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3-18「断罪者」

 報復という言葉はなぜ生まれる?


 答えは単純だ。敵に情けをかけ、屈辱的にさせて、トドメを刺さなかったからだ。


 だから俺は、敵を逃がさない―――


 ―――同日17時07分




 ゼスは漆黒の大剣を振い、汚れを払う。

 自らに敵対する人間が周りに居ない事を確認すると、先ほど雷魔働術の音がしたシェリーへと目を向けず、残りの山賊を索敵した。

 最初、山賊達が突撃してきた際に、一人その場から動かずに高みの見物をしていた人物がいた。アン、トゥワと共に山紅猫団の中で特別な地位を持つであろう小柄な男、ドゥ。

 しかし、戦況が不利になったのを悟ったのか、人知れず姿を消していた。


「……仲間を置いて、か。その判断は正しいが、人格を疑うな。俺にとっては失態だが」


 最早静けさを取り戻した森林で、戦いの名残と、ゼスの嘆息だけが響く。

 一段落したところで、彼はようやくシェリーへと視線を移した。

 彼女も概ね反攻を終え、ゼスに目を注いでいた。


「そっちは終わったんだな?」

「ええ、なんとかね。そういえば、もう一人山賊がいたと思うんだけれど……」

「逃げられた。だが、追撃するだけ無駄だ。俺達はあくまであの荷馬車を護衛する立場だからな」

「そうね」


 シェリーは無念そうな表情で答え、左手に持っている盾を腰に提げた。


「彼ら、どうするの? 気絶してあるだけだから、拘束ぐらいした方がいいかしら」

「……成程。そうした方が良いな」


 気絶、と聞いて眉を顰めながらもゼスは普段通りの態度で首肯する。

 シェリーが一人ひとりの状態を確かめながら、簡単な魔働術を行使し、光る帯で山賊達の両腕を繋縛(けいばく)していく。

 荷馬車に避難していた御者と若い鉱夫が恐る恐る中から顔を覗かせた。


「お、終わったのかい……?」

「山賊達は全員倒したのか?」

「襲い掛かってきた敵は全員戦闘不能に陥らせた。敵の一人が逃走を図り……だが、もう襲われる事は無いだろうな。山紅猫団は壊滅状態になった」


 抑揚のない声で結論を述べながら、ゼスは荷馬車の男達に振り返る。

 短期間、それも二人の騎士が無傷で山賊達から自分たちや品を護り通した事に、彼らは安堵の息を吐いた。

 拘束する作業をしながら、シェリーは御者の男に訊ねる。


「そちらはお怪我はありませんか? 品物の状態とかは」

「ああ、お陰さまでこちらも無傷だよ。鉱物も一切手を出されてもいないし。大変安心している」

「さっき後方も見てみたが人一人いないぜ。アンタらのお陰だ!」


 よかったわ、と笑顔で返し、シェリーは再び作業に集中する。

 そのやり取りを尻目に、ゼスは悶え苦しむアンへと目を向けた。


「さて、事後処理といくか」

「ゼ、ゼス君? そこの山賊のリーダー、まだ戦える状態じゃないのかい?」

「いや。脇腹を刺したのでな、激痛で動く事は出来ないだろう。奴は、意図的に生かしている」

「そうか。しかし、何をする気なんだ?」


 平坦なゼスの答えに、御者の男は僅かに怖々と意図を問う。

 ゆっくりアンに近寄る彼は、こう答える。


「奴に、いくつか訊きたい事があるからな」


 その声に、感情がこもっていないように感じられた。

 アンは脇腹に刺さる暗器に手を触れながらも、少しずつ吐き出される鮮血に激しく動揺していた。


「くそぉ……どうすりゃぁいいんだよこれぇ……痛ぇよ……」


 涙声で見えない何かに助けを求めるように、脇腹からの激痛に彼は悶えていた。

 彼の目の前に、ゼスが佇立する。


「おい、アンと言ったかな? お前に訊きたい事がある」

「……っ、な、なんだよ……。俺はぁ、テメェなんぞに命乞いなんて、しねぇぞ」


 ゼスの眼光と手から提げられる漆黒の歪な大剣に気圧されながらも、アンは僅かなプライドがあるのか反攻的な態度を見せた。

 表情を変えずにゼスは問う。


「その必要は無いな。単刀直入に問う。お前達に荷物を奪ってくるよう(・・・・・・・・・・)に依頼した人物は誰だ(・・・・・・・・・・)?」

「……っ!?」


 アンが僅かに息を呑んだ。


「何故か? お前達はバカにも襲撃前で、戦闘中でもやたらと『仕事』やら『後は俺達の自由』、『話が違う』とまで無意識に言っていたな。仕事、荷物を強奪し金にする事を好むお前達山賊には合わない義務感だな?」

