3-24「人の尊厳、人の誇り」
Side:S―――17時59分
ゼスとシェリー、そしてレイモンドルが振り返る。
そこに立っていたのは先ほど弓矢を放った、警備隊と共にいた若い女騎士だ。長く伸びた茶色のポニーテールをなびかせ、背筋を伸ばしているのか、男性に近い長身の持ち主だ。膨らんだ双丘を覆う胸甲を着けている以外はシェリーよりやや軽い装い。そして、彼女の背には聖王国の紋章が記された軍衣を付けている。
蒼衣の騎士団において、軍衣の着用を許されているのは従騎士より上の騎士、正騎士と呼ばれる者だ。すなわち、ゼスとシェリーの―――直接ではないが―――上官ということになる。
三人の間に入った女騎士は大人びた顔立ちだが微笑を浮かべて、シェリー達へと琥珀色の双眸を向ける。
「突然声をかけてすまない。わたしは蒼衣の騎士団所属、第九中隊の次席、一等正騎士、ミラ・リーズベールという。以後、見知りおきを」
「中隊次席の一等正騎士っ!」
「……なんだ、偉いのか?」
二人の反応は真逆だ。シェリーは驚きを隠せない表情で、ゼスは女騎士の肩書を理解していない様子で反応すらしていなかった。
シェリーは素早く耳打ちする。
「バカっ。少なくとも私たちより遥かに上の階級よ! 騎士団には従騎士、正騎士、上騎士、将騎士と階級があるのは話したわね。その内、正騎士だけ三等から一等まで階級が分かれてて、彼女はその最高位を持っている人よ」
「……成程な」
「でも、女性が圧倒的に少ない騎士団だけど、名前だけ聞いているミラ卿、まさか本当に女性だったなんて……」
呆けたようにシェリーがミラを見つめる。
蒼衣の騎士団はシェリーが初の女性騎士ではなく、過去にも少数だが女性騎士は存在していた。少ない故あまり目立たないが、活躍をしているという噂は流れており、彼女らを目指し毎回の試験で一人か二人の女性が試験を受けに来る事もある。無論、全員が合格できるほど生易しい試験ではないが。
シェリーの視線に気付いたのか、ミラという女騎士は首を僅かに傾げた。
「どうした? わたしの顔になにか付いているか?」
「い、いえっ! し、失礼しました! 私はこの度従騎士として第十七小隊に配属になった、シェリーです!」
彼女の言葉に我に返り、シェリーは慌てて敬礼する。
何も返さなかったゼスも、隣から小突かれて渋々倣う。
「……ゼスだ」
「成程。あなた達は先日の試験の合格者か。まずは配属おめでとうと言わせてもらおう。あなた達の事は聞き及んでいる、シェリー・アイオライト=ブランシェとゼス。大貴族アイオライト家のご息女と試験でめざましい活躍を魅せた凄腕の元傭兵が入団したと」
髪の長さと女性らしいラインがあれど、男性らしい口調と凛々しい佇まいにシェリーは僅かに緊張してしまう。
「光栄です。ミラ卿のご高名はかねがね。女性ながらも、最近様々な事件の解決に一役買ったと聞いています」
「そんな大きな事件を解決したわけではないさ。高い実力を持っておられる名誉ある正騎士達の尽力によって実際に解決された。わたしは、その手伝いと提案を申し入れただけだ」
「ご、ご謙遜を。その申し入れをキッカケに、事件解決への糸口が導き出されたのでしょう。卿の考えが無ければ、きっと解決できなかったのだと思いますわ」
「あなたは口が達者だな、シェリー嬢。そう言われてしまっては、これ以上謙遜するのは他の騎士たちへの無礼になるだろう。褒め言葉は、有難く受け取っておく」
性格は自分を律する人間で、正義感も強い。まさに女性ながらに高い騎士の位を持つだけはある人物のようだ。
ミラの実力は分からないが頭の回転が早く、知識も深い頭脳派騎士だ。事件解決の為に、警備隊と連絡を取り合う柔軟さも併せ持ち、協力して解決に導いた実績を評価されて今の地位まで上り詰めた事は、まだ貴族令嬢だった頃に噂で聞いていた。
