3-12「戦術思考」
同日19時28分―――
あの鉢合わせから数十分後。
ゼスとシェリーは軽装に着替えて、宿屋と併設している食堂へと足を運んでいた。
大衆用に造られた食堂は、丸い大型テーブルが大半を占め、カウンター席と個別席は少数派として置かれている。三十人は入れる広さであり、既に二人の後から宿泊の手続きをしてきた数人の冒険者達が広いテーブルへと腰掛けて、乾杯の音頭をとっていた。
ゼス達は集団の邪魔にならないように、窓際の二人席を陣取って、運ばれてきた食事に手を付けていた。
「……」
「……」
無言。
彼らの周りには、近くの喧騒と食器の音だけが無情に響く。
運ばれてきたトレイの上には、女将が言った通りの鶏肉の串焼きと野菜、スープとパンが載せられた皿がそれぞれある。
ゼスは串をそのまま持って直接食べているが、シェリーは態々フォークとナプキンを使って鶏肉を串から全部外して一個ずつ口に入れている。
元々の育ちが、そのままテーブルマナーに現れている二人は、まさに対照的であると言えた。
シェリーがパンを一口大に千切って、ナイフにバターをつけていたその時に。
「……そろそろ何か話したらどうだ?」
ゼスはようやく口を開く。慇懃な口調で、まるで先程の件をさほど気にしている様子は無い。
だが、シェリーからの反応は無く、黙々とパンの欠片にバターを塗っている。
「先程の事なら気にするな。別にお互いの身体を見回しても減るものなど無い―――」
ガッ―――!
その音は、シェリーが勢いよくナイフをバターが入っていた箱に振り下ろしたものだ。
「……」
流石のバター箱に刺さっている風に見えるナイフとシェリーを見比べて、それ以上口を開く様子がないゼス。
だが、代わりにようやくシェリーが反応を示す。
「気にするな……? ええ、気にしない方がどれだけ良い事か……! アンタにはドサクサに紛れて、私の身体を隅々まで見られたのも許せるものじゃないし、というか今すぐにでも記憶ごと殺したいけれど、後でお詫びがあるのなら我慢することはできるけれど……ボ―――わ、私、男の人のカラダを見るの、父上以外では初めてだったのよ? あの時は幼かったから別に気にもしてなかったけれど、今なら漠然と理解できる。あんな……あ、あんな!」
「……落ち着け。結局は不可抗力だったのだろう? 君も、見たくて見たわけではないしな」
「当然よ! そんな人がいたらどんな……えぇっと、そういうのを痴女って言うのかしら―――と、とにかく、どんな人なのよ!? 宿の人から不注意だって物凄く謝られたけど、やっぱり、凄く―――」
顔を青ざめて右手を震わせ、悪寒を感じているように眉を潜ませている。
そんな様子のシェリーに、ゼスは仕方ないとばかりにたしなめる。
「判った。判ったから、落ち着け。いくらなんでもそれ以上声を大きくすれば、他の客に聞こえるんだが」
「うっ……」
ようやくシェリーは冷静さを取り戻し、ひとまず傍に置かれた茶を一口喉に通す。
飲み込んだのを見計らい、ゼスは間髪いれずに言う。
「確かに一声かけず、君をそのままにして勝手に入浴しに行って、さらにいきなり剣を構えた俺の落ち度もあった。宿側の不手際もある。決して君の所為ではないな。しかし、もう過ぎた事だ」
今更何を言われても、ゼスはシェリーの記憶を消す事なんて出来ないし、過去に戻る事なんて不可能だ、と。
「それに、君に恋人が出来たら時や結婚した後の事はどうする? 一つ屋根の下で生活すれば、先程のような事が何度かあるかもしれないな。その都度君はそうするのか?」
「う、嘘!? いえ、でも……確かにそうだけど―――」
頬を羞恥に染めたシェリーが俯き加減に反論しようとする。