「バカ、だと……?」


 アンの苦悶の中に、怒りの形相が浮かび上がる。

 ゼスは淡々と言葉を続けた。


「報酬は労務または物の使用の対価として給付される意味を持つ。つまり、誰かがお前達に何かを依頼し、対価として何かを得る契約を交わしていた。そして、話が違う、とまで出れば何者かの情報を得て動いている証明にもなる」

「……へっ、何を、言っているのか……さっぱりだ」

「理解しなくて良い。お前はただ、俺の質問に答えれば」


 アンに悪態を吐かれても、ゼスは全く動じなかった。


「お前の依頼者は何者だ? 何故鉱物を強奪するよう頼まれた? 山賊のリーダーであるお前ならば、知っているだろう」

「けっ。しらねーな。知ってても教えるわけ、ねーだろが」


 小馬鹿にするように、アンはゼスの靴に唾を吐く。

 敗残者の僅かな抵抗。自らが情報を渡さなければ、強者に一矢報いれると考えたのだ。

 ゼスはそれを理解しており、変わらず再び問いただす。


「今一度問うか。お前に鉱物を奪い、目撃者を排除しろと頼んだのは誰なんだ?」

「……テメェの、思う通りにいくかよ。テメェが喜びそうな情報なんて、誰も渡すわけねーよ……!」

「…………そうかな―――」


 その時、アンの目にはゼスの口元が僅かに歪んだように、見えた。

 ゼスが唾をかけられた足を上げて。











 




 ―――ガキンッ。

 そんな、不吉な音が、辺りに響いた。


「……あ?」


 アンは何が起こったのか理解していない。

 先ほど、ゼスが足を上げたかと思うと、勢いよく踏みつけたのだ。

 何に―――アンが恐る恐る視線を下げると、地面についていた彼の左手、に―――


「あっっっ……あ……ぁぁぁ……あ、ああああぁぁぁ……ぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああっっっ!?」


 森林に響き渡る絶叫。

 その声の大きさに、シェリーは勿論、御者の男達も二人へと振り返った。


「お、おい……!?」

「ゼ、ゼス君何を―――」

「何やっているのよ、アンタ!?」


 三者三様、驚きの声をあげていた。

 彼らの問いに、ゼスは逆に不思議がって首を傾げる。平然とした態度だった。


「何って……尋問だ。時間もない事だし、手っ取り早く情報を引き出す方法を取っているだけだが?」

「尋問、ですって……?」


 山賊達を縛り終えたシェリーが立ちあがり、ゼスの言葉を頭の中で反芻する。信じられない言葉に、語気が強くなる。


「それは、拷問、よ? アンタ、自分が何をやっているか判って―――」

「だからなんだ?」


 ゼスはシェリーの詰問を切り捨て、さらに足の力を強めてから眼下のアンへと言葉を投げる。


「連れが邪魔をしたな。再開しよう。お前は誰に頼まれて俺達を襲撃した? 依頼者の目的はなんだ。答えろ」

「ぐぅっ……がぁ……ぁああっ!」


 踏みつけた際に指の骨を折ったのか、アンは空いている右手でゼスの靴を掴み、表情を酷く歪ませている。

 答える気が無い、とゼスはさらに力を強める。その度にアンは泣き喚く。

 シェリーが再び大声を張りあげた。


「ゼス、()めなさい! これ以上は―――」

「何故()める? アンという男を含め、山賊達は俺と、君……そして鉱山町の二人を殺すつもりで品物を盗りにかかったんだがな? そんな犯罪者に、よもや人権がある、と主張するわけではあるまいな?」