そんな理想の騎士に近しい女性騎士がミラという人物であり。
心の内で彼女のような存在になりたい、と抱いてなければウソになる。例えあらゆる貴族の上に立つ一族とはいえ、そのくらいシェリーにとっては憧れの対象に等しい人物だ。
羨望の眼差しをシェリーが向ける中、ミラの興味は隣のゼスへと移っている。
「それに、そこの青年。噂に違わぬ実力の持ち主のようだ。さっきまで敵と交戦していたというが、成程……この場の状況を見る限り、中々のものだ」
「……そちらこそ、馬に括りつけられた弓と槍を見る限り、頭だけ良いわけじゃないみたいだがな」
「フフ。まさに聞いた通りだ。礼儀知らずの卑しい傭兵が騎士団に入った、と専らの噂だったが……実際に会ってみると面白いな。わたしは嫌いではないよ、そういう人物は」
「……」
暗に見た目では非力そうと皮肉を言ったつもりのゼスだったが、ミラは見事に受け流していた。
彼女の眼は興味深そうに、ゼスの体格とその背に結っている大剣を見回している。
「その剣も普通ではないようだ。ゼス、あなたから色々可能性を感じる。できれば、わたしの手で色々成長させてみたいものだ」
「えっ!?」
これにはシェリーが驚きの声をあげた。
どう考えても、ミラはゼスに対してラブコールを送っているようにしか聞こえなかった。それはそれで気になるのだが、それよりもあまり自分が彼のように強そうでも可能性があるようにも見えない、と彼女に思われたのは残念だと思った。
「生憎、俺は非力な女の下で働く気は毛頭ない。あんたの方針で、折角鍛えているところを邪魔されてはかなわない」
ゼスはミラの言葉をはね退けるような口調で応える。
彼の言葉遣いに、シェリーは一言厳しく注意したが、相手から返ってきたのは嬉しそうな笑い声だった。
「あはは、予想以上の面白い答えを言うね。ますますあなたに興味が湧いた。女性不信を持つ傭兵、それがシェリー嬢と一緒に組んでいる理由も気になるところだ」
「―――戯れはそこまでにしてもらいたいよ、ミラ卿」
そこに、今まで静観を貫いていた警備隊公安師団のレイモンドルが口を挟んだ。その表情は厳しく潜められ、明らかに不機嫌であるような様相だ。
「話を戻す。ミラ卿、先ほどの冗談はどういうつもりだい?」
「冗談、とはどういうこと?」
「はぐらかさないで欲しい。我々に代わって、そこの従騎士らと共に荷物の護送を継続するという話だよ」
レイモンドルの話に、ミラは納得したようにうんうんと頷いた。
彼はミラの提案に大層驚いていた様子で今までシェリー達への会話を聞いていたが、好奇心だけで動く人物だけではないはずだ、と問いただしたのだろう。
「貴女が大変優秀なのは理解しているけど、この状況、何が最優先事項なのかよもや理解していないわけではないのだろうね?」
「勿論だ、レイモンドル公安師団長殿。事件解決の為に、関係者から事情を聴く事と何故狙われるに至ったかの捜査は、大変重要だと」
「ならば……!」
「だからこそ同じ騎士団の任務とあらば、例え別部隊であろうとわたしが協力してもなんらおかしくは無いし、同じ事件を追っているならば捜査の役割分担しても問題ないわけだ」
「なっ……」
予想外のことを言われ、目を見開くレイモンドル。
「しょ、正気か。我々の調査を拒むというのは!」
「別に拒んでいるわけではない。役割分担をしようという話だ。わたしが荷物の調査と彼ら二人から事情を聞きつつ、聖都へ護送する。あなたたちは怪我人の保護と重要参考人の事情聴取、そして現場の検証。その方が効率的で合理的というだけだ」
「っ……そんなのが認められるとでも?」