相変わらず自分の弱い分野はとことん弱いな、交渉や世渡り術は俺より得意そうなのだか、とゼスはそんな感想を抱いた。
「こう言っては何だが、今のうちにそういうのを馴れていた方が良いと思うがな」
「ちょっ……そ、そういうものなの?」
「良くは知らんな。だが、もう気にするのは止めにしろ。明日は気を引き締める任務が待っている。仕事に支障をきたさない程度に頭の底に引っ込ませればいいだろう」
もしくは考えられないくらいに仕事に集中すれば良い、と。
今後もあの光景が無意識に、彼女の頭に浮かぶかもしれない。それも仕事中にそうなって、集中を乱すだろう。
仕事に打ち込む、成程確かにシェリーの得意分野であり、まさに望むところであろう。かかずらわっている間にも、あの奴隷達がどんな目に遭うのかも全く分からない。それに比べたら、先程の羞恥など些事に過ぎない。彼らを直ぐに助けるためにも、早く従騎士から脱しなければならないはず。
ゼスはその事を案じ、至極真っ当な意見をストレートに言ったのだ。
大きく息を吐き出して、シェリーは仕方なさそうに言う。
「判ったわ。とりあえず、今は明日に集中する事にする」
「そうか……」
「―――で、その為にも今から段取りを話し合うけど良いわね? では早速だけど」
「返事を待たずだな、おい」
まるで早く過去の出来事を忘れようと、仕事一心に取り組むシェリーに、ゼスは頭を掻くしかなかった。
その後、二人は少しずつ食事に手をつけながら、ゆっくりと明日の護送の段取りを話し合った。
―――事前に得た町長からの情報によると、鉱物を運ぶのは荷車一台とそれを引く馬、町からは御者と鉱物関係に詳しい鉱夫の若者が同行する手筈である。
ゼスとシェリーは彼らと鉱物を護りつつ、無事聖都まで送り届ける事が任務だ。
行きは二日の行程であったが、聖都へは荷馬車の速度も考えると一日長くなる予定で組んでいる。また、移動時間もあまり遅くまで行動できない制約もある。荷馬車を安全に停められる場所を確保する事は勿論、寝処も早急に準備する必要がある為だ。
また、騎士である二人は昼夜問わず常に臨戦態勢とする必要がある。相手は数が多い山賊で、一人ひとりの実力は騎士の相手ではないが、その分どんな手段で襲撃するか分からない、というゼスの見解によって常に緊張状態となる。睡眠時間も交代制にする必要があるので、行きより大分削られる事になるだろう。
それ故、この任務に求められるのは迅速で柔軟な対応、如何にして体力を温存して護送を続けるか、にかかっている。
「―――と、ここまで決めたわけだけど、私から提案があるわ」
話し合いの途中で、唐突にシェリーが切り出した。
「何だ?」
「ここまで私達は、各々の得意分野を駆使して、味方の事を気にせず勝手にやってきたけれど……。この任務では、互いの体調に気を配りつつ、それぞれの提案には無条件で受け入れる事にしたいわ」
ゼスは眼を細めて、その提案に直ぐには反応しなかった。
「……要するに、君の無理難題な命令を受け入れろということか?」
「違うわよ! ほら、魔物が襲撃された時は、大して作戦も立てずにそれぞれで撃退したじゃない? でも、この任務は護衛対象者も居るし、そこも気を配らないといけない。これまでとは勝手が違ってくるわ」
行きでは好き勝手に魔物を撃退してきたが、体力を温存して効率的に戦う以上は有効打になる攻撃が効果的だ。
その為、フォーメーションや作戦の実行を円滑に行い、互いの長所を生かした戦法にしたいということだ。
今のままで任務をすると、互いの足を引っ張ったり、護衛対象者や対象物を護り切れるか怪しい、という彼女の意見だった。
その提案にゼスは、あまり乗り気の様子ではない。