 容赦ない答えを返して、再びアンへと見下すゼス。足の力は弱め、答えられるように仕向ける。

 だが、漆黒の大剣を彼の首元に突き付けた。


「痛みが和らいだであろうところで、最後に問おう。依頼者は、どこの誰だ? 己の身を案じた方が良いと思うがな。楽になる……自白を」


 断罪者の様な冷徹な問いかけ。

 踏む程度になって、アンは荒れた息を整えつつ、鋭い眼光でゼスを睨み返した。


「……っ……ぅ……だ。誰が……教えるか……よ」

「次は痛いだけでは済まないと思うがな?」

「……へっ……やって、みろよ……。殺すなら、殺せ……俺以外に……情報を知っている……奴はいないから……どの道……テメェらに、得はねぇ……よ」


 彼がそう吐き捨てた時、ゼスは鋭い眼光を緩め、足をアンの左手から離す。

 そして、深い溜め息を吐いて。


「そうか。では」


 ゼスは再び普段の気難しい表情に戻って、シェリー達へと振り返る。


「出発する。出来る限り先へと進もう。君達は先行してほしい」


 シェリー達は驚きを隠せなかった。

 まだアンから情報を引き出していないのに、手を出すのを止めて見過ごすのだろうか。

 しかし、シェリーの期待は、ゼスの次の言葉で脆くも打ち砕かれる。


「俺は、後から追いかける。山賊、全員の首を撥ねてからな」

「なっ―――!?」


 その宣告は、シェリーは勿論、御者の男と若い鉱夫、そして当の本人であるアンも絶句した。

 ゼスは元々傭兵。戦場で生き残る為に、人権や倫理観など持ち合わせていないのだ。今まで自らや味方に害なす存在、またはその可能性を徹底的に排除してきた、とゼスは語った。

 まさか本気だったとは、とシェリーは戦慄を覚える。


「ゼス、アンタは、何で……」

「何故? 異なことを訊くな? せめて、君と彼ら二人に見せることはないと思うからだ。だから先に行けと―――」

「そういう意味じゃないわ!」


 遮るように大声をあげるシェリー。

 この場に居る者は彼女に注目し、次なる言葉を待つ。


「彼は確かに私達に害をなそうとした。それは許されざる罪で、断罪を受けるべきなのはわかる。でも、だからと言ってアンタがこの場で首を撥ねる? 何故そんな極論しか浮かばないのよ?」

「……言った筈だな。見逃す事で、俺や味方にこれからも害をなす可能性がある奴は徹底的に排除する、と。奴は間違いなくそれだ。その前に殺す」

「それを極論というのよ」

「……ならむしろ、君はそこまで気を配る余裕があるのかな? もし君が山賊達を見逃せば、また遠からず彼らは報復にやってくる。今度はそれこそ、どんな手で襲撃してくるか予測は不能だ。その時俺や君、または一般人に危害が及びかねない。君はそれが嫌なのだろう? だから君は彼らを護るだけで良い。敵は俺だけが始末する、と昨夜決めた筈だ」

「それは……!」


 蒸し返されて、一瞬言葉が詰まるシェリー。

 論破したと思ったのか、ゼスはそれ以上彼女に見向きもしなかった。


「とにかく、邪魔をするな。早く先に行け。ここで全員殺しても、逃げた仲間がどの道報復に姿を現すのなら好都合だ。奴も知っているようだったから、その情報を引き出せばいい」


 終に、ゼスは剣をアンの首筋に当てる。力を加えるだけで、何時でも首を斬り落とせる位置だ。

 アンはようやく相手が脅しではなく本気である事を悟ったのか、恐怖に歪めて声をカラガラに訴え始めた。


「た、頼む……! い、命だけは……俺、俺はぁ……まだ死にたく……!」

「……なんだ。恥知らずに今頃命乞いか。哀れだな」


 ゼスはそう言って剣の柄を握る力を込めて―――













「だから、止めなさいって言っているのよっっ!」





 それをシェリーが走り寄り、怒声をあげながらゼスを突き飛ばした。

 彼女はそのまま盾を構え、アンを庇うように佇立する。

 なんとか踏み止まって転倒を免れたゼスは、鋭い視線をシェリーへと向けた。


「君は、分かっているのか? 奴は君が嫌う犯罪者だ。だから粛清しようと反攻したんだろう?」

「違うわ! 確かに罰すべき悪よ。でも、それは私達が行う事じゃないわ。然るべき場所で、法による裁きを受けるのが正しい行いよ!」

「全員を捕える事が出来ればそうしただろうな。だが、これは逃げた仲間を誘いだす好機でもある。ここで全員息の根を止めて、見せしめにすれば効率が良い。奴らに人権など無い」