「思うさ。あなたたち警備隊の理念は民間人の保護と治安の維持。それを全て実行しようとしたら、人手が足りないだろう? だからわたしがその捜査に協力する」
「人手ぐらい、タルテルド警備隊と本部からの協力で、なんとでも……」
「本部から人が送られれば可能だろう。だが、そうでなかったら現地の部隊だけでは回りきれない。だから役割分担だ。何、わたしは目利きもあるつもりだし、調査した内容はきちんと細かく報告書を送ることを約束しよう」
「……ミラ卿、貴女は……」
若干だがこの静かな戦いは若干ミラが押していると見てとれる。
シェリーも薄々感じていたが、確かに全て緻密に調査するとなると、生半可な日数では終わらないだろう。最短でも一週間、もしくは二週間かかる可能性だってあるはずだ。
レイモンドルの捜査への意欲は認めるが、やはり無茶な方針をしようとした自覚はあるようだった。その執念は一体どこから来ているのか、疑問を抱いてしまうが。
「共同捜査を申し出たのはそちらからだよ。それを、今更反故にする形なら、僕は二度と貴女には―――」
「わたしはこの事件を終わらせたいと思ってる。そしてレイモンドル殿も含め、警備隊の人達も同じように解決の為に尽力する意思を持っている。目指す道は、同じはずだ。これからも、早期解決の為に警備隊の足元を照らす光になることを騎士団は惜しまない」
「……っ」
真っ直ぐな双眸で見返すミラに、レイモンドルは喉を詰まらせた。
これで彼が拒否をしようものなら、警備隊は縄張り意識が強く、功績が欲しいだけの治安維持組織と言っているようなものだ。
もし事件に魔働術が関わっているなら、魔働術師が少ない警備隊にできることは限られる。
だが騎士団の協力があれば、事件は思わぬ進展をみせることもある。それは過去の事件で解決された過程を見れば判る。実際、捜査が難航した際に、騎士団が協力した事で早期に解決した事件も多々ある。
特に人為的な事件は、時間が経てば経つほど、証拠品が消えてしまい犯人の足取りを追えなくなる。早期解決の為の協力体制を解消するというのは、治安維持を目的とする警備隊の望むところではないだろう。
高い魔力保持者が騎士団に流れていってしまう弊害とも言えた。
「大丈夫だ。わたしは隠し事しない。違法性が確認されればわたしたちの小隊と別部隊も協力して内部調査をする。その際は警備隊にも全資料を無条件で提供を約束しよう。騎士団の粗探しをしてもらって構わない」
「……疑惑があれば警備隊は介入できる。それは無論、もしもの時は貴女にもその覚悟はあるのか?」
「二言は無い」
レイモンドルの厳しい視線に、ミラは真っ直ぐ見つめ返す。
凄い……。シェリーは感嘆に浸っていた。
頭がいかにも固そうな、警備隊の一指揮官を説き伏せることができる話術。彼女自身の立場からもあるだろうが、それを的確に明示して正当性を説く過程は見事としか言いようが無かった。
自身はまだまだ足りない部分がある、そう認識を改め、シェリーは理想の騎士への念を強くしたのだった。
そこに、今まで本部と念話交信をしていた警備隊員がレイモンドルに声をかけた。
「隊長、ちょっと」
「ん……どうした?」
振り返ったレイモンドルに隊員がそっと耳打ちすると。
「……なんだってっ?」
レイモンドルは抑えきれない激情を露わにして、隊員へと視線を向けた。
一瞬言葉を呑みこみ、再び小さく一言二言交すが、隊員は首を振うだけで応えた。
「……馬鹿な……上層部は何を考えて……」
苦虫を噛み潰す表情でレイモンドルが呻いた。
その様子を見たゼスとシェリーは小さく言葉を交わす。
「一体、なにがあったのかしら?」
「……さあな。だが、彼にとって、不満を漏らす事が起こったのは確かなようだな……」
