の合図だった。
足音を響かせて、ゼスとシェリーに近づく試験官。その視線は鋭く、事の顛末を見通し、有無を言わせぬものだった。
「……ふむ。どっちが勝ったかは、言うまでもないな?」
彼の視線の先には、倒れ込んだシェリーと彼女を跨いで見下ろすゼス、両名の姿。
シェリーは緊迫した表情で息を吐き出している。彼女の左手は身体を交差し、右上側へと盾を構えていた。その盾表面に沿うように、シェリーの頭上に大剣があり地面を抉っていた。
対し、ゼスはまるで達観した面持ちでこの状況を見直している。彼の両手は大剣の柄に握られており、彼の首にはシェリーの右手に握られた剣の切っ先がピタリと着いていた。
「ゼス。お前の攻撃はシェリーの盾によって阻まれ、それは当たる事がなかった。いや、そうなったと言うべきか。私の目の錯覚でなければ、お前は何を思ったのか大剣の軌道にブレを生ませていたぞ?
対しシェリーは不利な体勢であれど、自らの剣をゼスの首に当てている。どちらかが早く動いても、少し力を加えるだけで先に首が飛ぶのは誰か、分かっているだろう」
試験官の推測は当たっている。
ゼスはトドメの一撃の際、大剣に手心を加えた。そのブレた軌道をシェリーが見逃すはずはなく、盾を使って素早く軌道を変えて回避。同時に剣を彼に突き出したのが、あの一瞬の攻防の顛末だった。
「よって、この第一試合の勝者は、シェリー・アイオライト=ブランシェとする!」
この宣言はまさに絶対の言葉だった。
事の成り行きを見守っていた受験生達は、白熱した戦いを見せた二人に称賛と、勝者のシェリーに祝福の拍手をした。
拍手の中、ゼスは大剣を引き抜いて肩に担いでシェリーから離れる。彼女が身体を上げてゆっくりと立ち上がるのを見届けた。
「……流石だったな。最後の最後まで君は騎士だと思う。決して諦めず、この俺の首を取った。俺の完全敗北だな。おめでとう」
何の感慨も暗さも無く、ゼスは祝福の言葉を口にしてシェリーに手を差し出した。
お互いが健闘した、それを称える握手だ。
シェリーは若干それに反応したが、顔は上げなかった。彼の手を見つめたまま、口を悔しそうに見せた。
「……く―――」
そんな声が漏れた途端、パァン、と乾いた音が響いた。
シェリーが乱暴な手つきで、差し出されたゼスの手を弾いていた。
「な、何よ……。それは、言い訳のつもり? それでさっきの手加減を無しにするつもりなのかしら?」
シェリーは肩を震わせて、顔を上げようともせずその怒りを吐露し始める。
「私が勝った? ええ、勝った、勝ったわ、勝ちましたとも! でも、私は勝った実感は無いわ、むしろ負けたと思っているくらいよ。あんな状況なら、明らかに私が負けるところだったのに……。結局、貴方は最後の最後まで私を弱いと決めつけていたのね……。そうやって、さも自分が弱いから負けて当然と振舞って、身を引いて、私の夢を後押しして、満足かしら!?」
「……」
彼女の言葉を、ゼスは何も言わずに受け止めていた。
確かに手加減したのは事実だ。明らかに迷いなく大剣を振り下ろせば、確実に勝てていた。だが、ゼスが最初口にした通り、自らの相棒は加減が効かない為、当たり所が悪く命を奪ってしまう可能性が非常に高かったと考えた。
何より、相手は女性だ。彼女たちはか弱いという事実を、彼は身を持って知っていた。否、むしろ既に本能の深いところまで根付いてしまっているのかもしれない。
結局は自らの攻撃をシェリーがその盾で防ぐ事が出来るということを、信じなかっただけなのだ。
「……折角、折角ボクは、貴方を本気にさせることで、自らの力で戦って、前に進める事ができるのを証明する間近だったのに……」
その言葉は非常に小さく、聞き取れた者は居ない。
やがて、顔を上げたシェリーは、何かに耐える表情をしていた。
「貴方は強い。それこそ、貴方の言う通り、二人とも勝ち上がって騎士になっても申し分ない総合力の持ち主だった。それは評価するわ。……でも、失望したわ」
心中を吐き出したのがきっかけだったのか、シェリーは僅かに溜まっていたソレを出してしまった。
彼女の右目から出てくる滴。
それを間近に見たゼスは、ある過去を重ね合わせる。かつて、ゼスと関わった女性が浮かべていた表情だった。
「君は……」
「……ふん」
ゼスが今までにない反応を見せたからか、シェリーは自分がどんな状態かを気付いて顔を背ける。仕舞った剣を整えようするのを見せるように、右腕を不自然に挙げて顔を拭った。
「―――っ、祝福、ありがと。私はこのまま騎士になる。だから、もう会う事は無いでしょうね。……さようなら」
そう言い残して、シェリーは一度もゼスを見ないまま、訓練場を後にした。
ゼスは、彼女の後姿に声をかける事ができなかった―――。
***
二階席で、その光景を一貫して観戦していた聖王国宰相ディル・エンメイスは戦後の成り行きは興味がないように、物思いに耽っていた。
彼は、シェリーが放った魔働術をゼスによって無効化されるところを勿論試験官同様に驚愕していた。その頃から、何かを必死に思い出すようにブツブツと呟いている。
「……漆黒で異形の剣身……身の丈ほどの大剣……果てしない重さ……そして、反魔働効果……」
そして、彼は雷に打たれたかのような衝撃を受けた。
「……そうか! 成程、アレがそうなのか……」
自らの推測がその通りだとするなら、これほど面白い事は無い、と笑みを浮かべた。
「フ、フフフ、クククク……。とうとう見つけたぞ……! まさかこんな所に……早速、知らせなければ。手負いの獣は、今のうちに鎖に繋がなくては。これで―――フフフ……!」
ディルは微かな笑いを抑えきれぬまま、二階席から身を翻して姿を消した。