「……なら、二つほど言いたい事があるわ。“山紅猫団”のメンバー全員が、今この場に居るという証明はどうやってするの? 逃げたメンバーが、仲間をさらに連れて報復に来るという可能性は無いの? その時、仲間がアンタによって息の根を止めた光景を見たら、彼らは是が非でもアンタを殺しに来るわよ?」

「……」


 ゼスは押し黙る。

 初めてシェリーの言葉は彼に届きつつあった。今まで彼に説き伏せられて、断腸の思いを抱いていた彼女が正しい道筋へと、認められるところまで来たのだ。ここで説得するべきだ。彼の行いは、間違っていると。

 だが、ゼスは別の視点から反論する事を選んだ。


「仮に彼ら全員を活かしたまま拘束するとしても、どのように聖都まで連行する? 今更鉱山町に戻って、追加の馬車は用意してもらうのは難しい。第一、その警護も人手不足だ。護衛品と民間人、さらには山賊達を警護しきれない。騎士団に連絡すれば人員を寄こしてきてくれるかもしれんが、ずっとこのまま待っているわけにもいかない。ちなみに、本部からの命令で『警備隊など外部への協力要請は禁止』という命令を受けている」


 その命令は、本部からの命令書に明記してある事項だ。

 各市町村には治安維持組織の“警備隊”が各隊に分かれて駐留している。いざとなれば救援要請できる手段が、今は封じられている。その理由は不明だが、本部からの命令とあれば是非を問う事は出来ない。


「人員不足、さらに捕縛者を連行する事は不可能だ。ならば置いておくか? 無理だな、仲間が帰ってきたら解放されれば、報復する事が目に見えている。だから、この場で彼らの息の根を止めた方が後詰めの戦力増強阻止の意味でも―――」

「アンタ、本当に理解できないのね。理屈云々じゃないわ! 私は、アンタが人を殺すこと自体を認めないって言っているのよ!」


 シェリーの激昂に、ゼスは今度こそ言葉を失った。

 確かにゼスの理屈は正論だ。なんら間違いが無い。だからこそ彼はこの場で山賊達を断罪するという結果を導いたのだ。

 しかし、その結果を拒否する事をシェリーは選んだ。本能的に、倫理的に。そして、彼女自身の正義感故の行動で。


「アンタはもう昔のアンタじゃない。もう傭兵でもなんでもないのよ。今、アンタは騎士よ。正義と法と秩序を謳う組織の一員。アンタの独断専行で勝手に刑を執行する裁判官になったつもりでいるんじゃないわよっ!」


 森林地帯に木霊する凛とした声。鼓膜が破れそうな程の怒声。

 ゼスはもう人の命を奪うな、と彼女は言っているようなものだった。だが、もう言ってしまったものは止められる術を持たない。


「そんな事をしても、アンタは自分の首を絞めるだけよ。彼らをこの場で裁いたところで、その仲間が今度は貴方に牙を剥くわ。その仲間を返り討ちにしても、またその関係者が報復にやってくる。これでは、憎しみの連鎖は止まらないわ。アンタは、一生そんな目に遭いながら敵を殺して生きていくつもりなの? だったらそんなのは……ただ、苦しく辛いだけじゃない」


 伏し目がちにシェリーは心情を吐露していく。

 ゼスが歩んできた生死を分ける戦いの道。殺意と怨嗟をその身に受け、その全てを跳ね返して生きてきた。そんな道を何年続けて歩んだのだろう。そう考えれば、彼があまりにも冷徹すぎる事に納得できる。人の命を奪い過ぎて、葛藤していた精神が摩耗し、そんな状態になってしまったのだろうか。

 もしそうだとしたら、シェリーは本当に悲しい事だと思った。

 そんな彼女に、ゼスは初めて僅かに隙を見せた。


「……別に、辛くは、ない。これは俺が選んだ道だ。……もし、君がそんなにも俺に殺させはしないと言うのなら、俺を納得させてみろ。説き伏せてみせろ。君ならば彼らの報復を受けることなく、かつ彼らを罰せられる事が可能だという答えを出せるのか?」


 いつもより益々眉根を寄せた表情で、ゼスは問う。

 シェリーはしばし考えるように視線を明後日の方角へと移した後、暫くして懐から一枚の紙を取り出した。騎士団本部から彼ら宛に渡された、護送任務に関する命令書だ。


「先ほど、『警備隊など外部組織への協力要請は禁止する』という命令書に明記されていた項目を話したわね。でも、任務の協力要請を禁ず(・・・・・・・・・・)()と明言されているだけで、任務中に発生した問題(・・・・・・・・・・)を委託するのを禁ずる(・・・・・・・・・・)ということではないわ。だから、鉱山町の警備隊を呼び寄せて、山賊達の身柄を引き渡した後に私達は引き続き護送任務を再開する、という選択肢が可能ではあるわよ」