それに関しては、ミラも察したらしい。
「どうやら、認めがたい結果が返ってきたみたいだが……」
レイモンドルは答えない。彼女の言葉を認めたくないからか。
「あなたたちはあなたたちで、現場検証と怪我人の保護、そして重要参考人であるあの山賊達とダリオス伯爵から調書をとる仕事に集中して、少しでも多く情報を得るのが良いかもしれない。手遅れになる前に」
それは宣告なのか。
ミラが全てを理解しているような口調で、レイモンドルに言い聞かせる。
「…………」
警備隊公安師団の長は黙って彼女の言葉を聞いていたが、やがて小さく溜め息を吐いた。
「公安師団全員に伝える。A班は現場検証の準備に入れ。B班は怪我人を保護し、参考人をタルテルドへ移送。現地の部隊と協力体制に入る様に、と」
「了解しましたっ」
警備隊員が敬礼し、即座に部隊全員を招集する行動を開始した。
即座に状況を整理し、方針を組み立て迅速に指示する。流石指揮官という様だ。
ミラは頭を下げた。
「数々の貴殿への無礼、お詫び申し上げる。そして、協力感謝する」
「……気にする事じゃないよ。それより、ミラ卿。そちらの調査は分かり次第、必ず早急に報告するように。くれぐれも……」
「心得ている」
頭を上げたミラは、微笑みを浮かべて力強く頷く。
再び友好の証としてなのかミラが手を差し出し、レイモンドルは渋々といった様子で握り返す。頷き返すと、ゼスとシェリーにも視線を向ける。
「そこの従騎士二人!」
「は、はいっ」
「……」
「ちょっと、ゼス!」
「……ああ。そうだな、俺の事か」
「まったく、そんな調子のままミラ卿の調査を邪魔しないように。役立たずなお前たちと違って、ミラ卿は明晰な騎士だ。お前たちの考えなしな行動で、結果が遅れては堪らない」
疑いのある視線が容赦なくレイモンドルから放たれる。
これに二人はまともに答える事は出来なかった。ただ黙って頷き返す。二人はまだ騎士団に入ったばかりのひよっ子。まだ現実を熟知していない以上、その通りだ。
内心シェリーは彼の嫌味に舌を出して応えたかったが。
「決まりだ。さて、シェリー嬢、ゼス。御者の方。聖都に向けて出発する準備を!」
軍衣を翻して、ミラは荷馬車へと向かっていく。
ゼスとシェリーも、部下へ指示するレイモンドルに敬礼して、彼女の後に続いていった。
ミラはその後、御者の男性と交渉し、改めてタルテルドの荷物を聖都に護送する承諾を得た。
ボルトに肩を穿たれた若い鉱夫は警備隊員によって、別の馬車に運び込まれる。
その運び込まれる直前に、シェリーは声をかけた。
「ごめんなさい。騎士である私たちが―――私が、貴方達を護るって誓ったのに、こんな怪我を、させて……!」
「……っ……そ、そんな顔を、しないでくれ、よ。騎士であろうと……なかろうと……シェリーちゃんみたいな……可愛い娘ちゃん、が……傷つきながら、護るよりは……マシな方、さ……。……むしろ、護られる方が……男が廃る、ってもん……だぜ……」
若い鉱夫は肩に刺さったボルトの痛みが響いているのか、全身汗だらけで弱々しく笑みを浮かべて応える。
どうしてそんな目にあったのに、私を護れたことに満足げな顔なのか分からない。むしろ恨まれても不思議じゃないのに。
シェリーは辛そうな顔で首を振る。
「そんなの……命を落としたら、護る立場の私も、貴方の家族も、仲間たちも、悲しみます。あんな無茶は、二度としないでください」
「……へへ。それって……俺に気が、あったり……? 嬉しい……ねぇ……」
「冗談言っている場合じゃないです! 私は、女であることに関係なく、騎士として貴方達を護りたい。それなのに……」
なんで彼は私を許そうとしているのか。
私が女だから? 弱いから? 他人を護れないと分かったから?