「あえて言う。その方法はいくつかの条件によって最大限に発揮されるものだ。まず一つ、戦術や戦略を共有しそれを使うということは、互いの事を知る、ということだな。相手の事を知り、理解を深める事で初めて効果が発揮される」
そこは理解しているか、と彼の鋭い視線がシェリーを射抜く。
彼女の対応は、是だ。
「ええ。勿論そのつもりよ」
「……君は、俺の事を知りたいと?」
「っ……べ、別にそんなんじゃないわよ。ただ、アンタの戦術傾向や性格などを把握したいだけよ」
ゼスの解釈に、頬を染めて否定するシェリー。
彼女自身は、言われて初めてそういう解釈もできるのかと思い至った程度である。純粋に、口に出した事しか他意はない。
再び二人の間に沈黙が下りる。しきりに考え事をしているゼスと、彼の答えを待ちながら食事を進めるシェリー。
やがて―――
「理解した。しかし同意はしかねるな」
「……それは何故?」
シェリーが表情を顰めながら問うた。
「君が俺の事を知りたがる物好きなのは分かった」
「だから違うって言ってるでしょ!」
「声が大きいな……。で、俺が同意できない最大の理由は、君のスペックが、俺が考える戦術に付いて行けるかどうか、だ」
シェリーはゼスの答えに、呆然とした。
言っている意味が、よく、理解、できなかった―――。
「えっと……私の空耳じゃなければ、私ではアンタの作戦の役不足、って言いたいのかしら?」
「―――」
ゼスは交わる視線を逸らさなかった。
それが、沈黙の肯定だということに、シェリーの中で何かがあがった。
「……騎士登用試験の時も、今までも、アンタは私の実力を見下していたわね。手加減はされる、女扱いはする、挙句に役立たずと言うつもり!?」
「そこまでは言っていないのだがな……。だが、全て否定はしない。まず、俺自身の戦術が大抵はどういったものかは分かるか?」
ゼスは激昂しそうなシェリーを落ち着かせつつ、質問で理解してもらうように試みる。
それは効果があったようで、シェリーは首を傾げて冷静に考え始めた。
「ゼスの戦術傾向って事?」
「そうだな」
「……そうねぇ。でも、私はゼスのソレは登用試験の時しか見ていない訳なのだし、そういうのはハッキリとは言えないわ。周りのオブジェクトを利用したり、大剣をその道具に使ったりするぐらいしか―――」
「それだな」
唐突にゼスが肯定して、シェリーが唖然とした言葉を漏らした。
ゼスは取ってくる物がある、と言って席を立ち、食堂の隣にある宿のロビーへと足を運ぶ。その場所から白紙と筆記用具を持って、食堂の席に座る。
「大抵俺の戦術は俺自身が出来る事を前提に考える。大剣を利用した戦術、暗器や周辺の物を利用した戦略、そのどれもが扱い馴れ、俺が最も効率よく最小限の労力で事を済ませられると考えられる手法だ。長年傭兵生活をしてきた所為か、あらゆる敵と戦ってきた経験から来たものだな」
ゼスは一つずつ、彼自身と思われる線人間と彼が使う武器や手段を絵で表現し、シェリーに説明していく。
彼が説明する内容と、彼の絵は何の問題も無く理解するシェリーは、ある一つの疑問を返した。
「アンタ自身が出来る事がアンタの戦術……。つまり、他の人にとっては、難しいわけ?」
「俺の様な傭兵や騎士なら可能だろうな。だが、一般の兵士や……君のような女性はどうだろうか?」
「なんですって……?」
「俺の戦術に適応できる為には、前提として腕力や体力が伴う。力仕事が大半だからな。だが、女性は良くも悪くも男性より非力だ。君の闘いぶりを見てきたが、その剣閃速度で力そのものを補っているのは評価できるな。だが―――」
やはり非力なのだ、とゼスは抑揚なく答えた。
その意見に直ぐには否定できなかったとシェリー。昨日のワームとの戦いで、頑丈な皮膚を前に剣が弾き返された経緯もある。彼の言わんとする事は理解できる。