 その答えに、ゼスは面喰ったようだった。彼のその表情を、シェリーは初めて目の当たりにした。

 意外な答えを言ってしまったのかと思ったが。


 ゼスはそのまま顔を背けて、笑いを押し殺すように震えだしたのだ。


「な、何よ? 何がそんなに可笑しいわけ!?」

「……クク。いや? 別におかしい所は何もない。だが、君のその答え……屁理屈と言うんだが、解って言っているのかな?」

「へ、屁理屈なわけ無いじゃない! 穴を突いたと言ってほしいわね!」


 顔を紅潮させてシェリーは全力で否定。

 アンタにだけは言われたくないわ、と言いたいぐらいの素早い反応だった。


「全く、それを言ったら俺の結論も同じく命令されていない事になるのだがな」


 そう前置きを挟んで、ゼスは僅かに苦笑の息を吐きだした。


「それで異存はない。君の提案通り、彼らを生かしたまま警備隊に身柄を引き渡そう。それで、良いんだな?」

「……え、ええ!」


 僅かに驚きつつも、彼が納得してくれた事に安堵し、シェリーは盾を腰に提げた。そして、自分がアンを庇うように立っていた事に気付くと、慌てて彼から離れて注意を向ける。

 アンは左手の痛みに集中していた。変な気を起こす可能性は今のところ低いようだった。

 そして見れば、今まで静観していた御者の男と若い鉱夫も険悪な雰囲気が解消されたと思ったのか、安堵の息を吐いていた。彼らに心配をかけてしまった事は、騎士としてまだまだ未熟だな、とシェリーは思った。


「全く君という奴は……。本当に、こうであって欲しいという願いをストレートにぶつけるものだな。まぁ、それで周りが見えなくなるのは玉に傷だがな」

「う、五月蠅いわね! 別に良いでしょそんな事」

「ああ、本当に……君は―――」



 ―――Gohhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhho!


 その瞬間、まるで巨人の絶叫のような声が森林地帯に木霊した。



 それは、巨人が咆哮でもあげたかのような、甲高い音だった。

 遠くから発生する音波に、森林に止まっていた鳥達が一斉に空へと飛び、地上の生物たちも身を隠すように奥へと消え去った。森の中は閑静と呼ぶにはあまりに不気味な無音な静寂に包まれ、人間達の息遣いしか耳に届かない。

 その異常な光景にゼスとシェリーは身構え、御者の男と若い鉱夫は再び荷馬車へと潜り込む。


「なんだ、今の声は?」

「判らないわ。でも、嫌な予感がする……」


 勘が鋭いシェリーがそう報せると言う事は、並みの相手ではない。巨大なモンスターがこの辺りをうろついているのだろうか。もしそうであれば、見つかる前に鉱山町へと引き返した方が得策だろうか。

 二人がそう考えた瞬間、彼らの足元で蹲るアンが不気味に笑い声をあげた。


「……フ……フフフ……ククク……クックック……!」

「何が、可笑しい?」

「……フヘヘヘヘ……ケケケ……ハハッ、ドゥ……やってくれたか。もう、頼りになるのは……“奴ら”しかいない……!」

「“奴ら”、ですって?」


 ゼスとシェリーが訝しげな表情を見せてアンに凝視する。

 彼は狂ったように笑っている。だが、それは勝利への確信を抱いている表情ではない。恐怖しているからこその、地獄へと道連れにできるという覚悟を決めた表情だ。

 ゼスがアンの襟を掴み、強引に立たせて視線を交わらせた。


「答えろ……“奴ら”とはなんだ! お前達の依頼者か!?」

「……へへへ。さぁてね。だが、“奴ら”は決して……容赦しないぜ……。テメェも、そこの女も、あの二人も……そして、俺達すらも」

「何……? どういうことだ」


 ゼスが珍しく動揺している。

 いつも強敵を目の前にしても、冷静で余裕な態度で闘いを挑んでいた彼が、それを崩すほどの危険を今ので(・・・)感じている……?