そんなものは免罪符になりはしないというのに。むしろそれが、私を責めているような気がしてならない。だから私は自身が許せない。自分の未熟さに。
私が、ミラ卿のように人を護れるくらいの実力ができたら……。
そんな事を考えていると、ミラに右肩を叩かれた。
「シェリー嬢。あなたは最善を尽くして彼を護った。怪我をしたのは残念だが、あなたはこの結果に絶望せず、諦めずに敵に立ち向かった姿勢に、わたしは評価したい。それで、彼の命は脅かされずに済んだ」
「……ミラ卿」
そんな優しい言葉に、シェリーは左肩の傷どころか、今までの体中の重みが軽くなったように感じた。
だが若い鉱夫が怪我をした原因を不意に思い出してしまうと、やはり気のせいだった様子で直ぐに身体が重なってしまう。
「わたしたち騎士は、人を護るのが当然の義務。それ故、民間人にとっての危険を……外敵を排除する。命を護る。だが、それ以外にもわたしたちは護らなければならないモノがある」
「命以外にも、護らなければならないモノ……?」
その言葉が気になり、若い鉱夫を見舞うミラに振り返る。
「それは、人の尊厳。人の誇りに他ならない」
「人の……尊厳……」
「察するに、彼は護りたいものを護るために、あえて怪我をしてしまったのだろう。その行為は危険で決して褒められたものじゃない。だけど、覚えておけ。あなたがその時無理して彼を護って、最悪大怪我をしよう。彼は無傷だ、だがその後にあなたが護れる保証は無い。例え致命傷じゃなくて敵を運よく排除したとしても、彼の誇りは殺された。それは、人の命が失われるのと同義だ」
「……そんな、こと……」
「フフ……子供っぽいと思うか? だが、あなたにだって誇りがある筈だ。人を護りたい、人を悲しませたくない、という誇りが。彼の命の代わりに、尊厳が殺されたら、彼は笑顔になれるか? 悲しまないか?」
―――それは否だ、と。
透き通る声音で、しかし男のような口調でハッキリ答えるミラに、シェリーは返す言葉が見つからない。
その言動が馬鹿馬鹿しいことだとしても、命が失われたら全てが無駄になるのだとしても、誇りだけは汚してはいけない事は理解していた。それは、シェリーが抱く、自分の命を賭して人全員の笑顔を護る事に全力を注ぐ理想の騎士そのものだから。
それを他人に押しつけて、他人の事を考えていなかったと、気付いた。
「だから、あなたは正しい行動をした。彼の命は護られ、尊厳も護り通した。それは、誇っていいことだ」
「……その、美人さんの……言う通り……俺、難しいこと……よくわかんねぇ……けど……清々しい……気分だ……。だから、シェリーちゃんに……感謝、したいね……」
「っ……!」
痛みを堪えながら、無理して笑顔を浮かべる若い鉱夫に、シェリーは咄嗟に嗚咽を呑みこんだ。
私は……彼を、護り通せた。人の笑顔を……一人分、護れた……。
諦めなかったから。あそこで絶望して剣を捨てれば、あるいは無理をして前に出れば、きっと良くない結果になっていただろう。
だから、これが最善―――。
「……今度は、自分の命は、自分で護る努力を、してくださいね?」
「はは……そうするよ……」
そして、警備隊員によって彼は馬車に運び込まれる。シェリーは微笑みを浮かべて、彼が今後も無事でいるように祈りながら見送った。
その光景を、ゼスは腕を組みながら荷馬車に背を預けて、遠くから見つめていた。
* * *
―――
しばらくして、シェリーとゼスは荷馬車の出発の準備を完了し、ミラを加えて聖都への護送任務を再開させた。
逃走した黒衣の刺客たちやダリオス伯爵の仲間によって、再び襲撃されるのを警戒し、できるだけ時間浪費するわけにはいかない。出来る限り遠くまで行き、迅速に聖都へ運び込んで安全を確保しなければならない。
これ以上の危険が及ぶ前に。
ミラとシェリーは荷馬車の前方を固め、ゼスは後方に付いて行進を開始する。
警備隊公安師団のレイモンドルは、隊員たちに的確な指示を出し、一部はタルテルドへと撤収準備に入っていた。
既に断ち切られ息絶えたゴルリディアンヌの亡骸、破壊の傷痕、犯罪立証に繋がる痕跡。彼らは全てを見落とさぬようにと捜査に集中している。
馬の鳴き声が聞こえ、レイモンドルは振り返る。