だから、彼は続けざまに言った。
「非力な君に、力仕事が要るような俺の戦術に付いて行けないだろう?」と。
「非力なのは認めるわ。でも―――私でも、できるような作戦が一つか二つくらいはあるんじゃないかしら?」
「例えば?」
シェリーの反論に、ゼスは応じる構えだ。
お互い視線を逸らさず、自らの意見を相手にぶつける。
「例えば、私のように機動力を活かした戦術。敵を撹乱して注意を逸らし、隙を見てアンタが一撃を与える作戦とか、魔働術で一網打尽を狙い、その間はアンタが敵の注意を逸らすとか―――色々やりようがあるわよ」
実にもっともらしい作戦に、ゼスは成程と頷き返す。
確かにそれはシェリーらしい戦術を考慮した作戦だった。ゼスにはできない奇策で敵を翻弄し、きっとゼス以上に効率よく敵を撃退する事も不可能ではないだろう。
だが、それでもゼスは是としない。
「だからこそ、俺はその戦術は取らないな。何故なら、慣れない作戦は通常よりはその性能が半減すると断言できるからだ。これは、その戦術を可能にする要―――つまり、君の戦術傾向を理解していないと本来の力は発揮できない」
不可能と断言するには早計じゃないの、とシェリーは反論した。
確かに慣れない戦術は怪我も元でもあるし、互いの足を引っ張る可能性もある。ゼスの言う通りだが、それは決して不可能だと言えるのだろうか。
されど彼が、シェリーの提案を否定する理由はそれだけではない。
「それのどこが問題なの? そんなの、これからアンタが私の事を知れば良いじゃない。チームワークも育む良い機会なのだし」
「正論だな。だがしかし―――俺は、他の人間の事など知りたくないな」
それこそ唖然とした。一体彼は本当に何を言っているのだろう、とその場で問いたくなるほどに。
知るのが難しい、ならまだアドバイスの余地があるのだが、最初から相棒の事を知る気が無いとは、どういうことなのか。
「それじゃあ、私と連携した作戦は殆ど取れないんじゃないかしら?」
「その通りだな。だから、俺は君の案を承認しない」
「あぁ、もうっ! ―――無理、限界、我慢ならないわ。こんなこと言われて落ち着いてられないわよ! 理由を教えて!」
あまりにも理不尽な答えに、シェリーは冷静ではいられなくなった。
これまでも、ゼスの言葉に反応しながらも我慢をしていたのだが、「シェリーの事を知りたくない」と言われれば、これ以上我慢なんて出来る筈も無かったのだ。
こんな酷い回答がこれまであっただろうか、いや無い筈だ。
最早周囲の事を気にもせずに、シェリーは問いただしていた。
ゼスは、抑揚無い声で即答する。
「理由か……そのような大層なものはないな。ただ、知る必要性を感じないだけ、それだけだ。連携と言えども、相手が俺の策で足を引っ張るのは好まない。俺自身だけならば如何にすれば戦術を成功に導けるか、臨機応変に対応できる」
そこで一旦言葉を切ったゼスが、僅かな間言葉を選ぶように思案し、その言葉を告げる。
「……信じられるのは、自分だけだ」
「―――何よ、それ。それは、あまりにも……」
陰りを見せるシェリーの表情。
途中まで出していた言葉は喉につかえたように、中々出てこないようだった。
ゼスはこれ以上シェリーが何かを言う前に、話を切り上げようとした。
「故に、作戦などは必要ないな。下手に協力するよりは、自分の信じられる、自分が出来ると思う事を自信を持ってやればそれで良いんじゃないかな? どの任務に失敗を意味するのは死だぞ。やり直しは無い事を、よく理解すると良い」
突っぱねたような言い方にシェリーは、ゼスが再び食事を進めるのを黙って見守るしかなかった。