 シェリーは改めて気を集中させて、何時でも盾を構えられるようにする。


「ケケケ……後悔するんだなぁ? 俺様と遊ぶ事に夢中で……さっさと離れなかったことに……ヨォ?」

「アンタには判ると言うの? その……今の声の正体が?」

「……そうだな、女に免じて……冥土の土産に教えて……やるよ。あの声は……“奴ら”……じゃない。だが……開戦の……合図さ。もう直ぐ……ここに……“奴ら”が……やってくる」

「……っ、何が来ると言うの? “奴ら”って、一体何なのよ?」


 喉を鳴らし、シェリーが恐々と訊ねる。

 その表情を見れたのが嬉しかったのか、アンは益々笑みを浮かべて舌舐めずりした。


「“奴ら”は……“奴ら”さ。……明確な名前、なんてしらねぇ……。だが、あえて言うなら……テメェらの―――











          ――――――“断罪者”さ」







 その瞬間、彼らの周りから殺気が膨れ上がった。

 

 馬車から前方、そして左翼に突如として黒装束の人間が一人ずつ軽快に降り立った。まるで木々の枝を足場にして移動し、そこから舞い降りたように。


「……っ!? おい!」

「ええ、大丈夫……ボクは荷馬車に」


 アンを手放し身構えるゼス。そしてゆっくりと荷馬車に後退していくシェリー。

 この殺気と隙のない身のこなしの黒装束は、タダ者ではないと直感的に理解した。それはゼスの余裕を崩し、シェリーの本性が自然と出てしまう程の。

 黒装束はその名の通り、全身を黒衣で覆っていた。体格や骨格などは現れた二人で別々、だが違わぬ格好と頭と口を覆う同色のフード。そして、特に異彩を放っているのは目を覆う白色の仮面だ。眼球から見えやすいように穴を空けているタイプだが、不可解な事にまるで全体を覆っているよう(・・・・・・・・・・)に真っ白な仮面(・・・・・・・)だ。その趣が酷く不気味だった。

 アンの言っていた“断罪者”という言葉と異常な光景を前に、二人から今までにない緊張感が漂う。


「何者なのだろうな、奴らは」

「……っ! ゼス!」

「どうした?」


 シェリーの緊迫した雰囲気に、ゼスが振り返るとそこには。


「―――ボク達、どうやら囲まれているわ」


 彼女の言う通り、何時の間に現れたのか馬車の後方と右翼にも三人、四人目の黒装束が凝然として立っていた。

 黒装束達は馬車を中心に十字架の陣形で包囲した。四人で包囲と言うには心許ない人数だが、彼らにとっては十分包囲となりえると理解させられる。

 だが、殺気だけではない。シェリーはとてつもない不快感に襲われていた。彼らを前にするだけで何故か気分が悪くなってくる。

 例えるなら、ここだけ異界化でもしているかのような。認識を疑ってしまう本能から来る異物感。

 ―――この静けさはいけない。呑みこまれる前に先手を打たないと。

 シェリーは剣と盾を抜いた状態で、声高らかに言う。


「ボ……私は、聖王国レイザーランスに忠誠を誓う、アイオライト家の息女にして、蒼衣の騎士団第十七小隊所属の従騎士、シェリー・アイオライト=ブランシェ! 騎士道精神に則り、貴殿達も名乗られよ!」

「――――」

「……」


 ゼスは黙して大剣を構えたままシェリーの呼びかけを聞いていたが、黒装束からの返答は皆無。

 それに首を振ったのはゼスだ。


「当然だろうな。見るからにどこかからの刺客だろう。問答無用、というわけだな」

「……」


 ゼスがそう言って特に気にも留めなかったが、シェリーは先ほどの一幕である違和感を感じていた。


 ―――あの黒衣から、息遣いが感じられない……?


 その直後―――






 ―――――――Gohhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhhho!





 あの巨人の絶叫が再び森林地帯に轟いた。今度は、先ほどより随分近づいているように感じた。

 それが合図のように、黒装束達―――“断罪者”は一斉に凶器を引き抜いた。

 太刀のような刃物を両手に二本。その引き抜く仕草は一切の淀みが無い。

 そして、ゼスの目の前に居る“断罪者”のみが膝を曲げて。


「――――」

「……っ!」


 ぞくっ。

 かつて味わったことのない、後頭部にのしかかるような重圧と背筋を凍らせる寒気が体中を駆け巡った。

 ―――来るっっ!?