ミラを伴った、聖都への荷物護送馬車が出発したようだ。三人の騎士が周囲を厳重に警戒し、森の奥へと消えていく。
その後ろ姿を見送って―――
「…………」
レイモンドルは険しい視線を荷馬車から外さなかった。
* * *
Side:Z―――18時21分
任務開始したゼスは、荷馬車の後方で背後を警戒しつつ足を進めている。
馬車の前方から、シェリーとミラ、そして御者の男が雑談をしている様子だ。
「先ほどは擁護して下さって、有難うございました。その……色々事情があって、話せなくて」
「心配する事は無い。騎士団からの守秘義務だろう? それを忠実に守るのは当然だ。むしろ好感を抱くよ」
「いや、それにしても見事だよ。私も、あの警備隊の人は横柄だと思ったんだ。そんな彼を説き伏せるなんて、さすがは騎士様だよ!」
「別に説き伏せたわけじゃない。目指す道は同じと信じて、改めて協力体制を組んだ。そういう事にしておいてくれると、有難い」
「またまた謙遜を!」
「実力もあって頭も回る……。一等正騎士なのも納得です」
ミラの手腕の良さに、シェリーと御者は褒めちぎっている様子だ。ちなみに御者の男も、今回の任務に関しては騎士団から守秘義務が課せられているため、事情は理解していた。
聞きながらゼスは、しっかりと地面に足を着けて歩き続ける。
「それを言うなら、レイモンドル殿。彼も相当切れ者だ。その意味では、上騎士以上だろう」
「え……ええっ!?」
「た、単なる上から目線の警備隊員じゃなかったのかいっ?」
「もちろんだ。警備隊で公安師団と言えば、捜査集団においてエリート中のエリートの集まり。公共の治安維持と犯罪組織によるテロリズム、殺人事件など国家を揺るがすような案件を一手に引き受ける独立部隊。彼は若くして実働部隊トップだ。犯罪の検挙率は全警備隊の中でも一際秀でており、不正の匂いを当てる嗅覚も決して侮れない男だ。わたしがもし優秀な犯罪者だとするなら、脅威的なのは彼と、騎士団長閣下だと言えてしまうぐらいだよ」
驚きに満たされるシェリーと御者は信じられないと口を開閉させている。
最初は彼女の謙遜かと思いきや、そこまで言わせる程となると、それは恐らく事実なのだろう。
出かかったものを飲み込み、ゼスがさらりとミラに聞かせるように言う。
「ユーモアセンスは、お世辞にも好いとは言い難いな」
「フフ……よく言われる」
それでもミラは軽く流す。
「びっくりです……。ミラ卿に説き伏せられただけの、嫌味ったらしい傲慢男かと思ってました」
……自覚がないのがまた恐ろしいな。
シェリーの感嘆に対して、ゼスはそんな感想を抱いた。
「実際、彼も気づいていたさ。この鉱物輸送が、騎士団からの命令で部外秘になっていることは」
「そ、そうなんですか!?」
ミラの衝撃的な真実に、シェリーは愕然とした。
あれだけ濁した発言で警備隊の助力は拒否しようとした彼女だが、それが本当なら無駄になったのではないかと思うのは当然だった。
「あなたたちの上司が聖都で待機している、という発言を聞いた後、彼は真っ先に騎士団ではなく、警備隊本部に魔働念話で連絡するよう指示を出していただろう? もし護送任務に関することに気づいていたとしたら、命令したとされる騎士団に手続きをしても無駄だと踏んだのだろう。あなたたちの上司がこの場にいないことにも、説明がつく。その時間を浪費するぐらいだったら、警備隊本部へと礼状請求して迅速な行動をした方がいい、と考えたはずだ」
……そうだな。もし俺が警備隊だとしたら、時間を無駄にすることはしたくないな。
ミラの話は納得のいく部分が多々ある。反論できる余地はない。
恐らく、彼が守秘義務に関することをあの場で言わなかったのも、同じ理由だったのだろう。そうしている間にも、犯罪に関する証拠品が霧のようにかき消えていっているのだから。
だが、一つ不可解な点もある。いくら時間の無駄だからと言ってそこまで考えるだろうか。少なくとも、問い合わせぐらいすればもしかしたら、と考えなかったのだろうか。
「あのレイモンドルという男……騎士団に連絡をいれなかったのは、それだけが理由じゃないんだな?」
「……ああ。まぁ、彼は『騎士団嫌い』としても有名だから。原因はわたしの知るところではないが……」
それでゼスは納得する。
騎士団に直接連絡を入れなかったのも、自分とシェリーに対して過剰なほど見下していたのも、全てはその騎士団に対する嫌悪感から来ていたからだろう。
シェリーも合点がいったようで、何度も頷いている。
「……でも、少し暴言が過ぎると思います。優秀なのはわかるのですが、『愚かだよ』とか『役立たず』とかなじるように、散々の言いたい放題で。私たち二人が、山賊たちの襲撃やあの怪物たちを退けたぐらいの実力者と、状況を見て分かっているはずなのに。それに『騎士団は尻軽』とか言われた時には、流石に頭に血がのぼりました。凄く偉そうで、上から目線です!」
……確かに酷い言われようだったが、そこまで散々言っていたか。
シェリーは元々、大貴族の傲慢令嬢なので、彼の言い方が鼻についたのかもしれないが。
「あはは、確かにそうだな。でも、気持ちは分からなくもないさ。わたしからみても、あなたたちは従騎士になったばかりのひよっ子だ。それに退けたとはいえ、大怪我して治療も受けた身でもある。思い切った実力が出しにくい今の状態を見れば、誰でも『まだ経験が浅いから認められない』と思われても仕方がない」
「うっ……さすがにそれは、否定できないわ……」
シェリーは溜め息をつくしかない。
苦笑したミラはしかし、肩を竦める。
「まぁわたしも呆れている。レイモンドル殿があそこまでの頑固さと、騎士団嫌いが無ければ、今頃上騎士になっているのだろうが……実に惜しい」
「えっ?」
「いや……これは個人的なことだ。気にしなくていい」
はぐらかすように、話題を切る。
レイモンドルが上騎士と同等の実力……と、彼女は評価しているのか?
ミラの話が気になってしまうゼスだが、何故か今はどうしても頭が回らない。腑に落ちないが、答えが見つからなかった。
「ミラ卿。もしレイモンドル師団長がそこまで騎士団嫌いなら、卿はどうやって彼と協力体制をとったんですか?」
しかしシェリーは全く別のことが気になっているようで、ミラに訊ねた。
当人はああ、と納得したように頷き返す。
「いくら頑固でも、分別は弁えている男だから。この不正や犯罪が起こりうる国で一定の秩序を保ち続けるために、彼は並大抵の努力をしてきたわけじゃない。彼の高い検挙率も、柔軟な対応と嫌いな組織であれど、信頼できる実績がある相手なら協力することも辞さないところからきている。彼は真っ当な警備隊員だからだ。だから今回の事件も、丁度彼らも追っていたようだったから、わたしから協力を要請し運よく非公式に体制を組めたわけだ」
「意外です……。てっきりそこも説き伏せたかと思いました」
「……フフ、その時の彼の答えと言ったら今でも忘れてない。『いいか、これは対等の協力関係にあるだけだよ。いくら貴女が明晰とはいえ、勝手な行動をとれば体制は無かったことにするつもりだから、勘違いしないように』と返してきた」
「な、なんですかそれ……。対等なのかどちらが上なのか、分かりかねる答えですね」
「まぁ、釘を刺されただけだと思う。どちらかというと、わたしは微笑ましいと思ったが」
シェリーは首を傾げるだけだ。
レイモンドルに関する話題が一通り終えたころを見計らって、ゼスは訊ねる。
「先ほど言っていた、警備隊と非公式に協力体制をとることになった事件。それは一体どんな?」
「すまない。それに関してはわたしも守秘義務があってね。部外者には公言できないことだ」
これにはミラが首を横に振った。
彼女もレイモンドルと同じ、公私は分ける主義らしい。それが無かったら、騎士団や警備隊など勤まらないのだが。
ただ、不満を漏らさずにはいられない。
「一応、俺の任務も守秘義務の一つなわけだが、あっさり看破されている。不公平だと思うのだがな?」
「それに、私たちも何か知っているものがあるかもしれませんし」
「……確かに。だが、いたずらに不安を与えてもいけない。公安師団が動いている以上、重大事件には変わりない」
そこでミラが言葉を止める。
少し何かを思案してから、「そうだな……」と呟いた。
「あの……?」
「あなた達も無関係とは言えない。情報を聞くだけなら大丈夫だろう。あなた達、あの巨人―――ゴルリディアンヌといったか―――が異常な程強く感じてはいなかったか?」