 ゼスの正面に居る“断罪者”が疾駆し、一気に肉薄しようとする。山賊達の時と同じく、彼に向っての直線運動。しかし、その速度は山賊達とは雲泥の差。三秒もしない内に彼我十数オリュを埋め、太刀を振ってくるだろう。

 対し、ゼスは今まで精神統一をしていたのか、同じような冷静さを取り戻していた。彼は、微動だにしない。先ほどと同じような戦法で“断罪者”を迎え撃とうとしている。

 相対距離十オリュ……五オリュ。

 刹那、ゼスの手元が動き―――シェリーがそう認識した時には、大剣を横薙ぎに薙いだ後で。


 びくっ。


 その時、シェリーは本能で危険信号を感じ取っていた。


「ゼス、ダメ!」


 だが、その声は遥かに遅すぎた。

 何故ならあの重剣を振うゼスの剣速は、山賊達の時より遥かに凌駕した、音速の剣閃だったからだ。

 彼女が声を上げた時には―――。


「……ッ!?」


 成人男性の咄嗟に武器での防御ですら打ち破る程の威力を、“断罪者”は片手に持つ太刀(・・・・・・・)だけで止めた。


「バカな―――」

「嘘……でしょ……?」


 二人の驚愕は当然だった。

 あの重剣を片手一つで完全に止めたという事が有り得ない。それは、ゼス以上の膂力を持ちうる事を示唆している。それも、彼より小さい体躯の人間が、だ。

 直ぐにゼスは次なる一手を放つ。ゼロ距離からの暗器投擲だ。いくらなんでも、これを防ぐ手段など常人には持ち得ない。


 ―――鋼同士が衝突する音がしたかと思うと、両者の間に暗器が落ちる。


 今度こそ銀髪の大剣使いは両目を見開いて驚愕した。

 “断罪者”という黒装束は、目と鼻の先の間合いで投擲された暗殺用ナイフを空いている左手で弾いたのだ。

 まるで、ゼスの攻撃方法を予測して対応したとしか思えない思考力と反射神経だ。


「くっ……」


 目の前の“断罪者”から鋭い殺気が突き刺さり、ゼスは無意識に鋭い蹴打を放った。

 しかし、前もって来るのを理解したかのように“断罪者”は漆黒の大剣から離れ、バック転で距離を開けた。


「身体能力は勿論……思考力、膂力、反射神経……。全てが高水準に兼ね備えていると言うのか」


 ゼスが再び余裕を失くしている。苦々しい表情で、彼は“断罪者”に注視した。

 “断罪者”は距離をとってから追撃するわけでもなく、その場に留まって微動だにしない。まるで様子を覗いながら、何かを待っているような―――。




 ――――GHOHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHHH!!!




 三度目の、巨人のような絶叫。

 そして、その正体が現れる。

 全長三オリュ以上はあるだろうか。体中が毛皮に覆われた二足歩行の生物。頭には角が二つ生えており、その顔立ちは人間が退化すればそうなっていたであろう目鼻と口。

 ゴルリディアンヌ―――――モンスターハンターの間では危険度Sに相当する巨大モンスターが、森林の間から姿を現したのだ。


「ひ、ひぃっ!?」

「オイオイオイオイ、マジかよ!」


 その姿を一目見た御者の男と若い鉱夫は腰を抜かしてしまう。

 シェリーは彼らを庇うように前に出て、周囲の警戒を続ける。だが、その表情は優れない。

 “断罪者”一人ですら、ゼスは優位に立てない状態で、包囲している三人の“断罪者”が控え、さらには危険度Sのゴルリディアンヌが姿を現したとなれば、劣勢と言うほかない。

 いや、それをいうならこれは絶体絶命という状態ではないのか。


「なんとか……しないと……」


 シェリーは頬に流れる冷や汗も気付かず、目の前の敵を俯瞰するしかなかった。


「………ハハハ、ハハハハハハッハッハッハ! 良いぞ、やれやれやれ。この二人の騎士共に、断罪を与えてやれぇえええええええっ!!!」


 体中を巡る痛みも忘れるほどの狂喜の声を上げるアンは、最早戦場そのものすら見ていなかった。

 そして、ゼスは―――




「“断罪者”か。成程。……言い得て妙、だな……」




 そんな苦笑交じりの呟きが遠くから聞こえる嗤い声と共に、シェリーには聴こえた、気がした。


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