「ゴルリディアンヌ? 確かに、強かったですが……危険度が高い魔物ですし、それほどは」
ミラの意外な質問に、シェリーが戸惑いながら答えていると、ゼスがきっぱりと首を振った。
「いや、確かに異常な強さだったな。昔、俺はあの巨人と戦ったことがあるが、まず体格が違ったな。アレは一回り大きかったように感じた。それに、あの骨格と身体の柔軟性、あんな動きは前回戦ったときは見せなかった」
だから目測を見誤り、手痛い反撃をくらってしまった。
「……ふむ、やはりそうか」
「あの、やはりって?」
シェリーの疑問には答えず、ミラが続けて別の質問を切り出しす。
「では別に、あのダリオス伯爵と共にいた黒衣の者たち。あれは一体何者だ? あの巨人と共に現れたのか?」
「え……えっと。詳細は分かりません。全身を覆う黒いローブに、仮面をつけていたので。ただ、その黒衣たちも異常なほどの膂力と反応速度を持っていました。山賊の首領と目されるアンという人物は“断罪者”と呼んでいました」
「“断罪者”……罪を裁く者……。なんの罪だ? それに、正体を隠すような装い……何か心当たりは?」
「いえ、全くと言っていいほど。ただ、あの動き、騎士団や警備隊でも見たことのない型でした。少なくとも、知っている動きではないです。罪に関しても、私は身に覚えもありません。ダリオス伯爵が襲われていたなら、心当たりが凄くありますが」
確かに、今までの伯爵の行いを見てきたなら、断罪者と名乗っているのなら普通、彼を襲うはずだ。
それなのに彼は、その断罪者を率いていた。そう考えると、彼らの動機が分からなくなる。
御者もその恐ろしい光景を思い出したのか、冷や汗を額から流して首を振る。
「わ、私もあんな姿、初めて見たよ。不正なんて、鉱山町の皆は絶対にしていない」
「ふむ……」
ミラは眉を顰めて考えに浸る。情報の整理をしているようだ。
まだ情報を提供していない最後の一人であるゼスに、シェリーが振り返る。
「ゼスは? 何か知らないかしら?」
「俺は……」
心当たりは……。
―――ある。
いや、それ以前に戦っている間、ずっと頭の中に引っ掛かっていた。
この力、この動き。はるか以前から知っている気がした。だから敵の動きに対応できたし、反撃する機会もあった。
むしろ出会ったことに気分が高揚したことも覚えている。確かに、望んだのだ、あの邂逅を。
最初は闘争の歓喜だと思った。強くなることを目指し、強敵が現れたことに歓びすら抱いた。まるで肉食獣のように。
しかし、改めて自分を客観的にみれば、どこでいつ頃最初にそれを感じたのか、全く記憶にない。思い出そうとしたら、頭痛のようなものが走る。
何か、大事なものが最初から欠けているような―――。
「……ゼス? って、アンタ! 暗くてよく分からなかったけど、顔が真っ青になってるわよ!?」
シェリーの上ずった声に、ミラと御者が注目する。
それなのにゼスは自覚が無いように、眉をあげた。
「―――俺が、か?」
「他に誰がいるのよ! そういえばアンタ、戦っている時巨人に思い切り蹴られたり、途中であり得ない動きもしたわね。どこか内臓が負傷しているんじゃないの!?」
「そんな、ことは……」
おかしい。
頭が働かない。何か身体の内から逆流してくるような感覚がある。足に力が入らない―――。
「俺は……過酷な鍛錬でも……体調管理には……気をつけ―――」
そこで、ゼスの膝が折れ、地面に倒れ伏した。
「ゼス!」
シェリーが駆け付ける。
荷馬車も、馬が鳴き声をあげ、急停止した。
「ど、どうしたんだい!?」
「解らないが……わたしは周囲を警戒する。あなたは介抱を!」
御者が頷いて救急箱を取りに荷馬車へと入り、ミラは周囲に首を巡らせる。
倒れたゼスは指も足も動かせず、まるで身体から抜け落ちたような感覚を抱いていた。
視界には、強く身体を揺さぶっているシェリーの姿が映る。
「ちょっと、ゼス! 大丈夫、しっかりして!? ゼスってば―――」
必死の呼びかけに、反応すらできない。
……俺は、まだ、倒れるわけには……。まだ……任務は……残っているのに……そんなに進んでいない内に……休む、わけに―――。
抵抗も空しく、ゼスの意識は次第に暗闇に飲み込まれていった―――。